10.夜会のお話
扉が開かれるとシャンデリヤに反射する煌びやかな照明に少し目が眩んだ。
「王妃様が見ているぞ」
という言葉に、わたしは正気に返った。
ありがとうセレネル。
ぐっとお腹に力を入れて、美しい姿勢を取る。
ゆったりと淑女の微笑みとかいうやつを顔に貼り付け、堂々と入場する。
どうやらわたしは最後の入場だったようで、すでに壇上に陛下と王妃様、そしてシュトリヤと候補者たちがずらりと並んでいた。
おそらくセレネルに向けられているであろう視線をびしびしと感じながら、貴族たちが犇めくホールを歩む。
もうセレネルのほうは見れない。
頑張って貼り付けている仮面が全部剥がれてしまう気がするから。
壇上には1人で上がると、陛下からお言葉を賜る。
「此度は漸く其方に礼を用意できた。姫の相手に相応しい者を、ミィス。其方が選べ」
騎士の礼を取ろうとしたら王妃様にすごい笑顔で見られたので、さっと淑女の礼に変えた。
危なかった。
「有り難く頂戴いたします。」
この言葉を以て、公式にわたしがシュトリヤのお相手を選ぶということが広まった。
シュトリヤをちらりと見て、思い切り笑う。
ありがとう、陛下。
わたしのささやかだったけれど絶対叶えられないと思っていた願いが叶うなんて夢みたいだ。
だからもう少しだけ待っていて欲しい。
「では今日は皆楽しんでくれ」
いつも通り長々と話をしない陛下は、そう声を掛けると、わたしの方を見る。
「今日のファーストダンスはミィス、お前だ」
と悪戯っぽく笑われて、遂に頭が真っ白になった。
ファーストダンスってあれだ。
なんか2人だけで踊らされるあれだ。
「セカンドダンスはわたくしと踊るのよ、ミィス」
ぱちりと美しいウィンクを受けて心が舞い上がったが、セカンドということはシュトリヤが相手ではない。
ゆったりと壇上に上がってきたのは、セレネルだった。
え、むり。
直視できないあの蕩けるような笑顔のまま、茫然とするわたしの手を取りそのまま壇上を下りる。
人がいない中央まで歩くと、ぴたりと止まった。
わたしの手を取り、腰に手を回す。
セレネルの体温を感じるほどぐっと体を密着させられる。
ゆったりとしたワルツが流れだし、わたしは無意識のまま足を動かした。
会場中の視線を感じていた筈なのに、ダンスが始まった瞬間それを一切感じなくなった。
もうセレネルしか視界に入らない。
中盤に差し掛かった頃、わたしにも余裕(精神的な)が出てきたのか、会話ができるようになった。
「ミィス、アルカに貰ったもの、あっただろう」
「うん」
何でも一つだけ叶えてくれるっていうすごい魔具。
「俺は、それをミィスの傷跡を治すのに使いたい」
そう、後悔を滲ませた口調で言われて言葉を失った。
まだ、気にしていたなんて。
あれは学園の初等部にはいったばかりのころ。
セレネルのことが気に入らなかったらしい上級生の貴族に、決闘を申し込まれた。
断ればいいのに、貴族は決闘を断わらないという暗黙のルールがあったらしい。
当時高等部だった貴族が初等部の新入生に決闘を申し込むなんて、それだけで馬鹿らしいのに。
それでも公平に執り行われたのであればわたしも手を出したりしなかったけれど。
一対一で外部からの援助はなしというのがルールのはずなのに、その上級生は観客の1人にセレネルの動きを封じる魔法で妨害させた。
わたしはその魔法をつかっていた上級生に飛び掛かり、その時に胸をざっくりと切られた。
それを目撃していた人は多かったけれど、多分もう傷は治ったと皆が思っているはずだ。
けれど、これを知っているのはあの加害者とセレネルだけ。
実はあの時わたしを切った剣は、セレネルを傷つけるために用意されたものだった。
顔に消えない痕でも残してやろう、動きを止めて場外から投げつけるつもりだったと言っていた。
その貴族の家に伝わる魔具で、傷が消えない効果をもつらしい。
王都一番の治療師でもだめだったので、わたしはすっかり諦めていた。
実はアンブローズにも聞いたのだが、あの魔具は1000年前の代物で一度きりしか使えない代わりにとても強いものだったらしい。
つまり、彼にも無理だった。
でも、セレネルを護れたのだし、あの不正はわたしが許せなかったのだから。
もう10年も前のことだし、忘れてくれていいのに。
背中にあてていた手を、胸の下あたりに移動させている。
傷の位置だ。
手にはあの時魔法を編まれた白の手袋が握られている。
「ま、待ってセレネル、こんなことよりもっと他のことに使ったほうが…!」
「他なんてない。これが俺の一番の願いだ」
その射抜くような真剣な眼差しに言葉を奪われた。
セレネルは、きっとわたしが瞳を差し出そうとしたとき、この傷のことを思い出したのだ。
取り返しのつかない傷を付けたことをずっと後悔していたセレネルは、また同じ思いをしたくなかったのだろう。
そしてそれを、シュトリヤに背負わせたくもなかったのだろう。
今になって解ってしまい、自分の考えの至らなさが嫌になる。
わたしができることは、セレネルの気持ちを受け入れることだけ。
「わかった。お願い」
わたしが頷くと、ぐっと握り締めた手袋をわたしの傷跡に押し当てた。
