第31話 好奇心の来訪者
俺がいなくなった後。
ミリアは、一人で町へ出た。
宿から遠くへ行かず、商会支店の周辺だけを見るつもりだったらしい。
だが、正面へ出たところで、見慣れない馬車が停まっていた。
黒に近い深緑色。
飾りは少ない。
それでも、木材も金具も明らかに上質だった。
扉には、ルミナス商会の紋章が細かく刻まれている。
ちょうど支店からカイルが出てきた。
馬車を見る。
足が止まった。
「……どうして」
「カイルさん?」
「この馬車……」
答えるより先に、商会の中から一人の少女が出てきた。
ミリアと同じくらいの年齢。
淡い金色の髪。
白い上着と、深い青色の外套。
旅装ではある。
だが、生地も仕立ても明らかに上等だった。
胸元には、銀の縁取りが施された商会章がある。
「カイル」
少女が明るい声で呼ぶ。
「遅かったね」
「遅かったね、ではありません」
カイルが帳簿を抱え直す。
「どうして、ここにいるんですか」
「来たかったから」
「その理由で、勝手に本部を離れないでください」
「勝手じゃないよ」
「許可を取ったんですか?」
「書き置きをした」
「それを勝手と言うんです!」
いつも落ち着いているカイルが、明らかに困っていた。
「護衛は?」
「いないよ」
「なぜですか!」
「いたら遅くなるから」
「安全のためにいるんです!」
「御者はいるよ」
「御者は護衛ではありません!」
カイルが額を押さえる。
「セレナ様は知っているんですか?」
「書き置きを読めば」
「今頃、捜していますよ」
「それなら、ここにいると知らせておいて」
「俺が怒られるじゃないですか」
「来たのは私だから、カイルは悪くないよ」
「それで納得していただけると思いますか?」
「思わない」
「分かっているなら帰ってください!」
少女は、カイルが困っていることまで楽しんでいるようだった。
その視線が、ミリアへ向く。
「あ」
淡い色の目が輝いた。
「いた」
「……私?」
少女は迷いなく近づいた。
「こんにちは」
「こんにちは」
「あなたがミリア?」
「はい」
「剣を持って、白い鳥と旅をしてる子」
ミリアは、自分の肩を見る。
今、アッシュはいない。
「どうして知ってるんですか?」
「話を聞いたから」
「誰から?」
「宿にいた商人と、商会の人」
少女は悪びれずに答えた。
「一回鳴けば肯定。二回なら否定。三回なら危険を知らせる鳥なんでしょう?」
「そこまで広がってるんですか?」
「珍しい話は、すぐ広がるよ」
少女はミリアの周囲を見回した。
「鳥はいないの?」
「少し出かけてます」
「一羽で?」
「明日の道を見に行ったんだと思います」
「鳥が?」
目がさらに輝く。
「本当に賢いんだ」
疑う目ではなかった。
ただ、面白いものを見つけた子供の目だった。
「どれくらいで戻る?」
「鐘が鳴る頃には」
「なら、待てるね」
「待つんですか?」
「会ってみたいから」
「ただの白い鳥ですよ」
「会話できる鳥は、ただの鳥じゃないよ」
「鳴いているだけです」
「でも意味があるんでしょう?」
「あります」
「好きな食べ物も聞ける?」
「たぶん」
「空を飛ぶのは楽しいかも?」
「一回と二回では難しいです」
「十回くらい鳴いてもらえば分かるかな」
「余計に分からなくなると思います」
少女は本気で残念そうな顔をした。
次の瞬間には、別の質問をする。
「触ってもいい?」
「本人に聞かないと」
「夜はどこで寝るの?」
「窓辺が多いです」
「寝台は?」
「潰されるから嫌みたいです」
「名前は最初から?」
「私がつけました」
「どうして?」
「最初に、ぴって鳴いたから」
「嫌がらなかった?」
「二回鳴いてました」
「嫌がってるよ」
「でも、他に思いつかなくて」
「今から変えないの?」
