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やがて天則の救世主  作者: 八代明日華
第三章:善と悪の境界に
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第四話『邂逅(後)』

 馬車から降り、荷物を詰め込んだバッグを手に、白亜の岩作りの階段を上がっていく。マイヤに、荷物を持とうかと問うたのだが、「ありがとうございます、大丈夫です」と言われたので、強要することもあるまいと、自分の荷物を運ぶことに専念した。

 意外と段数が多い。シュウ自身は何冊か本を持ってきている関係で、若干鞄が重い。やはりリュックサックにすればよかったか……などと思っていると、ようやく段の切れ目が訪れた。


「うわぁ~……!!」


 シュウ、マイヤに続いて登ってきたアリアが、目を輝かせて歓声を上げる。

 

 階段を上った先。小高い丘の頂点は、平らかな土地が広がっていた。背の低い草木が生い茂る。潮風の強い場所でも生育できる、あまり見たことのない植物だ。松に似たものから、いっそ海藻だと言われた方が分かりやすい、奇妙なものまで――見ているだけで楽しくなってくる。

 砂利の色が白い。砂浜が近いから、というワケではないのだろうが、うっすらと神聖さすら感じさせる、綺麗な白だった。極東大陸には『玉砂利』という文化があったが、あれが再現したかったのはこういう立地なのではないだろうか、と思ってしまうほど。陽光を受けて、きらりとペールホワイトに輝く。


 その先に、群青色の瓦屋根を持った大きな旅館。構造は、極東大陸の旧い建築物のそれに近い。造られたの自体は最近らしく、壁は新しいが、趣のある構造はどこか郷愁を呼び起こす。宿泊客用の部屋が連なると思われるエリアには、屋根と共に出っ張ったバルコニー。そういえば故郷の師匠たちと共に、一度極東大陸の中心都市に出かけた事があったが、あそこにあった大きな『寺』の境内には、『舞台』と言われるせり出した箇所があった。あれを小さくしたような感じだ。バルコニーやベランダというより、「縁側」と呼んだ方が近いかもしれない。


 そして旅館のさらに向こう――太陽の輝きで銀色に煌く、蒼い海。その色は、見ている間にも様々に変化して、とらえきることは難しい。聞こえるさざ波の音が、高揚する気持ちを優しく鎮めてくれる。


「おっと、市長殿のお出ましだ」


 最初に階段を上り切ったイスラーフィールが、鞄を地面に置くと旅館の入り口の方を見た。この旅行の間は流石に普段のスーツではないが、白のワイシャツに黒のジーンズという、とてもではないが威厳のある法術師とは思えないいでたちであることに変わりはない。それでも違和感が無い上に、むしろ妙な風格さえ感じてしまうのだから空恐ろしい。


 イスラーフィールの視線の先。旅館から、白い髪の壮年女性が姿を見せた。菫色の召し物は、極東大陸の伝統服、『着物』という奴だ。黄色い帯を巻いた彼女の姿は、いかにも「老舗の女将」と言った雰囲気を与える。なんだか懐かしくなってきた。中央大陸だというのに、まるで故郷にいるかのような錯覚を覚える。

 

「ようこそいらっしゃいましたイスラーフィール様!それから御一行様も……おや、まぁ! 坊やは去年の! いやぁ、見ない間に男前になったねぇ! 物珍しそうにあたりを見回していたあの日が昨日の事の様に思い出せるが――そうか、もうそんなに経つかね……」


 女性はしわの刻まれた顔を綻ばせ、シュウの肩を叩く。意外と力が強いことは知っていたのだが、想定できてはいても、痛いものは痛い。


 彼女は、シャローム市の市長だ。小規模、とは言え、一応一個の街として扱われるシャローム、その住民たちのトップに立つ女性。

 そして同時に、この旅館を取り仕切る女将でもある。


 元は、この一帯の漁師たち、その頭を務めた男性の奥方であったというが、彼が亡くなった後は夫に代わってエリアを取り仕切る役目も持っている。本来はこの宿も漁師宿であったというが、現在は観光客のために造り直されているのだとか。

 その話を、シュウは今から一年と少し前――イスラーフィールに連れられて、故郷の邑からこの街へとやって来た時に、彼女自身の口から聞いていた。しとやかな老婆、といった風貌に反して、話好きで豪快な性格の彼女は、なるほど「海の女」だったのだな、というのを強く感じさせる人物だ。


