第105話 「離せ、ってんだよ!」
「………………」
ルーイは宿を出て近場を散策していた。
船旅の疲れは感じているので、早々に休もうかと思っていたのだが、先ほどのことが頭から離れず居ても立ってもいられなかったのだ。
ルーイは先ほどのやり取りで自身の言葉足らずを理解していた。
確かにあの言い方では、クレハに対して失礼極まりなかったのだと反省している。
あれではクレハに対し、「もう用は済んだから出てってくれ」と言っているようにも聞こえるだろう。
だけど、同時にこうも思うのだ。
(それにしたって……オレの話を聞いてくれてもいいだろうに)
ルーイからすれば、確かに言葉は足りなかったのだろうが、クレハなら自分が言いたいことを理解してくれると信じていた。
傍目に見ても今回のことはルーイが一方的に悪いのだが、その弁明を聞く前にクレハはさっさと出ていってしまった。
謝る気はあるが、相手がいないのであれば謝れない。
部屋で帰りを待とうかとも思っていたが、悶々とするだけで気が滅入りそうだったので、気分転換を兼ねて王都の街を散策してみようと思い部屋を出て今に至った、というわけだ。
中央区まで目と鼻の先のこの辺りは、昼間歩いていた港区に比べれば随分と様子が違った。
夕暮れ時の往来は仕事終わりで家路に就く者や買い物帰りであろう荷物を持つ人々で賑わいを見せており、角灯が明るく照らす街並みは、プイスとは違う時間が流れているかのようにすら思えた。
「………………」
雑踏の中をルーイは浮かない表情で、ただただ足を動かしていた。目的地などあるはずもない。
というか王都の何処にどういった店があるのかも知らない。地図も持っていない。
そもそも此処までクレハに付いてきただけの金魚の糞同然だったのだからそれも当然で、ただ宛もなく歩みを進めているだけだった。
気分転換に歩き始めたはいいが、全く気分が晴れる様子はない。
それどころか、ふとルーイの脳裏にタリアと喧嘩した懐かしい記憶が思い起こされた。
今でこそ兄妹仲睦まじい二人だが、幼い頃は幾度となく喧嘩を繰り返してきたのだ。それを今回の事例に当てはめてみるとしよう。
まず悪いのは完全にルーイだ。
これは理解している。過去いくらか気配りや思いやりに欠けた言動で、タリアが激怒もしくは大泣きしてしまったことは数え切れないほどにあった。
クレハの場合は静かに怒る、とタリアとは違った反応だったが、ここまでは似たようなもだろう。
――こういう思考そのものがそもそも女子たちの逆鱗に触れるのだが、悲しいことにルーイはそれにすら気付いていない。
次に、そうなった時、タリアの機嫌が直るまで一体どれくらいの時間が掛かったのか、思い出してみる。
(………………)
結果、あくまでタリアの場合だが、短くて三日、長い時は一週間はあのままだったことを思い出す。
では、クレハの場合はどうか。
恐らくタリアよりはサッパリしていると思うが(こういうところだ)、それにしたって一日二日は怒ったままだろう。
そして、タリアとは違いクレハは正真正銘、赤の他人だ。ともなれば、もしかするとこのまま本当に別れることになるかもしれない。
考えれば考えるほどに気分は一層落ち込んでいくわけだが、ではここで謝罪もせず、無視を決め込んだ場合はどうなるのか。
そんなことをしようものなら、結果は最悪のものしか残されていない。
最終的に下されるのは、タリアに泣きつかれたカトレアによる容赦のない制裁であった。
(あぁいう時のババアはマジで怖いんだよ……)
ルーイに対して大きな愛情を持って接しているカトレアだからこそ、本気で叱ることは少なくなかった。
その中には友達を大事にする、自分の命を大事にする、家族を大事にする。
といった至極当たり前のことも含まれていて、これらを疎かにしてしまった時のカトレアは、鬼も裸足で逃げ出すような剣幕で、ルーイをボコボコに制裁していたものだ。
