第42話 名前を騙る者
血の匂いが、まだ石畳に残っていた。
ドルガンの遺体には布がかけられ、町の兵士たちが夜明け亭の前を囲んでいる。
宿の窓。
向かいの家の軒下。
路地の奥。
住民たちが、遠巻きに様子をうかがっていた。
「見世物じゃないよ! さっさと下がりな!」
ハンナの怒声が飛ぶ。
額へ包帯を巻き、自分も足を引きずっているというのに。
その声は、誰よりもよく通った。
ミリアは宿の壁へ背を預け、地面へ座っていた。
左肩。
右腿。
脇腹。
頬。
身体のあちこちに包帯が巻かれている。
傍らには、血を拭われた剣。
膝の上には、小さな白い鳥。
「ぴよちゃん」
ミリアの指が、白い羽根へ触れた。
「どこへ行ってたの?」
答えられない。
レオンを殺した。
エリシアの孫だと信じていた男を。
ミリアがドルガンと戦っている間に。
自分の意思で。
「戻ってきたから、いいけど」
ミリアの指は震えていた。
傷の痛みだけではないのだろう。
ドルガンの首へ剣を突き入れた感触が、まだ両手に残っている。
「私が殺したことも、なくならないよね」
「ぴ」
一回鳴いた。
正しかったとも。
間違っていたとも言わない。
ただ。
聞いたという返事。
ミリアは小さく頷いた。
「分かってる」
自分で選んだことを。
忘れずに生きるつもりなのだろう。
俺も、忘れるつもりはなかった。
レオンの顔。
エリシアを思わせた眉の動き。
影が命へ届いた瞬間。
心の中で告げた、別れの言葉。
エリシアの血を。
自分の手で断った。
そのつもりだった。
町の中央から、鐘が鳴り続けている。
祭りを知らせる鐘ではない。
英雄の孫が殺されたことを知らせる鐘。
その音は、夜が明けきるより早く。
ラーデン中へ広がっていた。
やがて。
通りの向こうから、複数の馬の足音が聞こえた。
集まっていた者たちが道を開ける。
先頭を走ってきた男の胸には。
太陽と月を組み合わせた印があった。
ルミナス商会。
見覚えのある茶色い髪の青年が、馬から飛び降りる。
「ミリア!」
「カイルさん?」
ミリアの身体が強張った。
無意識に、膝の上にいる俺を抱き寄せる。
カイルの後ろからも、同じ印をつけた者たちが馬を降りた。
剣を帯びた護衛。
書類を抱えた商会員。
町の兵士とは異なる鎧を身につけた者もいる。
(捕らえに来たのか)
羽根が逆立つ。
ミリアが殺したのは、英雄の孫に仕える護衛。
正当防衛だったとしても。
町や国が、簡単に認めるとは限らない。
何より。
俺自身が、レオンを殺している。
「ああ、待ってくれ」
俺たちの様子を見て。
カイルはすぐに両手を上げた。
「連れていく気はない。今回は、そういう話ではない」
「なら、何をしに来たんだい」
ハンナが俺たちの前へ立つ。
カイルは布をかけられたドルガンへ目を向けた。
次に。
傷だらけのミリアを見る。
「本当に、一人であの男を倒したのか?」
「はい」
「ぴよちゃんは?」
「戦っている途中で、いなくなりました」
カイルの視線が。
ミリアの膝にいる俺へ向く。
目を逸らさずに見返した。
互いに。
相手が何を考えているのか分からない。
「そうか」
カイルはそれ以上、問い詰めなかった。
代わりに革の鞄を開き、数枚の書類を取り出す。
「英雄の孫を名乗っていたレオンについて、知らせがある」
周囲が静かになった。
兵士たちも。
ハンナも。
ミリアも。
カイルの次の言葉を待つ。
「あの男は、偽物だ」
言葉が。
朝の通りへ落ちた。
「……え?」
ミリアの声が掠れる。
「偽物?」
「ああ」
カイルが、はっきりと答える。
「レオンは、エリシアの孫ではない」
身体が震えた。
「ぴよちゃん?」
ミリアが抱き直す。
だが。
その声は、遠くから聞こえた。
(偽物)
レオンは。
エリシアの孫ではなかった。
血は、つながっていなかった。
俺は。
エリシアの血を、自分の手で断ってはいない。
その事実が胸へ届いた瞬間。
安堵より先に。
激しい怒りが噴き上がった。
「ぴっ――!」
鋭い声が漏れる。
白い翼が、ミリアの腕の中で大きく開いた。
「ぴよちゃん、痛いの?」
違う。
(偽物だった?)
