第五話『スプラッシュ』
イスラーフィールとアルケイデスが帰ってくるまで、一行は旅館に割り当てられた部屋で過ごしていた。団体客用の客間であるらしく、十組ほど布団を敷けそうな規模の畳張りだ。シュウにとっては馴染んだ風景だが、マイヤを始めとした他の面々にとっては初めて見る空間だろう。一様に目を丸くしていた。
アリアに至っては床に向かってスライディングの後ごろごろ転がって畳の匂いを嗅ぐという、小動物めいた行動に出た。「すごーい! いいにおーい!」と笑いながら床を回転していく彼女の姿は、言動通りの幼い子供であるかのよう。
長期の旅行が珍しい、というか、彼女にとっては事実上初めての経験なのだろう。出発してから今に至るまで、全体的にテンションが高い。悪いことだとは思わない。出会ったばかりの頃の、どちらかと言うとはかなげで、叩けば砕け散ってしまいそうだった危うさを残すよりは、きっと良い。
意外だったのがエリナで、余り驚いた様子が見えなかった。どうやら以前の事件の際、エリナ・フェリドゥーンとしての記憶を『認識』するため、極東大陸の生活様式や習俗、建物の種別などをかなり詳しく調べていたらしい。ある程度人格統合のような状況にある今の彼女が、その時の情報を未だ残していることに驚くと、「全ては恋の成せる業ですわ、お兄様! さ、安心して私に惚れて下さってかまいませんわよ!」と平常運転の反応を返してきた。
窓を開けると潮風が心地いい。一行が彼方まで続く大海原に心を躍らせながら涼んでいると、十分もしないうちに学園長と鋼の英雄が帰還した。
「さて、第一の目的は果たしたことだし――遊ぶぞ、貴様ら!!」
部屋の隅に置かれていた自分の鞄にずかずかと歩み寄るイスラーフィール。彼女はその中から、水を通さない、ビニール質のコーティングが施された鞄――所謂『スイミングバッグ』というモノを勢いよく取り出し、叫んだ。
***
観光客で賑わう海水浴場へ到達した一行は、男性陣と女性陣に分かれて更衣室に赴く。色々と準備があるのだろう女性陣に対して、シュウ達の着替えはかなり早く終わった。うっすらと白で川の流れを模した模様の染色された、水色のトランクスタイプ水着は、本来故郷で川釣りをするときに着ていたものだ。去年の春、極東大陸から中央大陸に移動する折に、私物の少なかったシュウは、丸ごとそれらを育成学園寮エリアの家(正確にはその前に暮らしていた宿)に持ち込んだ。その中に混じっていたのである、これが。恐らく使う場面は無かろうと思っていたが、まさかこんなところで役に立つとは。少々感慨深いものがあった。
イスラーフィールから事前に「先に行っていてくれ」と言われていたため、与えられた海岸用具を携え先に砂浜へと向かう。
ちなみに内約は砂浜に敷くためのビニール製レジャーシート、組み立て式のパラソルと椅子、それから熊手やバケツと言った砂遊び用の道具数点である。全部を一人で持つのは流石に難しいため、エリックにも協力してもらった。アルケイデスは「ボードを借りてくる」とだけ告げると、『海の家』なる休憩所へと向かった。どうやらサーフィンをするつもりらしい。
周囲を見渡せば、ビーチで和気あいあいとする客たちは、家族連れ、団体、カップル、単純に友人同士で来ていると思しき少年たち――様々な組み合わせに分かれていた。なるほど、リズベットの言う通り、確かに皆仕立ての良い水着や服装をしている。上流向けの海岸、というのは本当の様だ。
お手洗いや更衣室を併設したシャワールームは、白をベースとした石畳の上に造られていた。ここまでは舗装道路と同じだ。徐々に徐々に砂浜との境界が薄くなっていき、混ざり合い、そして砂塵の丘へと完全に風景を変えていく。
歓声を上げながらシュウ達を追い越して行く、海遊びに来た子供たち。素足で、余りにもすんなりと、その境界を飛び越える。
ふと、その姿にアリアを重ねた。
