引き篭り師弟と、雨の森―前編―
一年前のコミティアで配布したSSを改稿してアップしました。当時は手に取ってくださった方、ありがとうございます。
文字制限がある紙媒体の面白みとは別にWEBならではの改稿をしたので、両方楽しんでいただけると嬉しいです。
ウィータ(師匠)視点でアニムが恋愛感情を自覚する前あたり。本編後半のネタも含みます。
「ひと雨きそうだな」
水晶の森から少し抜けた霧の森手前で、空気に湿り気が混じったのを肌に感じた。腰を伸ばし、空を仰ぐ。案の定、葉間の空は今にも泣き出しそうだった。
「アニム。そろそろ屋敷に戻るぞ」
今日はアニムとキノコ狩りに来ているのだが、すっかり夢中になってしまっていたようだ。アニムが興味津々に尋ねてくるものだから、こちらもつい説明に熱が入ってしまう。
異世界人だからというよりは、彼女生来の性格だと思える。
「転移魔法を準備するからって、おい。聞こえてるか?」
背を丸めてキノコを凝視しているアニムの頭に肘を置いてやる。こっちを向け、と。
さっきまで解説していた、雨が降ると歌い出すウタイダケが反応し始めたのだろうか。子猫たちと一緒に歌って欲しいと、にやけていたっけ。
「アニム、ウタイダケはこの森の土と魔力がないと歌えないから、持って帰っても意味がねぇぞ? あと、見た目はうまそうだが、さすがに生じゃ――」
オレを見上げてきたアニムは拗ねても怒ってもいなかった。どこか焦点がぼやけている。
おかしい。いつもなら、重いとか生でかじると思っているとか、何かしらの抗議をしてくるはずなのに。
「アニム、どうした」
「あっ、ごめんです。ぼうっとしてた」
「お前、まさかオレが見ていない間に、変なキノコをつまみ食いしたとかねぇよな」
さすがに頬をめいっぱい膨らませて反論してくるだろうと思ったが、弱々しく脛を小突かれただけだった。
膝をついて覗き込んだ先にあったのは蒼白の頬。
「おい、アニム」
やばい。ここしばらく熱を出すことも寝込むこともなく元気だったから、すっかり油断していた。
「いつから体調悪かったんだよ。ひどい顔だ」
「ししょー、乙女に、ひどい顔、失礼。ちょっと、疲れただけ、大丈夫。でも、そうだね。寒くなってきた、帰ろう。おうちで、あつあつココア、飲もう」
へらりと笑ったアニム。反対に、自分の眉間に皺が寄っていくのがわかった。引きつったアニムの頬に触れると、驚くほど冷たかった。
瞬間、背筋が凍った。
いや、落ち着けウィータ・アルカヌム。冷たいってことは、ちゃんとここに存在しているということだ。空白とは性質的に全くことなる。ちゃんと、いる。
「あほアニム。現在進行形で、蒸し暑くなっている。ひとまず水晶の森に戻る、と言いたいところだが……」
無詠唱で足下に転移魔方陣を展開する。けれど、アニムが口元を押さえてしまい、即座に魔法粒子を解く。
当のアニムは、吐き気を誤魔化すようにクシャミを出した。いつもの遠慮のないクシャミはどうした。嘘だってバレバレなんだよ。
転移魔法が無理となると、鳥や白虎での移動はもっと厳しいだろう。一瞬、躊躇したがアニムの体がふらついたのを見て、すぐ手が伸びていた。
「少しの間、我慢しろ」
「へっ!? しっししょー、私、自分で、歩けるよ! っていうか、転移魔法で、ばびゅっと、帰ろうよ!」
アニムの膝裏を抱えて持ち上げると、彼女の頬にわずかに血色が戻った。ひとまず、胸を撫で下ろす。
アニム曰く、『お姫様抱っこ』というやつらしい。なんつーネーミングだとは思った覚えがある。
「うっせぇ。引き抜かれた後のマンドラゴラみたいな様子して、良く言うぜ。近くに小屋があるから本降りになる前に、そっちに行くぞ。お前は籠を落とすなよ」
「うい。私が、マンドラゴラなら、キノコは、引っこ抜かれ仲間。仲間を、しっかり守るです。落とさない」
愉快な調子で肩を竦めたアニム。相変わらず、変な返しをしやがる。つい、噴き出しそうになった。
当のアニムはぎゅっと籠を抱えて唇を尖らせているので、魔法さえ発動しなければ体調が悪化することはなさそうだ。
安堵するのと同時、彼女とオレを隔てる現実に奥歯を噛みしめてしまう。久しぶりに実感した。彼女にとって、魔法は異物であると。
「やべっ。かなり本降りになりそうだな。アニム、少し走る。しっかり寄りかかってろよ?」
「ししょー、お年寄り。無理する、ないですよ。弟子は、若いが、取り柄。いつでも、自分で、走る」
こっこの野郎!
