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第3話 過酷な排出【ロイ】


 ロイの形成が始まったのは、昨日のことだった。


 朝から、腹の奥で魔力が動いている。


 ぐるぐると、身体の中を巡っているような感覚。


「……気持ち悪」


 ベッドの上で呟いて、ロイは目を閉じた。


 吐くほどではない。


 身体を起こせないほどでもない。


 ただ、ずっと腹の奥に何かがいるような、落ち着かない感覚がある。


 これが、ロイにとっての形成だった。


 マノンほどではない。


 少なくとも、歩ける。


 だからロイは、昨日から月晶館に来ているものの、部屋でじっとしているのにも飽きていた。


「暇だなー……」


 廊下へ出る。


 特に用事はない。


 ただ、歩いているだけ。


 月晶館には、形成中のセレノがいる。


 排出を終えたばかりのセレノもいる。


 晶守が行き交っている。


 いつもの光景。


 ロイはそんな館の中を、ふらふらと歩いていた。


 すると、前から見覚えのある姿が見えた。


「あ」


 マノンだった。


 ちゃんと歩いている。


 ロイは少し笑った。


 もう形成は終わったんだな。


 形成中だったら、あんなふうには歩いていない。


 それくらい、ロイはマノンのことを知っていた。


「マノン!」


 呼ぶと、マノンが振り返った。


「あ、ロイ」


「終わったんだね。お疲れ」


「うん。今月もきつかったわ」


「そっかー」


 ロイは笑う。


「俺、いま形成中ー」


「……」


 マノンがロイを見る。


 上から下まで。


 普通に立っているロイ。


 普通に笑っているロイ。


「うわー」


「なに」


「なんだよそれ。全然楽勝じゃん」


「へへへ」


 ロイは得意げに笑った。


「じゃ、またね」


「うん。また」


 ロイは手を振る。


 マノンも手を振り返す。


 その背中が遠ざかっていく。


 ロイは、


「ふー」


 と、小さく息を吐いた。


 笑っていた顔が、少しだけ緩む。


 マノンには言わなかった。


 形成中は、確かに楽なのだ。


 少なくとも、今は。


 でも。


 このあと待っているものを思い出すと、少しだけ気が重くなった。


「……まあ、明日だし」


 ロイはそう言って、また歩き出した。


---


 翌日の昼。


 それまで、何ともなかった。


 腹の中では相変わらず魔力が動いている。


 少し気持ち悪い。


 でも、それだけだった。


 ロイは館の中を歩いていた。


 昼食をどうしようかと考えていた。


 何か食べる気にはなれない。


 けれど、何も食べないのも暇だ。


 そんなことを考えていた、そのときだった。


「……あ」


 身体の奥に、重いものが落ちてきた。


 ズン、と。


「……っ」


 足が止まる。


 これは……


 次の瞬間。


 膝から力が抜けた。


「……っ!」


 その場に膝をつく。


 身体の中から、血が一気に抜けていくようだった。


 視界が白くなる。


 耳鳴りがする。


「……やば」


 形成が終わった。


 それだけは分かった。


 ロイは目を閉じる。


 深く息を吸おうとする。


 落ち着け。


 大丈夫。


 いつものこと。


「……すー……」


 けれど、呼吸がうまくできない。


 息が上がっていく。


 心臓が早い。


 頭の奥がぐらぐらする。


 立たなきゃ。


 そう思ったところで、


「ロイ!」


 大きな声がした。


 けれど、気づかなかった。


 背中に手が触れて、初めて誰かがそばにいることに気づく。


「ロイ、大丈夫ですか!」


「……晶守……?」


「形成完了ですね」


「……うん」


「すぐ排出しましょう」


 ロイは返事をしようとした。


 でも、声が出ない。


 晶守に身体を支えられる。


 車椅子が運ばれてくる。


「乗れますか?」


「……たぶん」


「無理しなくていいです」


 身体を預ける。


 車椅子に座った瞬間、また視界が揺れた。


「……うわ」


「気分悪いですか?」


「目が回る」


「分かりました。ゆっくり行きます」


 車椅子が動き出す。


 廊下の景色が流れていく。


 白い壁。


 扉。


 照明。


 いつも見慣れた月晶館。


 なのに、今日は全部が遠く感じる。


 腹の奥が重い。


 鈍い痛みがある。


 頭も痛い。


「……はぁ」


「もう少しです」


「うん……」


 ロイは目を閉じた。


 排出室へ着く。


---


 椅子に座る。


 身体を支える。


 晶守がそばに立つ。


「ロイ。ゆっくりで大丈夫です」


「……はい」


 返事をする。


 いつものことだ。


 何度もやっている。


 だから、怖くはない。


 ただ。


 きつい。


「始めていいですよ」


 身体の奥へ意識を向ける。


 魔力が大きく動いた。


「……っ」


 痛みが来る。


 ロイは息を吐いた。


「……はー……」


 力を込める。


「……っ」


 身体の奥が強く締まる。


 腹部の鈍痛が広がっていく。


「ゆっくり呼吸してください」


「……うん」


 息を吸う。


 吐く。


 また力を込める。


