引き篭り師弟の、近づく距離と埋まらない溝
2019年5月コミティアで無配したSSを少し改稿しました。当日手に取ってくださった皆様、ありがとうございました。
時期的には「引き篭り師弟と、日常風景」が始まる直前くらいかと。
吐く息が真っ白な朝に、ふかふかのベッドから抜け出すのは一苦労だ。無意識に毛布にくるまり枕に顔を沈めてしまう。
しんしんしん。
分厚い窓硝子を越えて雪が舞う音が聞こえる。静寂の中にいると、雪が音を立てて降ると知って久しい。不思議だ。雨音と同じ位、正体不明なもやもやを溶かしてくれる。
「異世界――ここに来てから、もう、一年過ぎか」
静かなのに、やけに存在感がある音。耳どころか、頭を撫でられている錯覚に陥って欠伸が零れる。
「うぅ。今日は、雪に変る、雨だな。お布団、最強。あと十分くらい、寝てても、いいよねぇ」
水晶の森は大体が雨か雪だ。なので、どちらにしても澄み切った空気が漂っている。
薄暗い上に毛布が心地よい気温なのだから、ベッドから飛び出られる方がどうかしているとさえ思えるのだ。春眠暁を覚えずならぬ、冬はお布団が恋人。
「でも、早く、一階おりて、子猫たち、抱っこしたいから――うしっ! がんばるぞ!」
掛け布団の端を首に巻き付けたところで、もっと気持ち良い肌触りを思い出し、何とか絨毯に両足を下ろせた。ふくらはぎを撫でる冷風に、思わず肩がすくんで速攻でタイツを手に取る。
「子猫たちのが、極上ぬくぬく。極寒、負けない」
甘い香りがする、ふわふわで暖かいフィーニスとフィーネ。私から二人とベッドを共にするのは控えている。
理由は明白。二人は一年経っても生後半月ほどの大きさで成長が止まっているから。寝相が良いと胸が張れない私は、二人を潰してしまいかねない。
それでも、潜り込んできてくれるから可愛くて堪らないのだ!
「あと、別に、これは、楽しみ、違うけど。ここ半年は、ししょー、朝にキッチン、覗いてくれるなったし。私のが、遅いと、待ってるの、不満そうだし。子猫たちの、相手は、してくれているけど」
言い訳がましく呟き、さらに頬が熱くなった。理由は、どっちの師匠も嬉しいからだ。
私と子猫たち、それにウーヌスさんが賑やかにキッチンや談話室で朝食の準備をしているのも、寝坊して慌てて一階に降りた私を迎えてくれるのも、師匠は楽しそうなのだ。
ちなみに機嫌が悪い時は、『弟子』がだらしなくて怒っているのではなく、『私』がおはようと師匠を出迎えないからだと、ウーヌスさんが言ってくれた。
ただ、私も知っている。師匠が拗ねているのと同じくらい、得意げなのを。
「どっちみち、ししょー、私に、言葉で、伝えないし」
そうなのだ。どちらにしても、師匠が私に直接感情をぶつけてくることはない。師匠が一人で状況に応じて楽しんでいたり、拗ねていたりするだけなのだ。最近、思うのだ。嫌だと。
「私は、それが、いやなのになぁ。言って欲しい、思うの。どうして――」
どうして、師匠は自分の感情に私を巻き込んでくれないんだろう。負の感情をぶつけてくれないのか。
最初に比べたら、師匠は色んな表情や気持ちを見せてくれるようになった。私が歩み寄れば喜んでくれる。怒っても拗ねても、泣いても受け止めてはくれる。そう、受け止めてくれるのだ。
最初はそれがすっごく嬉しかった。異世界ですれ違いもあった師匠が、私っていう存在を受け入れてくれるようで。
「外出は、ともかく、お客さんにも、やっぱり、会うの、制限されてるし。センさんの、お話聞くには、他にも、仲いい人、いるのに。一年経つのに、紹介してもらえてない」
異世界のカレンダーを前にした私の胸に生まれたのは、捉えどころのない感情。
すっかり見慣れた数字に、この空間に不似合いのペン先を乗せる。数字の上に書かれたバッテンは掠れている。というか、ほとんどインクは出ていない。
「ししょーの、ばーか」
寒い部屋の中、白い息がふわりと生まれて消える。薄明りの自室の中、自分の恨めしそうな声だけが漂う。呼応したように暖炉の火が、ぼぉっと音を立てて消えた。どうやら、のろのろと着替えていたせいで、最後の薪が燃え尽きてしまったらしい。
ペンに蓋をかぶせ、カレンダーにクリップ部分を潜らせる。隠したりなんかしない。だって、これは師匠が私に習慣づけてきた行為だから。