口元が引きつり、視界も細まる。
アニムが気を遣って年寄り呼ばわりしているなんて、重々承知だ。だが、好いている女にそんな真っ直ぐな眼差しで拳を握られている状況は、かなりかわいそうだろ。やや足が止まったオレは悪くない。
はぁぁっと、長い溜息と伴に魂が抜けかけたところで、小屋が見えた。軒下に入る直前、雷が森を揺らす。当然、ばしゃりと汲み桶をひっくり返した雨に濡れてしまった。くそ。年寄り発言に動揺しなければアニムを濡らすことはなかったのにと、後悔が滲む。
「ししょー、ごめんですよ!」
「はっ? アニムが謝る理由は何もねぇだろうが」
「私が、憎まれ口、叩いた。一瞬、足が、止まって、濡れネズミ、ですもん」
どきりとした。その懐かしい表現に。
いや、それよりも、深紫色の髪と瞳を濡らしてオレだけを見上げてくる姿に、無責任な調子で鼓動が早くなっていくのが一番の原因だろう。まずい。アニムが無防備に寄りかかっている状況だ。動揺がばれてしまうのは時間の問題だ。
「あほアニム。ネズミは良くわからねぇが、濡れたのは天候のせいだろうが」
ひとまずアニムを降ろし、額を叩いてやる。そのまま小屋の扉に掌を翳すと、緑色の石がオレの魔力に反応して扉が開いた。
「ししょー、すごい! これ、指紋認証的ならぬ。魔力、認証ですか?」
横目で確認するが、これぐらいの魔力なら問題ないようだな。アニムの体調が悪化した様子はない。
「お前の世界にも似たような認証方法があるのか」
「はいです。私の世界では、顔、瞳、指紋、あたりかな」
意気揚々と答えてくれたアニムだったが、すぐにふらりとよろついてしまう。背中に腕を添えると、体を離されてしまった。両手をあげて右往左往するという愉快な調子で。
アニムは最近こんな様子だ。オレのやましい感情を無意識に感じ取っているのだろう。単純に異性に対して照れているのとは、どこか違う。一種の防衛本能なのかもしれない。
「けったいな動きが健在なら、しばらく此処で過ごしてもよさそうだな」
オレも大人しく距離をとり、暖炉に手を翳す。あらかじめ置いてある薪の保護魔法を解除し、火をおこす。たちまち火が広がっていく。
うん。さすがに部屋全体に調温魔法は無理だろうが、少し離れて魔法を発動するのも問題ないな。
「すまねぇが、この小屋に簡易ベッドはないんだ。アニムは暖炉前の絨毯に座ってろ。とにかく、暖まれ」
こちらも防護魔法を解くと、絨毯の毛先がふわりと踊る。床からの冷気を遮断する仕様だ。そもそも極上の糸で織られているので心配は無用な代物。それをホーラの我が儘で加工しておいて良かった。
アニムはまず掌で触れた後、顔を輝かせ一心に撫でだした。どうせ子猫たちを思い出しているのだろう。
「アニム。座ってからでも撫でられる。とりあえず、座れ」
苦笑して手招きすると、アニムは「はっ! さすが、ししょーです」と訳のわからない感心をした後、律義にブーツを脱いだ。
彼女の故郷は室内では靴を脱ぐらしい。水晶の森内で靴底が汚れることはないが(常に浄化されている)、土がある区域に出てからは玄関マットに自動洗浄魔法が発動するようにしたんだっけか。それでもアニムは絨毯類の上を靴で踏むのに抵抗があるようで、依頼客がいない時はこうして脱ぐのだ。彼女の性格上、最初はオレの前でも遠慮していた。何度も遠慮するなと繰り返し、しまいにはオレが同じようにしてやっと思うようにしてくれた。
「ししょー、口元、ふにゃってしてる。子猫たちの、ふわふわ、思い出してた?」
「不覚にも、お前につられていただけだ」
「私、そんなふみゃんって、してたですか?」
おい。それは、オレの顔が『ふみゃん』って崩れてたってことか? ていうか最初は『ふにゃ』程度だったよな? 気を遣ったのだろうか。いやいや、どちらにしろ嘘だろ? 鉄仮面魔法使いと呼ばれていたオレだ。さすがにソレはないだろう……いや、完全に否定する自身は皆無だ。
自分の感情制御の衰えに背中が丸まったものの、一生懸命に両頬をぐいぐいと上げているアニムを見ていたら、仕方がねぇかと思えてきたから不思議だ。