「もう、ぴよちゃんなので」
「本人が変えてほしいと言ったら?」
「……考えます」
「すぐ変えるわけじゃないんだ」
少女が楽しそうに笑った。
「会いたい」
そこへカイルが近づく。
「フィナ」
「何?」
「その前に説明してください」
「何を?」
「なぜ、ここまで来たんですか」
「今言ったでしょ?」
フィナと呼ばれた少女は、ミリアを指した。
「面白そうな旅人がいるって聞いたから」
「それだけで?」
「賢い鳥もいる」
「同じ理由です」
「剣を持って旅を始めた女の子もいる」
「ほとんど同じです」
「カイルもいる」
「俺は最後ですか」
「カイルには何度も会ってるから」
カイルが深く息を吐いた。
「ミリア。こちらはフィナです」
「フィナ……さん?」
「フィナでいいよ」
「でも」
「同じくらいの年でしょう?」
「たぶん」
「なら決まり」
すでに結論が出たように、フィナが手を差し出す。
「よろしく、ミリア」
「……よろしくお願いします」
ミリアも手を握った。
敵意はない。
悪意もない。
ただ、初対面とは思えないほど距離が近い。
「カイルさん」
ミリアが声を落とす。
「フィナは、商会の偉い人なんですか?」
「偉くないよ」
本人に聞こえていた。
「でも、カイルさんが敬語を使ってます」
「カイルは真面目だから」
「誰にでも使っているわけではないですよね」
「ミリア、よく見てるね」
褒められた。
だが、答えにはなっていない。
「商会と深い関係のある家の方です」
カイルが代わりに答えた。
「カイル」
「これくらいは説明しないと、ミリアが困るでしょう」
「私はフィナでいいのに」
「あなたがよくても、周りが困ります」
商会の職員たちは、フィナの姿を見つけるたび姿勢を正していた。
特別な立場なのは間違いない。
「ぴよちゃんが戻るまで、待ってもいい?」
「私は町を見ようと思っていたんですが」
「一緒に行ってもいい?」
カイルの顔が、さらに疲れたものへ変わる。
「できれば、商会の中でお願いします」
「どうして?」
「今、外へ連れ出したら、俺まで共犯にされます」
「なら、中で話そう」
フィナは迷わず商会を指した。
「お茶もあるよ」
◇
商会二階の応接室。
丸い机。
四つの椅子。
壁には各地の地図が掛けられていた。
職員が茶と菓子を運び、フィナへ頭を下げて出ていく。
「ぴよちゃんは、熱いものをすぐ食べる?」
フィナは席へ着くなり尋ねた。
「どうして分かるんですか?」
「鳥は、嘴で温度が分かりにくそうだから」
「昨日、熱いお肉をすぐ食べました」
「やっぱり」
「頭を振ってました」
「かわいい」
「かわいいと言われると、二回鳴きます」
「否定するの?」
フィナが楽しそうに笑う。
質問は多かった。
だが、ミリアが答えに迷うと、すぐに別の話題へ移った。
「嫌がることを、無理に聞くのはよくないから」
「鳥が好きなんですか?」
「好き」
「飼わないんですか?」
「籠へ入れるのがかわいそうだから」
「外で飼えば?」
「帰ってこないかもしれない」
「でも、自由です」
「うん」
フィナは少し考えた。
「自由にして、それでも戻ってきてくれたら、一番うれしいね」
ミリアは窓を見た。
ぴよちゃんは、町の外へ飛んでいる。
戻ると約束して。
「私も、そう思います」
フィナの質問は、さらにミリア自身へ移った。
「どうして剣を持ってるの?」
「強くなりたいからです」
「何に勝ちたいの?」
「誰かに勝つためではなくて」
ミリアは言葉を探した。
「自分で選べるようになりたいんです」
「選ぶ?」
「戦うか。逃げるか。誰かを助けるか。人へ頼るか」
何もできなければ。
選ぶ前に結果が決まってしまう。
「強くなれば、全部できる?」
「分かりません」
「なら、強くなってから考えるの?」
