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女神の従魔  作者: 梅椿 六花
第四章 二人の旅
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第28話 新しい道

 宿へ戻る前。

 カイルが地図を広げた。


「明日はどこへ行く?」

「南の町です」


「なら、途中まで同じ道だ」

「カイルさんたちも?」


「ああ。ただ、この橋は昨日の雨で傷んでいる」

 地図に記された細い橋。


「徒歩なら渡れるが、一人旅には勧めない」

「通れないんですか?」


「足場が壊れているかもしれない。よければ、途中まで商会の馬車と来るか?」

「いいんですか?」


「荷には触らない。勝手に隊列を離れない。護衛の指示を守る」

 条件を順番に示す。


「それが守れるならな」

「お金は?」


「いらない。同じ方向だからだ」

 ミリアの表情がわずかに警戒へ変わる。

「それだけですか?」


「マルタに、旅慣れていない子を放っておくなと言われた」

「私、そんなに頼りなく見えます?」


「剣の重さに歩かされているくらいには」

「……練習します」


「それがいい」

 カイルは笑った。

「嫌なら断って構わない。朝までに決めてくれ」

     ◇

 部屋へ戻ると、ミリアは俺へ尋ねた。


「どう思う?」

(ここで決めるのか)


「危ない?」

 二回。


「危なくはない」

(カイルたちに敵意はない)


「一緒に行く方が安全?」

 一回。


「ぴよちゃんは、行きたい?」

 答えなかった。


 安全だけなら、同行した方がよい。

 護衛がいる。

 馬車もある。

 道に詳しい者もいる。

 だが、ルミナス商会はエリシアの伝説を知っている。

 戦争中から人間と魔族の間を動いていた。

 森へ送られた使者とも、どこかでつながっているかもしれない。


(近づけば、過去へ触れる)


 避けたい。

 知られたくない。

 だが、それはミリアを守るためではない。

 俺が、自分の過去を恐れているだけだ。


「ぴよちゃんは、あまり行きたくない?」

 一回。


「でも、安全なんだよね?」

 一回。


「理由は、まだ言いたくない?」

 一回。


「分かった」

 ミリアはすぐに結論を出さなかった。

「部屋で考えよう」


 狭い部屋だった。

 寝台が一つ。

 小さな机。

 窓。

 荷物を置けば、床の半分が埋まる。

 それでも鍵がかかり、壁越しに暖炉の熱が届いていた。

 ミリアは寝台へ腰を下ろした。


「私は、行ってみたい」

 先に自分の希望を口にする。


「商会の人たちが、どうやって人間と魔族の間を行き来してるのか見たい」

 それは、ミリアが旅へ出た理由とも合っている。


「カイルさんも、悪い人には見えない」

(今のところはな)


「ぴよちゃんも、危険ではないと言った」

(ああ)


「でも、ぴよちゃんは嫌なんだよね」

 一回。


「ルミナス商会が嫌?」

 迷ってから、一回鳴いた。


 正確には、商会自体が嫌なのではない。

 商会へ近づくことで、エリシアへつながる何かが見えるのが怖い。


「商会に近づくと、ぴよちゃんが困る?」

 一回。


「捕まる?」

 二回。


「怖い人がいる?」

 二回。


「知っている人がいる?」

 答えなかった。


 俺を知る者は、もういないはずだ。

 だが、エリシアを知る者。

 黒い鳥の伝説を知る者。

 俺が知らない事実を持つ者はいるかもしれない。


「答えにくい?」

 一回。


「そっか」

 ミリアは無理に続けなかった。


「私は行ってみたい。でも、ぴよちゃんが本当に嫌なら、別の道でもいい」

 首を傾げる。

(自分で決めるんじゃなかったのか)


「私だけで決めたら、二人で旅をしている意味がないでしょ?」

(……そうか)


「ぴよちゃんは、どうしたい?」


 逃げたい。

 過去へ触れたくない。

 だが、それは俺の恐怖だ。

 ミリアが見たい世界を狭める理由にはならない。

 カイルたちに危険は感じない。

 何か起きれば、俺が動ける。

 そして。


(いつまで逃げる)