悪性存在の世界から、善性存在の世界へと、境界を越えてやって来た、彼女。今なお、二つの世界の間には厳しい断絶がある。アリアはそれでもこの世界の人々に……とはいえ、学園の生徒やイスラーフィールの関係者だけではあるが……一応は受け入れられつつある。
けれども、それが即ち、他の魔族と出会った時に、彼らと交流ができることに繋がるのかと言えば、答えは否だ。自分は魔族だ、という『認識』を装備した時のエリナや、ズルワーンの下で見た、人々を殺戮する殺人鬼の男性。それから、己の運命に絶望し、破壊をまき散らす存在となった『魔法使い』。
彼らと和解するには、きっと長い時間や、異なる価値観が必要になる。
飛び越えていけたら、と思う。
砂浜と石畳の境界を、何の疑問もなく飛び越えるように。二つの世界の狭間を、繋ぐことができたなら—―
「あっっっつッッ!?!?! ど、どどどういうコトだいこれは! サンダルの隙間から侵入してくる真砂の熱、まるで燃え滾る情熱の恋のごとくゥッ!? や、やってられん、やってられんぞこれは! 僕は家庭的でつつましやかな女性が好みなんだ! 肉食系女子とのワンナイトラヴはNGだッ!!!」
悲鳴を上げるエリックの声が、深く沈みかけたシュウの思考を引き上げる。
後ろを付いてきていた彼の方を見れば、どうやら偶然日の光が強く当たっていた場所を踏んだらしい。彼の金色にコーティングされた履物部分に砂が入り込み、それが相当熱いようだ。払い落そうと必死で足を振るエリック。しかし透明な鼻緒で、足を確りと留めたサンダルでは中々それが叶わないのか。彼は最終的な泣きそうな顔でサンダルを脱ぐと、その間の砂を息を吹きかけてどこかへ飛ばした。
「さ、最悪の開幕であった……」
「大丈夫か? こっちの方は余り熱くない。ついて来ると良い」
「そうさせていただく……」
数日前もしたような会話を繰り広げつつ、二人は他の観光客たちがパラソルや荷物を広げる、海辺との境界近くへと足を進める。石畳のあるエリアから汀にかけては、なだらかな傾斜になっていた。そもそもの更衣室や海の家と言った各種施設が、丘の斜面を利用して建てられているようだ。
ある人々は、デッキチェアに寝そべり日光浴。
ある人々は、日陰でお菓子を食べたり集めた貝殻を並べたりしつつ小休止。
そんな一画に、イスラーフィールが寄越してきた大きなレジャーシートを広げる。この砂浜だ。四方のピン留めに杭を挿しても大して意味はあるまい。荷物を重しの代わりとする。
エリックと協力しながらパラソルを組み立て、広げる。プラスチック部分の手触りは大分新しい――というか、一度も使用していない感覚だ。もしかしたら今日のために新調したのかもしれない。
見上げれば、傘の部分にヴェンディダート文字ででかでかと刻まれた『真夏の女王』の文字が妙に痛々しい。文字の通り真夏の太陽を燦燦と浴びるその姿は、よく考えなくても大変シュールだ。学園長は一体何を思ってこれを購入したのだろうか。全ての情報系法術師のトップに立つ女王——彼女のセンスは、時々良く分からない。
「うん、これで日光対策はどうにかなるだろう。助かったよ、エリック」
「この程度なら例には及ばないさ、ミスタ・シュウ。では僕は海の家に行ってくる。現地販売の海遊玩具に興味があってね」
エリックはそう言うと、赤と金のブーメランパンツ姿の上に、やはり金色のラインが入った白のパーカーを羽織る。最近の彼は、将来子供用玩具を作る会社を立ち上げようと画策しているらしい。そのためにも、少年少女に人気のあるおもちゃの視察をしたいのだろう。
途中でアルケイデスと遭遇したら、設営が終わったと伝えて欲しい、と頼むと、お安い御用さと返してくれた。尊大な口調が目立つエリックだが、根は素直というべきか、子供好きなだけあって面倒見の良い性格をしている。その言葉に偽りは無いだろう。