「とっともかく、ですよ! ししょー、ありがと。あったかい。子猫たちいたら、一発で、回復だけどね。残念です」
アニムの言うように、今日は子猫たちがいない。南の森の花精霊たちと夜通し探検すると言っていた。まだ遠くまではいけない存在値だが、南の森の守護精霊の加護を受けた奴らと一緒なら安全だ。あそこはオレの魔力影響が特に強い場所でもある。
管理者の守護精霊に念思を送る。返ってきたのは欠伸だったので問題はなさそうだ。あいつは過去も今も、子猫たちをすこぶる気に入っているからな。
「子猫たちを呼ぶのも可能だ――」
「いいの! だって、フィーニスとフィーネ、今日、大好きな南の森、精霊さんたちと、探検、楽しみしてた!」
オレの腿に手を乗せて身を乗り出すアニム。興奮したせいで気持ち悪さが増しているだろうに、青白い顔に乗る口の端を落として訴えてくる。
こいつは、どうして色を失せる様子でも鮮やかだと魅せてくるのだろう。
「わかった、わかった。落ち着け」
アニムの両肩を軽く叩く。それでも子猫たちに念思を送っていると疑っているのだろう。射るように訴えてくるアニム。……別の意味でやられそうだ。目を逸らすしかない。
とは言え、暖炉の熱だけではアニムの自然回復には不十分だ。ウーヌスも西砂漠の主の依頼で手伝いに出している。かなり深く潜っているので、念思を受け取るのは難しいだろう。
「よし。オレは少し離れた場所で転移魔法を使って、一度屋敷に戻る。お前はきちんと休んでいろ」
「えっ?」
「ここは絨毯と暖炉、それに基本的な日用品以外はないからな。一歩出ればアニムへの影響は減るだろうし、すぐ戻るか――」
外を指さした直後、魔法衣を強く引かれた。
振り返った先にいたのは、今にも泣き出しそうなアニムで……。瞳を潤ませて、縋るように「ししょう」と呼ばれて、固まるしかなかった。いや、固まっただけに押し止まったオレを、だれか誉めて欲しい。脳内では抱きすくめて、口づけまでして――。
「あっ、ごめんです!」
アニムの謝罪で我に返った。
まじで助かった。思考の奥では、むかつくほどに満面の笑みを浮かべているセンとホーラ、それに最低だとうざい目を向けているラスターとディーバが現れた。
「あっあのね。ししょーが、転移しなかった、私のせい、理解、してるです」
「自分のせいなんて、言うなよ。オレは、ただアニムに無理させたくないだけだ」
膝を折って、アニムと目線をあわせる。
彼女は何故か焦りながらも、より強く上着の裾を握ってきた。オレにつむじだけを見せて。
「うん。だからね、あのね。これ以上、わがまま、良くない、わかってる。でもね、あのね。――心細いの」
「心細い?」
ここも結界内で、オレの領域だ。外部からの侵入者以外に、敵意を持って襲ってくる存在はいない。ましてや、オレの一番濃い魔力が混じっているアニムに敵意を持って攻撃する奴など存在しえない。
不可解だと、眉間に皺が寄っていたのだろう。アニムの方があっと口を開いて離れた。
「大丈夫! だって、ここは、ししょーの、結界内、だもんね!」
いや、そうか。アニムの反応を見て、初めて気が付いた。
アニムはまだ魔力を感じるまでに染まっていない。一方、子猫たちは結界内にオレや始祖の魔力が行き届いているのを感じているから、恐れずに飛び回る。それは、子猫たち自身の素直で好奇心旺盛な性格もあるが、一番の要因はオレの魔力が満ちているという安心感からだろう。
「ししょー、風邪ひいたら、大変。それに、むしろ、私、待っている間に、寝ちゃうかもね」
オレの疑問を読んでしまったアニム。こいつは、いつもそうだ。受け入れるだけじゃなくて、強がる。全力で甘えてくれない。その原因はオレにあるのだ。子猫たちには全力で縋って甘やかすから。
考えあぐねた結果、立ち上がっていた。
「戻るのはやめた。ただ、ちょっと外に行ってくる」
正直、ひどい奴だと思う。我ながら。アニムに罪悪感を抱かせるには違いないのに、オレは少しでも彼女の気持ちを慮る振りをする。
大人しく頷いたアニムを置いて、外に出る。相変わらずひどい雨だ。雨音に負けない音で指を鳴らす。