 エリシアの像を見てから。

 白い羽根で正体を隠し。

 アッシュという名前を捨て。

 過去へつながるものから逃げ続けてきた。

 その結果。

 世界がどう変わったのか。

 エリシアの後に何が残ったのか。

 何も知らないままだった。


(見るだけなら)


 商会へ入るわけではない。

 途中まで、同じ道を進むだけだ。


「ぴ」

 ミリアが目を瞬かせる。


「一緒に行く?」

 一回。


「本当に?」

 一回。


「無理してない?」

 少し迷う。

 それから二回鳴いた。


 不安はある。

 だが、無理に従っているわけではなかった。


「じゃあ、明日カイルさんへお願いしますって言うね」

(ああ)


 ミリアが笑う。


「二人で決められた」

(そうだな)


 以前の俺なら。

 ミリアが眠った後、一人で宿を出たかもしれない。

 商会へ近づかない道を、何も知らせず選んだかもしれない。

 今は違う。

 自分が嫌だと伝えた。

 ミリアの希望も聞いた。

 すべてを説明できなくても。

 二人で選んだ。


(少しは、変われているのか)

 答えは分からない。


「ぴよちゃん」

(何だ)


「今日、楽しかったね」

(騒ぎもあったがな)


「ご飯もおいしかった」

(熱かった)


「いろんな人がいた」

(ああ)


「魔族の人も、普通にご飯を食べてた」

 当たり前のことへ驚いている。


「カイルさんも、面白い人だった」

(普通ではないらしい)


「世界って、怖いだけじゃないね」

 俺は何も言わなかった。


 村を襲った盗賊。

 助けられなかった少年。

 酔った男の暴言。

 怖いことは、今も世界にある。

 だが。

 怪我を治す人。

 剣を教える人。

 街道を守る兵士。

 魔族の子供を守る宿の主人。

 人間と魔族の間で荷物を運ぶ商会。

 それらも、同じ世界にある。


「見に来てよかった」

(ああ)


「ぴよちゃんと一緒でよかった」

 胸の奥が、少しだけ温かくなった。


「おやすみ、ぴよちゃん」

(おやすみ、ミリア) 


 ミリアが目を閉じる。

 しばらくすると、穏やかな呼吸が聞こえ始めた。

 俺は窓の外へ目を向けた。

 宿の前では、カイルが馬車の見張りをしている。

 別の護衛と短く言葉を交わし、荷物を確かめ、暗い街道を見る。

 カイルは、俺をアッシュだとは思っていない。

 ただの鳥ではないと感じてはいる。

 それでも、無理に正体を知ろうとはしなかった。

 女の旅人と、その肩へ乗る鳥。

 昔聞いた伝説に、並び方が似ている。

 それだけだ。


(同じ物語ではない)


 黒い鎧の冒険者と、黒い鳥。

 剣を持ち始めた少女と、白い小鳥。

 エリシアとミリア。

 似ているところはある。

 だが、違う人間だ。

 ミリアを、エリシアの代わりにはしない。

 同じ道も歩ませない。


(俺も、同じではいられない)


 まだ、うまくできない。

 すべてを話す勇気もない。

 過去へ近づくのも怖い。

 それでも。

 逃げる道を、一人では選ばなかった。

 宿の中では、人間と魔族が同じ屋根の下で眠っている。

 暖炉の火が燃えている。

 誰かが食器を片づける音。

 遠くで上がる笑い声。

 エリシアが見ることのできなかった世界は、誰かの手によって今も続いている。

 ルミナス商会。

 戦争中から、人間と魔族をつないでいた者たち。

 伝説の二人を直接知る誰か。

 気になることがある。

 知るのが怖いこともある。

 それでも明日。

 ミリアとともに、商会の馬車へ加わる。


(見るだけだ)


 世界が、どう変わったのか。

 自分の知らないところで、何が残り、何が続いてきたのか。

 少しだけ。

 目を逸らさずに見る。

 街道宿のランタンが、暗い道を照らしていた。

 旅人が道を見失わないように。

 帰る場所を見つけられるように。

 俺はその灯を見つめ、静かに羽を畳んだ。

 黒い鳥だった過去を隠したまま。

 白い小鳥として。

 それでも以前より、ほんの少しだけ世界へ近い場所で。

 夜が明ければ。

 俺たちはルミナス商会の馬車とともに、新しい道を進む。

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