 また会えたことを、素直に嬉しく思う。


「市長さんも、お変わりないようで何よりです」

「まぁねぇ。今年はいろいろと賑やかでアタシも嬉しいよ。さ、荷物を置いといで。旅館の部屋は良い所を抑えてあるからね」


 女将市長はにっこりと、快活な笑みを浮かべると、シュウの後ろを見渡す。自分たちの方を女将が見ていることに気が付いたのか、ぺこりと頭を下げるマイヤ。海の方を見たり、植物をつつくのに夢中なアリア。今階段を上り切り、広がる景色に感嘆の声を漏らすロザリアとリズベットに、ぜぇはぁと息を切らしながら登ってくるエリック。馬車から降りた瞬間に体調が復帰したエリナは、やたらと大きな、彼女の胴ほどもある鞄……もといトランクを引いて、えっちらおっちらと今まさに白亜のステップを踏んでいる所だった。


 一行の様子に満足げに頷くと、彼女は旅館の玄関に向けて手を差し伸べ、入館を促す。従業員の男女が姿を見せた。シュウ達のチェックインを手伝ってくれる様だ。


 ずい、と横に大きなバッグが一つ、突き出される。イスラーフィールが、自分の荷物をシュウに預けようとしていた。


「先に行っていてくれ。私とアルケイデスは、ちょっと寄って行くところがある」

「分かりました」


 この街は彼女の第二の拠点だ。そもそもの女将からしてイスラーフィールとは旧知であるし、シャロームの漁村エリアには特級法術師としての彼女が私有する船まである。何かと挨拶や確認が必要なのだろう。そもそもの目的が海洋調査である以上、その辺りを抜かすわけにはいくまい。

 シュウはすんなりと了承すると、イスラーフィールの鞄を預かった。重い。自分の鞄も大分重いと思ったが、想定外に重い。何が入っているのだろうか一体。


「アルケイデス先生は……」

「私は構わん。担いだまま移動できる」


 シュウが問いかけると、普段の改造コートではなく、イスラーフィールのそれとよく似たワイシャツにジーンズ姿のアルケイデス・ミュケーナイが、余裕のある笑みで応えた。担ぎ直したのは、平時の彼からは想像しづらい、パインアップルの柄がプリントされた大型リュックサック。一体何を思ってその模様を選択したのだろうか、と若干気になってしまうが、何にせよ、預かるのは学園長の鞄だけで大丈夫なようだ。


「りえー! うみっ! うみいってもいい!?」

「ははは、待て待て。後から皆で行こう。ただ、持っていく荷物だけは準備しておいてくれ」

「うん!」


 階段を降り始めるイスラーフィールに、アリアが大きな声で問う。眩い夏の朝日に煌くのは、海だけではなく彼女の星屑のような銀髪もそうだ。いっそ夏の夜空に見上げる天の川さえ思わせる。朝の海に夜の天野川とは、また随分と美麗な組み合わせだ、と、ぼんやりと考えてしまう。ただでさえアリアは顔立ちが整っているので、ここまで来るといっそ悪魔というより天使の類に見えてくる。


 そんな彼女の元気のいい声に、イスラーフィールは苦笑いと共に答えた。アリアに準備を促して、彼女はアルケイデスを伴い姿を消す。入れ替わる様にエリナが到着。膝をつくと、粗く肩で息をする。暫くすると落ち着いたのか、立ちあがってトランクを引き始めた。が、やはり息は荒い。相当詰め込んできたらしい「大丈夫か? 手伝うぞ」と問うと、「問題、ありません、わ……ッ!!」と勢いよく答えてくる。本当に大丈夫なのだろうか。相当きつそうに見えるが。


「しかし相変わらず凄いなシャロームは。ぱっと見シンプルな漁村、って感じなのに……」

「ぜー、はー、……こ、込み過ぎず、閑散としても居ない……観光地として、適正な人数調整ですわね。一体どのような手法を使っているのでしょう……それはそれとして階段のサイズが大きすぎませんか!? 私、既に満身創痍なのですが……!!」