あれほど悩んだ。
レオンの顔へ。
エリシアの面影を探した。
エリシアが帰っていれば、あの男を止められたのではないかと考えた。
レオンが歪んだ原因まで、自分の罪へ結びつけた。
エリシアの血を。
自分の手で終わらせるのだと覚悟した。
別れを告げて。
殺した。
だが。
すべて。
レオンが作り上げた偽りだった。
怒りが、身体の奥で膨れ上がる。
同時に。
別の疑問が生まれた。
(なぜ、ルミナス商会が知っている)
カイルは、レオンが偽物である証拠を持ってきた。
昨日や今日で集められる量ではない。
偽造された家系図。
盗まれた記録。
役人へ渡された金。
以前から調べていなければ。
これほど早く用意できるはずがない。
街道の分かれ道で。
ミリアが尋ねたとき。
カイルは言った。
『まあ……本物なんじゃないか?』
信じている者の答えではなかった。
だが。
偽物だと告げることもしなかった。
(知っていたのか)
少なくとも。
疑っていた。
(なぜ、そこまで調べた)
レオンの血筋を否定するには。
エリシアの本当の家族について知っている必要がある。
公表されていない血筋。
盗まれた記録。
偽造された家系図。
ルミナス商会は。
どこまで知っている。
(本物を知っている?)
エリシアの本当の家族が。
どこかにいる。
その場所を。
ルミナス商会だけが知っている。
(なら、なぜ隠す)
守るためか。
利用するためか。
あるいは。
本物の血筋が存在していると、都合が悪い理由があるのか。
視線をカイルへ向けた。
カイルも。
白い鳥の異様な反応へ気づいていた。
目が合う。
カイルの右手が、わずかに剣へ近づいた。
警戒している。
(何を隠している)
足元で、小さな影が揺れる。
一方。
カイルもまた。
俺を観察していた。
レオンが偽物だと聞いた途端。
白い鳥が、誰より激しく怒った。
知能の高い魔物であることは、すでに分かっている。
だが。
なぜ、英雄の血筋へここまで強く反応する。
もし。
この鳥がエリシアの血を狙う存在なら。
偽物だと知って怒った理由は。
殺した相手が、本物ではなかったからではないか。
カイルの表情から。
いつもの気の抜けた笑みが消えている。
互いの考えは。
大きくすれ違ったまま。
その場の空気だけが張り詰めた。
「ちょっと」
ミリアが、俺とカイルを交互に見る。
「二人とも、どうしたんですか?」
誰も答えない。
「レオンが偽物だった証拠は、何なんだい?」
ハンナの声が。
張り詰めた空気を断ち切った。
カイルは俺から視線を外す。
「王都の記録院から盗まれた資料が見つかった」
レオンは以前。
王都で古い記録を扱う仕事をしていた。
そこで、エリシアに関する公開資料を調べ。
一部の非公開記録を盗んだ。
古い印章を模造し。
複数の役人へ金を渡した。
「レオンの部屋から、偽造に使った道具も見つかっている。家系図に使われた紙も、記録院から盗まれたものと一致した」
「どうして、そんなに早く分かったんですか?」
ミリアが尋ねた。
「部屋を調べたからだ」
「そうではなくて」
ミリアは、カイルの持つ書類を見る。
「ルミナス商会は、前から調べていたんですよね?」
カイルが黙る。
「街道でも、変な答え方をしていました」
「変な答え方?」
「本物なんじゃないか、って」
「あれは……」
「本物だと思っている人の言い方ではありませんでした」
カイルは、困ったように頭を掻く。
「確証がなかった」
「偽物だと思っていたんですか?」
「疑ってはいた」
「どうして?」
カイルは答えなかった。
疑念が深くなる。
「今は、それ以上話せない」
「どうしてですか?」
「俺一人が、話していいことではないからだ」
誰かの秘密を守っている。
その誰かは。
エリシアの血筋に関わっている。
そう確信した。
カイルが町の兵士と話すため。
俺たちへ背を向ける。
その足元へ。
白い羽根を一枚落とした。
羽根から細い影を伸ばし。
カイルの外套の内側へ張りつかせる。
誰も気づかなかった。




