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女神の従魔  作者: 梅椿 六花
第四章 二人の旅
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第30話 人を信じるということ

 昼食は、丘の陰で取った。

 俺が干した果物を食べていると、隣へいた魔族の御者が声をかけてきた。

 人間なら五十歳ほどだろう。

 額から後方へ伸びた角の片方に、大きな傷がある。


「その鳥は、果物を食うのか」

「お肉も食べます」


「何でも食うな」

(失礼な)


「名前は?」

「ぴよちゃんです」

 御者の眉間へ深いしわが寄る。


「……強そうな名前ではないな」

(よく分かっている)

「かわいい名前です」


「本人は気に入っているのか?」

「ぴ、ぴ」

 低い笑い声が漏れた。


「嫌らしいぞ」

「もう慣れてます」

(慣れたことと気に入ったことは違う)


「俺はガルドだ」

 ガルドは自分の干し肉を裂き、俺へ差し出した。


「食うか?」


 すぐには近づかない。

 匂いを確かめる。

 毒や薬の気配はない。


「嫌ならいい」

 手を引かれる前に、肉を嘴で取った。


「食べた」

 ミリアが嬉しそうに言う。


「何でお前が喜ぶ」

「ぴよちゃん、人から食べ物をもらうとき警戒するから」


「用心深いのは悪くない」

 ガルドは傷のある角へ触れた。


「戦場帰りの獣は、大抵そうなる」

 動きが止まる。


 だが、ガルドは俺の正体を疑っているわけではないようだった。


「戦場にいたんですか?」

 ミリアが尋ねる。


「昔、魔族の軍で荷を運んでいた」

「人間と戦ってた?」


「そうだ」

 ガルドは隠さなかった。


「カイルさんたちとは、いつから?」

「戦争が終わってからだ」


「怖くなかったですか? 人間と働くことが」

「最初はな」


 向こうでは、人間の護衛がパンを食べながら笑っている。


「眠っている間に、首を斬られると思っていた」

「斬られなかったんですか?」


「見れば分かる」

 ガルドが自分の首を指した。


「向こうも同じことを考えていたらしい」

「どうして一緒に働けるようになったんですか?」


「最初の仕事で、橋が落ちた」

(橋に縁のある商会だな)


「俺と、人間の護衛が川へ落ちた。そいつが俺を引き上げた」

「それで信用した?」


「いや」

 ガルドは即答した。


「だが借りを返す前に死ぬのだけは、避けたかった」

「それだけ?」


「最初はな」


 次の仕事。

 その次の仕事。

 同じ道を進む。

 荷を守る。

 野営する。

 食料を分ける。

 危険を知らせる。


「気づけば、寝るときに剣を握らなくなっていた」

「仲よくなったんですね」


「そこまでは言っていない」

 ガルドは不機嫌そうな顔をしながら、人間の護衛へ水袋を投げた。


「飲め」

「お前の水、変な味がする」


「疲れに効く薬草を入れてある」

「それが変なんだよ」


「嫌なら返せ」

「飲んでから言うな」

 言葉とは違い、関係は悪くなさそうだった。


「仲よしですね」

「違う」

(どこにでも素直でない者はいるらしい)


 少しだけ、エリシアを思い出した。

 だが、長くその記憶へ留まるのはやめた。

 今、隣にいるのはミリアだ。

     ◇

 午後。

 街道は林の中へ入った。

 俺は馬車の上を低く飛び、隊列から離れない範囲で周囲を確かめていた。

 前方に異常はない。

 獣。

 小さな魔物。

 反対側から来る旅人。

 危険なものはいない。

 後ろを見る。

 ミリアは三台目の横を歩いていた。

 午前より歩幅が狭い。

 わずかに右脚をかばっている。


(疲れているな)


 本人は、まだ歩けると思っている。

 だが、このままなら町へ着く前に痛めるかもしれない。

 肩へ戻り、荷台を嘴で示した。


「乗った方がいい?」

「ぴ」


「まだ歩けるよ」

 二回鳴く。


「今、休んだ方が後で歩ける?」

「ぴ」

 ミリアは自分の脚へ触れた。


「……少し痛くなってる」

(なら早く言え)


「分かった」

 ミリアは自分からカイルへ声をかけた。


「少し乗ってもいいですか?」

「もちろんだ」

 手を借り、荷台へ上がる。


「最初から乗ってもよかったんだぞ」

「歩けると思ったので」


「歩けることと、歩き続けるべきかは別だ」

「ぴよちゃんにも言われました」


「本当に何でも見てるな」

「心配性なので」

(お前が身体の状態を無視するからだ)


「少し休んだら、また歩きます」

 数分後。

 ミリアの瞼が閉じ始めた。


(眠いんじゃないか)

 頬をつつく。


「起きてる……」

(今、完全に寝ていた)


「目を閉じてただけ」

「説得力がないぞ」

 カイルが笑う。


 結局、ミリアは木箱の間へ移動し、丸めた布を枕にした。


「町へ着いたら起こして」

(俺が?)

