10.長との戦いのお話
歓声に応えてぐるりと囲む観客に目を向ける。
たくさんの鬼人が、概ね好意的にこちらを見ているようだ。
本当に一番前に陣取るエリューとミヤビを見つけ、頷いて笑いかける。
手を振り返してくれるのはとてもうれしいし可愛いのだけれどエリューは体を乗り出しすぎて落ちそう。
ミヤビはちゃんと支えててよね!
あっエリューの顔がちょっと赤くなった。
ほっこりしつつ、急遽設けられたにしては随分豪華でしっかりした貴賓席に座る陛下とシュトリヤ以下数名には騎士の礼を。
そして最後に、既に待っていたエリモスの長に向き合った。
「お前と戦えるのを楽しみにしていた。」
とほんのり上がった口角からそれを滲ませている。
「ひとつ、確認があるのですけれど」
「なんだ?」
「貴方に勝てば、わたしの声は鬼人のみなさんへ届きますか」
今まで出会った王都にいた鬼人たちは、異様にセレネルに懐いていた。
(そのせいで鬼人はガチムチわんこ系の巣窟だと思っていた)
それはセレネルが強いからだったのだろう。そしてセレネルがわたしを尊重するからそれに倣っていただけだ。
9区に来て普通に過ごす鬼人たちは、わたしを見ても侮るような、若しくは幼い子供を見るような目でしか見なかった。
そうでない人たちはおそらく戦うのが得意ではないネレさんのような人たちで、それ以外の人はみんな。
橋守も、門兵も、副長さんもこの人にも、わたしの声はたぶん届いていなかったのだ。
あの日見せた希望の光も、この人たちにとっては意味のないもので、子供のおまじないみたいなものだったのだろう。
「鬼人は強さこそが全て。お前の"奇跡"のように温い力や、王の様な権力では鬼人の心までは動かせぬ。
何か言いたいことがあるならば、勝て。
鬼人は歴史上、ただひとり。アーラ様にのみ下った。だから彼の方の願いである調和と平和は受け入れた。
王族の言葉もある程度は聞くと約束した。アーラ様の末裔であるお前も大切には思う。
だから他の種族と争い虐げるようなことは決してしない。
だがそれ以上のことを求めるならば、お前が我々の上に立つ者なのだと示せ」
親切にも全て教えてくれたことで更に理解した。
鬼人たちはつまり、アーラの言葉に従って他の種族との諍いを起こさなかった。
従うのはアーラのみで、子孫であるわたしはなんなら庇護の対象ですらある。
だから自分たちの中のルールにまで干渉される覚えはない、と。
だから私刑も辞さないとそう言っているのだ。
これは思っていたより責任が重大になってしまった。
もしかしたら、王陛下や宰相はそれをわかった上でわたしに託したのかもしれない。
いやそれならフェガリさんの方が確実なのでやっぱり半分は王妃様のお仕置きかもしれない。
どっちでもいいか。
今この役目を貰ったことに感謝しよう。
折角、わたしの憧れに近づくことができるのだから。
「わかりました。では、よろしくお願いします。」
「楽しませて見せよ」
挑発するような眼差しでわたしを見た後、目配せを受けた審判は片手を掲げた。
「スカン・エリモスとミィス・フォスの勝負をここに開始する」
長さんがこちらへ頭を下げるのに倣い、わたしも頭を下げる。
ゆっくりと、3秒ほどとエリューに聞いていたのでその通りにする。
頭を上げると大きく反った形の剣を構えるスカンさん。
わたしも剣を抜き、駆けた。
ギィン、と鈍い音を立ててわたしとスカンさんの剣がぶつかり合う。
こんなに激しい音をたてるほど凄まじい速さと強さで剣を振ったのに、エリューと同じく身に着けるアクセサリは少しも音を立てない。
やっぱり体裁きの上手さは尋常じゃない。
「ほう…我の一太刀を受け止めるか。」
こちらが下だとは理解しているけれど、心底感心したような声にさすがにむっとする。
「そこまで非力だと?」
それを払い、素早く突きを繰り出す。
「そう怒るな。そなたが十分に強いということを理解したのだ。」
と笑うスカンさんは嘘を言っている様子ではない。
わたしの突きを避け、婉曲した刃でひっかけるようにして避けられる。
「先ほどの我の一太刀を受けたということは我以外の長よりも強いということだ。」
見よ、と示された長たちがまとまって座る場所を見ると確かに驚愕している。
「…鬼人ってそんなに強くないの?」
思わずぽろっと零れた感想に、スカンさんが声をあげて笑いだす。
なんだ。
「ふふ、ははは!いやすまん。そなたは自分の強さを理解していないのだな?」
「わたしはただの人間ですよ。フェガリさんにもセレネルにも勝てないのに」
「ふむ、それはそうなのだろう。だが、今日は違うのだろう?」
