引き篭り魔法使いと、召喚術失敗1
※『』は過去の会話です
――キィィーン――
魔法陣が一斉に耳に痛い音を発した。警報みたいな音だ。
耳を押さえて、師匠とセンさんの前に回り込みなおす。
『ウィータ! 準備は良いよ!』
魔法の椅子から勢いよく立ち上がったセンさんが、細身の杖を上空に翳す。菱形の宝石が、純白の光を放つ。
センさんの魔力に呼応するかのように、頭上にあるアルス・マグナが風を生み出す。
『おしっ! セン、花びらの制御は頼んだぜ!』
『任せて。ウィータ、『アニム』のことはひとまず忘れて、召喚獣を連れ戻すことだけ考えてよね』
『わかってる!』
大きな魔法映像いっぱいに映っているのは、召喚獣。けれど、師匠が見ているのは、その横にある小さな魔法映像だ。
映っているのは、泣きじゃくっている華菜を抱きしめているお母さん。震える両 手で携帯を握り締め、どこかに電話しているお父さん。それに、吐いている雪夜の背中を撫でている、私だ。
「そうだ、雪夜は、見ちゃった。召喚獣の被害、受けてしまった人たち、間近で」
映像に引っ張られるように、記憶が戻ってくる。
私たち家族が逃げ込んだのは、山中にある駐車場だったはず。数台の車が止まっているけど、同じ場所にへたりこんでいる人たちの中には所有者がいなかった。窓ガラスを割ろうとしている学生らしき人もいたんだっけ。
「ししょー、わかってないよ」
師匠は、わかったと口にしながらも、ずっと魔法映像から目を離さない。
私を見ているはずの師匠は、私を見ていない気がした。ねぇ、師匠は私を通して、だれを見ているの? 私は……あの時の私はまだ『アニム』じゃないのに。
『絶対『アニム』や家族を守ってやる。オレは失敗なんてしない。そしたら――オレは『あいつ』とは違って、後ろめたさでお前を傷つけることもない。堂々胸を張って、お前の手を掴める』
魔法陣の音をかき消すくらい、はっきりとした声が光の空間に響き渡った。凛として迷いのない様子が、やけに印象的な声だった。
「私に、向けて貰えているなら、嬉しいって、思いながら、いつもみたく、ししょー、きざって笑えるのに」
込み上げてくる吐き気を耐えられない。なのに、夢だから実際吐くことはなくて、それが、私がまがい物だって証明しているみたい。
「だれ? ししょーがいう、お前って、だれ? 私じゃ、ない。ししょー、手に入れるって、だれを?」
もう、師匠の言葉をひとつひとつ理解することも適わない。ただ、流れていく言葉の中で呼ばれる名前だけが、耳にこびりついて離れない。
『まぁ、『アニム』にしたら、ウィータに喚ばれること自体、術の失敗って意味になりそうだけれどね』
センさんの意地悪な口調に、師匠は思いっきり口元を歪めた。
『うっせぇ! 文句は言わせねぇ』
『やれやれ。折角また出会えても、そんな俺様態度で嫌われたら元も子もないのにさ』
師匠は反論しようと口を何度が動かしたけど、結局出たのは『うっせぇ……』という弱々しい声だった。
「ししょー、ねぇ、だれと重ねるの、私を。あの時、私、まだ名前もらってない。「アニム」ないのに! ししょーが想う「アニム」は、だれなの?」
白く吐き出される息。でも、そこに混ぜられた心は黒く濁りすぎていて……ぎゅっと瞼を硬く閉じた。もう、何も聴きたくない。
師匠が瞳に映しているのは私じゃない、アニムだから。耳鳴りがひどい。
「やめて、やめて。私、アニム呼ばないで! あの頃の、私、本当の名前は――!」
今までに出したことのない色の声。悲鳴に近い声が空気を振動させた直後。バンッという乾いた音が、山道に響いた。まだわずかに残っていた鳥たちも、けたたましく羽音を鳴らしながら飛び去っていく。
耳に慣れている魔法とは違う音に、涙でぐしゃぐしゃの顔があがる。横目に映った師匠とセンさんも、同じように呆然としている。
「耳に、痛い、おと」
魔法映像が、召喚獣の後方を映し出す。
そのちょっと奥には、猟銃らしきモノを構えた老年の男性がいた。銃口から