かくして彼は、将来、数多の子供たちを笑顔にするための大志を秘め、海の家へと一歩を踏み出し――
「う・み・だ――――!!!」
「ごはァッ!?!?」
彼方から凄まじい速度で突撃してきた銀色の物体に弾き飛ばされ、あらぬ方向へと着弾した。顔面から熱砂に突っ込んだらしい。その場で「あっつッ!! あつっがはぁっ!?」とでも表せばいいのか、声にならない苦悶の叫びを上げながら、器用にも飛び跳ねて見せる。どうやら体勢を立て直そうにも体中に付着した砂の熱さで、上手く四肢が動かないらしい。
下手人であるところの謎物体――いいや推測する間でもなく、水着姿のアリアは、勢いよく海面に飛び込むと、ざばぁっと音を立てて顔を出す。彼女の夜空の星を思わせる、白銀の髪が濡れ艶めいた。
水着の色は白。ダボっとした生地の、面積が小さいカップと、同じく余裕のある形状の紐を金色のリングで繋ぎ、乳房を吊っている。白色のパンツは端に小さくフリルが付いており、長い彼女の銀髪と共に、全体的に布面積が狭い水着のバランスを取っていた。
なお、頭部の角は、猫の頭のような形をした、黒色の水泳帽で隠しているらしい。普段のレースベールを見慣れていると、随分と趣が違って愛らしい。
普段の、袖が長く、黒いドレスワンピースを纏った彼女を見慣れていると、今日の姿はかなり対照的に思える。初めて出会ったときの彼女は着た服がボロボロで殆ど素肌が見えていた。が、今のそれはまた異なる理由だ。幼げな言動と満面の笑みとは正反対の、腰の妖艶にくびれたライン、もっちりした感触と張りを容易に想像できる二の腕の白さ、そして小柄な体型にしては大きな胸が、極上の色気を醸し出す。彼女の正体が魔族だと知らなければ、浜辺に降臨した天使か何かに思えるかもしれない。実際、一部の観光客は、男女問わずアリアの姿にくぎ付けになっていた。
「こらこら、飛び込みは危ないから禁止だってかいてあるだろ」
「ちゃんと準備運動してからじゃないと駄目だよ~」
アリアに続いて浜辺へ降りてきたのは、髪とよく似たモスグリーンの競泳水着に身を包んだロザリアと、薄桃色の肩出しTシャツで上半身を覆ったリズベット。
ロザリアのそれは背中の部分が大きく開いていて、水の抵抗を大きく減らす、機動力重視のモノである上に、ビジュアルを重視した遊び用水着の側面も持っているように見えた。
リズベットの方は肩ひもが見られないことから、どうやらチューブトップであるようだ。ペールピンクのフリルが付いた、桜色のパンツが、上半身の水着が見えないことと相まって、奇妙なエロティックさを演出する。
どちらも彼女たちに良く合ったデザインだ。女性のセンスというのはかくもぴったりと己に適合したものを選びとるのか、と、全く関係ない場面でありながら感心してしまう。シュウ自身にファッションセンスが無いこともその感嘆を後押しした。最近はそれでも格好悪い組み合わせはしない様になってきたが、そこからさらに一歩先、つまり「自分を良く見せる」の領域にまでは至っていない。これを本能的にするというのなら、女の子という存在に備わった機能はすさまじい。
「お・に・い・さ・まっ!」
語尾にハートマークが付きそうな、鈴の音のような声が背後から。振り返ると、肩甲骨辺りまでの金髪を、ツーサイドアップというのか、両の側頭部で纏めたエリナが立っていた。灰色のパーカーで小柄な肉体を覆っており、下に着ていると思しき水着は見えない。
右、碧瞳と同じ方の尾を、赤色のハイビスカスアクセサリーのついたゴムで。左、紅瞳と同じ方の尾は、ペールブルーの貝殻アクセサリーのついたゴムで。それぞれ纏めている彼女は、なるほど以前も思ったが、「人は髪型が変わるだけで印象が変貌する」ことを強く理解させてくる。そもそものベールが無いせいか、頭部の輪郭がはっきりとわかって新鮮な気分だ。
「どうですか? この髪飾り、この間のお買い物で見つけましたの。似合ってます?」
