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第2話 長い形成期間【ジル】


 目が覚めた瞬間に、分かった。


 身体が、重い。


 布団の中に沈み込んでいるようだった。


「……きた」


 小さく呟いた、その直後。


「うぇ……」


 急に吐き気が込み上げてきた。


 マノンは慌てて身体を横に向け、ベッドの脇に置いていた袋を引き寄せる。


 少しだけ吐いた。


「……はー……」


 力なく息を吐く。


 まだ頭がぼんやりしている。


 けれど、もう分かっていた。


 月晶の形成が始まった。


 マノンにとっては、毎月のことだった。


 珍しいことでも、突然のことでもない。


 ただ――


 毎月、嫌だった。


 ベッドの上から手を伸ばし、月晶館へ連絡を入れる。


『はい、月晶館です』


「……マノンです」


『はい』


「……始まりました」


 一拍。


『始まりましたね』


「はい……」


『今から来られそうですか?』


「……いまから、行きます」


『分かりました。準備しておきますね』


「お願いします……」


 通話を切る。


 マノンはしばらく天井を見つめた。


「……行きたくない……」


 呟いてから、自分で少し笑った。


 行かなければならないわけではない。


 けれど、月晶館に行ったほうが楽なのも分かっている。


 晶守がいてくれる。


 体調を見てもらえる。


 必要なものも全部ある。


 だからマノンは、ゆっくりと身体を起こした。


 それだけで、目の前がぐわんと揺れた。


「……っ」


 慌ててベッドに手をつく。


 やっぱり、今年もこれだ。


 マノンは支度をして、タクシーを呼んだ。


---


 月晶館に着くと、すぐに晶守が迎えに来た。


「おはようございます、マノン」


「……おはようございます」


「顔色、悪いですね」


「朝、吐きました」


「そうですか。じゃあ、今日はもう頑張らなくていいですよ」


「……はい」


 その一言に、少しだけ安心する。


 部屋へ案内される。


 ベッドに横になる。


 水が置かれる。


 必要なものは全部、手の届くところにある。


「何か食べられそうですか?」


「……無理です」


「ですよね」


「水なら……」


「分かりました。無理に食べなくて大丈夫です」


 晶守はそう言って、水を少しずつ飲めるように準備してくれた。


 マノンは一口飲んだ。


「……おいしい」


「水ですよ」


「知ってます」


「ふふ」


 少しだけ笑う。


 でも、それ以上の力はなかった。


---


 それから数日。


 ほとんど、ベッドの上だった。


 水を飲む。


 眠る。


 目が覚める。


 少し身体を起こしてみる。


 ――ぐわん。


「……っ」


 目眩。


 また横になる。


 吐き気。


「うぇ……」


 袋を受け取る。


 吐く。


「……はぁ」


「大丈夫ですか?」


「……大丈夫じゃないです」


「ですよね」


 晶守は苦笑しながら、背中をさする。


「今日は昨日より悪いですね」


「……そうですか?」


「はい」


「じゃあ、明日はもっと悪い?」


「そうとは限りません」


「ほんと?」


「ほんとです」


「……じゃあ信じます」


「ありがとうございます」


「なんで晶守がありがとうって言うんですか……」


「信じてもらえたので」


 マノンは少しだけ笑った。


 笑うだけでも疲れる。


「……しんどすぎ」


「はい」


「肯定するんだ」


「しんどいですから」


「……ですよね」


 また目を閉じる。


 晶守は静かに椅子へ戻った。


---


 形成が進むにつれて、身体はさらに重くなった。


 頭がずっと、ぐわんぐわんしている。


 目を開けているのも辛い。


 身体を起こそうとしても、もう無理だった。


「……立てない」


「立たなくていいですよ」


「トイレ……」


「今、行きますか?」


「……行きたい」


「では、支えますね」


 晶守に身体を支えてもらう。


 けれど、足に力が入らない。


 一歩。


 また一歩。


 数歩進んだだけで、吐き気が込み上げてきた。


「……っ」


「しゃがみましょう」


「……ごめんなさい」


「謝らなくていいですよ」


「でも……」


「マノン」


「はい」


「ここでは、具合が悪いのが仕事みたいなものです」


