第93話 オーナーが普通にキモい
「いらっしゃい、ま……せ……」
ドアベルが美しい音色を奏でたので、反射的に彼女は声を掛けようとして――言葉に詰まった。
この服飾店の店長を任されている彼女は、小さい頃から可愛い服や靴、小物が大好きで、それが高じて服のデザイナーになった筋金入りだ。
本来はデザインで食べていきたいのだが、さすがに駆け出しの自分がいきなり食べていけるほど、服飾業界は甘くはない。
休みの日や仕事終わりに自分でデザインを起こし、裁断から縫製まで一人でこなした服を店先に並べてもらいながら、一般的な仕入れと接客、販売まで行っている。
要は独立を夢見る雇われ店長というやつだった。
とはいえ、彼女は服飾店の店長という仕事が嫌いなわけではない。
美醜入り混じった老若男女が様々な格好、髪型、化粧で店を訪れる。
そういった客を見るたびに彼女は思う。
この男性はもっとシックな色合いの方が格好良く映るだろうな、とか。
この女性はもう少し大人びた化粧の方が似合うかもしれない、とか。
服の好みや化粧の濃淡などは人それぞれだ。
それらを否定するつもりは全くなく、あくまで私ならこうする、こうした方が、といった妄想であり勉強だ。
勿論、服や靴、小物に関しての相談を持ち掛けられたら親身になって相談に乗り、自分の意見を述べることもある。逆に客の意見や装いにハッと気付きを得ることも数多くある。
そうした経験をまた自分のデザインの糧と出来る、将来有望なデザイナー――正確には今はまだデザイナーの卵、といったところか。
そんな彼女のここ最近の失敗は、この港区の服飾店に再就職したことだった。
以前勤めていた南区の服飾店に、たまたま来店したお偉い身分とやらのクソ客と、一悶着起こしてしまったのだ。
いくら大層良いゴミ分だからといっても、あんなセクハラ野郎の肩を持つオーナーの店でなど働いていけるはずがなく、その日の内に店で辞表を書いて叩き付けてやったのだ。
後悔はなく、むしろ清々しいくらいの気持ちだった。
そして、意気揚々と再就職したこの店が〝はずれ〟だった。
何故か港区と聞くとお洒落でバリキャリな女性が多い印象を受けるが、実際は海で仕事をする男たちが大半でそもそも服に興味を持つ者が少ない。
品揃えだけで言えば仕事着から平民の衣服、お貴族様向けの夜会の衣装まで対応出来る王都でも有数の店舗なのに、だ。
むしろ、港区という王都最大の繁華街から離れた区だからこそ、ここまで大型の店舗を構えることが出来たのだろう。
以前の店では、繁華街立地だったこともあり、毎日のように色んな客が来店し、その度に彼女はアイデアをもらっていたのだ。
そして、仕事で丸一日貯めたアイデアを、毎夜湧き上がるインスピレーションと掛け合わせ、一着でも二着でもデザインを起こしていた。
とても忙しく、毎日が寝不足だったが――とても充実した毎日だった。
そして、今の店ではそういった刺激――というか、そもそも客の母数自体が少なく、特に彼女の最大の栄養源たる可愛かったり綺麗だったりする女性客が皆無だった。
あと、オーナーが普通にキモい。
金があるからこそ手に負えないタイプの、割とクズのキモ男だった。
面接時に見破れなかったことを、彼女は今も強く後悔している。
――余談だが、彼女が雇われた最大の理由はその可憐な容姿にこそあったのだが、それはいまだ本人もあずかり知らぬところであり、件のキモオーナーのみぞ知ることである――。
――とにかく、ドアベルを鳴らして入ってきたのは、彼女が今まさにもっとも《《飢えている》》層の客だった。
「すみません。衣服を調達したいのですが」
見た目を裏切らない凛とした鈴音のような声を聞いた途端、彼女は心の中で激しくガッツポーズした。
深いボルドーの髪を持つ少女。そこに翡翠の瞳が合わされば高貴な印象を受けるだろうが、目の前の少女の魅力はその一言では言い表せられない。
急いでいるのだろうか、少しはだけ気味の道着から(なぜ道着に袴と草履姿? 似合ってるけど!)覗く白い肌は白磁のようで見るからに滑らかだ。光る汗が艶めかしい。
小ぶりな鼻も、桜色の唇も、少し上気し色づいた頬も全てが愛らしい。
些か翡翠の眼光が鋭い気もするが、こういった店は初めてで緊張しているのかもしれない。
そう考えれば何ともいじらしい。
綺麗の中に可愛いをアクセントとして加えた少女に果たして敵などいるだろうか。いや、いない!(食い気味の反語)
しかも、お洒落には無頓着そうだ。
その証拠にまとめられた髪も、本当にただ髪紐で無造作にまとめられているだけで、可愛らしいリボンの一つも使っていないではないか。
(そうそう、これだよ! こういう客を私は待ってたんだよ!)
