第5話 きらめく産卵【サラとリアナ】
月晶館は家ではない。
形成と排出のために訪れる場所であり、必要な期間を過ごすための施設だ。
けれど、セレノの中には、月晶館をもうひとつの家のように使っている者もいる。
サラも、そのひとりだった。
「……んー」
朝。
月晶館の一室で、サラは大きく伸びをした。
窓から差し込む光が、白い床の上に細長く伸びている。
部屋の隅には小さな机。
その上には、昨日の夜まで作業していたタブレットと、いくつかの魔法具。
サラは在宅で仕事をしている。
デザインの仕事だった。
外に仕事場があるわけではないので、月晶館にいても特に困らない。
むしろ、
「今日、外出なくていいの最高……」
と、本人は気に入っていた。
月晶館には食事を取れる場所もある。
形成中や排出後には晶守が様子を見てくれる。
顔を知っているセレノも多い。
誰かが廊下を歩いていれば、自然に声がかかる。
「サラ、おはよー」
「おはよ」
「今日仕事?」
「うん。締切今日なの」
「うわ、頑張って」
「頑張るー」
二人で笑う。
そんな生活だった。
外の世界にもサラの生活はある。
仕事もあるし、友達もいる。
けれど月晶館にいる時間は長い。
形成が始まればしばらくここで過ごし、排出を終えてもすぐには帰らない。
そして次の月まで、ここにいることもある。
だから、月晶館の晶守たちも、もうすっかり慣れていた。
「サラ、今日の朝ごはん食べた?」
「まだー」
「ちゃんと食べてね」
「はーい」
家族のような会話が、あちこちで交わされる。
その中でサラは、今日も自分の仕事を始めた。
*
サラには、月晶館で好きなものがある。
もちろん、人も好きだ。
この場所の空気も好きだ。
けれど、一番好きなのは。
「かわいい……」
サラは、小さな箱を開けた。
中には、月晶がひとつ。
手のひらに収まるほどの、淡い光を宿した楕円形の結晶。
月晶。
サラ自身が、先月産んだものだった。
形成も排出も、楽ではない。
毎月ちゃんと苦しい。
それでも。
「今月も綺麗だなあ」
サラは嬉しそうに笑った。
サラの月晶は、ほとんど毎回よく似ている。
淡い乳白色の中に、薄い金色の光が浮かんでいる。
角度を変えると、内部の光がゆっくり動いて見える。
効果も安定している。
特別珍しい能力ではない。
だから市場に出せば、それなりの価格で売れる。
けれどサラは、すぐには売らない。
自分の月晶が好きだから。
次の月の形成が始まる、その日まで。
いつも手元に置いている。
「ずっと見てられる……」
机の上に置いて、仕事をしながら時々眺める。
光が揺れる。
また仕事に戻る。
少しして、また見る。
「……かわいい」
そしてまた見る。
晶守からは、
「サラ、そろそろ売却するかどうか決めました?」
と、何度も聞かれている。
そのたびに、
「まだ!」
と答えていた。
*
昼過ぎ。
サラは廊下を歩いていた。
月晶館の奥には、いくつかの公開用の部屋がある。
見学者がセレノの形成や排出を見ることのできる場所だ。
すべてのセレノが公開するわけではない。
公開するかどうかは本人の意思で決められる。
そして、公開する場合も、どの段階を見せるかはそれぞれ違う。
形成だけ。
排出だけ。
あるいは両方。
公開しないことを選ぶ者も、もちろんいる。
サラが廊下を曲がると、向こうから人の姿が見えた。
「サラ!」
「あ、リアナ」
リアナが手を振っている。
「今から?」
「うん」
「今回も?」
「そう、公開」
リアナは笑った。
その先には、小さな公開室がある。
大きな窓。
その向こうに、排出を行うための椅子。
見学者はガラス越しに、その様子を見ることができる。
リアナが公開しているのは、排出だけだった。
「今日、見学の子多いよ」
「ほんと?」
「うん。さっきからずっといる」
「そっか」
リアナは少しだけ緊張したように笑う。
「まだちょっと恥ずかしいんだけどね」
「もう慣れたって言ってなかった?」
「慣れたよ。でも恥ずかしいものは恥ずかしい」
「ふふ」
リアナは排出するとき、身体に力を込める。
それだけなら、ほかのセレノと変わらない。
けれどリアナには、ひとつ特徴がある。
力を込めれば込めるほど。
身体が光る。
髪がふわりと浮く。
身体の周囲に魔力の靄が生まれ、淡い光が全身を包む。
まるで身体そのものが、魔力の中に溶け込んでしまったようになる。
そして、その光の中心から月晶が生まれる。