吐き出されているのは、灰色の煙。
「この音、私、聞いた」
そうだ。皆で逃げ込んだ駐車場にいる時、聞いた。音が山中に響いて、華菜がひどく怯えていた覚えがある。
――ピギィィィィィ!!――
召喚獣の喉は回復していたようだ。超音波のような耳をつんざく声が飛び出した。
衝撃波で、周囲の樹や岩は跡形もなく吹き飛んでいく。もちろん、銃を撃った男性も……。
『くそっ! 不可侵の結界を越えてきたのか!』
『魔法がない世界で術をいくつも使うのは、無理があったんだよ! そもそも、あちらの世界の住人には魔法自体、効かないのかもしれない!』
師匠とセンさんは重苦しい空気を纏い、魔法杖を前に突き出す。杖から生まれた光は膨らみ、グラデーションのように目まぐるしく色を変える。それに呼応するように、召喚獣を包んでいる花びらたちも光を強めた。
『ちっ! 最悪だな。召喚獣の身体に、あの武器から放たれた物質が食い込んでやがる。ただでさえ、召喚獣に、魔法を含まねぇ世界の空気は毒だってのによ』
師匠の言葉を証明するように、召喚獣は雄叫びをあげ続ける。喉が治ったせいか、声が出ることで、余計に苦しみを実感してしまっているのだと思った。
どくんと跳ねた、心臓。そっと手を添えると、熱を帯びていた。私の中には師匠の魔力がある。空気が合わない異世界で、私を守ってくれている魔力。
私の魂を、師匠の魔力が包んでくれている。今の召喚獣の場合は、逆に攻撃してくる銃弾が打ち込まれている。
「あの召喚獣、同じく。私、こっちの世界には、受け入れられない?」
あの召喚獣は、私そのもの。そう考えずには、いられない。
その現実を知らしめたくて、カローラさんは過去を見せているのだろうか。
『ウィータ、駄目だ! 召喚獣は中途半端に回復しているからか、花びらの結界を壊そうとしてしまっているよ!』
流れたのは沈黙。魔方陣も、風も、魔法も煩いくらいなり続けているのに、沈黙だと思った。
それくらい、師匠とセンさんの時が止まったように思えたのだ。
『……不本意だが、魂だけ喚ぶしかねぇな』
師匠の声がぐっと低くなった。目も糸のように細くなっていく。ぐっと噛んだ唇は避けて血を流す。
『ウィータ! 正気かい⁉』
師匠の言葉に、センさんは真っ青になった。信じられないといった表情で棒立ちだ。
けれど、師匠が魔法杖を高く翳すと、センさんは慌てて師匠の腕にしがみついた。センさんの方が師匠よりも身長は高いので、押さえ込んでいる態勢になっている。
『ちょっと待ってよ、ウィータ! そんなことしたら、あっちの世界に少なからず悪影響が出るだろうし、召喚獣を召喚した召喚師に、さらなる報いを受けさせるつもりかい⁈』
『んなの、召喚師の自業自得だろうが! 全く無関係な世界に被害を及ぼし、あの召喚獣を苦しませ続けるよりはましだ!』
怒鳴りつけるように、師匠が言い放った。初めてみた、あんな風に起こる師匠。
『召喚獣は便利な道具じゃねぇんだぞ! あの世界の命だって、本来なら消えるべきじゃなったものがたくさんなくなった! 自分の実力不相応な世界から召喚しようとした奴に、せめて責任くらいきっちり取らせろ! そいつの力量を見誤って任せた奴らだって同罪だ!』
師匠の眉間の皺が、これ以上ないという程に深くなっている。勢いもそのままに、センさんの腕を振りほどくと、詠唱を始めた。
頭上のアルス・マグナ――偉大なる術――が、次第に回転速度をあげていく。水晶の空間を、七色の光がシャボン玉のように包みこむ。私たちの足元にある大きな魔方陣も、噴水のように光を立ちのぼらせ始めた。
『……魂というお前だけでも、連れ戻す。だから、お前の真名を教えてくれ』
召喚獣に向けられた言葉なのだろう。師匠の表情は凛としているのに、その声はひどく柔らかくて――泣きたくなる。
「似てる。ししょーが、私に、真名尋ねてきた時に」
とんと、師匠は一度だけ地面に杖先を触れさせた。それに呼応するかのように、動きを止めたアルス・マグナ。