極上の素材、至高の原石を前にし、彼女は思わず舌舐めずりをした。
「いらっしゃいませ! ようこそ! 本日はどのような服をお求めでしょうか?」
目に星を浮かべ、胸の前で指を組みながらワントーン音程を上げて声を掛ける。
――だが、返ってきたのは案の定というかお約束というか、お洒落の《《お》》の字もないような言葉だった。
「これから少し遠出をします。船で海を渡り、森の中を歩いて、もしかしたら魔物との戦闘もあるかもしれません。ですので、なるべく丈夫で動きやすい衣服を一式お願いしたいのですが」
客の言葉を聞いた女性店長はまたも固まる。
そして、少なからず落胆した。
(はぁ……結局、この店を訪ねてくる客なんて皆そうなのよね。綺麗や可愛いよりも動きやすいだの丈夫だの、そういったものばっか求めて……)
内心で愚痴を吐きつつも、彼女は気持ちを切り替えて義務的に応対する。
「かしこまりました! それでは、まずはお客様の採寸をさせて頂きたいのですが」
「いえ、そこまでしていただかなくて結構です。申し訳ありませんが、時間に余裕もあまりありませんので、今ある衣服で適当に見繕っていただければ、それでかまいません」
「……かしこまりました。こちらへどうぞ!」
身も蓋もない発言に萎えていく気概を隠し、彼女が案内したのは女性用の作業着やコック服、あるいはスーツや執事服が置いてある――端的に言えば仕事着が置いてある一角だった。
その中で厚手の作業着やつなぎを提案してみる。
「こういった服は丈夫で動きやすく、お客様のおっしゃられている森での歩行やそれに類する行動にも適しているかと思います。さすがに魔物の爪で掻かれたり噛み付かれれば保ちませんが……いかがでしょうか」
自分で言っておきながら何ともやるせない気持ちになってくる。
目の前の客は「なるほど」と言って手に取って眺め、サイズを合わせてみている。
こんなに綺麗で可愛い、何とも着飾りがいのある客に限って何故だかこういうのが多い。
確かに必要以上に着飾らなくても十分に魅力的だが、だからこそ衣服たちも着てもらって喜び、その魅力を何倍にも跳ね上がらせるというものだろうに。
「こちらを試着させて頂いてもよろしいですか」
「はい、こちらへどうぞ!」
そう言って試着室に案内する。
草履を丁寧に揃えて脱ぎ、カーテンが閉められた試着室を前に彼女はまたも義務的に大小サイズ違いの作業着と、恐らくこの程度だろうと思われるサイズの靴を持って待機する。
(きっとこのどれかを買ってもらって終わりかなぁ。もったいないなぁ)
店員たるもの、客が求めている商品を提案してなんぼ、というのは彼女とて理解している。
その中で利益のある商品を提案し、客に納得してもらったら購入してもらい、更にリピートに繋げられればベストだ。
彼女は思考を切り替える。
(そうよ。今日この場では仕事着を求めて来ているのだとしても! ここで良い服を提案すればまた次回、時間がある時に来てくれるかもしれない。着せ替え人形にするのはその時でも遅くはない!)