あまり表情の変わらなかったスカンさんが、獰猛に笑う。
今やっと、彼の本性を見た。
きっとあまりに強すぎるから、ふだん牙は隠しているのだろう。
けれど、わたしだって。
「ええ。今、この時に限って言えばわたしは誰にも負けない!」
そこから始まるスカンさんの怒涛の攻撃。
何度も何度も彼の攻撃を受ける。
こちらを射抜くように見る目は、落ち着いた深い群青色だった筈が真紅に染まっている。
たしか【真紅】、鬼人の一部が持ち、本気になったときに戦闘力を更に底上げするスキルだったはずだ。
その瞳から、雄々しい光がぎらぎらと溢れている。
今にも喉笛を咬み切られそうなその勢いに負けてはいけない。
まだ、受けるだけ。落ち着いて、剣戟を見極めて。足さばきを見誤らないように。
呼吸を聞き逃さないで。
いまは反撃の時ではないから。
最強のフェガリさんにも、実はほんの少しだけ。
わたしでも入り込めるような小さな小さな隙間はあった。
ただ、わたしの決心がつかずに踏み込めなかった。
けれどもう決めたから。
わたしはそれを、待つ。
剣を弾いたときに逸れた切先が腕を掠る。
スカンさんが少し無理に腕を伸ばしたからだ。
薄く切れただけ。これは傷のうちに入れない。
セレネルだってこんな怪我は怪我のうちにはいらないって顔をしている。
どっと重い音が蹴りを受けた腕から聞こえたけれど、音がすごかっただけ。
折れていないから傷のうちには入れない。
これならフェガリさんの剣戟のほうが重かった。
あれは涙も出そうだったけれど、今は視界もクリアだ。
それにセレネルの表情も全然変わってないんだから、痛くない。
蹴りを受けた腕を掴まれて地面に叩きつけられる。
「かはッ」と肺から空気が抜け、一瞬目の前の視界を失う。
追撃を受けてはいけない、と掴まれた腕をこちらも掴み、地面に引きずり倒すために足を払う。
スカンさんは姿勢を僅かに崩し、聖剣の攻撃圏内に気づいたのかぱっと私から離れ数歩距離を取った。
その隙に立ち上がり、わたしも少し距離を取り、口の端から零れる何かに舌を這わせる。
唾液が零れていたら恥ずかしいと思ったのだけれど、鉄の味がした。
けど大丈夫、まだまだやれる。
「よく耐えるな。だが我はほぼ無傷だぞ?これ以上やればそれでは済まないぞ」
と私の口から零れた血を指す余裕の発言に、笑顔で応える。
今の攻撃は少し焦ったのではない?
じり、と動く足から、しゃらりと小さくアクセサリが音を奏でる。
気付いていないようだけど、今のはあなたの立てた音だよ。
スカンさんの呼吸がほんの少し乱れ、剣の構えが僅かに高い。
誰でも低く姿勢を保ち続けるのは厳しい。どこかで必ず姿勢を緩める。
それは今みたいに、少し焦ったとき。
そして、体の小さなわたしの前にその"少し"は命取りだと今、教えてあげる。
地面すれすれまで体を低くし、爪先で強く踏み込む。
素早くスカンさんの後ろへ回り込んだので、この一瞬で、わたしを見失っただろう。
慌てて姿勢を低くして、剣を構えたってもう遅い。
正面にわたしはもう居ないのだから。
わたしは勢いを殺さないように振り向く回転を利用して勢いをつけ、力いっぱい大地を蹴る。
そして丁度こちらを振り返ったスカンさんの驚愕に見開かれた群青の目を見つめ、微笑む。
聖剣をくるりと翻して柄を上に向ける。
そのままスカンさんの顎を目がけて下から突き上げた。
ゴッと鈍い音と共に衝撃が腕に伝わる。
スカンさんの体が少し飛び、どッと音をたてて背中から倒れた。
鬼人はとても頑丈だから、念の為両手を足で踏みつけ固定し、地面に刺して斜めに倒した聖剣を首に添える。
もちろん切ってしまわないように注意して。
けれど、目覚めても反撃できないように、さながら断頭台のように。
数回息を整えて、ようやく周りの音が聞こえるようになったけれど、随分静かだ。
「終わりの合図って、ないんでしたっけ?」
と、ちらりと審判を見ればぽかん、と口を開けて呆けている。
「あら、勝負はついたのではなくって?」
という鈴のような美しい声がしんと静まり返った闘技場へ響き。
シュトリヤの声に弾かれるように我に返った審判がこちらへ駆けてきた。
震える手でスカンさんに触れ、気を失っていることを確認し。
「勝者、ミィス・フォス!」
と叫んだ声と同時に割れんばかりの歓声が闘技場を包んだ。
「ええっと…?」
まさか喜びの声があがると思っていなかったので面喰う。
きょろきょろと観客席を見ていると、
「そろそろ降りていただけませんか。貴女の礼がなければ終わりませんよ。抱え上げてもいいのですが」