「凄く。普段は見ないからか、新奇さがあって余計に可愛く思えるな」
一人の女性に心を決めていると他が何となく薄れてしまうが、実際の所、エリナは非常に可愛いのだ。マイヤの硝子か刀剣めいた美しさを伴う『可愛い』や、アリアの儚さと幼さの同居した『可愛い』とは異なる――なんと表現すればよいのか。西方大陸と極東大陸、どちらの出身だと言っても通じそうな柔和な顔立ちと、気の強さをうかがわせる釣り目。宝石のような色の違う左右の瞳に、細く小柄な体。年齢は一つ下のはずなのに、もういくつか下であるように思える彼女は、純粋に『可愛い』と形容できる。
「……っ! ま、まぁ……と、当然ですわっ! 他ならぬこの私が装備しているのですから!!」
思ったことを素直に口にすると、そう来るとは思っていなかったのだろうか、急に照れたように頬を赤らめ、直後にいつも通りに威勢のいい自画自賛をするエリナ。薄い胸を張った彼女は、直後、はっと気が付いたように目を見開く。
「髪飾りを披露している場合ではございませんわ。お兄様、どうぞご確認くださいまし。私、此度の海水浴に際して、最も私と適合した水着を選んでまいりました」
そう、真剣な表情で宣言した彼女は、ばさり、と羽織ったパーカーを脱ぎ捨てる。
端的に言えば、彼女が着ていたのはモノトーンのセパレート・ワンピースだった。
しかしさすがは認識を司る一流の法術師、というべきか――それは、エリナ・キュリオスハートという少女が持つ、浜辺で発揮される全ての魅力を、余すことなく伝えてくるようにさえ思える服装だった。
滑らかな陶器を思わせる、エリナの淡く白い肌。それが伸びる肩口は、黒色のフリルで縁取られている。彼女の綺麗な鎖骨を魅せる事が可能なラインで織り込まれた首元から、お腹を大きく出す形で切り分けられた白のトップス。普段はゆったりしたシスター服であることが多い彼女の、コンパクトな、しかしそうであるがゆえに均整の取れた肉体がありありと見て取れる。失礼ながら勝手に「無い」と思っていた胸部も、確かに小さくはあるのだが、しかしその小ぶりな胸が描く美しい曲線は、旧時代文明に言われた「貧乳はステータス」という言葉を真実だと確信させるに十分過ぎた。
下半身をガードするパンツは、丈の短いスカートタイプ。上半身とは逆で、生地が黒、フリルが黒だ。真珠を模した飾りがところどころにちりばめられており、陽光に反射してきらりと輝いた。エリナの薄金色の髪との対比が良く似合う。
思わず呆けてしまう。単純に見惚れていたからというのもそうだが、彼女自身のセンス、そして、いわば『素質』の高さに改めて驚かされたからだ。エリナは認識を司る法術によって、いくらでも自分への印象をコントロールできる。それが在ってなお――一切特殊な力に頼らずに、「魅力的だ」と思わせる、彼女自身の力に驚嘆した。
「似合う――ああ、本当に良く似合うな。元が可愛いからか? 素直な感想を言って良いものかは分からないが……『美しい』と感じた」
「……!」
自分でもどうかと思うような感想が漏れ出た。エリナはぴくん、と肩を震わせると、うっすらと肌を桃色に上気させて固まる。
そして数秒後。見る見るうちにいつも通りの勝気な笑顔を浮かべると。
「やりました……やりましたわ!! どうですか緑髪! ピンク髪! それからマイヤも!! 美しいと言われてしまいましたわ!! 思い知りましたか私のセンスッ!! もう子供っぽいとは言わせませんわよ!!」
飛び上がって喜ぶ。どうやら、一種の賭けのような事をしていたらしい。彼女らしい、と思うと同時に、それでこれだけの力を発揮できるのだから本当に凄いと改めて感心する。環境が整うといつも以上の性能を発揮する人というのがたまにいるが、エリナもその類であるようだ。最も、いつもの彼女が魅力的ではない、という話ではない。自分を引き立てるファッション、という意味でのことだ。