「ミィスの傷跡を、消してくれ」
音楽にかき消されるほど小さく、けれど力強く囁くと、すっと手袋から薔薇の刺繍が消えた。
恐らく魔法はそれだけで、変わった様子はない。
「…確認はできないな。」
傷のあった場所をそっと撫でられ、呟かれた言葉に顔がぼふん、と赤くなった。
「あ、ありがとうセレネル。」
「俺がやりたかったんだ。」
そう、心から嬉しそうに頬を撫でられて、頭がセレネルでいっぱいになった。
ふわふわとした夢心地で、その後はじっと見つめ合いながらダンスを踊った気がする。
あまりに現実味がなく、地面に足がついているかもわからない。
やがて音楽が終わり、お互いに礼をしあい。
漸く会場の喧騒を再び感じられるようになった。
名残惜しく思いながら、セレネルの手を離す。
「またあとで」
と囁かれ、なんだかよくわからないまま「うん」と返事をした。
「次はわたくしと踊ってね、ミィス」
ぼうっとしていたようで、シュトリヤに声を掛けられて体が震えるほど驚いた。
軽く頭を振ってシュトリヤに応じる。
「う、うん。わたしが男性パートを踊っていいかな、お姫様」
「ええ、お願いするわ」
嬉しそうに笑うシュトリヤに、なぜかほっとした。
いつもだったらこの笑顔にどきっとするはずなのに。
「その種、すっかりミィスの瞳の色よ。ダンスの間あの男になにかされた?」
じと、とダンスの輪から外れたセレネルを見るシュトリヤに、慌てて否定する。
「な、なにも…なにもではないかな。」
「あら、教えてくれないのね」
笑うシュトリヤに、これだけは言えないの。と濁しておく。
深くは聞かれず、軽快な音楽に合わせてシュトリヤをエスコートする。
ひらりと裾が揺れる。
とても楽しい。
「ミィス、きっと一緒に踊れるのはこれが最後ね」
「そうだね」
多分、2人とも笑顔なのだ。
だけどもしかしたら、泣き出しそうな笑顔かもしれない。
「これからも一番のお友達ではいてくれるわよね、ミィス」
「もちろんだよ、シュトリヤ。シュトリヤのお願いなら何でも聞くんだから、これからもずっとずっとわたしを頼ってね」
最後に一瞬だけ抱きあって、わたしたちのダンスは終わった。
わたしの役目も終わったようだし、帰ろうと出口に向かう。
と、脚を向けたところで人に囲まれる。
なんだろうとたじろぐと、
「ミィス様!私と踊ってくださいませ!」
「俺と踊ってください!」
ダンスの申し込みらしい。
「ええと、」
ダンスの断わり方なんて知らないよ!!
どうしょう!!
「すまないな、ミィスには先約があるので失礼する」
あわあわしていたら、聞きなれた声と共に手を取られ、流れるようにその集団から救出された。
後ろからはうっとりと嘆息する声がいくつも聞こえてきたが、この手腕に見惚れているのかな。
「セレネル、ありがとう。」
「お前が綺麗なのはいいが、虫が湧くな。もう帰るか?」
「んん?あ、いや、うん。帰ろうかな。」
虫ってさすがにあの人たちのことではないよね…?
「その前に、傷を確認させてくれないか」
という真剣な眼差しに、思わずうなずいてしまってからわたしは後悔した。
場所が場所なんだもの、どうやって見せれば…!?
あの当時は胸の中央あたりだったのだが、成長に伴って下乳あたりに移動している。
服をめくるくらいしか方法がない。
着替えるからとセレネルを部屋の前で待たせたところまではよかった。
侍女が手伝ってくれて、服を着替えたのもよかった。
傷がしっかり綺麗になっていることも確認できた。
跡形もないのでさすが竜、と感動もした。
けれど見せるのはやっぱり無理では…?
わたしの口頭の報告では絶対に納得してくれない。
「あの、セレネル…」
「着替えは終わったか?」
「うん。」
入るぞ、という声と同時に入ってきた。
まだ許可だしてないんですけど。
「あとは俺がミィスを送り届ける。お前たちは戻っていいぞ」
隊長殿らしくわたしの剣を持っていたウィルとか侍女とかみんなをさっさと追い払ってしまう。
「傷の部分だけでいい。確認させてくれないか」
その場に跪かれ、わたしの手を額に当てる。
「それ以上のことは何もしないと誓う」
甲にそのまま口づけられ、騎士の誓いが成立してしまった。
それ以上のことってなんだろうと疑問はあるものの、
見せるまで終わらないな、と諦め、上の服を傷があった場所まで捲る。
「ほら、綺麗に治ったよ。もう大丈夫」
へら、と笑いかければ、ぐっと歯を噛みしめるセレネル。
「…よかった。これで、あの時のお前の勇気にやっと報いることができた」
急に立ち上がったセレネルにぎゅうっと抱きしめられて、足が少し浮く。
こちらに絶対顔を見られないようにしているのがわかったので、わたしはされるがままになっておく。
ずっと気にしていたらしいセレネルの澱が除かれたのであれば、それはわたしも嬉しい。
だから、そんな静かに泣かないでほしい。
格好悪くなんてないんだから。
かっこつけめ、と囁き、わたしはセレネルの背に手を回した。
数分後、何事もなかった顔でわたしを家に送り届けてくれたから、
今日のことは誰にも言わない。
わたしたちの秘密。




