引き篭り師弟と、雨の森―後半―
ウィータ(師匠)視点でアニムが恋愛感情を自覚する前あたり。
「これで大丈夫だな。我ながら愚かだ。この隙に家へ戻らず、アニムに影響が出ない距離をとって水の蒸発魔法を使うんだから」
本来なら、こんな時間があれば転移魔法を使って水晶の森の屋敷に戻れば良い。さっさと着替えを取ってくることが可能だ。なのに、嫌なのだ。彼女に嘘をつくのが。
扉を開くと膝を抱えているアニムと目があった。彼女は遠慮がちに安堵の息を吐く。
わかる。あの笑みはオレの服が乾いているのに対するものだ。オレが風邪をひかずに済みそうで良かった、という安心。
「早かった、ですね」
次いで、オレが手ぶらなのを確認して、本当に離れなかったのだと理解したのだろう。強張らせていた体から力を抜いたのがわかった。そして、すぐに口にした我が儘を実行させたと後悔を滲ませた。暗がりにも大きな瞳が揺らいでいるのが見て取れる。
まったく。我が儘どころか喜ばせて貰っているっての。ただ、それを率直に伝えられるほど、オレも出来た師匠にはなれず……結局は平常運転で意地の悪い笑みを返してしまう。
「甘えたな弟子が不安がるんでな。まぁ、赤ん坊弟子とは言え、曲がりなりにも女の着替えを勝手に漁って持ってくるのもどうかと思うしな」
わざとらしく肩を竦めてやる。
けれど、弱っているアニムは怒ったりはせずほんのりと笑った。そして、小さく息を吐く。
「ししょーなら、別に、いいのに」
「あほアニム。良い訳あるか。ったく、寝言を言ってねぇで、これでも着ていろ」
「ほわっ! 折角、ししょーの服、乾いたのに、薄着だめ!」
魔法衣をアニムに投げつけてやる。あれは外套のような厚さはないから、体を温めるには足りないだろ。詰め襟のシャツも脱いで頭に乗せてやる。幸い、下に薄手のシャツを身につけているので上半身裸という状況は避けられる。
さすがに寒くはあるが、こいつが傍にいれば暑いくらいだ。というか、実際に珍しく汗を掻いている。体調を崩して弱っている時のアニムの甘え方が心臓に悪いのは、何度も経験済みだ。
「ぶえっ! だだだ駄目! ししょー、風邪引いちゃう、ですよ!」
「師匠命令だ。お師匠様に看病の手間をかけたくなかったら、大人しく言うこと聞いて、とっとと着替えろ」
ずるいと思いつつ、師匠命令として注意を投げつける。
なのに、なおもアニムはオレにシャツを羽織らせてくる。仕方がないと、男としての色を混ぜて、彼女の襟元に手をかける。警戒心を抱かれたくないから、あまり取りたくない手段ではあるのだが……。
「そうかそうか。言うこと聞かない弟子の真意は、服脱がせて欲しいってことだったか。気が付かずに悪かったな」
「そっか! ちゃんと、効率、考えるです!」
そっかとは。オレが突っ込むより早く、アニムは自分が着ていた服を脱ぎにかかりだした。
いや! 着替えろとは言ったが! あまりの無防備さに、仕掛けたオレの方が動揺してしまう。
「ばっ! お前には恥じらいってもんがねぇのか!」
「小娘の、恥じらいより、ししょー、脱がしている、時間長い方が、大変! 私の服、乾かしてくれるんだよね? なら、ちゃちゃっと、脱いで、乾かして、もらうです!」
あぁ、なるほどと肩が落ちる。勝負に勝ったが、戦いには負けた気がする。
「乾かすには違いないが、魔法耐性のないお前の服は使えねぇよ。直接肌に触れる服に魔法を使えば、多少なりともお前の存在値に影響が出るかもしれねぇからな。オレの魔法衣は、強化と打ち消しで切り替えられる。蒸発魔法使って乾いた後――今は切り替え状態にしたから問題ねぇんだよ。とりあえず、暖炉の前に並べておけ」
「でも、それじゃあ、ししょーが……」
「毛皮があるから問題ない。さっさと暖炉の前に椅子を置いて、背もたれに服をかけろ」
衣擦れの音が止んだので振り返ると、アニムが素直に自分の服をせっせと暖炉前の椅子にかけていた。オレの服を着崩して。
ちょいちょい見える太ももやら胸元に耐えている自分を誉めたい。雨の香が混じって、本当にやばい。だが、アニムの信頼を裏切るわけにはいかない。冷静を装って裾を引っ張る。もう寝ろと言おうとして、固まった。