などと彼女が拳を握りしめ考えている間に、試着を終えた客が出てきた。
「………………」
ありきたりな作業着姿を見て感想など述べようはずもない。
「よくお似合いですよ!」などと言ったところでおべんちゃらにもなりはしないし、なんなら失礼にもあたるだろう。
故にただ尋ねる。
「サイズは如何ですか? こちらにサイズ違いもご用意していますが」
「問題ありません。こちらと合わせた靴と、後は丈夫な外套もお願いします」
「かしこまりました。それでは、こちらをお試しください」
そう言ってさっと靴を置く。
育ちがいいのだろう、客は丁寧に礼を述べた後で靴を履いた。
その隙に彼女は、これまた丈夫なだけが取り柄の飾り気の一切ない外套を取りに行った。
戻ってきた頃には、完全なる作業員(美少女)が、背筋を伸ばして威風堂々としていた。
「問題ありません。こちら一式を頂きます」
「ありがとうございます。それでは、こちらへどうぞ!」
そう言ってレジへと案内しようとした時、彼女は少しだけ持ち前の狡猾さを発揮した。
(次も来てもらえるよう、少しだけアピールしとこ)
敢えてレジに向かう通路を少し遠回りする。
勿論というか、遠回りした際に通った通路は女性用の綺麗な、もしくは可愛い衣服が置いてある一角だった。
これら女性ものの衣服の大半は、彼女自身が仕入れを行い、厳選した自慢の商品の数々だ。
その中には彼女がデザインを起こした衣服も何着とある。
それらの一つにでも目に留まってくれればなぁ、という商魂逞しくも淡い戦略だった。
「それでは、こちらでお会計を」
不自然ではない程度に遠回りしつつ、彼女がレジにたどり着いて振り返った時、作業着姿の客は足を止め一点を見詰めていた。
視線の先には一体のマネキンが置かれている。
マネキンが着ていたのは、それこそ彼女がオーナーに無理を言って着せさせてもらい、売りに出していた一着。
ウエスト部分に編み上げを装飾したロングのベスト。
下に合わせているのは同系統のブラウスと革のショートパンツにニーハイ丈のブーツ。
全体的に白を基調とした色合いの中に、差し色として客の瞳と同じ翡翠の装飾を施している。
それは彼女がデザインし、自ら裁断から縫製まで仕上げた最近の中では、一番出来の良い自慢の一着だった。
「………………」
作業着姿の客はマネキンを見たまま動かない。
視線は鋭く、とても女性客が衣服を見ているようには思えない。
だが、彼女は今しかない! と勇んで声を掛けた。
「そちらの衣服が気になられますか?」
「――いえ、私にこういう類の衣服は」
その一瞬の間を彼女は見逃さなかった。
「そんなことないです!」
他に客が誰もいない閑散とした店内に声が響く。
思いのほか大きい声が出てしまった、と少し赤面しながらも彼女は強く言葉を続ける。
「確かに今日お求めのような厚手で丈夫な服か、と言われれば今お召しの作業着には叶わないかと思いますが……けど、動きやすさであればこちらの衣服のほうが、断然動きやすいと思います」
「ですが「それに! そこいらの衣服に比べればはるかに丈夫です! なにせ私がデザインを起こし、裁断から縫製まで丁寧に行いましたので!」
客の言葉に被せて物を申すなど無礼千万であると自覚しながらも、彼女は強く意見した。
普段の鬱憤が溜まっていたのもあるし、何より目の前のまさに原石とでも言える少女は綺麗に着飾るべきだ。
作業着姿の少女は店員が強く意見したことを意外に感じたのだろう、目をパチクリと瞬かせている。
しかし、そこには嫌悪感や面倒だという感情は微塵も見えなかった。
「出過ぎたことを申しているとは思いますが、良ければ試着だけでもしてもらえませんか? 本当に丹精込めて仕立てた一着なんです」
もはや彼女自身も、自分のエゴだけで言っているのは分かっている。
作業着の少女は眉尻を下げると、レジの上に掛けてある時計を一瞥した。
そういえば時間がない、とも言っていたことをすっかり失念していた。
流石に無茶苦茶を言ってしまった、と彼女が謝罪を口にしようとした時。
「……分かりました。貴方がそこまでおっしゃるのでしたら、一度袖を通してみましょう」
「えっ! 本当ですか!?」
「えぇ。貴方の根気と熱意に負けました」
そこで少女が初めて表情を緩めて淑やかに笑った。
パッと花咲く笑顔、というよりは姉が妹に向けるような優しい笑みだ。
さすがに自分の方が歳上のはずだが、それでも彼女は胸が高まるのを感じずにはいられなかった。
しかし、流石にこれ以上自分のわがままに、急いでいる客を付き合わせるわけにもいかない。
客の気が変わらない内に、彼女は素早くマネキンへと手を掛けた。
「ありがとうございます! それではすぐにお持ちしますので、試着室でお待ちください!」




