↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女神の従魔  作者: 梅椿 六花
第五章 英雄の孫
PR
41/44

第41話 英雄の元従魔

 馬車のそばにいた男が。

 ドルガンの死体を見た。


「ドルガン様……」


 声が震える。

 その隙に。

 ハンナが縛られた両脚を持ち上げ、男の膝裏へ叩きつけた。


「余所見するんじゃないよ!」


 男が転ぶ。

 短剣が、再び地面へ落ちた。

 ハンナは身体を転がし、先に短剣を拾う。


「来るなら来な!」


 男は。

 血に濡れたミリアを見る。

 動かないドルガンを見る。

 周囲の家々には明かりがつき始めている。

 戦いの音を聞き、人々が窓を開けていた。

 男は戦わなかった。

 馬車を捨て。

 路地の奥へ走り去る。


「逃げ足だけは速いね」


 ハンナは吐き捨てた。

 自分で足の縄を切り、ふらつきながらミリアへ近づく。


「怪我を見せな」

 ミリアは、ドルガンから目を離せなかった。


「私が殺しました」

「見てたよ」


「刺しました」

「ああ」


「死ぬところを」

「ああ」


 ハンナは否定しない。

 ミリアの左肩へ布を押し当てた。

 強い痛みに、ミリアの顔が歪む。


「ほかに方法があったかもしれません」

「あったかもしれないね」


「でも、私は……」

「忘れろとは言わない」

 ハンナは布を強く縛った。


「正しかったとも言わない」

 次に、右腿の傷を確認する。


「自分で選んだなら、自分で覚えておきな」

 ミリアの目から、涙が一筋落ちた。


「はい」

「それから、生きな」

 ハンナの声は厳しい。


「死んで責任を取ったつもりになるのが、一番楽だからね」

「はい」


 もう一度。

 ミリアは答えた。

 屋根を見る。

 路地。

 宿の窓。

 白い鳥の姿を探す。


「ぴよちゃん……」


 小さく呼ぶ。

 返事はなかった。

     ◇

「お前は、自分が何者か分かっていない」


 レオンが俺を見下ろしている。

 影は、すでに男の胸へ届いていた。


「俺と並ぶことで、お前は伝説になれる」


 伝説になる。

 俺が居たい場所は、ここではない。

 英雄の孫の肩でも。

 歓声の中心でもない。

 傷だらけになりながら。

 それでも、自分の選択を守ろうとしている少女のもとだ。

 レオンを残せば。

 また同じことをする。

 次の町で。

 別の名前を奪う。

 断った者を脅す。

 周囲の者を人質にする。

 すでに。

 レオンを憎み、短剣を握っている者もいた。

 誰かが、いつかこの男を殺そうとする。

 失敗すれば、その者が死ぬ。

 成功しても。

 英雄の孫を殺した罪を背負う。


(それを、他人にさせるのか)


 俺には。

 レオンを裁く権利などない。

 エリシアの選択を奪った自分に。

 彼女の孫を裁く資格があるとは思えない。

 だからこそ。

 誰かへ押しつけることもできなかった。

 エリシアが帰れなかったこと。

 家族のそばにいなかったこと。

 レオンが、英雄の名を人を支配するために使うようになったこと。

 そのすべてが。

 本当に俺へつながっているのかは分からない。

 それでも。

 少しでも。

 自分が原因なのだとしたら。


(俺が、けじめをつける)


 最後の夕暮れを思い出す。

 森の小屋の前。

 空が赤く染まっていた。

 エリシアは片腕になっていた。

 以前より、身体も弱っていた。

 それでも。

 隣へ座る俺を見て、静かに笑った。


『明日は、何をしようか』


 明日。

 その言葉が。

 まだ二人の間にあった頃。

 何も起きない日を。

 何度も一緒に過ごした。

 焦げた料理。

 雨音。

 木の実を入れた籠。

 窓から差し込む朝の光。

 くだらないことで、少しだけ眉を寄せる顔。

 戦いではない。

 英雄でもない。

 ただ。

 エリシアといた時間。


(楽しかった)


 俺は間違えた。

 エリシアを傷つけた。

 それでも。

 あの時間まで嘘だったわけではない。


「いつまで黙っている」


 レオンが机を叩いた。

 杯が倒れる。

 赤い酒が名簿の上へ広がり。

 線を引かれた名前を滲ませた。


「俺の命令が聞けないのか」


 動かない。


「お前が従うべき相手は、あの小娘ではない」


 レオンは胸へ手を当てた。

 誇るように。

 名乗る。


「俺は英雄エリシアの孫だぞ」


(―そうだな。)


 白い羽根が、一枚落ちた。


(だから、俺がやらないと―)


 床へ触れる前に。


(なぜなら俺は――)


 黒へ変わる。


(俺は――)


 小さな身体を覆っていた白が、音もなく崩れた。

 翼が広がる。

 爪が伸びる。

 影が壁を駆け上がり。

 天井を覆う。


(英雄の…元従魔だから)