「ししょーは、美人さんだけど、やっぱり、男性なんだね。魔法衣、大きい。それに、シャツも。でも、シャツは、裾、結構ぎりぎりかな?」
おい。なんだこれ。どんな飴と鞭だよ。
固まった先にいるアニムは、黒い魔法衣を纏っている。当然だ。オレが貸したんだから。
重要なのは、その着方だ。だぶだぶだ。裾は床についている。それよりヤバいのは、その下に着ている白シャツ。太ももの危ういラインが、彼女が動く度に影を変えるのだ。露出している太ももだけでも相当なのに、全力で理性を試してくる。
「ふふっ。彼シャツ、みたいだね。それに、ししょーの、香りする。薬草の、甘い香り」
アニムが口元を両袖で覆い隠す。けれど、呟きはしっかりと耳に届いたぞ。大雨を避けて。
彼シャツ。つまりは、恋人のシャツだ。前に教えられた異世界の表現に、んっと唇を噤むしかない。
「ししょー、どう? 似合ってる? 私も、大魔法使い、見えるかな?」
アニムが楽しげに、くるりと回る。可愛い。可愛いしか存在しない。体調が悪い癖に無理するな。体調が悪いが故の荒い息も聞かずにいられたらどんなに良いか。遮断しようとしても耳に流れてきやがる。
オレが出来たことと言えば、眉間を抑え肩を落とすという演技だけだった。
「そんな、かわ――かよわそうな大魔法使いはいねぇだろ」
可愛いなどと、口が滑るところだった。似合っているどころの話かよ。
案の定、アニムは腰に手を当てて見事に頬を膨らませた。こいつ子猫たちの影響を受けているのか、出会った当初よりも子どもっぽさがましてねぇか? 感情をみせてくれるのは嬉しいが、もはや鏡写しな時があるぞ。
「ししょー、のり、悪いです。弟子、傷つく!」
「へいへい。申し訳ありませんね、お弟子様。ってか、アニム、とりあえず、寝ろ。ここにこい」
「ししょー、チベスナ顔だよ? どうしたの?」
チベスナとは。
どんな動物だと問いただすも、アニムは青白い頬をおさえて考え込みだした。言葉に表せないのか、百面相に表情を変えている。これは終わりがないやつだ。久しぶりに言語解読魔法を使って異世界後で尋ねてみようと思って、やめた。
以前は彼女を知りたい気持ちが強くて、言語解読魔法を使ってただ会話をしたかった。今は違う。彼女がここの言葉を使いたいと前向きに頑張ってくれるから、オレも変な独占欲が沸いてしまうのだ。彼女が望まない限りは、もう言語解読魔法は使いたくないと思ってしまう。過去の自分に非効率だと呆れられても。
「もういいから、座れ」
ともかく、暖炉前にあぐらを掻きアニムを呼ぶ。柄にもなく両腕を広げて。もちろん、彼女とオレの間にはクッションを挟む形だ。
「うへへ、ししょーのそば、いられる、嬉しい。最近、ししょー、依頼の魔法具、生成するで、忙しかった、ですから」
無邪気な彼女はクッションに背を沈め、オレの両腕を掴んだ。あまつさえ、無邪気に両手に指を擦り込ませてきたじゃないか。体調不良のせいか、そうだよな。
普段は誰が見ていなくとも、周囲に誤解されそうな触れ方は控える奴だ。
触れている手が熱く、頬も赤みを帯びてきているので、発熱しているのだろう。
「あほアニムが。たかが師匠っていう存在に抱き込まれて、すり寄ってくるな」
ずりっと腰を滑らせたアニムの頭頂部に顎を乗せてやる。
「たかが、ないもの! 体調悪いの、黙ってる弟子、怒るなくて、魔法使わないししょー、感謝しない、弟子ないよ。ありがと。色々言うけど、最後は、結局、甘やかす」
眠気と熱のせいで、とろんとした瞳を向けてくるアニム。いつもより甘えてくる体温と視線に理性が限界に達し、目線を動かす。
が、余計にぐっとなってしまった。アニムの立てられた膝から上着が滑り落ち、その、なんだ、太ももの際どい部分、というよりも、下着が……だな。シャツ一枚の危うい壁が余計に無邪気さと艶を混ぜてくる。
「赤ん坊め。見えてるぞ」
「へへっー。涼しいねー」
熱があるアニムとは話にならない。まじで、オレを何だと思っているんだ。
黒魔法衣を引っ張り柔らかそうな足を隠すが、自分の上着で覆ったという事実にまた奥歯を噛みしめるしかなかった。毛皮で包もう。包んでしまおう。
「あほアニムは置いておいて。お前が熱を出したのは、オレのせいだ。お前がこの世界に馴染んでいると勘違いしていたオレの責任だ。魔法に染まりきるなんて、あり得ないのに」