 ロザリアが、ビーチの方を見て感心する。既に観光客や海遊びに来たと思しき人々が姿を見せていて、海岸線はそれなりに盛況していると推察できる。混雑していない、と言えば嘘になる。が、それは嫌な子味方ではない。所謂『賑やか』という奴だ。あとやはりエリナは大丈夫ではなかったらしい。


 リズベットが、何事かを思い返すように、目線を上げる。実際何かを見ているわけではないのだろうが、癖だろう。彼女のふんわりとした気性とよく似あう。


「あたしも詳しくないけど、たしかビーチはここだけじゃないんじゃなかったかなぁ。今いるところはどっちかっていうとお金持ち向けで、普通の家族連れは近くにあるもうちょっと大きい海岸に行くって聞いたよ。あとエリナちゃんは階段というより荷物のサイズが大きいんじゃないかな?」

「りえはくさってもあすらわん? えりなはいわゆるみのほどしらず?」

「今初めてアリアちゃんの『そういう台詞』聞いたけど、確かにこれはどこで覚えてきたのそんな言葉、って聞きたくなっちゃうね……」


 両手にどっさりとハイマツを抱えたアリアが、無邪気な笑顔で酷いことを言う。特に悪気が在っての発言ではないと思うのだが、大抵の場合イスラーフィールから覚えてくる悪い言葉だ。無垢な彼女はすぐ自分でそれらを使う。シュウも知らず知らずのうちに、良くない言葉を教えてはいないだろうか、と少し不安になってしまう。


 と。

 にこにことその様子を見ていたマイヤが、ビーチの方をみると、ふと、何とも言えない表情を取った。


「……マイ?」

「あ、いえ……その、嬉しくて」


 どうやら、まだ感極まっていたらしい。うっすらと目元に涙が見える。

 原因の一つに、自分が彼女の髪の色を海に例えた過去がある、となれば、シュウも無関係な感動ではない。期待を煽り過ぎたような気もするが、それだけシュウの言葉を強く受け止めてくれたのだ、と思うと、こそばゆい気持ちになってくる。マイヤの髪の色を海のそれだと感じたのは、出会ってからかなりすぐの頃だ。当時の彼女の、ざっくばらんにカットしたと思しき、痛みかけの短い髪の毛。きっと整えれば、本当に綺麗な、それこそ海面のような美しい青髪になるだろう、と、半ば直感のようなモノが囁いたのを覚えている。

 

 あれから、もう一年以上が経つ。

 今隣で笑うマイヤの髪は、朝日を受けて、本当に海の様に、きらきら、きらきらと、一瞬のうちに色を変えていた。


 ――ああ、本当に、綺麗だ。


「そうか。君が嬉しそうにしていると、俺も嬉しくなってきてしまうな……皆で遊ぶときは、マイも目一杯楽しむと良い」

「もう。先輩も一緒に、ですよ」

「むっ……実は泳げないのだが……それは大丈夫だろうか」

「そういえば、以前お聞きしましたね」

「ああ。釣りはするんだが……昔から水中で体を動かすのが下手でな……川でそれなのだから、海となるとな」

「川と海では水の流れ方も違うでしょうし……私も、ちょっと自信が無くなってきますね」


 段々、会話は普段の調子に戻っていく。

 

「ともかく、今は荷物を置いてきてしまおう。海流対策はその後だ」

「はい、先輩」




 ***



 朝日が見えるというのに、森林の中は薄暗い。針葉樹林が暗く見えるのはこのせいか、と、アルケイデスは悟った。木の色一つ一つが暗い、というのもあるが、広葉樹の森とは葉を通した光の形が違うのだ。そのせいで、空を覆う植物、大地を這う植物、そして土壌そのものから受ける印象が大きく変わっているのだろう。


 最も、ここに土などというのは、松の木々の根本以外には見えないが。

 イスラーフィールとアルケイデスは、先に待っていた案内役の男性に導かれ、この森へとやって来ていた。甚平姿の男性は、イスラーフィールと懇意の漁師の一人だという。そんな人物が何故、船ではなく足で、海ではなく地上で、自分たちの案内人をしているのかと言えば。


