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5.月と王子様のお話

ノーチェさんが居なくなってから、30分くらい経っただろうか。

フーッフーッと荒い息を吐くセレネルが、ぎゅっとわたしの手を握り締めて動かなくなってからと同じ時間だ。


目を硬く閉じ、滴る汗を拭くこともせずに苦しそうに息を吐く姿を見続けるのが正直つらい。

けれど、懸命に何かに耐えている様子のセレネルに話しかけることも憚られ、結局は水をあげたり汗をぬぐってあげたりすることくらいしかできない。



部屋の灯りを付けようと部屋を見渡してみたのだけれど、場所も仕組みもよくわからなかったせいで暗いままだ。

スイッチらしきものが無い。

大きな天窓から入る月明かりが唯一ぼんやりと部屋を明るくしてくれている。


共用のスペースなら灯りが付いていたのだけれど、もしリリーさんが出てきたときにこのセレネルを見せるのは気が引ける。

辛そうなセレネルに気を張らせたくはない。


みんなに連絡を入れるべきだったな、と思いつつ端末を取り出そうとすると、なぜかその手をセレネルに捕まれる。

そういえばさっきまで荒かった息が随分静かになっている。


「セレネル?もう、だいじょう…」


ぶではなかった。


これはさっきうっかり思い出してしまった、あの目だ。

うっとりと蕩けきった笑顔でこちらを見るその瞳の奥に、燃え滾る炎が見える。

その白い炎が目の端で揺らめいているのが可視化されるほど、セレネルの魔力が体から漏れでている。


わたしの魔力を鍛えたお陰でこんなことも感じ取れるようになった。

成長したなあと一瞬思考を飛ばしかけた。


だって、そうでもしないとわたしもどうにかなってしまいそうなんだもの。

その魔力に中てられてしまったのか、急にばくばくと激しく打つ心臓の音が煩い。


ゆるりと頬をなぞるセレネルの手が燃える様に熱い。

そのまま顔を固定され、ゆっくりとセレネルの顔が近づいている。

どうしてか少しも動くことができなくて、じっとセレネルの浮かぶ月のような銀の瞳の奥に魅入ってしまう。



漏れる吐息を感じられそうなほど近づいたとき、急にセレネルが眉にぐっと力をいれ、苦しそうな顔をした。

そして、わたしの肩を掴み猛然と距離を取った。



何が起こったのかわからずに呆然としていると、薄くだが血の匂いが鼻を掠めた。

どうやらセレネルの握り込んだ拳から血が滲んでいるらしい。



再び荒く息を吐きながら床に膝を付くセレネルの様子を見てはっとした。

このままだと、多分セレネルは自傷を繰り返してしまう。

そしてそれは、()()()()()()


