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引き篭り魔法使いと、召喚術失敗2

『アニム!!』


 水晶の空間を揺らした師匠の叫び。

 召喚獣の魂と涙が打ち砕かれ、私に降り注いでいる。肌へ、口へ、目へ。そして、体内に染み込んでいく。


『くそっ! もっと魔力を! でないと、『アニム』が――あいつが!!』


 師匠の指が、もどかしげに映像の私に伸ばされた。

 師匠があいつって、言ってくれた。いつもは名前を呼ばれるのが好きなのに。目の前の私を見てくれているって思えて、今はひどく安心してしまう。


『目を覚ませ! お願いだ、息をしてくれ!』


 落下していく私を、師匠の叫びの分だけ魔方陣が取り囲んでいく。無数に重なりあった魔方陣は、もはやそれがひとつの魔方陣だと思えるくらいものになっている。

 当時の私はただ、ファンタジーゲームみたいだと混乱していたっけ。そうだ、ひたすら「助けて」と叫んでいた。「いやだ」って。いやだって思った。……自分が死ぬのが?


『ウィータ! こんな最悪な状況で、召喚獣の喚び戻しと『アニム』たちの救済を両方行うなんて無茶だよ!』


 急激にまどろんだ意識を引き戻したのは、センさんの叫びだった。


『うっせぇ! いいか、セン。同時に術をしめるぞ!』


 師匠は体中の血管を浮かび上がらせている。目尻や耳からも赤いものが滴っている。

 師匠の姿に、さっと血の気が引く。無意識の内に、師匠へと腕が伸ばされる。


「ししょーが、死んじゃうよ!」


 げほっと、師匠から吐き出された血。師匠の口元を拭うように手を動かすけれど、赤い血は、私の手をすり抜けて落ちていってしまう。


「しっ、ししょー。私、なにも、できない」


 カローラさんがいたら、過去の出来事を見ているだけなのだから当然、と言い切られてしまうかもしれない。

 頭では割り切っていても、心で理解するのは無理だ。膝をついて服に血を滲ませていく師匠も、召喚獣が起こす風に巻き込まれている雪夜と華菜も、召喚獣も。全て、人事なんて――過去だなんて、割り切れないよ!

 だって。感情が手に取るように伝わってくる。嬉しさも悲しさも切なさも、全て感じてしまう。色んな命の感情が、今、ここにある。


『ウィータ!』


 センさんも辛そうなのは明らかだけど、師匠は杖を支えにしていないと完全に倒れてしまいそうなくらい苦しそうだ。


『うっせぇ。自分の術に集中しろ』

 

 師匠は喉に詰まった血痰を吐き出し、再び瞼を閉じた。唇は詠唱を刻み続ける。


『でも、ウィータ! 補助で術を発動している僕はともかく、君は――!』

『あー、もう! とっとと終わらせれば、問題ねぇだろうが!』


 語尾は掠れていたけれど、強気な口調はずっと変わらない。

 大丈夫だと体で示すためだろう。師匠は勢い良く立ち上がり、大きな音を立てて魔法杖を正面に突き立てた。

 魔法陣の光が反射する水晶の中心にいる師匠は、その輝き以上に凜としている。足元の大きな魔法陣はもちろんのこと、無数に浮かんでいる小さな魔法映像の光を浴び、レモンシフォンの長い髪も煌めく。何よりも、アイスブルーの瞳に灯がともっている。


『……それはそれで、大変だけどね』


 センさんは苦笑を浮かべた。二・三度口を動かしていらっしゃったので、きっと、本当はもっと別のことを言いたかったのだと思う。

 けれど、センさんはおどけたように肩を竦めただけで、すぐに詠唱の体勢に戻った。


『よし! 気合入れていくぞ!』

『うん!』


 師匠とセンさんが纏う空気が変わった。

 水晶や魔方陣から光が溢れる。師匠とセンさんの足元にある魔方陣が、くるくると回転する。魔方陣をかたどっていた文字が、螺旋を描いて上空に昇っていく。文字が離れていくと、すぐにまた、光が新しい文字を描く。