具体的には幼いルーイの帰りが遅かった時。
幼少期にハスラーと二人だけで、まだろくに制御も出来ない魔術の修行をした時。
タリアと二人で結界の外へ探検に出て行った時。
例を挙げれば枚挙に暇がないのだが、共通しているのはどれも命の危険があったことだろう。
(って、こんなこと、考えても萎えるだけだってのに……)
慣れない船旅で身体が疲れている。
気分転換で歩いてみても全く気分は晴れそうにない
あんまり遠くまで出歩いて、宿に帰れなくなっても面倒だ。
宿に戻ってクレハを待とう、と思い直した時だった。
「――ん?」
ルーイの視界を何かが横切った。
横切った何かはまるで狸や鼬のように俊敏に建物の間に消えていった。ついで、木材同士がぶつかり合うような鈍い音が喧騒に交じる。
強烈な既視感。
「まさかそんなわけな……」とルーイが立ち止まっていると、
「――こっちだ!」
案の定、往来を歩く人々を乱暴に掻き分けながら、昼間見たのと似たような、破落戸たちの姿が目に映った。
遠目に見ても、人数や体格が昼間見た時とは変わっているのが分かる。どうやら昼間見たのとは別の集まりらしい。
だが、その中に見覚えのある一際背の高い男の姿があった。
「あ」
ルーイが視界に背の高い男を収めたのと同時、向こうもこちらを視界に捉えていたようだった。
背の高い男は口角を鋭く上げると、人混みを乱暴に掻き分けながらルーイへと迫る。
厄介ごとに巻き込まれる予感しかしないルーイは、足早にその場を離れようとするが、往来を歩く人々に阻止され思うように進めない。
あれよあれよと言う間に、ルーイの肩を男が掴んでいた。
「よぉ、また会ったな兄ちゃん」
「なんなんだよ、ったく」
似たようなやり取りだが、昼間と違ったのはルーイの機嫌がすこぶる悪いことだ。
背の高い男は威勢の良いルーイをおもしろく思ったのか、笑い声を交えながら言葉を発する。
「くくく。なぁ、兄ちゃん。まさか、こんな偶然なんてあるわけねぇよな」
「だから、なんのことだよ」
「昼間も今も、こうして兄ちゃんが都合よくいる、ってのが俺ぁどうも解せねぇんだ。なぁ、正直に話してくれない……か!」
突然、男がルーイの胸ぐらを掴み上げる。
背が高いだけで細身な身体とは思えない力強さだった。しかも、目の前の男は恐らくだが、身体能力強化といった魔術的な肉体強化を一切使っていない。
どちらかと言えば細身とは言え、純粋な腕力だけで齢十七の少年を、軽々と持ち上げているのだ。
それだけで普段のルーイであれば野性的とも言える勘に従い、素直に謝罪を口にし、その上で自分は本当に関係ないのだ、と説明していたのかもしれない。
しかし、虫の居所が悪いルーイからは、最低限の防衛本能すらも失われていた。
故に。
「……せ」
「あぁっ?」
「離せ、ってんだよ!」
男を睨みつけると同時に、その手を払い除ける。
地に足着けたルーイは、背の高い男を睨み上げながら、唾を吐くように言葉を吐きつける。
「てめぇが何処の誰で誰を探してんのか知らねぇが、昼間も今もオレは何も知らねぇっつってんだろ」
「………………」
男の瞳が鋭く細められるが、ルーイも負けじと睨み返す。
往来を歩いている人々が巻き込まれないよう距離を取って歩いている中、気付けばルーイは破落戸たちに取り囲まれていた。
「なぁ、兄ちゃん……俺ぁ忙しいんだ。兄ちゃんにかまってる暇はねぇ。が、売られた喧嘩は買う主義だ。それ相応の覚悟は出来てんだろうな」
「吹っ掛けてきたのはそっちだ。そっちこそ覚悟は出来てんだろうな」
「いい度胸だ」
男たちに囲まれながら、ルーイは薄暗い路地裏へと連れられていく。
その姿を多くの王都民が目撃していたが、報復を恐れてか厄介ごとに関わりたくないのか、誰一人として詰所へと通報するようなことはなかった。
――ただ一人、足早にその場から去っていった少女を除いて。