「……んっ……」


 痛い。


 頭も痛い。


 身体が重い。


 それでも、終わらせるしかない。


「もう一度いきましょう」


「……はい」


 力を込める。


「……っ、う……!」


 身体が震える。


 晶守の手が背中を支えている。


「大丈夫です」


「……大丈夫……」


 自分に言い聞かせるように呟く。


 もう一度。


 もう一度。


 痛みが途切れない。


 形成中なら歩けた。


 普通に喋れた。


 マノンに笑いかけることだってできた。


 でも、ここから先は違う。


 ロイにとっては、この時間が一番長い。


「……っ、はぁ……」


 息が上がる。


「もう少しです」


「……もう少し……」


 言われても、どのくらいなのか分からない。


 ただ耐える。


 力を込める。


 身体の奥から、外へ。


「……んんっ……!」


 痛みが強くなる。


 ロイは目を閉じた。


 額に汗が浮かぶ。


 呼吸が乱れる。


「ロイ、息を止めすぎないで」


「……っ、はい……」


 言われた通りに呼吸する。


 また力を込める。


 身体の奥が震える。


 そして――


「……っ!」


 最後の力を込めた。


 ふっと、身体の中から何かが抜ける。


 足元に、月晶が現れた。


「……」


 ロイは動かなかった。


「排出できました」


 晶守の声。


「……終わった?」


「はい。終わりました」


「……そっか」


 ロイは息を吐いた。


 身体から力が抜ける。


 いつものように、終わった。


 そう思った。


 けれど。


「……あれ」


 急に、身体が遠くなった。


 目の前が暗くなる。


「ロイ?」


 晶守の声がする。


「……眠い」


「ロイ」


 声が遠い。


 身体が重い。


「ロイ、聞こえますか?」


「……うん」


 そう答えたつもりだった。


 けれど、自分の声が聞こえない。


 視界が閉じていく。


「ロイ!」


 晶守の声だけが、遠くで響いていた。


 そのまま、意識が落ちた。


---


 目を覚ましたとき。


 白い天井が見えた。


「……ん」


 ロイはゆっくり目を開けた。


 身体が、少し軽い。


 けれど、まだ頭がぼんやりしている。


 視界が少し歪む。


「……起きましたか」


 声が聞こえた。


 晶守だった。


「……終わったのか」


「はい」


「そっか……」


 ロイは目を閉じる。


「今回は、丸一日寝てましたよ」


「……一日?」


「はい」


「そっか……」


 ロイは驚くでもなく呟いた。


 まだ眠い。


 身体は軽くなったけれど、完全に戻ったわけではない。


「痛みは?」


「ない」


「吐き気は?」


「ない」


「頭は?」


「ちょっとぼんやり」


「では、もう少し休みましょう」


「うん……」


 晶守が布団を整える。


「あと二日は、ここにいてもらいます」


「……二日」


 ロイは天井を見る。


「長いな」


「まだ回復していませんから」


「そっか」


「ちゃんと休んでください」


「はーい」


 ロイは目を閉じた。


 しばらくして、また眠った。


---


 二日間。


 ロイは、ほとんど眠っていた。


 起きている時間も短い。


 水を飲む。


 少し食べる。


 また眠る。


 身体の中の魔力が少しずつ戻っていく。


 三日目の朝。


「もう大丈夫そうですね」


「うん」


 ロイはベッドから身体を起こした。


 今度は、目が回らない。


「……おー」


「どうしました?」


「ちゃんと戻ってる」


「戻ってますね」


「よかった」


 ロイは少し笑った。


 そして、ふと思い出した。


「そういえば」


「はい」


「今回の月晶、いくらだった?」


「鑑定結果、出ていますよ」


 晶守が記録を確認する。


「先月より、少し上がっています」


「ほんと?」


「はい。魔力の濃度が高かったので」


「そっか……」


 ロイは少し考える。


「……高いね」


「良い月晶だったということです」


「なるほどね」


 ロイは笑った。


「じゃあ、よかった」


 それだけ言って、ベッドから降りる。


 もう身体は動く。


---


「次回は、もう少し早めに来てくださいよ」


 帰り際、晶守が言った。


「えー」


「形成が始まっているって分かっているのに、来ないんですから」


「だって楽なんだもん」


「始まってからでは遅いんですから」


「でも歩けるし」


「今回、意識を失いましたよね」


「……はい」


「ちゃんと様子を見せに来てください」


「はいはーい」


「返事が軽いです」


「大丈夫大丈夫」


 ロイは笑いながら手を振る。


「じゃ、また来月〜」


「はい。また来月」


 ロイは月晶館を出ていく。


 外の空気を吸う。


 身体が軽い。


 やっと、自分の日常に戻れる。


 ロイは大きく伸びをした。


「……腹減ったな」


 そう呟いて、歩き出す。


 来月もまた、形成は始まる。


 そしてその先には、また同じように――


 長い排出が待っている。

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