「頭上の、アルス・マグナ、魔法文字、食べてるみたい」


 アルス・マグナ――偉大なる術――が描かれた魔法文字を取り込んでいく。その度、魔方陣は面積を増すのだ。今はもう、水晶の天井に触れそうなくらいだ。

 アルス・マグナと水晶の天井とがぶつかる寸前、師匠が魔法杖を筆のように動かし始めた。すると、ぴたりとアルス・マグナの膨張が止まった。

 はためいている服をうまく避けながら、お二人の魔法杖は空中に模様を描いていく。


「すごい」


 場の雰囲気にのまれ、驚きを声にするのがやっとだ。

 と、あれだけ眩しかった空間が、急激に暗くなっていく。水晶や小さな魔方陣の輝きは、アルス・マグナや師匠たちに取り込まれてしまったように、なりを潜めてしまった。

 薄暗い中、魔法映像が唯一存在を主張している。そこ映っているのは、気を失っている私。先ほどと変わらず、いくつもの魔方陣が私を取り囲んでいる。魔法陣の効果だろう。落下速度は、花びらがふわりふわり舞っているほど。


「確か、召喚獣の魂の、後ろから、大きな魔方陣、後追ってきた」


 師匠の腕が、左から右へを流れる。皮膚を裂いて流れていた血が、勢いよく、宙に浮いていた魔法文字にかかった。


『いくら僕らが不老不死で、負傷もすぐ回復するからといってもさ。源である血が足りなくなれば終わりだよ。気をつけてよね』


 センさんは、本気で心配している。ひし形の宝玉がついた杖を地面に突き立てたまま、眉を寄せた。

 それでも、師匠は何も言わず、口の端だけをあげただけ。あぁ、いつもの極悪人面だ。そんな表情でも、向けて欲しい。私にも。


『ふぅ。オレも、結局――』


 師匠が大きく息を吐き、瞼を閉じた。隣のセンさんも、師匠にならう。二人とも、魔法杖の両端を握り締め、前に掲げた。

 数秒の沈黙の後、胸を膨らませ、開かれた瞼。師匠もセンさんも、いつもよりさらに瞳の色が薄い。前を見ているようで、焦点があっていないような不思議な印象を受ける。


『ムンドゥス・ノステル、ムンドゥス・ウェステル』


 師匠とセンさんの声が重なり、詠唱を紡ぐ。水晶に反響した呪文は、賛美歌のように神聖だ。魔方陣が奏でる音響が、それを助長している。

 ほぅと聞き惚れていると、魔法映像には光の輪が現れていた。私の下と、召喚獣の魂の上。挟み込むように出現した魔法陣は、師匠とセンさんが言葉を積み重ねるごとに、文字や色を身につけていく。


『イン・スピリトゥス・エット・ブェリターテ』


 私の世界を映し出していた魔法映像が、渦を巻きながら収縮していく。球体になった映像は、とても綺麗だ。まるで、地球を模したように青く煌く。

 私たちの足元にあった魔法陣も、同じように球体へと姿を変える。私の世界の球体より、淡くて柔らかい黄緑の色に包まれる。


『ファータ・セネントゥ』


 上空にあったアルス・マグナが、怒号をあげて、私の世界の球体に突っ込んでいく。アルス・マグナの中心にあった召喚獣の魂の欠片は取り残され、ゆっくりと私たちの眼前に降りてきた。

 先ほど、師匠の血を浴びた文字が、二つの球体の周りをぐるぐると回転し始めた。私の世界の球体とこの世界の球体が、徐々に距離を縮める。

 時折、反発しているように離れてしまうけど、その折、センさんを助けていた精霊たちが、柔らかく息を吹きかける。


「きれい」


 神秘的な光景に、感嘆の息が漏れた。

 魔法映像が途切れて、自分の世界の情報がなくなり、召喚獣に壊されたという現実味が一気に薄れてしまったのかもしれない。

 もちろん、家族が一番心配だ。けれど……理由は不明でも、召喚獣は私を追いかけてきた。その私が崖を落ちて、皆から離れたのだから、つまり、他の人たちに被害は及ばなくなったということだと願いたい。