と下から声がしたので慌てて飛び退き、聖剣を鞘に納める。
立ち上がろうとする彼に手を差し伸べて、まず彼に礼。
そして観客にも何度かにわけてたっぷりと礼を取った。
そのたびに歓声が沸く。
色々と予想外のことが起きていて混乱しているのだけれど、まだわたしの仕事は終わっていない。
シュトリヤに目配せを受けて、少し冷静さを取り戻す。
(違う意味で興奮してしまいそうだけどそこは抑えた)
「わたしは鬼人のみなさんに聞いてほしいお話があります」
そんなに大きな声をだしたつもりはなかったけれど、すっと歓声が消える。
「鬼人の中でも、強さだけを指標としないで色んな人と手をとって欲しいんです。
強さを求めることは素敵です。わたし自身も鬼人の強さに助けられたことがありますから。
けれど、弱い人を棄ててもいいわけじゃない。
折角手に入れた力を、少しだけもいいから弱い人にも差し伸べて欲しい。
あなたたちが護る"掟"は、縛りつけて排除するばかりです。
みなさんの文化や伝統を蔑ろにしたいわけではないけれど、けど。」
少し、息を吐く。
この言葉だけは長たちに向けていいたい。
「10区にあなたたちが棄てた鬼人たちは、みんな生きています。」
小さく動揺した空気がどんどん大きくなったのが解る。
静かなのに、ざわざわしている。
「あなたたちから護ってくれていたのは、たった一人の竜でした。
どこにも行き場がなく、死ぬしかないと途方に暮れた人に手を差し伸べたのは、あなたたちより弱い人ですか?
本当に強いことは一体なにか、それをどうか考えてほしい。
難しいなら、わたしも一緒に考えます。」
鬼人たちは思ったよりもずっと静かに、わたしの話を聞いてくれている。
「文化や伝統を変えることが難しいことは理解しています。
けれど、弱い人を爪弾きにして徹底的に排除することは、強い人のすることではない。
だってわたしが憧れるアーラは、そんなこと絶対にしていないから。
だからわたしは、アーラのように強くなりたいんです。
鬼人に憧れることは決してない。
どうか、鬼人のみなさんもわたしといっしょにアーラのような強さを目指しませんか?」
命令したり従えたりするのは得意ではないから、できるだけそうならないようにしたのだけど、伝わっただろうか。
ぐるりと観客を見渡し、最後にスカンさんを見る。
「きっと鬼人は今同じ気持ちですので、代表して最強の長である私より」
わたしの手を取り、その場に跪く。
そして、その甲にそっと唇を押し付けた。
え、待って理解が追い付かないんですけどなにこれ
あの、騎士が姫にするやつ!
わたしやる側のやつ!!
その姿勢のまま上目遣いでこちらを見つめる。
今は澄んだ美しい群青の瞳は、穏やかに凪いでいる。
「我はミィス様に負けた。よって、貴女様の意向に従おう。
我々鬼人はずっと、仕えるべき主を探して彷徨い、いつか…
いつか主の刃になる時が来ると信じて強さを追い求めて来たのだ。
その方法が間違っていたというならば、我々はそれを正すことに異論も遺恨もない。我が主」
思ってたのと違う!!!
何か全然違う!!!
内心あわあわしつつもこんな衆目に晒された状況で下手を打てばまた王妃様にお仕置きをされてしまう。
耐えるのよミィス。長々と話したことがあんまり意味がなかった気がすることを気にしてはいけない。
わたしは勇者、堂々と胸をはって笑いかけろ。
「では、今後はわたしと共に、護る強さを得るために強くなることを望みます。」
ぐるりと観客席を見渡せば、鬼人は全てその場に跪き頭を下げている。
その圧巻の光景に尻込みしそうになりながらもぐっと耐える。
「顔をあげてください。今後のみなさんに、わたしの希望を預けます」
いつかのように穏やかな光でこのあたりを包み、その場を後にすることにした。
もう限界だったのだ。
さっきまではアドレナリンがどっぱどぱだったので感じなかった痛みを今は正しく感じている。
早く魔具を取るか治療をするかしないとセレネルも痛いままだ。
スカンさんがわたしの手を取りエスコートするようにセレネルの前まで来る。
「ミィス様、これから我らはいつでも御身の御力になろう。」
と今まで一度も見せなかった蕩けるような笑顔に、どくりと心臓が跳ねる。
わたしはなぜかこういう顔に滅法弱い、気がする。
「どうか様などつけずにミィスと呼んでください。今後の詳しい話はまた後日させてくださいね。では」
すっと無言で差し出されたセレネルの手を掴み、控室へ入った。
扉が閉まる瞬間まで、全ての鬼人の熱の籠った視線を背中に感じていた。