すると、魔法映像の向こう側、私の世界にいる花びらたちが魔方陣を描き始めた。優しい色だった花びらたちが、一気に冷たい色に変化していく。
『ウィータエ・アエテルナエたるウィータ・アルカヌムが、尊き魂の導者に願い奉る。ドゥークント・ウォレンテム・ファータ・ノーレンテム・トラフント!』
ひときわ大きな声量で唱えられた詠唱。冷えた空気の中で、師匠の声はさらに良く通る。
続く詠唱の言語は理解できないものだった。
詠唱が終わるのと同時に、こちら側の魔方陣は静まり返り、私の世界にある花びらの魔方陣は輝きを増した。半透明だった光は、やがて濃い霧きりのようになり、召喚獣は見えなくなってしまった。
センさんは、ぐっと押し黙ったまま。腕をおろした師匠は、目を伏せた。
『わりぃ。センが、こっちの世界寄りでモノを言ったんじゃねぇってのは、もちろん、承知している。召喚師と召喚獣、両方を考えているってのもな。けど、どっちみち、術を失敗した召喚師は無事ではいられねぇ』
『わかっているよ。もう既に、彼は術を損じた反動を、多少なりとも受けているから。失敗といっても、召喚獣がこの世界に留まっていたなら、まだ手の施しようはあったのだろうけれど。一旦召喚してしまった召喚獣を、さらに他の世界に飛ばしてしまったからね』
センさんは自分に言い聞かせるように、言葉を噛み締めた。とても辛そうだ。普段、センさんの方が落ち着いて見えるのに、今は師匠の方が冷静だ。
『仕方がないっていうのは、割り切っているつもり――いや、納得しないと』
センさんの空気が変わり、師匠も少しですが表情を和らげた。労わるように、センさんの肩を軽く叩いた。
『お前の気持ちもわかる。顔見知り程度とはいえ、知ってる奴のあんな末路を知っちまったんだからな。けど、今の状況じゃ、どっちも無傷だなんてありえねぇし、あっちの世界には被害が出てるんだ。自ずと、守るべき優先順位は決まってくる』
凜として迷いのない、師匠の声。魔方陣が鳴らす大きな音にも負けないくらい、明朗に聞こえた。いつもなら、見惚れてしまう姿だ。
けれど、今の私は、師匠に魅かれる度、全身から悲鳴があがってしまう。
『そう……だね。召喚師は、強靭きょうじんな肉体と力を持つ召喚獣を、使役する特殊な能力を持つ』
センさんの綺麗な薄紫の髪が、くしゃりとかきあげられる。
『けれど、喚んだ召喚獣が傷つけば、それ相応の反動を受ける。今回、術を失敗した召喚師も例外じゃない。契約外の世界に召喚獣を飛ばしてしまったのに加え、無関係の世界、しかも異なる理を持つ次元で魂の犠牲を出してしまったからね』
センさんから、深い息が吐き出された。わずかに唇が震えている。
先ほどまで、はっきりとした物言いだった師匠が言葉を濁すほど、反動というのは恐ろしいのだろう。
『ごめん、頭が冷えたよ。それにしても、さすがウィータ。メトゥスだったら、間違いなく、あちらの世界も召喚獣の魂も、全部壊してしまうって選択だっただろうに』
センさんの口から出てきたのは、知らないお名前。
師匠の端正な顔が、みるみるうちに歪んでいく。あれは嫌いなモノを見る時の顔だ。私が見たことがあるのは、夕飯に辛味きのこを出した時くらいだけど。
師匠の顎が真っ黒なマントに埋もれてしまった。
『んで、あの変態やろうの名前が出てくんだよ! 嫌味か、嫌がらせか! むしろ、オレの優先順位のつけ方が『アニム』寄りだって皮肉か!』
アニム寄り、という言葉に耳鳴りが起きた。私だけど、私じゃない。だって、あの時の私を師匠が知っているはずないのだから、私寄りにモノを考えるのは、おかしい。
『まさか。最初この依頼は、メトゥスにという話もあったんだよ。彼も乗り気だったみたいだけどね』
センさんに苦笑が浮かぶ。すっかりいつも通りのセンさんだ。
それにしても、師匠の嫌がりようはすごい。
『じゃあ何でオレに依頼が持ち込まれたんだよ。大体、あの変態、色んな界隈から恨み買って、何十年も前に結界に閉じ込められただろうが』
