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女神の従魔  作者: 梅椿 六花
第一章 黒い鳥と黒鎧の冒険者
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第3話 一緒に行こう

 彼女は再び炎へ目を向けた。


「さっきの魔物、この辺りでは見ない種類だったんだ」

 声が少し低くなる。

「最近、魔物が増えてるって話は聞いてたけど、数だけじゃなくて種類まで変わってるのかな」

 薪の位置を棒で直す。

「ここを通る人が危ないかも」

(自分の心配はしないのか)


 誰かが対処しなければならない。

 その誰かに、自分を当然のように含めている。

 損をする役を、迷わず引き受ける人間。

 前世でも、そういう人を見たことがある気がした。

 誰だったのかは思い出せない。

 ただ、その人もいつも疲れていたような気がする。


「でも、まあ」

 エリシアが急に表情を緩めた。


「本当は、あの魔物も私が作ったんだけどね」

(……何?)


「魔王も、私の英雄譚を盛り上げるために作ったんだよ」

 あまりにも自然な声だった。

(魔王がいるのか? いや、そこではない)


 エリシアの顔を見る。

 真顔だった。


(まさか、本当に)


 先ほどの戦い方。

 傷だらけの鎧。

 ただの冒険者ではない雰囲気。


(いや。魔王を作れる人間が冒険者を名乗る必要はないだろう)

 俺が固まっていると、エリシアの口元がわずかに緩んだ。


「……というのは冗談」

(間が長い)


 エリシアが声を抑えて笑う。

「君、本当に表情が分かりやすいね」

(あんたの冗談が笑えないんだ)

「ごめん、ごめん。一人でいると、冗談を言う相手もいないからさ」


 笑ったまま、そう言った。

 ほんの一瞬だけ。

 エリシアの目から笑みが消えた。


(……一人なのか)


 強い。

 優しい。

 それなのに、自分のことは随分と雑に扱っている。

 鎧の肩口には古い傷に混じって、新しい傷もあった。

 俺の翼を見たときは、あんなに苦しそうな顔をしたのに。


「君も変わってるよね」

(それはこっちの台詞だ)

「普通の鳥なら、もっと逃げようとすると思うんだけど。私が怖くない?」

(最初は焼かれると思った)

 エリシアが俺の顔を覗き込む。

「今、失礼なこと考えた?」

(友達が少なそうだと思っただけだ)

「絶対に何か考えてる顔だ」


 顔を逸らすと、エリシアはまた笑った。

 焚き火の音が二人の間を埋める。

 不思議と気まずくはなかった。

 火の温かさ。

 薪の匂い。

 近くに人がいる気配。

 この世界へ来て初めて、身体から緊張が抜けていった。


「……一人は」

 エリシアが小さく呟いた。

「慣れてるつもりだったんだけどね」


 焚き火へ溶けそうな声だった。

 その言い方だけは、知っている気がした。

 寂しくないと、誰かにではなく自分へ言い聞かせる人間の声。

 気づけば、俺は身体を動かしていた。

 翼が痛まないよう、ゆっくりと。

 エリシアの方へ少しだけ近づく。

 彼女が視線だけをこちらへ向けた。


「……来てくれるの?」

(寒いだけだ)


 火の近くは温かい。

 エリシアの近くでもあるが、それは偶然だ。


「ありがとう」

(何に対しての礼だ)


 分からなかった。

 けれど、悪い気はしない。


(今夜くらいは信用してもいいか)


 そう思った直後、地面から小さな振動が伝わった。

 森の奥。

 何かが土を踏んでいる。

 一つではない。


(また来る)


 首を上げ、暗闇の一点を見つめる。

 右の翼を動かそうとすると、痛みが走った。

 代わりに嘴で地面を叩く。

 一度。

 二度。


「どうしたの?」

 俺は暗闇から目を離さず、もう一度地面を叩いた。

「……何かいる?」

(気づけ)


 エリシアの表情が変わった。

 立ち上がり、剣へ手を伸ばす。

 目を閉じて耳を澄ませた後、短く息を吐いた。


「いるね」


 焚き火へ土をかけ、明かりを小さくする。

 それから俺の前へ立った。

 背中で庇うように。


「教えてくれたんだね。ありがとう」

(礼を言うのはまだ早い)


 森の奥から、複数の足音が近づいてくる。

 草むらの向こうに赤い目が浮かんだ。

 一つ。

 二つ。

 三つ。

 三体の魔物が、焚き火を囲むように姿を現した。

 どれも、先ほどの灰色の獣と同じ姿をしている。


(仲間を連れて戻ってきたのか)

「私の後ろにいて」

(言われなくても、今は動けない)


 魔物たちが同時に地面を蹴った。

 エリシアが一歩踏み込む。

 一体目の爪を剣で受け流し、そのまま首元を斬る。

 血が飛ぶより早く、身体を捻った。

 二体目の牙が、先ほどまでエリシアのいた場所を噛む。

 剣の柄が魔物の顎を打ち上げた。

 体勢を崩したところへ、刃が走る。

 残る一体が死角へ回り込んでいた。


(右だ)

「カァ!」


 エリシアが反応する。

 だが、わずかに遅れた。

 爪が黒い鎧の肩口を掠める。

 エリシアの身体が揺れた。


(エリシア!)