「お願い」


 すぐに呼吸が穏やかになった。

 周囲には、知り合ったばかりの者たちがいる。

 移動中の馬車。

 鍵のかかる部屋でもない。

 それでも、ミリアは眠っている。

 カイルやガルドを、危険ではないと判断したからか。

 俺が近くにいるからか。


(信じ始めている)


 ミリアは少しずつ、世界を信じ直していた。

 その信頼を。

 今度こそ、自分の都合で使ってはいけない。

     ◇

 夕方前。

 隊列は、街道沿いの町へ到着した。

 人間の町とも。

 魔族の町とも呼べない場所だった。

 角を持つ者がパンを売り。

 人間の鍛冶師が魔族の客と話している。

 通りの看板には、人間と魔族、二種類の文字が並んでいた。


「着いたぞ」


 カイルの声。

 ミリアは起きない。


「ぴ」

 反応なし。


「ぴ、ぴ」

 眉が少し動くだけ。

(仕方ない)


「ぴ、ぴ、ぴ!」

「危ない!?」


 ミリアが勢いよく身体を起こし、木箱へ頭をぶつけた。


「痛っ!」

(起きたな)


「何が危ないの?」

 周囲を見る。


 町。

 止まった馬車。

 笑っているカイル。


「……着いたんですか?」

「ああ」


「ぴよちゃん!」

(普通に起こしても起きなかった)


「三回は、本当に危ないときだけでしょ」

(荷馬車で寝続けるのは多少危ない)


「嘘ついた!」

(半分は本当だ)


「仲がいいな」

 カイルが言う。


「今のが?」

「そう見える」

(どこがだ)


 町の中央近くには、ルミナス商会の支店があった。

 正面に、太陽と月を重ねた紋章が掲げられている。

 馬車が裏手の倉庫へ入ると、職員たちが荷物を確認し始めた。


「今日は、この町に泊まった方がいい」


 カイルが空を見る。

 日が傾き始めている。


「この先に、暗くなる前に着ける場所はない」

「商会の宿舎があるぞ」

 ガルドが荷台から声をかける。


「商会の人でなくても泊まれるんですか?」

「空いていればな。普通の宿より少し安い」


 ミリアの目がわずかに明るくなる。

(路銀を気にしているな)


「ただし、飯は簡単だ」

「焦げてなければ大丈夫です」

(基準が低い)


「受付でカイルの名前を出せ」

「俺の名前を勝手に使うな」


「連れてきたのはお前だ」

「正規料金以外は払わないからな」


     ◇

 商会の宿舎は、支店の隣にあった。

 一階には食堂と談話室。

 二階に、商会員や旅人が使う客室が並んでいる。

 受付の女性が、ミリアの後ろにいたカイルを見るなり息を吐いた。


「また誰か連れてきたんですか?」

「連れてきたわけじゃない。途中まで同行しただけだ」


「前にも同じことを言って、迷子の兄弟を連れてきましたよね」

「あれは街道で泣いていたからだ」


「その前は怪我をした旅人」

「道へ倒れていた」


「その前は、脚を傷めた犬」

「見捨てられないだろ」


 ミリアが小さく言った。

「カイルさん、普通じゃないですね」

「ぴ、ぴ」

「お前たち、まだそれを言うのか」


 受付の女性が笑う。

 案内された部屋は狭かった。

 寝台。

 机。

 小さな棚。

 窓からは、支店の中庭が見える。

 職員たちが、届いた荷物を倉庫へ運んでいた。


「皆、忙しそう」

(仕事だからな)


「手伝った方がいいかな」

(荷へ勝手に触るなと言われただろ)

「ぴ、ぴ」


「あ、そうだった」

(忘れるのが早い)


「それなら、少し町を見てきてもいい?」

 ミリアが興味を持つのは当然だった。


 初めて見る、人間と魔族がともに暮らす町。

 日が沈むまで、まだ少し時間がある。

 危険な気配も薄い。

 だが、俺には確かめたいことがあった。

 明日進む道。

 町の南側。

 昨日の雨で、橋や街道が崩れている可能性がある。


(別に動くか)


 ミリアを一人にすることには抵抗がある。

 だが、ここには商会の者たちがいる。

 カイルも。

 受付の人間もいる。

 比較的、安全な場所だ。

 だからといって、どこへでもついていくわけにはいかない。

 ミリアは一人で町を見ることもできる。


「ぴよちゃんは?」

 窓の外と、遠くの道を翼で示す。


「確かめたいことがあるの?」

「ぴ」


「危なくない?」

「ぴ」


「どれくらいで戻る?」

(それは鳴き声では答えにくい)


 町の時計塔を示す。

 翼を半円に動かした。


「鐘が一度鳴るくらい?」

「ぴ」


「分かった。私は宿の近くだけを見る」

(遠くへ行くな)


「暗くなる前に戻れって?」

「ぴ」


「知らない人についていくなって?」

「ぴ」


「子供じゃないよ」

 二回鳴くべきか迷う。


「今、否定しようとした?」

 俺は窓へ飛び移った。


「ごまかした」

(気のせいだ)


「ぴよちゃんも、危ないことしないでね」

「ぴ」


「絶対に戻ってきて」

 翼を広げようとした身体が、わずかに止まる。


 行かないで。


 エリシアの最後の声が蘇った。

 あのときは、飛び立たなかった。

 そばに残った。

 それでも、失った。


(戻る)


 今度は。

 離れても。

 必ず戻る。


「ぴ」


 一度だけ、はっきりと鳴く。

 窓から空へ飛び立った。

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