「ではお兄様。私がお世話いたします。日焼け止めをお塗りいたしましょうか? それとも一緒に準備運動? 水辺で砂のお城を作るのもありかもしれませんわ」
にこにこと花の咲くような笑みを浮かべながら、エリナはずいずい詰めよってくる。相当嬉しかったらしい。それだけ想ってくれているのだと思うと、妙に気恥しくなってくる。
同時に、少々申し訳なさも感じる。彼女が自分を第一にして行動してくれるのはありがたいのだが、シュウはそれに十全に答えてあげることはできないからだ。
「悪い。マイが来るまで、ここで待っているつもりなんだ。エリナは皆と遊んできてくれ。そっちの方が、俺も嬉しい」
「むぅ……青髪に塩を送るのは腹立たしいですが……しかしそれがお兄様のお望みならば、叶えないわけには行きませんわ。分かりました、このエリナ、お兄様のためにも全力で遊んでまいります!」
本当は、嫌なのかもしれない。
エリナは色々な意味でマイヤに対抗心を燃やしている。加えて、彼女の第一はシュウだ。元々の夏休みの予定も「シュウの世話」だったわけだし、彼女がトランクいっぱいに詰め込んでいたのも、シュウのための軽食であるとか、タオルであるとか、どうしてサイズを知っているのかは若干怖くて聞けないが、予備の着替えであることを、実は知っている。
そんな彼女に、「好きな女の子と一緒にいたいから、一人にしていてくれ」と言うのは、きっととても残酷なことだ。
——応えてあげられたら、とは思う。旧時代文明ならともかく、今の世界で複数の女性を同時に愛することは罪ではない。最も、そのためにはマイヤの許可が必要になるが、シュウは恐らく、彼女の事であるから許すのではないかと感じていた。二人が争っているのは「シュウの一番の座」であるからだ。
けれども、応えてあげられるほど、彼女の事を愛せてもいない。この感情は、マイヤに捧げる様な恋慕の愛ではなく、偽りであっても自分の「妹」に対しての、家族愛だ。
エリナが危惧していたような、「完全に妹として見ている」という状況では、きっとない。
けど――まだ彼女を、妹以上の存在として見ることは、できないのだ。
なにより、よしんば応えてあげられるようになったとしても。
それはエリナが望んでいるような、『一番』としての関係では、きっとない。その位置は、もうとっくの昔に、マイヤに上げてしまったからだ。
シュウはレジャーシートの上に座ると、海岸線で並と戯れる仲間たちを見つめる。
主にアリアがリズベットとエリナに大量の水をかけては、彼女たちが笑いながらそれに反撃する――そんな平和な後継が繰り返される。ロザリアは近くの岩場から、数キロ先に見える小島まで遠泳に挑戦していた。素人目に見ても泳ぎが綺麗だ。みるみる内に速度を上げて、近くで似たような事をやっていた少年たちを驚かす。
水遊びに飽きたのか、今度はアリアが砂浜に出て、お城を作り始めた。海水を組むためのバケツが必要になったのか、エリナがパラソルの下に戻ってくる。シュウは荷物の中から、大きなタイプと小さな型を取り出しエリナに渡す。彼女はツーサイドアップを揺らして礼を言うと、アリア、リズベットと協力して城の外郭を固めていく。
アリアの手先が細かいこともあって、かなり精巧な砂の城が姿を現す。見事な尖塔を持った、どこか極東大陸の寺院にも似た形のそれは、アリアの故郷――悪性存在の世界で一般的なものだろうか。エリナとリズベットがその周りに、中央大陸や西方大陸で一般的な城壁を築き上げる。何ともミスマッチだが、それが逆に両者を引き立て、全体のバランスを保っている様にも思う。
「見張り台を造りますわよ! 敵襲に備えますわ。ついでにその辺の貝殻でも加工して弩も作ってしまいましょう」
「砂のお城に敵ってくるのかなぁ?」
「知りませんわそんなこと。造ること、その心意気を持つことが大事なのです。ええ、私がお兄様を想う様に!」