 ひとえに彼が、この異常な森の主、その人物の居場所を知っているから、という、ただそれだけである。

 だがその事実は、『それだけ』という言葉で片づけられるようなものではない。


 もっと、もっと、重要なもの。


「こちらです、イスラーフィールさま、マグナスさま」

「今は捨てた称号(ザ・ヘラクレス)だ。その名前で呼ぶのはよしてくれ」

「かしこまりました。では、アルケイデスさまと」


 青年には、凡そ感情というものが希薄なように思う。発音にも、どこか違和感がある。訛り、というよりかは、そもそも発音ができていないような。

 知った喋り方だ。『彼女』ほどではないが、しかし彼も恐らく、あまり長い期間を()()()で過ごしているわけではないのだろう。


 被った頭巾を落とさない様に、慎重にあるく青年。その動作にだけは、彼の分かりにくい感情がありありと浮かび上がっている様に思う。——恐怖だ。あるいは、一種疑念だろうか。警戒心から派生する、いくつかの心の動きが見て取れる。

 余計な詮索はされたくないだろう。何せ自分は、まだ多くの魔族にとっては、絶殺の(マグナス・)断罪者(ハーキュリー)なのだから。


 足下のごつごつした岩石が邪魔くさい。青ざめた灰色のそれが、やたらと色の濃い松の木と相まって、この森を暗くしている理由の一つだろう。足元が見えづらいため、歩行が慎重にならざるを得ない。

 生徒達と別れてこの青年に従ってから既に十分近くが経過しているが、まだ目的地は見えない。もうすぐだと、直感自体は告げているのだが――


「しかし、随分と山奥だな。周囲の景色とはかけ離れ過ぎている気もするが」


 イスラーフィールが額の汗を拭いながらぼやく。分からないでもない。針葉樹の森自体は、極東大陸にほど近いこの海岸沿いで比較的よく見る風景だ。しかし、ここまで異様に岩が並んでいるとなると、少し不自然だとさえいえる。まるでテトラポッドか何かの様だ。

 

「普通なら、海岸で栄える植物が生えていそうだが――殆どただの岩山だな。()()が強いのか?」


 第一、森を形成しているのが松だけ、というのは若干不自然なようにも思う。アルケイデスはそこまで植物の生態に詳しいわけではないので、もしかしたら森林構造上や、松の特性上不思議な話ではないのかもしれないが。

 だとしても、道中で見た景色とは、余りにもずれがある様に感じた。


 頭巾と甚兵衛の良く似合う、案内人の青年は、くるりと自分たちの方を向くと、その紅い瞳をぱちくりとさせて、やはり抑揚の薄い言葉で答えた。


「さすがのご慧眼でございます、お二人とも。この地は、元はビーチの砂浜、そこにほど近い密林でございました。それが『降臨』に伴い、現在の姿になった、とのことです。とはいえ、わたしはあまり詳しくはないのですが……」


 語りながら、彼は岩山の奥――そこに姿を見せた、この行軍の『終着点』へと目線を向ける。

 

 それは、洞窟だ。青灰色の岩が重なり合ってできた、入り口のやたらと細い洞窟。これが縦ではなく、床に開いていたならば、一種のクレバスか何かだと勘違いしてしまったかも知れない。

 だが近づいてみると、意外にも口は大きかった。アルケイデスよりも頭二つ分ほど大きい。奥の光景を見通すことはできない。光が、殆ど入ってこないのだ。


 それでも――分かる。

 この奥に何があるのかだけは、理解できる。ああ、理解できるとも。何せ、この手で何度も『潰した』感触だから。


「わたしが知らないことは、きっと、かれが語ってくれるでしょう」


 洞窟の中に二人を招き入れた青年が、ぽつり、と、呟くように。あるいは、詠う様に、紡いだ。


 急に街道が明るくなった。同時に、視界が開ける。より正確には、何らかの広場に出たようだった。構造は良く分からないが、ここだけ空洞が広くなっているらしい。

 しかし天井に穴が開いている、というワケではない。いまだ洞窟と外界を繋ぐのは、背後のひび割れとも言える出入り口だけ――


 ——否。

 正確には、違う。


 『それ』は、洞窟と外界を繋ぐひび割れを、正確にトレースした様な形をしていた。

 ほとんど同じ形状、同じ鋭角、同じ鈍角、そして同じ大きさをした、時空の『歪み』。

 三次元状にぽっかりと口を開けた、空隙(ヴォイド)