「ばか、ばか。根っこは、いつも優しいくせに。この世界のこと、ちゃんと教えてくれるくせに。私たちの、関係、肝心なとこ、何も言わない。ふいに、突き放す」
私、知っているんだ。師匠が私の部屋に来る度、このカレンダーを見て複雑な表情を浮かべているのを。師匠は別に傷ついているから、変な顔になっているんじゃない。私は、人の感情に疎い方ではない。だから、わかる。
「ししょーが、これ見て、安心してるの、知ってるんだから。ばーかぁ」
壁のカレンダーを突っつく。
そう。師匠はバツがついたこのカレンダーを見て安堵しているのだ。私が元の世界に戻ることを諦めていないと。カレンダーのインクをなぞる時だってある。
そして、決まって彼はその直後口元を引き締めるのだ。ほっと息を吐いた後、唇を噛む。
最初は稀代の魔法使いと呼ばれる自分が、召喚術を失敗したのが悔しいのだと思っていた。
「そんな訳ない、のに。あの人が、自分の評価、下がるから、悔しい思うないのに。私、バカだった」
我ながら情けない。馬鹿すぎて水晶の森を全力疾走したくらいだ。
今は絶対そんなの違うと断言出来る。心無い来訪者たちが残す言葉なんて、全部否定出来る。
だって、師匠は……。
師匠は、異世界語がわからない私にあわせて、日本語を使ってくれた。私が異世界語を使い始めたら、喜んでくれていた。通じないのを面倒くさいなんて思わない人だ。純粋に自分と同じ言葉って言うのを喜んでくれたのだ。
師匠は、この世界の生活が理解出来ない私を面倒くさがらず、ゼロから教えてくれた。教え方が下手な分野も多いけれど、私自身が『出来た』と思えるまで、どこまでも付き合ってくれる。
師匠は、最初は干渉しなかったけれど、私がそれを寂しがっている状況に気が付いたら、戸惑いながらも歩みよってくれた。今は過保護師匠になってしまったよ。
師匠は、文化や意識の違いさえ、面倒じゃなくって面白いって聞いてくれて、取り入れる魔法道具を作ってくれた。
だから、私も元の世界基準で文句を言うんじゃなくって、違いが面白いって思えた。異世界を受け入れられるようになっていった。
「ししょーは、自分のことより、私を――私の周りを、思ってくれる人、だもの」
そんな師匠だからこそ、私は苦しい。理由は明白。誰でもなく私自身が中途半端だからだ。
「私は、どうしたいのかな」
呟いて、両頬を思い切り叩いていた。胸のもやもやは消えない。浅ましい自分が嫌になる。
「それでも、ししょーは、『悩め』って言う。具体的なこと、なにも聞かずに。ひどいな」
言葉とは裏腹に頬が緩んでいく。緩んで、えへっと涙腺が緩んだ。
今の生活をとても幸せだと思う気持ちも、戸惑う自分も。ここでも私は一生懸命生きていて、私を大切に想ってくれる存在がいる。一人で泣くなって。
「そんな今を、ないがしろにして、悲嘆にくれる私を、正解だなんて、元の世界の、家族も、言ったりしない」
そうだ。異世界にいたって私は私なのだ。元の世界で生きてきた十八年間があるから、異世界でもがむしゃらに頑張れる自分がいる。
「よーし! 今日も、勉強に、子猫たち甘やかしに、ししょーに、突っ込み、力いっぱいだ!」
両側の髪を緩く編み終え、両腕を天井に伸ばす。割と広い部屋に声が木霊した気がしなくもない。
そして、元気はいっぱいだが寒いものは寒い。ぶるっと犬のごとく身震いしてしまう。
早く子猫たちのぬくいお腹に顔を埋めたいものだ。両腕を摩った直後、扉前と繋がっている魔法玉が煌めいた。
「あにみゅ、おはにゃー! さみゅいのぞー! はやく、ぬくぬくしりょー!」
「あにむちゃ、おはよの、なでなでしちぇー!」
扉の向こう側から聞こえた子猫たちの甘い挨拶に、満面の笑みでスカートをひるがえす。
それにしても、いつもなら自由に飛び込んでくるのにどうしたのかな。
首を傾げた直後、小さく聞こえてきたのだ。師匠の「ちゃんと着替えてから出てこいよ」という、忠告が。
「フィーニス、フィーネ、おはよ! よーし、なでなではぐはぐしちゃうぞー! ついでに、ししょーは、こしょこしょの刑だ!」
扉を開けた私は、無事に有言実行を成し遂げたのであった。