「みっはりっだいー! みっはりっだいー!」
どんどん城塞建築はエスカレートしていき、ついには北方大陸にある、善悪大戦時の城塞跡のような見張り台が完成してしまった。でこぼこした城の外縁まで再現されている。どんなに精巧な手先があればあんな風に細かく装飾が入れられるのだろうか。短剣の加工の時、文字の掘り込みに苦労した経験があるので少し参考にしたくなる。
そのまま、二十分ほどが経過したか。
「先輩」
振り返ると、丁度マイヤが下りてくるところだった。いつもは首筋で纏めている、長く青い、海色の髪を、今日は腰の上あたりで束ねている。結んでいないわけではないが、そうではない時のような大人っぽさと、陽光に反射して色を変える彼女の髪の美しさを、普段以上の上品さで仕立て上げていた。
シュウが時たま私服として使っているのと同じ、白ベースのパーカーを羽織っていた。前のファスナーは確り止められている。中に着ている水着を、伺う事が出来ない。
「お待たせしました。着替えに、手間取ってしまいまして……」
マイヤは視線を彷徨わせながらそう口にする。
そのまま恥ずかしそうに苦笑すると、彼女は手間取った理由を告げた。
「中々踏ん切りがつかなかったと申しますか……土壇場で、恥ずかしくなってしまいまして。学園長先生にお説教をされてしまいました」
マイヤはパーカーのファスナーを下ろすと、とさり、とそれをレジャーシートの上に落とした。
日陰ではあるが――その白い肌が、シュウの目に飛び込む。
――瞬間。彼は、自分の心臓が止まるかのような錯覚を覚えた。
薄くペールブルーがかかった白色のビキニ。トップスはカップと釣り紐が一体になっているタイプで、胸元から首筋にかけての縁を囲むように、青色のフリルが付いている。これはグラデーションがかかっていて、首元に近づけば近づくほど空色に、胸の谷間のなだらかなラインを下降する程に群青色へと色を濃くする。補色、というのとは少し違うが、肌の色と髪の色に各々明度が反比例しているからだろうか。全体的に柔らかい印象を保ったまま、マイヤの、大きい、とまではいかずとも、平均以上には確かな量感を持った女性的な膨らみを、蠱惑的に魅せることに成功していた。
必要以上の贅肉は無いのに、見ただけで柔らかさを感じ取れるくびれを描いた白い腰。臍を通る様に走ったお腹のすじが、彼女の薄く、しかし確りついた筋肉を思わせる。
そんな上半身とは対照的に、下半身はパレオを巻いて体のラインを幻惑する。程よく肉のついた綺麗な太腿を隠すように、こちらは青、緑、紫という、海の色を模したと思しきグラデーションがかけられた半透明の腰布だ。ラメ入りなのか、時折入ってくる陽光に反射し、きらきら光る。彼女の髪の毛と相まって、ふんわりしたシルエットと、より一層海を思わせる色合いを強く、強く、後押ししていた。
緊張しているのか。それとも、単純に海岸の熱さによるものか。薄くかいた汗がやたらとなまめかしい。上気した頬と、恥ずかし気な表情、潤んだ上目遣い。あまりにも――あまりにも、官能的。
女の子のおめかしとは、別段誰かのためのものだけではない。自分を、自分が目指す究極の姿まで磨き上げることこそが、その基底にあるという。
だというのに—―マイヤのその、決して布面積が過剰に少ないわけではない、それでいて異様なまでに扇情的なその格好からは、強く、強く、シュウへの想いが感じ取れるのだ。誰かに見られたくないのに、シュウにはしっかり見て欲しい。その意思を、図らずも読み取ってしまったからこそ、余計に彼の思考は乱れに乱れる。
ぐるぐると渦を巻く感情を、言葉として纏めることができない。シュウは目を見開いたまま、凡そ十秒近くの間、完全にフリーズした。
「そ、その……変では、ないでしょうか?」
不安げに、マイヤが問うてくる。
その言葉で、ようやく意識が再起動した。