『メトゥスに依頼がいく直前に、たまたま僕が国に立ち寄ったらしいんだ。僕からウィータに頼んでくれって泣きつかれて。個人レベルで次元を監視可能な上、干渉出来るのは、世界広しと言えども、数人いるかいないかだしね。僕が把握しているのも、ウィータとメトゥスと……まぁ、あと二名くらいだし』
最後を濁らせたセンさん。師匠も、その二名に心当たりがあったようだ。あえて突っ込みはせず、小さく息を吐いただけ。
センさんは二本だけ立てた指を、ゆっくりと折り曲げた。
『ひと昔とはいえ、僕らも改革に関わったし、思い出深い国でもあるだろ? だから、あぁいう魔法使いに、わざわざ借りを作らせるのも忍びないかと思ってさ』
師匠は納得いかないようで、口をへの字に歪めたまま。
『結果、良かったじゃないかい。ウィータが『アニム』を見つけられたんだし。これも運命の導きなのかな』
『そればっかりは感謝するぜ。『アニム』にちょっかい出させないために、あいつを閉じ込める最後の結界、オレが張ってやったんだからな。あのやろう、今思い出しても腹が立つぜ』
『だろう? 万が一でも、メトゥスが結界から出られるようになったら、この水晶の森は一発で見つかるだろうからね』
「アニム」さん。目の前の師匠が名を口にした途端、立ち直ってきた気持ちが、たちまち折れていく。
目まぐるしく変わる心に、疲れてしまう。大方の問題は、前向きに乗り越えてきたのに。いつもと何が、違うのかな。
そこまで考えて、ふと、気がついてしまった。
「そっか。私自身、しっかりした答え、持ってないからだ」
この師匠は、きっぱりと『文句は言わせない』と断言していた。
思い出して、自分はどうだと語りかけてみる。
異世界に来てからは特に、自分の中で方向性を持っていたはず。すぐ帰れないのなら、何をすべきか、何をしたいのか、何を身に着けないといけないのか。小さな例で言えば、料理だって私の世界の味と、この世界の味、両方を取り入れたいという考え。
けれど、今の自分はどうだろう。
「元の世界、帰りたい? この世界、残りたい?」
師匠の傍にいたいという想いは、全ての迷いを退けるほど強いモノなのか。それとも恋に浮かれているだけなのか。状況に甘えているだけ、なのかな。
自分の心が、さっぱり見えない。
「ししょー、私に、そんな強い想い抱いてる素振り、見せない。私じゃ、ししょー欲しい思った『アニム』さん、違ったから?」
私自身の中にある想いがもっと確固たるモノであれば、そんなの関係ないと言い切れたのだろうか。今、師匠の隣にいるのは「私」だと。
すとんと、水晶の床にお尻が落ちた。今、思うのは、ただ早く目を覚ましたい。それだけ。
『さて。魂の浄化が終わったようだよ。召喚獣の肉体は消失し、あるのは魂だけ』
センさんが両足をしっかりと開き、魔法映像を見上げた。軽い調子の声とは裏腹に、薄い桜色の瞳には憂いが浮かんでいる。
それを横目に見た師匠も、背を伸ばした。足元にある小さな魔法映像を愛しそうに見つめた後、しっかりと顎をあげた。
『おっし! 召喚獣には申し訳ねぇが……せめて、魂だけでも、こっち側に戻させてくれ』
師匠が魔法杖を地面につき、光の玉部分に額をつけた。センさんも同様に、細身の杖先に額を落とす。
しばらく、二人はじっと瞼を閉じ、沈黙していた。まるで祈りを捧げている光景。
師匠とセンさんは瞼を閉じたまま、唇を小さく動かす。聞いたことのない旋律。どこか重々しく、けれどなぜか安心する音だ。
「あれ、黒い、花びら?」
腰が抜けた状態のままなので、はっきりとはわからなかった。でも、ふっと、魔法映像の中で黒い花びらが踊った。胸がざわつく。
「ししょー、センさん、あれ!」
自分の声が聞こえないのは、嫌というほど承知している。それさえも押しのける勢いで、嫌な予感がした。耳鳴りが起きる。
師匠たちは瞼を閉じているので、黒い花びらに気がつく気配はない。
と、その時、師匠の眉がぴくりと跳ね上がった。
『しまった!!』