「勘違いなんて……あり得ないなんて、言わないで。私、いやだ」
反応するより早く、振り返ったアニムの腕がオレを引き寄せた。そして、何かを思いついたと言うように微笑みを浮かべた。
同じように腕を回せと催促されて、頬に掌を添える。それでも不満だとアニムが抱き着いてきた。どうせ熱のせいだろう。ならばとオレも彼女の背に腕を回し、軽く叩く。
「へへっ」
「んだよ」
「思い出したです。ししょーの、黒衣、見て」
アニムはまどろみの中、裾を持ち上げた。
やめて欲しい。この位置からだと尻が見える。彼女の手に自分のソレを添えると、あまりの熱さに体が跳ねた。
離しかけた手を掴んできたのは、夢に落ちる寸前のアニムだった。
「花嫁の、衣装は、白。どういう意味か、わかる?」
「白だからな。相手の色に染まるってとこか」
さらりと答えたオレを、アニムは驚きの色で見上げてきた。そして、むすりと唇を尖らせた。
「ししょーに、そんな知識ある、思わなかった、ですよ」
「別に、オレ個人が使ったことはねぇよ。センがディーバにうるさい程ほざいているからな」
頭上に顎を乗せてやる。アニムはもぞりと動いた後、頭横を右肩につけてきた。クッションを越えて。
「へぇ。確かに、センさん、真っ白な魔法衣。センさん、花嫁衣装とは、違うけど、なんか納得」
「オレは染まらない頑固者だって言いたかったのか。もしくは、お前自身が」
「違うですよ」
否定しながらも、アニムはすでに半分夢の世界にいるようだ。これは、あれだ。いつものように、自分の発言を覚えていないやつだ。
「じゃあ、なんだよ。っていうか、もう早く寝ろ」
「いやだ。ししょーと、触れる、久しぶりだもの」
アニムは肘まで落ちかけていた袖を伸ばし、まるでオレの黒衣にくるまるように身を縮めた。
「黒の花嫁衣装はね、あなた以外の、色染まらない、意味。私は、こっちのが、強い意志で、好き。だから、ししょーの。黒な魔法衣、纏えて嬉しい」
アニムは寝息交じりに呟いて、船をこぎ出す。
おい、オレの魔法衣は花嫁衣装じゃねぇぞ! っていう突っ込み以前に、そういう意味で体に引き寄せたのかよ! くそっ! 物申したい内容が多すぎるぞ。
「あほアニム! 爆弾発言して、自分だけ夢の世界に旅立つな! そもそも、オレの魔法衣は花嫁衣装じゃねーぞ!」
「爆弾ない。花嫁衣装、違う知ってる。言うは、タダ」
つまらなそうに吐き出したアニムの息は熱い。まずい。これは熱が上がってきている。
肩を抱き、アニムを自分に引き寄せる。香りが濃くなる。
「ししょーの、ばーか。ついさっき、意味不明、発言した弟子、甘やかすないですよ」
アニムはバカと口にしつつ、全体重を預けてきた。
体力の限界だったようだ。頭をひと撫でしたら、大人しく寝息を立て始めた。
「お前の発言に深い意味がないのは理解しているはずなのにな。読めているのに、動揺してしまう」
でも、どうしてだろう。素直なのに頑固なところがあるアニムの一言が、期待を呼ぶ。
あなた以外の、色に染まらない。
ただ染まるより、唯一以外に染まらない意思。けれど、染まる余地もある危うさを持つ矛盾した存在。
「あほアニム。だから、オレは――お前を手放せない」
「うぅ。あほない。私、ししょーには、素直なだけ」
寝言が返ってきて、声を出して笑ってしまった。夢の中でも、オレと言い合いをしているのだろうか。
早く瞼を上げてオレをとらえて欲しいと思うのに、このまま大人しくオレの腕の中で寝ていれば良いとも願ってしまう。
「それは、ありがたいことで」
腕中にある緩み切った頬を突く。アニムは痛がるのでもなく、嬉しそうに笑うものだから、誤魔化し気味に頬を抓ってやった。
それは逆効果で、指先の柔らかさが欠伸を誘い、薪の音が遠のいていった。
……まぁ、その後も無邪気に落とされる彼女の寝言のせいで、オレは目が冴えてしまったのだが。
半年ぶりの更新でした。ちょっとでもおうち時間の楽しみになればいいなと思いつつ、それでなくとも平常運転でも読んでいただけると嬉しいです。
それにしても、新しい話を投稿していまだに読んでくださる方がいらっしゃることに感謝です。