「あっ……あ、ああ。似合っている。とてつもなく」
通り一遍の感想しか出てこない自分を殴り飛ばしたくなってくる。けれども、煩悶とした心の中からは、それを絞り出すのが精いっぱいだった。
「そ、そうですか……」
一方のマイヤの方も、より一層照れてしまったのか、耳まで真っ赤になって俯いてしまった。
そのまま、沈黙が訪れる。海水浴客たちが各々遊んで笑う声と、さざ波の音、空を飛ぶカモメの声。
潮が満ちてきたことによって海岸線が上がり、岩を打つ潮騒の音色が変わる。同時に高い波が来たらしく、エリナたちが作っていた城塞と激突してしまったらしい。「ぎゃぁぁぁぁっ!?」「あぁーっ! ながされちゃった……」「本当の敵は高波だったねぇ……」などと言う声が聞こえてくる。
「つ、作り直しですわ! 今度は波が来ても流されないように別の材質を使いましょう!」
「それもう砂のお城って言わないんじゃない?」
「五月蠅いですわね、勝てば良いのです勝てば!!」
「さじょーのろーかく? でもわたしはたのしいからいいよ!」
きゃいきゃいと騒ぎながら、築城に使えそうなものをさがしに行く少女たち。
その間にも。
ずっと、シュウはマイヤから目が離せない。潮風に乱れる髪の端が肩にかかる。髪の先端はまた舞い上がると、潮と汗でべたついて、頬に張り付く。その風景が、異常にコケティッシュな雰囲気を演出した。何か拙い。このままだと、何かを我慢できなくなる気がする。
「ま、マイ……その……」
「は、はい」
どもりながら彼女の名前を呼ぶが、しかし続く言葉が出てこない。というより、何を言ったらいいのかわからないのだ。只々、衝動となって口から言語が零れただけで。
また、沈黙が下りてしまう。さっきから腕が、自分の意思に反して震え始めている。
いいや。
いいや。
意思に反して等いない。反しているのは理性に対してだ。本能はずっと、ずっと、己の内の欲望を、シュウの心に告げてくる。そしてそれを、枷の何もかもを打ち破って解放しろとも。
——触りたい。
マイヤの白い肌に触りたい。抱きしめたい。キスをして、髪を梳き、もっとあの肉体を堪能したい。
それは恐らく獣欲に近い何かだ。今ここで解き放ってはいけない何かだ。
だが徐々に理性は本能に浸食され、シュウの足は一歩、マイヤに近づいてしまう。彼女も、シュウの様子がおかしいことに気が付いたのか。その口を小さく開けると、「……あ……」という、小さな声を漏らした。
その響きが、過剰な色気を含んでいて。
我慢の緒が切れかけた、その時に。
「どーうした貴様ら、いつまでも突っ立ってないで海に入るかいちゃつくか決めろ!! それとも一緒にこなすか? おぉ? 海の中でいちゃつくか?」
どーん、という強い衝撃。響く声はイスラーフィールのモノだ。見れば、いっそイレギュラーなまでに整った、モデル顔負けのスタイルと豊満な胸元——それをシックなピアノブラックの、帯を複雑に組み合わせたような形状のビキニに身を包んだ彼女が、いつの間にか視界の向こうに立っていた。
衝撃は、彼女がニヤニヤ笑いを浮かべながら、マイヤをシュウに向かって突き飛ばしたことによって発生したモノだった。
「きゃっ……」
「うおっ……」
可愛らしい悲鳴をあげるマイヤに押されるまま、シュウは背後に倒れ込む。咄嗟にマイヤを抱きしめてしまったが、バランスを崩したせいで足が浮かぶ。そのまま二人は絡み合ったまま、若干距離が離れていた水辺に墜落した。どうやら学園長は、相当力を込めてマイヤを突き飛ばしたらしい。
冷たい海水が心地よい。不思議な感覚だ。風呂のそれとも、川の水流とも違う。海中で開けた目には、陽光を通して不思議に表情を変える、水面の色が見えていた。過剰に透き通っている、と言っても良い。上から見たときとは、また違う色の変化。
ざばぁ、と音を立てて浮上する。