師匠の盛大な舌打ちが、静かだった空気を揺らした。叫び声に近く、相当焦っているよう。あんなに大きな魔法を使っている最中も、汗なんてかいていなかったのに。今は頬や首にとめどなく汗が流れている。
うっとおしかったのか。師匠は前髪をかきあげ、魔法映像を睨みあげた。
『え? ウィータ、どうしたんだい?』
センさんは師匠の様子が急変した原因がわからないようで、ただ首を傾げるだけだ。
『あの変態やろうの魔力を、微弱ながら感じた!』
『なんだって!? すぐにでも打ち消さないと!』
『もう、遅い。魔方陣の中に溶け込みやがった! くそっ!』
師匠が苦々しい口調で、声を荒げた。
がつんっと、ためらいもなく魔法杖を水晶の地面に叩きつける。樹で作られているように思えた魔法杖だけど、ひびが入ったのは水晶の地面の方。
そのまま、地面に座り込んでしまった。
『あの次元に近づくだめに桁違いの膨大な魔力を使ったとはいえ、辺境の牢獄結界内に閉じ込められているメトゥスに、干渉出来るものかい?』
『それを逆手に取ったんだろう。結界に使われているのは、手だれの魔法使いの魔力だ。あいつが結界を破ろうとすればするほど、反発で魔力が増す仕組みだ。予想の域は越えねぇが、自分の魔力と結界の魔力を融合させて、次元の穴を作りやがったんだろ』
『そんな――!』
センさんの手から、細身の魔法杖が落ちていく。からんと鳴った音は、どこか滑稽こっけいさを感じさせた。センさん、口を魚のように開閉していらっしゃる。
『この場所、バレはしねぇだろうから、次元の狭間で待ち伏せていやがったのか』
『こちら側は膨大な量の魔力を送り続けているし、大掛かりな術を発動しているから、逆に微弱な魔力なんて、気がつくはずもないということだね。まさか、今まで大人しくしていたのって――』
センさんの切れ長の目が大きく見開く。そして、師匠と同じように床に崩れ落ちた。これで、私たち全員が地面にへたりこんでいる状況だ。
師匠は長い後ろ髪を縛っていた結い紐を解き、豪快に髪を掻き乱した。そのまま後ろに倒れこむと、肺の空気を全て吐き出す勢いで、息をついた。
『あいつのことだから、単に愉快交じりに大人しくしてただけかも知れねぇがな。真意はわからねぇが、とにかくオレたちを油断させていたってのも、あるだろう。それに、問題起こしやがった国から、だれかしらが、召喚獣の魂の欠片をあいつにも流してた可能性も捨てきれねぇ』
『今回の召喚失敗自体が、仕組まれてたと言うのかい?』
『さぁな。国の内部紛争なんざ知ったこっちゃねぇよ。オレたちに関係あるのは、目の前の術をどうするかだ』
がばっと、反動をつけて起き上がった師匠。すっかり汗はひいて、いつもの涼しい顔に戻っている。マントを脱ぎ捨てると、大きく肩を回した。
師匠は苦笑交じりで、申し訳なさそうに座り込んだままでいるセンさんに、手を差し伸べた。
『センが気にするこたぁねぇだろ。真相解明は時間かけてでも、してやろうぜ。それに、もし横流しが事実なら、後できっちり落とし前つけさせれば良い』
手袋をはめた師匠の手を取り、センさんはゆっくりと立ち上がった。衣擦れの音が、乾いて聞こえる。
『そうだね、ありがとう。ウィータ』
そう言いながらも、センさんは相当ショックを受けていらっしゃる。掌で目元を覆い、緩やかに頭を振った。綺麗な薄紫色の長髪が、肩を滑り落ちていく。
師匠は姿勢を正し、魔法杖をぶんと振り回した。
『つーか、そもそも、あんな微弱な魔力で、オレたち二人がかりの術の阻害なんざ、不可能だぜ? あいつがいかれた野郎だとしても、次元超えてまでする嫌がらせに、なんの意味があるんだか』
首を傾げた師匠だったけれど、数秒後、さっと顔色を変えた。あまりの緊張感に、私も立ち上がってした。
『いや。オレも次元を超えて魔法使った経験はあるが、妨害なんてされたことねぇし、むしろ連携した機会の方が多い。もしかしたら、魔法がない世界では、微弱な魔力が逆に簡単に均衡を崩しちまうのか?』