初めてそれが起こったとき、リアナ本人はひどく困った。
「……いきんでるの丸わかりじゃん」
そう言って顔を真っ赤にしていた。
けれど、サラは違った。
「綺麗」
ただ、それだけを言った。
「え?」
「すごく綺麗だった。もっと見たい」
「……でも、排出してるんだよ?」
「うん」
「苦しいし」
「うん」
「めちゃくちゃ力入れてるし」
「うん」
「……それでも?」
「それでも綺麗」
サラは本当に嬉しそうだった。
その言葉が、リアナの背中を押した。
それなら。
自分が少し恥ずかしいと思っているものを、誰かが綺麗だと思ってくれるなら。
見てもらってもいいのかもしれない。
そうしてリアナは、排出を公開するようになった。
*
「じゃあ、行ってくるね」
「うん。頑張って」
「見ててよ」
「もちろん」
リアナが公開室へ入る。
サラはガラスの外へ回った。
今日も、何人かの見学者がいる。
小さな子供もいた。
学生らしい人もいる。
リアナが椅子に座る。
晶守がそばにつく。
見学者たちは静かになった。
「では、始めます」
「はい」
リアナが息を吐く。
ゆっくりと目を閉じる。
そして。
身体に力を込めた。
淡い光が、ふっと生まれる。
「……わあ」
小さな声が上がった。
光が増えていく。
髪が浮く。
肩から腕へ。
胸元から腹部へ。
身体の輪郭に沿うように、魔力の靄が広がっていく。
「……んっ……」
リアナは苦しそうに眉を寄せながら、それでも力を抜かない。
光はどんどん強くなる。
ガラス越しの子供が、目を輝かせていた。
「きれい……」
その声が聞こえたのか。
リアナがほんの少しだけ笑った。
そして、最後にもう一度、強く力を込める。
光が一気に膨らんだ。
その中心から。
月晶が生まれる。
淡い光をまとった、楕円形の結晶。
リアナの身体から離れ、晶守の手の中へ落ちた。
「お疲れさまでした」
「……はぁ……」
リアナは肩で息をした。
身体を包んでいた光が、ゆっくり消えていく。
浮いていた髪も、少しずつ元に戻った。
見学者から、小さな拍手が起きた。
リアナは少し照れながら、ガラス越しに頭を下げる。
そしてサラを見つけると、手を振った。
サラも笑って手を振り返す。
――綺麗。
何度見ても、そう思う。
リアナも。
自分の月晶も。
この場所で生まれるものは、みんな違っていて。
だから面白い。
*
「サラ」
「ん?」
公開室から出てきたリアナが、サラの隣に並んだ。
「今日どうだった?」
「綺麗だった」
「それしか言わないじゃん」
「だって綺麗だったし」
「ふふ」
リアナは笑う。
「サラが最初に言ってくれたから、公開してみようって思えたんだよ」
「そう?」
「うん」
「じゃあよかった」
「うん。ありがと」
二人は並んで歩き出す。
廊下の先には、形成室。
そのさらに先には、排出室。
その途中には、食堂も、休憩室も、診察室もある。
セレノが生きていくための場所。
そして、月晶が生まれる場所。
「そういえばサラ、今月はいつ?」
「何が?」
「排出」
「ああ。明後日かな。」
「そっか」
「うん」
サラは少しだけ嬉しそうに笑った。
「楽しみ」
「……排出が?」
「うん」
「変なの」
「だって、新しい子が生まれるから」
リアナが呆れたように笑う。
「サラ、本当に月晶好きだよね」
「うん。好き」
即答だった。
*
数日後。
排出室。
サラは椅子に座っていた。
身体に力を込める。
「……っ」
苦しい。
何度やっても、ここは苦しい。
呼吸を整える。
もう一度、力を込める。
「……ん……っ」
そして。
身体の奥から、月晶が生まれた。
晶守が受け止める。
「お疲れさまでした」
「はぁ……」
サラはしばらく目を閉じていた。
疲れている。
身体は重い。
けれど。
「……見せて」
「はい」
晶守が月晶を手渡す。
手のひらの上。
淡い乳白色。
薄い金色の光。
いつもと同じ。
サラは、嬉しそうに笑った。
「うん」
指先でそっと撫でる。
「今回も、綺麗」
その声は、疲れているのに。
とても幸せそうだった。
*
その少し離れた廊下。
一人のセレノが、壁にもたれていた。
「はあ……」
肩を落とす。
晶守が通りかかる。
「アデル?」
「……うん」
「どうしました?」
「そろそろ……隔離だなーって」
晶守が少しだけ黙る。
「……そうですね」
「やだなあ」
アデルは、小さく呟いた。
その言葉の意味を、サラたちはまだ知らない。