「お願いだから、みんな、生きていて」


 どうか、と祈りをこめて両手を絡ませる。お父さん、お母さん、雪夜、華菜の命が無事でありますように。

 願ったところで、視界が揺れた。


「ししょー?」


 片手で支えるには重いであろう杖は、師匠の左手に負担をかけている様子はない。どうやら、ほとんどは、浮遊魔法で浮いているようだ。

 師匠の黒い服から取り出されたのは、青と断定して表現するには難しい色をした宝玉をつけた、ネックレスだった。


「あれ、私が、初めて、ししょーからもらった、贈り物」


 見覚えがあると考えた瞬間、自分の胸元に触れていた。

 そうだ。あれは師匠が私にくれた、ネックレス。師匠の魔力が練りこまれている、私の存在固定を助けてくれているという魔法道具だ。


『ドゥオールム・ムンドールム!』


 一言ずつ丁寧に発せられていた言葉が、切れた。師匠とセンさんの中から、全ての息が吐き出され、詠唱の余韻が漂う。

 別々に浮いていた球体は溶けあっていく。


『次の準備に……うつらねぇとな』


 焦点を取り戻した師匠が、ネックレスを持ち上げ見つめた。

 精霊さんたちにお礼を言ってたセンさんが、溶け合っていく球体に一歩近づく。かつんと鳴った足音で、師匠がはっとした。


『ここにきて、迷っているのかい?』


 射抜くような、センさんの薄桜色の瞳。責めている口ぶりではないけど、感情が読めない質問に聞こえた。

 師匠はそっと目を伏せた。ネックレスを握り締める手袋が、きゅっと音を立てた。


『ずっと――百年以上の間、欲しいと思ってた。あいつの『アニム』が最後に伝えてくれた言葉で、また出会ってみたいと思った気持ちに、間違いなんてない。そう、自信を持ってた』

『ウィータ、君は――』

『いや、最初は、永遠に続く時間の中、『アニム』を探すために次元を監視するのが暇つぶしになればなんて考えてたんだろうな』


 師匠の唇が薄い笑みを浮かべた。自嘲気味な。


『けど、想いだけが膨らんでいくようで戸惑いもあったし、またこうして『アニム』を……あいつを目の前にしたらさ、今更、怖くなった。情けねぇよな』


 同じように、私も自分の首にかけられているネックレスを掴む。


「怖いって、なんで?」


 師匠の言葉を繰り返してみる。

 私はなんてわがままなんだろう。残りたいのか、帰りたいのか。自分の気持ちもはっきりしていないのに、師匠がどうだの、私じゃない『アニム』さんの存在がどうだとか。自分がどうしたいかよりも、『怖い』と呟いた過去の師匠にすがっている。


『はぁ。ウィータ、僕は前にも言ったよね。運命は廻り続けているけど、ちょっとしたきっかけや歪みで無数に枝分かれしていくものだって。僕らが経験した過去が、必ずしも『あの時』と同じ未来に、繋がっているわけでもないって』

『……あぁ』


 師匠はセンさんが言おうとしている裏を、承知しているようだ。苦々しい様子で視線を逸らした。

 あんなに自信に満ちて、『アニム』さんを手に入れると断言していた師匠。なのに、ここにきて、師匠は本気で迷っている。私を目にしたら、やっぱりいらないって思ったの?


「ししょーは、だれを、見ているの? 一緒にいる、私、ない?」


 握り締めていたネックレスから、指が解けていく。

 ぎゅっと、スカートの裾を握り締めると、ぽろりと、一滴だけ涙が零れた。唇を思い切り噛み締めて、涙腺から出ようとする涙たちは堪えた。目元が焼けるように熱い。


『だからこそ、『アニム』の言葉に沿って、今まで弟子をとらなかったというのも、重々承知しているよ。あの子を一番弟子にするためにね。ウィータほどの魔法使いが弟子をとらないことを、責める者がいても、周囲から疎外されても』


 師匠が一番弟子をとらずにいたのは、『アニム』さんのため。その一言が重くのしかかる。


「元の世界から、切り離されろ言われ、この世界で、自分としてもあれない。私、一体、だれなのかな」


 師匠の百年間は、全て『アニム』さんに捧げられていた。

 でも、それを本来受け止めるはずだった『アニム』さんから、その百年と今を私が横取りした。そう思うと、たまらなくなった。


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