 『(ゲート)』。

 この世界――厳密にはアーシェローカと言うらしい、善性存在の世界と、人間が『異境』と呼ぶ悪性存在の世界――デーヴァローカを繋ぐ架け橋にして、『境目』。


 迷宮と呼ばれる場所ならば、どこにでもあるものだ。魔物たちを排出し、善性存在の世界へと侵攻させているのは、この門に他ならない。育成学園と接する樹海にもそれはあるし、『平原』や、西方大陸の中部に存在する巨大な迷宮『世界樹』にも、等しくこの虚空が展開していた。


 アルケイデスは何度か、この『門』が展開を開始して間もない時期に、それを破壊したことがある。成長した『門』の周囲は、異常に強力な魔物が守っていることが多い。アルケイデス――マグナスですら、それを倒すことは難しいレベルだ。幸いなことに門を護る以外の行動を行わないらしく、人間を滅ぼすために外界に出ることはないが、その力は脅威的と言って良い。山を抜き、大地を割り、風を引き裂き、周囲を火の海に変える――そんなでたらめな破壊力を持った怪物が、門を守護するのだ。

 それらが発生する前に門を破壊することで、周囲が『迷宮』と化すことを防ぐことができる。


 しかし――この場所は、そのどちらでもあって、どちらでもないように見える。

 凶悪な魔物はいない。下級の悪性存在も生息していない。

 だが、周囲とあまりにも変わった生態環境――即ち、『異境の風景』に浸食されたこの岩山は、紛れもなく『迷宮』だ。

 

 うっすらと発光しながら、内に秘めた混沌を震わせる『門』。その異常極まる風景に、アルケイデスも、イスラーフィールでさえも、声を出すことができない。


「おお……貴女様が、巫女より力を託されたお方……そして貴公が、『救世主』を導く英雄神にございますな……」


 そんなとき。

 すぐ隣から、声が響いた。

 しわがれた男性の声だ。掠れ具合からして、声の主は老人だろう。


 咄嗟に、イスラーフィールを庇う。腰に吊るした巨剣を、神速で抜刀。『武装型ウルスラグナ』のスキルによって、白銀の刀身を現出させ、臨戦態勢を取る。

 声の主の存在を、全く知覚できなかった。門に気を取られていたからではない。発言者が、余りにも気配を消すことに長けているのだ。

 

 かつり、という音と共に、暗がりから白いぼろぼろのローブが姿を見せる。その裾からは、枯れ木のように細く、黒い肌が覗いていた。体毛は金。朽ち果てた姿と紛った腰はハレルヤザグナルを思わせるが、アルケイデスは直感的に、彼はあの化け物とは正反対の立場にある存在だ、と確信した。


 ローブのフードを、老いた腕がはらり、と外す。

 その下より現れたのは――人とも、獅子ともつかぬ、不思議な顔であった。目の色は、案内人の青年や、『彼女』——アリア=ザッハークと同じ、あか魔族(トゥラン)だ。


 だが、獅子面の魔族など聞いたことがない。魔族と言えども、人間とその根本、礎は同一のものだ。よって、そう大きく人間と姿が変わることはない。あるとすれば、魔力結晶角の代わりに、異形の姿が形成された特異体質、ということになるのだろうか。あるいは、彼自身の魔術(ヴェーダ)が、そういう存在であるか。


「お初お目にかかります。(わたし)はナラシンハ……ヤヌス=ナラシンハと申す者。巫女(ビルマーヤ)より『境界の護り手(エリブルス)』の役目を仰せつかった身にございます。そして……人と魔、族と物の間を行き来する、『人と獣の狭間に立つ者(ギンヌンガガップ)』」


 獅子頭の老人は、恭しくイスラーフィールとマグナスにこうべを垂れる。

 まるで神官が、仕える神の使者を、前にしたときの様に。


「あなた方がおいでになった理由、聞く必要もありますまい……時は来ました。今こそお二人に……『救世主(サオシュヤント)』と『(ザッハーク)』の。そして、我が偉大なる巫女と、二人の『王の器(アイカラマ)』から託された全てを、お話ししましょう――”あの橋の向こう側”へと至る、真実を」

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