 レオンの笑みが消えた。

 目が見開かれる。

 黒い翼。

 黒い影。

 英雄の傍らにいた存在。

 伝説の本物を。

 レオンが理解する。

 その顔へ。

 一瞬だけ。

 エリシアの面影が重なった。

 笑う直前。

 片方の眉を、わずかに上げた彼女。


(さよなら、エリシア)


 影が走った。

 レオンは。

 何かを言うこともできなかった。

 悲鳴も。

 命乞いも。

 次の命令もない。

 命だけが。

 一瞬で消えた。

 身体が床へ崩れ落ちる。

 倒れた杯が、絨毯の上を転がった。

 部屋へ響いたのは。

 その小さな音だけだった。

     ◇

 倒れたレオンを見下ろす。

 動かない。

 エリシアの孫を。

 自分の手で殺した。

 胸に、大きな穴が開いたようだった。

 後悔。

 悲しみ。

 安堵。

 罪悪感。

 どれか一つではない。

 言葉にできないものが、混ざり合っている。

 机の上には、酒に濡れた名簿が残されていた。

 元の名前。

 消された名前。

 レオンが与えた役割。

 俺は影を伸ばし、名簿を床へ落とした。

 隠さない。

 燃やさない。

 この男がしてきたことを。

 誰かが知るために。

 廊下から、慌ただしい足音が近づいている。

 俺は窓へ向かった。

 本来の黒い翼を広げる。

 朝の光が、羽根の縁へ触れた。

 森の小屋の窓辺。

 外へ飛び立つ俺へ。

 エリシアが言ったことがある。


『気をつけて』


 帰ってくることを、疑っていない声だった。

 黒い身体を、再び白が覆う。

 翼が小さくなる。

 爪が縮む。

 英雄の黒い鳥は消え。

 白い小鳥だけが残った。

 俺は窓から飛び立った。

     ◇

 宿の前には、人が集まり始めていた。

 倒れたドルガン。

 血に濡れた石畳。

 傷ついたミリア。

 ハンナは、集まってくる者たちへ怒鳴っている。


「見世物じゃないよ! 医者を呼びな!」


 ミリアは宿の壁へ背を預けていた。

 左肩。

 右腿。

 脇腹。

 頬。

 全身に傷がある。

 顔色も悪い。

 それでも。

 生きている。

 俺は近くの屋根へ降りた。


(生きている)


 勝てると判断した。

 ミリアなら。

 自分でドルガンを倒せると分かっていた。

 それでも。

 実際に生きている姿を見るまで。

 翼の奥へ、力が入り続けていた。


「ぴよちゃん」


 ミリアが気づいた。

 顔が歪む。

 泣きそうに。

 怒りそうに。

 安心したように。

 いくつもの感情が重なっていた。

 屋根から飛び下りる。


「どこに行ってたの」


 答えられない。

 言葉を話せないからではない。

 たとえ話せたとしても。

 今は。

 レオンを殺したことを告げられなかった。


「戻ってきたの?」

「ぴ」


 一回鳴く。

 ミリアが手を伸ばす。

 指先が震えていた。

 俺は、自分からその手へ頭を寄せた。


「私」

 ミリアの声が掠れる。


「ドルガンさんを殺した」

 俺は一回鳴いた。


 肯定ではない。

 否定でもない。

 聞いたという返事。


「止めるには、それしかないと思った」

 もう一度、一回鳴く。


「でも」

 ミリアは、血の広がった石畳を見る。


「本当にそうだったのか、分からない」


 俺にも同じ問いがある。

 レオンを殺す以外に。

 本当に方法はなかったのか。

 捕らえる。

 証拠を集める。

 国へ訴える。

 力だけを奪う。

 別の道が、存在したのかもしれない。

 それでも。

 俺は殺した。

 ミリアも殺した。

 二人とも。

 自分で選んだ。

 俺はミリアの手の中へ、身体を寄せた。

 答えは与えない。

 正しかったとも言わない。

 ただ。

 離れなかった。


「ぴよちゃん」

 ミリアが白い羽根を撫でる。


「戻ってきてくれて、よかった」

「ぴ」


 今度は。

 迷わなかった。

 遠く。

 町の中央から鐘が鳴る。

 一度。

 二度。

 祭りの鐘ではない。

 異変を知らせる音。

 迎賓館の方角から、人々の叫びが広がってきた。


「レオン様が!」

「誰か、兵を呼べ!」


「レオン様が殺された!」

 町の空気が、一瞬で変わった。


 集まった者たちがざわめく。

 ハンナが、迎賓館の方向を睨んだ。

 ミリアは驚いたように顔を上げる。


「レオンさんが……?」


 俺は答えなかった。

 ミリアは。

 何が起きたのか分からないまま。

 白い小鳥を胸元へ抱いた。


「ここにいて」

「ぴ」


 英雄の元従魔ではなく。

 今は。

 ぴよちゃんとして。

 俺は、ミリアの手の中にいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。