この人は、こんな前後不覚の状態になってもわたしのことを一生懸命傷つけないようにしてくれている。

セレネルがどういう状況になってしまっているのかは少しもわからない。

けれど、セレネルがわたしのことを慮って()()()耐えているということは痛いほどわかった。



「ごめんなさい、セレネル。わたし何もわかってないみたい」

怖いわけじゃないから、と安心させたくてにっこりほほ笑む。


何故かセレネルが絶望したような、そんな顔になったのだけど。

「痛くしないから、ごめん。」

と謝ると、わたしがしようとしていることが伝わったようでほっとしたように少し息を吐いた。


離れてしまったセレネルにそっと近寄り、ふわりと抱き寄せる。

「!?」

セレネルはすごく驚いたようで、後ろへ下がろうと抵抗しているようだけど離さない。


「大丈夫、任せて」

と囁き、わたしは左手をセレネルの背中に回し、右の拳をぐっと鳩尾に沈めた。



声もなくわたしに倒れ掛かってくるセレネルを落さないようにしっかり抱える。

全身が服の上からでもわかるほどに熱く、じっとりと汗で濡れている。

こんなに頑張ってくれたセレネルを、せめて安心できる場所でゆっくり休ませてあげたい。

「ありがとう、セレネル」

もう聞こえていないと思うけれど、せめてお礼を言わせてほしい。



この場所を貸してくれたノーチェさんにメモと、リリーさんの分も、と多めのお菓子をクローゼットから取り出し、お礼にさせてもらった。

このお菓子は宰相にもらったやつですごくおいしいしきっとお礼になる…と思う。多分。



完全に意識が落ちているセレネルを背中に乗せ、家を出た。

重さは鍛えているし大丈夫なのだけれど、身長差がありすぎてうまく背負えない。

引きずりたくはないし…



完全に意識のない高身長の人ってこんなに大変なのね…

薄暗い街を吸血種(ヴァンピイゲニア)が賑やかに行き交う喧騒をぼんやりと眺め、セレネルを支え直す。

彼らは夜目が効くのか、街に灯りはさほどない。

もしかしたら部屋の灯りも必要ないからなかったのかもしれない。


「?」

不意に誰かがわたしの前で足を止めたので、顔を上げると。

「大丈夫か、ミィス」

途方にくれたわたしの前に現れたのはスカンさんだった。


「え?どうして…」

「さきほどノーチェと名乗る吸血種(ヴァンピイゲニア)が現れ、ここへ来るように言われた。」

言いながら意識のないセレネルをわたしの背から奪い、軽々と持ち上げている。

片手でひょいっと肩に乗せると、何でもないように歩き始めたので慌てて後に続く。



片手…!とあまりの力の差に愕然としていると、じっとこちらを見られていることに気が付いた。

「これは、彼奴(コレ)がミィスを怖がらせた結果か?」

心なしかセレネルを持つ手に力が入っているように見える。


「ち、違います!!」

慌てて否定すると、その手の力が緩んだようだ。

「ではなぜ意識がない?」

スカンさんは、何かを確認するように矢継ぎ早に質問を重ねてくる。


「セレネルは多分、わたしのために何かを我慢してくれていて…これ以上セレネルに辛い思いをしてほしくなかったのでわたしが…」

こう鳩尾をぐっと。と呟くとちょっと笑われた。


「そうか…ふむ」

とセレネルの白い手袋に滲む血を確認している。

頑丈な騎士服の手袋を突き破るほど強く握り込んだのだと再確認してしまい、痛々しい。


「これは真似できぬな」

「真似?」

「いや、こちらの話だ。…その種も後少しで染まりきるな。」

と言われ、さっきまでの一連のセレネルにわたしが沢山ときめいたのだと暗に言われて顔が熱くなった。




吸血種(ヴァンピイゲニア)たちが行き交う街を抜け、誰もいない森に入ったころ、セレネルをそっと地面に横たえる。

「ミィス、すまぬが少しだけ時間をくれ」

と言われ、その真剣な口ぶりに頷く。

セレネルを早くベッドで寝かせてあげたいし、せめて掌の傷だけでも治してあげて欲しいのだけれど、スカンさんは後でと言って治してくれない。


なぜ、と思いスカンさんを見上げると、するり、と跪きわたしの手をそっと取る。

いつものように逃げられないよう強引に掴むのではなく、わたしが少し動かせば手が外れるくらいに、そっと。


木々の隙間から漏れる月の光だけに照らされるスカンさんは、物語の王子様のように麗しい。

わたしを射抜くように見上げる瞳はいつもよりもっと真剣な色で、少しどきりとした。

月を映す群青の瞳は、真夜中の海のようで引き込まれそう。


「ミィス、我は其方と出会うために生まれてきたのだと心から思っている」

真剣な目はそのままに、とろりと微笑まれて、どきんと大きく心臓が跳ねた。

何故かその顔に、先ほどのセレネルの顔が重なり、どっと顔に熱が集まる。


「我が主、我が運命。我は心より其方を好いており、我ならば最も其方を幸せにできると自負していた」

自分の状況に混乱しつつも、さらに畳みかけるようにスカンさんの言葉が脳を揺らす。


好きって、主従の意味じゃないってこと?

この好きって、つまりどういうこと?


「少々鈍いところも好ましく思うぞ。」

ふ、と少しだけからかうように笑うと、再び蕩けるような、そう、()()()()()()()()()笑顔に戻る。



「つまり、我は其方の生涯の伴侶にして欲しいと、(こいねが)っている」



ここまで言うと、笑顔が不意に悲しげなものへ変わる。

この顔をわたしはよく知っていた。

あの時のシュトリヤと、よく似た。


告白()う前から終わっていることを知っている顔。


「あ、あの、わたし、は…」

なにか言わなくては、と混乱する頭を叱咤したものの、口から漏れでるのはあまり意味をなさない言葉ばかり。

「ああ、良いのだ。もう少し聞いてくれ」

ゆるりとほほ笑み、わたしの言葉を遮る。


「だがミィス、我は…我ではだめだと今し方悟った。我は自分の欲を其方の意思を考慮せずにぶつける男だ。いつかそれで其方が絆されればよいと思っていた。」

ずっと笑顔のままではあるが、今はどこか悔しそうに見える。



「ああ、こんなにも其方を想っているのに、それ以上がいるのだなあ」

悔しさを隠さずに、ぽつりと漏らしたこの言葉がぽちゃん、とわたしの心に沈んだ。



また、わたしは気が付かなかったのか、と愕然とした。

今の今まで全く気が付かないなんてどうかしていた。

だってこんなに熱くて強い想いなのに。



「すまぬが一度だけ、触れてもいいだろうか」

今までのスカンさんからは想像もつかないほど弱弱しいその問いかけに、こくりと頷く。

よかった、とほっと息を吐き、立ち上がってわたしを抱きしめようとするスカンさんに、こちらから飛び込んだ。


「ありがとう、スカンさん。たくさん想ってくださって」

「ああ、それはこちらの台詞だ。ミィス。こちらの身勝手な想いから逃げずに受け止めてくれたこと、感謝する」


「わたしはスカンさんを大切な仲間だとは思っています。けれど、きゅ、求婚、にはお応えできない…です。」

せめて誠意を返したい。

わたしはこの人に親愛は寄せているけれど、愛情は返せない。



だって、気づいてしまったから。



なぜ、スカンさんの笑顔を見るとどきどきしてしまうか。

その笑顔に、誰を重ねていたか。


「わかっている。それでも聞いてほしかったのだ。」

そっと私の髪を一房掬い、そこに口付けた。

「どうか、今まで通り其方を主と…いや、其方は仲間と呼んでくれたな。そのように慕うことを許してもらえるだろうか」

「もちろん、です…むしろわたしばっかり助けてもらってるのに…!」


「であれば、我は永久(とわ)に幸福でいられるであろう。其方の寛大な心持ちに感謝する」

頭を深く、そして長く下げる鬼人(デモニアトロピー)の挨拶。


「こちらこそ、ありがとうございます。スカンさん」

同じく頭を下げて、少しでもわたしの気持ちが伝わりますようにと願った。




顔をあげたスカンさんは、いつものように微笑むと、くしゃりとわたしの頭を掻き雑ぜた。

そして無言のままセレネルを担ぎ、みんなの元に戻った。




もうわたしの目には、同じ笑顔には見えなくなった。

違いに、気が付いてしまったから。








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