自分はまだしも、彼女が怪我をしてしまったらどうするんだ――そんな静かな怒りを抱きながら、シュウは上体を起こそうともがく。
が。上手く起き上がることができない。なぜならば――
「え、えっと……」
目の前に、マイヤの青い髪があったから。
全身にもたれかかるように彼女が覆いかぶさってきているのだ。抱き締めた体勢のまま着水したせいだろう。シュウの広げた脚の間に、マイヤのすらりとした抜き身の刀のような綺麗なからだがすぽりと収まっていた。
一応農家時代から現在にいたるまで、それなりに身体を動かす立場にあるわけで、筋肉質、とまではいかずとも、ある程度は引き締まったシュウの腹。なにやら柔らかい感触がすると思ったら、マイヤの双丘が、彼女の身体と、そのシュウの腹の間で、ぽにゅんと形を変えていた。
抱き締めたままのせいで、彼女も起き上がることができないでいるらしい。ぐいぐいと、その感触がシュウのおなかに押し付けられる。こすれ合う度にマイヤの甘い吐息が、シュウの胸板にわずかにかかった。
――凄まじい勢いで、下半身と頭に血が集結する。人としてのモラルと男としての生理現象が同時にシュウを襲い、先ほどを超える機能停止に陥らせた。
「あっ……」
マイヤの頬が真っ赤に染まる。自分の体の変化だ。シュウでも分かる。
枯れている、枯れている、と言われるシュウでも、やはり年頃の青少年だということだ。マイヤの腹に押し付けるように、その、何というか、『硬く』なっていた。
恋人を抱きしめる腕を解く。いまだ頬を真紅に染めてフリーズするマイヤの方を掴むと、自身の上体を起こすのにあわせて、ゆっくりと彼女を引き剥がした。
「す……すまないマイ……」
「い、いえ、私こそ……」
「いいや、君が謝ることなど何もない。全て俺が悪い。まだ時期尚早だというのに君に欲情した俺の責任だ」
海中で正座の体勢を取る。水の抵抗があって、地上の様にすんなりはいかないが、それはそれで中々貴重な体験――いやそんなことを思っている場合ではない。
極東大陸伝来の土下座、いややはりここはハラキリだろうか。しかしそうしてしまってはマイヤと交わした「ずっと一緒」の約束を破ることになってしまう。だが此度の罪状と刑罰の言い渡し人はマイヤであるからして、彼女がそう命じれば約束は無かったことにされてしまうのだろうか、等々と、頭の中で妙な不安がぐるぐる渦巻く。
そんなシュウに対して、マイヤは海水に濡れて余計になまめかしさを増してしまった青い髪をいじくりながら、俯きがちに、そして囁くように口を開いた。
「ちょ、ちょっとだけ……ちょっとだけですよ? 安心しました。その……先輩が、私で興奮してくれるんだ、ということが分かって……い、いつか、通ることになる道なわけですし……」
その時はもっと恥ずかしいことをするわけで……と、後半に行くにつれてどんどんと小さくなるマイヤの声。
思考が上手く回っていないシュウに至っては、馬鹿正直にその場面を妄想してしまった。場所はどこだろうか。家のベッドの上か。水着姿ではなく、下着姿のマイヤを押し倒し、そのまま、自分の欲望のままに――
駄目だ。これ以上は駄目だ。色々といけない。
と、シュウが無理矢理その空想を振り払おうとしたところで。
「……でもやっぱりまだ駄目です!! そもそも往来でするべき生理現象ではないですし!」
頬を真っ赤に染めたマイヤが叫び。
全力で、それこそ法術付きの一撃もかくやという威力と速度で、ひっぱたかれた。
余りの勢いに、顔面から海水に突っ込む。
口の中に入った潮は、やたらとしょっぱかった。
ごぼごぼと水音の向こうに沈んでいくシュウの耳に届いたのは、「な、なな、何てことをしてくれるんですか!!」「ははは。良い予行演習になったと思うんだな」「よ、よこ……っ」などと言う、マイヤとイスラーフィールの会話。
初めての海水浴は、ずいぶんとごたごたした始まりだった。




