表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女神の従魔  作者: 梅椿 六花
第五章 英雄の孫
PR
36/44

第36話 抵抗を選ぶ

 階下で扉が閉まった後。

 宿の中から、すべての音が消えた。

 広場から流れてくる音楽。

 酔った者たちの笑い声。

 遠くで鳴る鐘。

 それらに紛れ、宿の裏手で馬車の車輪が一度だけ軋んだ。


(誰かいる)


 俺は窓辺で羽を立てた。

 路地は暗い。

 先ほどまで宿を見張っていたドルガンの姿は消えている。

 裏手にも、人影は見えなかった。

 寝台を振り返る。

 ミリアは眠っている。

 枕元には剣。

 胸は穏やかに上下していた。


(下を確かめるだけだ)


 窓辺から床へ下りる。

 扉の下へ影を差し込み、外側の閂を持ち上げた。

 廊下へ出る。

 誰もいない。

 階段を下りる。

 一階の食堂には、まだ灯りが残っていた。

 洗い終えた皿。

 途中まで拭かれた杯。

 ハンナが座っていたはずの椅子だけが、斜めに倒れている。


(ハンナ)


 受付へ飛び移る。

 宿帳は開かれたまま。

 鍵の束もある。

 金庫も荒らされていない。

 強盗ではない。

 床に、小さな黒い染みがあった。

 血だ。

 量は少ない。

 だが、争った跡であることには違いなかった。

 厨房を抜け、裏口へ向かう。

 扉は閉じられている。

 閂だけが、外されていた。

 外へ出ると、雨で湿った土に足跡が残っていた。

 大きな男のもの。

 その周囲に二人。

 さらに。

 何かを引きずった跡。


(連れていかれた)


 足跡は、北へ続いている。

 追うことはできる。

 空から探せば、短い時間で馬車を見つけられるかもしれない。

 だが。

 二階にはミリアがいる。

 ハンナを連れ去ったのが、俺を宿から離すためだとしたら。

 追った瞬間、別の者がミリアへ近づくかもしれない。


(離れられない)


 翼を広げかけ、止める。

 ここに残れば、ハンナが傷つけられる。

 追えば、ミリアが危険に晒される。

 どちらを選んでも、もう一方を守れない。


(まただ)


 誰かを守ろうとするたび。

 俺は一人ですべてを決めようとする。

 だが、今は違う。

 俺は宿の中へ戻った。


(まず、ミリアを起こす)


 何が起きているのかを伝える。

 そのうえで、二人で考える。

     ◇

「痛い……」

 頬をつついても、ミリアの反応は鈍かった。


「ぴよちゃん……?」

「ぴ、ぴ、ぴ!」


 三回。

 ミリアの目が開いた。

 身体を起こし、すぐ枕元の剣へ手を伸ばす。


「危ないの?」

「ぴ」


「どこ?」


 扉を示す。

 次に床。

 最後に、宿の裏手へ向けて嘴を動かす。


「下?」

「ぴ」


「ハンナさん?」

「ぴ」

 ミリアの顔から眠気が消えた。


     ◇

 二人で一階へ下りたとき。

 厨房の奥から、小さな物音がした。

 ミリアが剣を抜く。

 俺も床へ影を落とした。


「誰?」


 返事はない。

 厨房へ続く扉が、わずかに開く。

 隙間から、小さな顔が覗いた。

 十歳ほどの少年。

 昨日、宿の馬小屋で働いていた子供だ。


「剣を向けないで」


 震えた声だった。

 ミリアはすぐに剣先を下げた。


「ごめん。怪我は?」


 少年は首を横へ振る。

 服には藁がついていた。

 馬小屋へ隠れていたらしい。


「ハンナさんは?」

「連れていかれた」


「誰に?」

「黒い服の人たち」

 レオンの一行だ。


「見たの?」

「裏口から、怪我人がいるって呼ばれたんだ」


 路地で旅人が倒れている。

 助けてほしい。

 そう言われ、ハンナは裏口を出た。

 その直後。

 待っていた男たちに囲まれた。


「ハンナさん、逃げろって言った」

「君に?」

 少年が頷く。


「一人を殴った。でも、大きな人が来て……」

 少年は両腕を広げ、大きな身体を示した。


「背中に、大きな剣があった」

(ドルガン)