「考えながら強くなります」
「難しそう」
「難しいです」
ミリアは正直に答えた。
「何度も間違えています」
「どんな間違い?」
指が茶器の縁で止まる。
「……話したくないなら、いいよ」
フィナはすぐに引いた。
「ごめんね」
「謝らなくて大丈夫です」
ミリアは少し考えた後。
「助けられなかった人がいます」
それだけを伝えた。
「そっか」
フィナは、かわいそうとは言わなかった。
「それで、もう助けないことにした?」
「違います」
「次は絶対助ける?」
「それも言えません」
「どうして?」
「できるか分からない約束は、もうしたくないから」
「なら、次はどうするの?」
「ちゃんと考えます」
一人で決めず。
ぴよちゃんと意見を交わし。
ほかの者にも頼る。
「それでも間違えるかもしれません」
「うん」
「でも、間違えたままにはしたくない」
フィナが少し笑った。
「いいと思う」
「本当に?」
「最初から間違えない人はいないから」
「フィナも間違えますか?」
「たくさん」
「例えば?」
「今日、護衛を置いてきたこと」
「間違いだと思ってるんですか?」
「カイルはそう思ってる」
「フィナは?」
「早く来られたから、よかったと思ってる」
「反省してないです」
「次は、もっと見つからないように出る」
「悪くなってます」
「冗談だよ」
「本当ですか?」
「半分くらい」
「半分は本気なんですか?」
フィナが楽しそうに笑う。
悪い人ではない。
話しやすい。
ミリアの言葉も、途中で遮らずに聞く。
だが、考え方が自由すぎる。
「旅は楽しい?」
「怖いこともあります」
「楽しいことは?」
「初めての町へ行くこと。おいしいものを食べること」
ミリアも少し笑った。
「人間と魔族が一緒に働いているところを見ること」
「それから?」
「ぴよちゃんと話すこと」
「一回と二回だけでも?」
「一人で考えるより、いいです」
互いに、伝え方を間違える。
正しい答えが返るとも限らない。
それでも。
一人ですべてを決めるよりよい。
「仲がいいんだね」
「喧嘩もします」
「鳥と?」
「ぴよちゃんが勝手に決めようとするので」
「ミリアもする?」
「私も、たぶん」
「お互いさまだ」
「でも、約束したんです」
危険だと思えば止める。
一人ですべてを決めようとしたら、相手が止める。
「止められた後は?」
「一緒に考えます」
「最後に決めるのは?」
「私のことなら、私です」
「ぴよちゃんのことなら?」
「ぴよちゃん」
フィナが嬉しそうに目を細めた。
「いい関係だね」
「まだ、うまくできません」
「できなかったことを、次に変えられれば十分だよ」
ミリアは、その言葉を聞いて、少しだけ肩の力を抜いた。
「フィナは、どうして私に会いたかったんですか?」
「面白そうだったから」
「それだけ?」
「それだけ」
迷いのない答えだった。
「剣を持って旅を始めた女の子」
「言葉が分かる白い鳥」
「一回、二回、三回で会話する」
フィナが指を折る。
「聞いたら、自分の目で見たくなるでしょう?」
「本部から勝手に来るほどですか?」
「私は思った」
「カイルさんが困ってました」
「カイルは、いつも少し困ってるから大丈夫」
「原因はフィナでは?」
「半分くらいは、そうかも」
フィナはまったく悪びれなかった。
それからも、二人は話を続けた。
旅の途中で見た町。
剣の練習。
人間と魔族が、同じ荷物を運んでいたこと。
やがて話題は、旅を続けるための仕事へ移った。
「路銀が、あまり残っていないんです」
「仕事を探すの?」
「はい。でも、剣を使う仕事は、まだ危ないと思います」
「ほかには何ができる?」
「畑仕事と、動物の世話と、家事なら少し。簡単な裁縫もできます」
「それなら――」