 魔物が追撃しようと飛びかかる。

 エリシアは下がらなかった。

 傷ついた肩を庇いながら懐へ入り、剣を下から突き上げる。

 刃が魔物の胸を貫いた。

 巨体が地面へ落ちる。

 森に静けさが戻った。

 エリシアは剣を構えたまま、しばらく動かなかった。

 他に敵がいないことを確認し、ようやく刃を下ろす。


「終わったよ」

(肩を見ろ)

 エリシアがこちらへ近づいてくる。

「怖かった?」


 怖くなかったと言えば嘘になる。

 身体はまだ震えていた。

 だが、不思議と絶望はしなかった。

 エリシアが前に立っている限り、大丈夫だと思っていた。


「怪我、増えてない?」

(自分の方を見ろ)


 彼女の鎧の肩口は裂け、浅い傷から血が滲んでいる。

 それなのに、エリシアは俺の翼ばかり確認していた。


「よかった。大丈夫そう」

(俺の傷には、あんな顔をするくせに)

 自分の怪我には随分と鈍いらしい。

(この人は、今まで何度こうして誰かの前へ立ったんだ)


 鎧に刻まれた古い傷が、答えの代わりに見えた。

 エリシアが焚き火の前へ戻る。

 俺は身体を起こし、少しずつ移動した。

 先ほどよりも近くへ。

 すぐ隣まで。


「……近いね」

(嫌なら離れる)


 エリシアは追い払わなかった。

 ただ、少しだけ肩の力を抜いた。

 俺は彼女の傷を見る。


(守られているだけというのは、少し気に入らないな)


 今の俺には何もできない。

 魔物の接近に気づくことはできても、戦えない。

 飛ぶことさえできない。

 それでも、いつか。

 エリシアが前へ立ったとき、その背中を見ているだけではなくなりたい。


(なぜ、そこまで思う)


 出会ってから、まだ半日も経っていない。

 名前と職業しか知らない。

 それでも、放っておけないと感じた。


(命を助けられた借りを返すだけだ)


 今は、そういうことにしておく。

 夜が少しずつ薄れていった。

 木々の隙間から淡い光が差し始め、森の奥で鳥の声が聞こえる。

 鳴き声へ返事をしてみた。


「カァ」

 遠くの鳥が鳴き返す。

(通じたのか?)

 もう一度鳴いたが、今度は返事がなかった。

(気のせいか)


 エリシアが小さく笑う。

「友達?」

(違う)

「違うの?」

(なぜ分かる)

 エリシアは立ち上がり、白み始めた空を見上げた。

「朝だね」


 荷物をまとめ、剣を腰へ差す。

 それから、俺を見た。


「……君、これからどうする?」


 問いかけは穏やかだった。

 連れていくとも、置いていくとも言わない。

 俺に選ばせようとしている。


(どうする、か)


 一人で残れば、おそらく長くは生きられない。

 飛べない。

 戦えない。

 食べ物の探し方も分からない。

 水を飲むだけでも苦労する。

 エリシアについていくのが、一番合理的だ。


(本当に、それだけか?)


 この人が、これからどこへ行くのか見てみたい。

 放っておけば、また誰かを庇って傷を増やしそうでもある。

 それに。

 この人のそばは、温かかった。


(仕方ない)


 俺はゆっくりと身体を動かし、エリシアの足元まで移動した。

 そして、その場に留まる。

 エリシアは目を瞬かせた。

 次に、少し照れたように笑う。


「……そっか」


 短い一言だった。

 けれど、そこには確かな受け入れがあった。


「じゃあ、一緒に行こう」


 エリシアが俺を抱き上げる。

 昨夜よりも慎重な手つきだった。


「まずは近くの町へ行こうか。その傷も、ちゃんと診てもらわないとね」

(町か)


 この世界の人間が、皆エリシアのように鳥へ話しかけるとは思えない。

 少し面倒なことになるかもしれない。

 それでも。


(よろしく頼む、エリシア)


 誰にも聞こえない声で呟く。

 エリシアは俺を腕に抱いたまま、朝の森を歩き出した。

 黒い鳥と、黒鎧の冒険者。

 互いのことをほとんど知らないまま。

 二人は、同じ道を歩き始めた。

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