師匠が呟いた瞬間、ぱりんと硝子が割れるような音が鳴った。魔法映像がぐらりと揺らぐ。こちらではなく、映像の奥、私の世界が動いたのだ。
見ると、花びらたちが形作っていた魔方陣にひびが入っていた。内側から黒い煙が漏れ溢れる。
『ウィータ! 魔方陣が割れた隙間から、召喚獣の魂の一部が! しかも、あれ、狂乱系統の魔法じゃないかい?!』
『やっぱり、魔法がない世界では、一滴でも余計な魔力が触れると、均衡が崩れるってのか!』
魔方陣の割れ目から出て行く黒い煙。外の空気に触れると、さらにどす黒い、どこか赤みを含んだ水に変わっていく。流れる水のように、どんどん溢れていく。最終的にはゼリー状になり、ぐるりと回転すると、凄まじい勢いで上空へ弾け飛んだ。
「召喚獣、痛い痛いって、泣いている?」
ぎゅうっと心臓が縮まる。
『まさか、『アニム』の方が目的か! センは召喚獣の残りの魂を!』
『わかった!』
『頼んだぜ! だが、無理しすぎるな。自分の魂削る前には、言えよ!』
センさんは小さく頷き、高らかに詠唱を唱え始めた。センさんの体全体が白く光を纏っている。両手の指を絡めて、祈るような姿勢は、とても美しいと思えた。周りには、センさんを支えるように、大勢の精霊が現れていた。
師匠は長い袖をはたき、私が映っている小さな魔法映像を巨大化する。映像には、山道を降りようと立ち上がった、私たち家族が映っている。
お父さんとお母さんが、他の人たちと相談している。確か、車内に鍵を置いたままの大きい車があって、それに乗って皆で逃げようって話になってたはず。私は、同じような車がないか探していたんだっけ。近くには、雪夜と華菜もいる。
「思い出した。私、不思議な欠片拾おうとして――」
そうだ。あの時、崖の近くに光るモノを見つけて。車の鍵の可能性もあるからって、近寄ったんだ。今思い返せば、だれも近くにいない場所で、からんと音がしたこと自体、おかしい。でも、あの時は必死だったから、疑問なんて持たなかった。
自分が映った映像から、目が離せない。
過去の私は、光るモノをしゃがんで拾い上げた。落ちそうになったリュック。逃げながらも落とさなかったんだと、あの時はじめて気がついたんだっけ。
「そうだ。確か、真珠みたいので」
手に取ったのは、大き目のいびつだけど真珠みたいな石。私は、なんだろうと首を傾げた。あっ、お父さんとお母さんに呼ばれて、振り返った。
過去の自分が手に持っている奇妙な石。それは、最近見た覚えがある。
「そうだ。召喚獣、ぽろぽろ流してた、涙みたいなのだ」
踵を返そうとした過去の私の頭上に、大量の真珠のような石が降ってきた。雹に、大粒で落ちてくる衝撃から、頭を両腕で庇う。
他の人たちも地面に伏したり、車に逃げ込んだりしている。雪夜は華菜を抱きかかえて、庇っている。
『ねえちゃん!』と、叫んでいる雪夜の声も掠れて聞こえるくらい、うるさかったんだ。
『何を媒体に『アニム』の魂を見つけやがったんだ!!』
腹の底から出た師匠の叫びが、頭を揺らした。
過去の私はようやく目を開き、上空を見上げる。眼前を通り過ぎた黒い影。額にぶつかった召喚獣の涙が、ぱきんと音を立てて割れた。
そう、眩暈が起きて座り込んで、それから、どうしたんだっけ。そうだ、召喚獣の涙はどんどん大きくなって、お父さんやお母さんの頭を掠めて、雪夜の腕にぶつかって――。
『くそっ! オレは、術を失敗しないなんて、よく言えたもんだぜ!』
今の私の隣では、師匠が早口で呪文を唱えている。アルス・マグナが唸り、風が巻き起こる。
目に飛び込んできたのは、足元に落ちた大きな涙が、地面を砕いているシーン。岩が割れるような音を響かせ、一瞬、ふわりと浮遊感に襲われたんだっけ。何も掴むものなどないというのに、私は右手を伸ばしている私。近くにいた雪夜と華菜が手を伸ばしているのが見えた。
「いいから、逃げて!」
映像の中の自分と、唇の動きが重なった。
刹那、私を飲み込むように落ちてきたのは、大きなおおきな涙と、召喚獣の魂。
『『アニム』!!』