フィナは顎へ指を当てた。
ほんの少し考えた後、いつもと変わらない穏やかな声で、一つの方法を口にした。
ミリアは動かなかった。
聞き間違えたのだと思った。
一度、フィナの顔を見る。
次に、閉じられた部屋の扉。
扉の向こうには、ルミナス商会の職員がいる。
最後に、フィナの胸元へ留められた銀縁の商会章へ視線を落とした。
「……それは」
声がうまく出なかった。
握っていた茶器を、ゆっくりと机へ戻す。
「本気で言っていますか?」
「どうして?」
フィナは首を傾げた。
冗談を言った者の顔には見えなかった。
「どうして、と言われても……」
ミリアは椅子の背へわずかに身体を寄せた。
腰の剣へ手を伸ばすほどではない。
だが、すぐに立てるよう、両足を床へ揃える。
「少なくとも、初めて会った人へ勧めることではないと思います」
「そうかな」
「そうです」
フィナは黙ってミリアを見つめた。
廊下を誰かが歩いていく。
扉の前で足音が一瞬止まり、また遠ざかった。
「フィナは……」
ミリアは声を抑える。
「私が断ったら、どうするつもりですか?」
「何もしないよ」
「本当に?」
「…今はね」
答えは迷いなく返ってきた。
それがミリアを不安にさせた。
フィナはしばらくして、ようやく口元を緩めた。
「冗談だよ」
「…………」
「驚いた?」
「少し」
ミリアは答えた。
だが、椅子を引いた分は戻さなかった。
「冗談に聞こえませんでした」
「そう?」
「途中まで、本当にそうさせるつもりなのかと思いました」
フィナは楽しそうに笑った。
「ミリアは、面白い顔をするね」
「フィナの言い方が怖いんです」
「次は、もう少し分かりやすくするよ」
「次も言うつもりなんですか?」
「思いついたら」
「思いついても、口にする前に一度考えてください」
フィナは少し考えた。
「努力する」
「約束ではないんですね」
「できない約束は、しない方がいいんでしょう?」
先ほどミリアが口にした言葉を、そのまま返す。
ミリアは反論しかけ、諦めたように息を吐いた。
「……普通に仕事を探します」
「その方がいいと思う」
「最初から、そう言ってください」
フィナは何事もなかったように、菓子の皿をミリアの方へ寄せた。
「これ、おいしいよ」
「話を変えましたね」
「甘いものは嫌い?」
「好きですけど」
「なら、問題ないね」
「問題は残っています」
そう言いながらも、ミリアは菓子を一つ取った。
フィナは満足そうに笑った。
その笑顔だけを見れば、先ほどの言葉など最初から存在しなかったようだった。
「だからって、さっきの話は忘れませんからね」
「次は、もっと考えるよ」
「次も変なことを言いそうです」
「そのときは止めて」
「カイルさんみたいに?」
「ミリアまでカイルと同じことを言う」
フィナは少しだけ頬を膨らませた。
その表情は、初対面のときより年相応に見えた。
「ぴよちゃんが戻ったら、何を聞こうかな」
「質問しすぎると二回鳴かれますよ」
「なら、一番聞きたいことだけにする」
「何ですか?」
フィナは少し考えた。
「ミリアと一緒にいて、楽しいかどうか」
「それは一回と二回で答えられますね」
「二回だったら?」
「……少し落ち込みます」
「なら、聞かない方がいいかな」
「聞いてください。私も知りたいので」
フィナが笑う。
「やっぱり、二人は仲がいいね」
二人の話は、日が傾くまで続いた。
◇
フィナは、ぴよちゃんが戻る前に商会を出た。
カイルが半ば強引に臨時の護衛を二人つけたらしい。
「今度は、白い鳥がいるときに来るね」
「また勝手に来ないでください」
「今度は許可を取る」
「絶対ですよ」
「努力する」
「約束してください!」
深緑の馬車が走り出す。
カイルは、最後まで疲れた顔で見送っていた。