 間違いない。


「どこへ連れていかれたか分かる?」

「北の方。倉庫があるところ」


「僕、町の兵士を呼んでくる」

 少年が外へ出ようとする。

 ミリアは、その腕をつかんだ。


「待って」

「どうして?」


「相手は、英雄の孫の人たちだよ」


 兵士が、どちらを信じるか分からない。

 ハンナは自分の意思で同行した。

 そう言われれば、それで終わる可能性がある。


「でも、ハンナさんが」

「分かってる」


 ミリアの指へ力が入る。

 顔には迷いがあった。

 それでも。


「助ける」

 はっきりと言った。


「君は、ここに隠れていて」

「僕も行く」


「駄目」

「ハンナさんは、僕の――」


「だから、ここにいて」

 ミリアは少年の目を見た。


「何か起きたとき、町の人へ伝える人が必要だから」

 少年は唇を噛んだ。


「名前は?」

「ニル」


「ニル。私たちが戻らなかったら、朝になってから人を呼んで」

「でも」


「今、外へ出たら見つかるかもしれない」


 しばらく迷った後。

 ニルは小さく頷いた。


「ハンナさんをお願い」

「うん」


 ミリアが剣を鞘へ戻す。

 荷物を取りに二階へ向かおうとした、そのとき。

 表の扉が叩かれた。

 一度。

 二度。

 大きな音ではない。

 宿の客を起こさないよう、抑えた叩き方。

 だが。

 外から伝わる圧力だけで、誰なのか分かった。


「開けろ」


 低い声。

 ドルガンだった。

     ◇

 ミリアは扉へ近づかなかった。

 俺は床へ下り、扉の隙間から影を外へ伸ばした。

 正面にはドルガン。

 通りの角に、黒い服の男が二人。

 さらに離れた場所には、一台の馬車。

 中に人の気配がある。


(ハンナか)

 馬車の方向を嘴で示し、一度鳴く。


「ハンナさんが外にいる?」

「ぴ」


 ミリアの表情が固くなる。

 ドルガンが、もう一度扉を叩いた。


「レオン様からの使いだ」

「昨日、断りました」

 ミリアは扉越しに答える。


「答えを変える時間を与えた」

「変わりません」


「ならば、宿の女主人が困ることになる」

「もう困らせてるじゃないですか」


 返事はなかった。

 ミリアが閂へ手をかける。


「ぴ、ぴ」

「ハンナさんを確認する」


(危険だ)

「分かってる」

 小声で答える。


「でも、話さないと何も分からない」

 扉をわずかに開く。


 鎖は外さない。

 隙間の向こうに、ドルガンの顔が見えた。


「ハンナさんは?」

「生きている」


「返してください」

「お前が同行すればな」


「ぴよちゃんも?」

「鳥は必ず連れてこい」


「それが、レオンさんの命令ですか?」

 ドルガンは懐から折り畳んだ紙を出した。

 扉の隙間から差し入れる。


「読め」

 ミリアは紙を受け取った。


 俺も肩へ移り、文字を見る。

 レオンの紋章。

 署名。

 そして、短い命令。


『白い鳥を傷つけず確保せよ。

 少女は同行を承諾させること。

 抵抗が続く場合は処分を許可する。

 宿主には、英雄の一行へ逆らう代償を理解させよ』


「処分って」

 ミリアの声が低くなる。


「私を殺してもいいということですか?」

「抵抗を続けた場合だ」


「私は、断っただけです」

「レオン様の厚意を拒んだ」


「だから、殺していいんですか?」

「選択肢は与えられている」


 同行する。

 名前を変える。

 俺を渡す。

 それを選べば、殺されない。

 ドルガンは本気で、それを選択肢だと思っているらしい。


「ハンナさんには、何をするつもりですか?」

「お前が従えば解放する」


「従わなかったら?」

「命令に書かれているとおりだ」


 代償を理解させる。

 その意味を、尋ねる必要はなかった。


「昨日」

 ミリアは紙を握り締める。


「レオンさんは、私を助けると言いました」

「そのとおりだ」


「断ったら殺すことが?」

「お前が、自分の価値を理解していないからだ」

 ドルガンの声には迷いがない。


「レオン様は、正しく使ってくださる」

「私も、ぴよちゃんも、物ではありません」


「役割を与えられることは名誉だ」

「いりません」


 即答だった。

 ドルガンの目が細くなる。


「町へ戻れば」

 ミリアは続けた。


「私たちが襲われたことを話します」

「誰が信じる」


「この命令書があります」

「それは返してもらう」


「返しません」

 ミリアは扉を閉めた。


 そして、鎖へ手をかける。

 俺は顔を見上げた。


(何をする)

「裏口から逃げれば、ハンナさんが傷つけられる」

 声は震えていた。


「一緒に行けば、私たちが捕まる」

(ああ)


「兵士に見せても、信じてもらえないかもしれない」

 レオンは英雄の孫として認められている。


 その一行へ逆らった者として。

 俺たちの方が追われる可能性もある。


「でも」

 ミリアは命令書を見た。

「これを持って逃げるだけなら」


 若い剣士。

 歌のうまい娘。

 珍しい魔物を連れた旅人。

 次の誰かが、また同じことをされる。


「名前を変えられて」

「仕事を決められて」

「断ったら、周りの人を傷つけられる」

 ミリアが顔を上げる。


「それは、駄目だよ」


 俺に答えを求めたのではなかった。

 自分の気持ちを確かめる言葉だった。


「レオンさんを、いきなり殺すことはできない」


 町の者を助けている。

 慕っている者も大勢いる。

 悪事を知ったからといって、すぐ命を奪ってよいとはミリアには思えない。


「でも、抵抗はできる」

 命令書を服の内側へ入れた。


「ハンナさんを助ける」

「ぴよちゃんを渡さない」

「私の名前も変えさせない」


 扉の向こうで鎧が鳴った。

 ドルガンが待つのをやめたらしい。


「その後のことは」


 ミリアは剣を抜いた。


「その後に考える」


 正しいかどうか。

 何が起きるか。

 今は分からない。

 それでも。

 ミリアが自分で選んだ。


「ぴ」

「うん」


 ミリアは鎖を外した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