「……なにそれ」


「少なくとも、今は」


 マノンは少しだけ笑った。


「変なの」


「よく言われます」


 またベッドに戻る。


 横になる。


 目を閉じる。


 眠る。


 それでも身体の中では、ずっと魔力が動いていた。


---


 その日の夜。


「……あ」


 マノンが小さく声を漏らした。


「どうしました?」


「なんか……」


 お腹の奥が、重い。


 嫌な感覚だった。


「……痛い」


 晶守がすぐにそばへ来る。


「どこですか?」


「お腹……ぎゅって……」


 言い終わる前に、痛みが強くなる。


「……っ」


 身体を丸める。


 お腹の奥が、強く締め付けられている。


「マノン、ゆっくり呼吸してください」


「……う……」


「大丈夫です」


「ううっ……」


 ぎゅう、と。


 身体の奥が絞られるようだった。


 呼吸をする。


 耐える。


 しばらくして――


 ふっと、力が抜けた。


「……あ」


「楽になりました?」


「……うん」


 さっきまでの重苦しさが、少しだけ薄れている。


 マノンはゆっくり息を吐いた。


「……終わった」


「はい」


「形成、終わった……」


「お疲れさまでした」


 マノンは目を閉じたまま、しばらく動かなかった。


「あー……終わった……」


「よかったですね」


「もう寝ていい?」


「今は」


「……今は?」


「まだこれからですよ」


「……」


 マノンがゆっくり目を開ける。


「……そうだった」


「はい」


「忘れてた」


「今からですからね、排出」


「……そっかぁ」


 マノンは天井を見た。


「もう一個あるんだった」


 晶守が笑う。


「あります」


「……がんばろ」


「はい」


---


 翌日。


 排出室。


 マノンは椅子に座っていた。


 形成が終わったことで、身体は少しだけ楽になっている。


 まだ頭は重い。


 けれど、昨日までの吐き気はほとんどない。


「大丈夫そうですか?」


「うん」


「では、お好きなタイミングで」


 身体の奥へ意識を向ける。


 魔力が動く。


 マノンはゆっくり息を吸った。


「……っ」


 力を込める。


 痛みが走る。


 けれど、形成中の苦しさとは違う。


 これは、もうすぐ終わるための痛みだ。


「……んっ」


 もう一度。


 身体の奥から、外へ。


 マノンは呼吸を整えながら、力を込めた。


 そして――


 ぽとり。


 足元へ、淡い水色の光を宿した楕円形の結晶が現れた。


「……終わった」


「お疲れさまでした」


 マノンは大きく息を吐いた。


「いやー……」


 ぐったりと椅子にもたれる。


「今月も疲れた」


「本当にお疲れさまでした」


---


 その後、月晶は鑑定へ回された。


 効果。


 純度。


 安定性。


 市場価値。


 結果は、いつも通りだった。


「今回も問題ありません」


「うん」


「売却しますか?」


 マノンは少しだけ月晶を見た。


 淡い光。


 自分の身体の中で、数日かけて作られたもの。


 毎月、同じように生まれてくる。


「……はい」


 マノンは頷いた。


「売ってください」


「分かりました」


 それで終わり。


 マノンは自分の身体を確かめるように、ゆっくり息を吐いた。


 まだ少し疲れている。


 でも、帰れる。


 明日には、もっと楽になっているだろう。


 そう思いながら、月晶館を出ようとした。


---


「マノン!」


 声がした。


 振り返る。


 ロイだった。


「終わったんだね。お疲れ」


「うん。今月もきつかったわ」


「そっかー」


 ロイはいつもの調子で笑っている。


「俺、いま形成中ー」


「……」


 マノンはロイを見た。


 元気そうだ。


 普通に立っている。


 普通に喋っている。


「うわー」


「なに」


「なんだよそれ。全然楽勝じゃん」


「へへへ」


 ロイは楽しそうに笑った。


「じゃ、またね」


「うん。また」


 マノンは月晶館を出ていく。


 ロイはその背中を見送った。


 そして――


 何でもない顔で、自分の腹を少しだけ撫でた。


 ロイはまだ、形成の途中だった。

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