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女神の従魔  作者: 梅椿 六花
第四章 二人の旅
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第27話 最初の一人

 食事が半分ほど進んだ頃。

 入口付近で、器が床へ落ちる音がした。


「ご、ごめんなさい」


 小さな角を持つ、魔族の少年が立ち尽くしている。

 宿の手伝いをしていたらしい。

 そばには、人間の男がいた。

 服へスープがかかっている。

 頬が赤い。

 酒に酔っていた。


「何しやがる!」

 食堂の空気が変わる。


「ごめんなさい。足が滑って……」

「わざとじゃないだろうな?」


「違います」

「魔族が人間の宿でうろつくからだ」


 少年の肩が震えた。

 周囲の客は会話を止めている。

 不快そうに男を見る者もいる。

 だが、誰も動かない。

 男が少年の服へ手を伸ばす。

 ミリアが立ち上がった。


(ミリア)

 俺はすぐ肩へ移る。

「やめてください」


 声は少し震えている。

 それでも、はっきり聞こえた。


「何だ、嬢ちゃん」

「その子は謝っています」


「謝れば何でも済むと思ってるのか?」

「服のことなら、宿の人と話せばいいです」


 ミリアは男の正面へ立たなかった。

 少し斜め。

 手が伸びても避けられる距離。


「子供を掴む必要はないと思います」

「関係ない奴が口を出すな」


 男が一歩近づく。

 ミリアの右手が、腰の剣へ向かいかけた。

 俺は肩を強くつついた。


「痛っ」

(まだ抜くな)


 相手は武器へ手をかけていない。

 ここで剣を抜けば、争いを大きくする。


「そこまでにしろ」

 カイルが立ち上がった。


「何だ、お前」

「ルミナス商会の護衛だ」

 胸元の紋章を見せる。


「この宿の荷と安全には、商会も関わっている」

「俺は客だぞ」


「なら宿の規則を守れ」

 カイルは剣へ手を伸ばさず、男と少年の間へ入った。


「服の洗浄代は、商会がいったん立て替える」

「何で商会が払う」


「その方が話が早いからだ」

「魔族の肩を持つのか?」


「子供がぶつかっただけだろ」

「魔族だから信用できない」

 カイルの表情は変わらない。


「信用しなくていい」

「何?」


「金額だけ確認しろ。仲よくなる必要もない」

 先ほどと同じだった。


 好きにならなくていい。

 ただ、同じ場所で剣を抜かない。


「その代わり、子供へ手を出すな」

「うちで子供へ手を上げたら、種族に関係なく外へ放り出すよ」


 マルタが厨房から出てきた。

 両腕を組む。


「器は壊れてない。服は洗えば済む」

「俺は客だぞ」


「だから何だい?」

 マルタは男より体格がよかった。


「客なら、何をしても許されると思ってるのかい?」

 男が周囲を見る。


 味方をする者はいない。

 人間の客も、冷たい目を向けていた。

 男は舌打ちし、自分の席へ戻る。


「酒を持ってこい」

「今日はもう出さないよ。水を飲んで寝な」


 食堂のどこかから笑いが上がり、張りつめていた空気が緩んだ。

 魔族の少年は、もう一度男へ頭を下げた。

 次に、ミリアとカイルへ向く。


「ありがとうございました」

「怪我はない?」


「はい」

「なら、よかった」


 少年が床の料理を片づけ始める。

 ミリアもしゃがんだ。

 カイルも器を拾う。


「カイルさんも手伝うんですね」

「座っていると格好がつかないからな」

(理由はそれか)


 俺は卓の上から見ていた。

 ミリアは剣を抜かなかった。

 怖くても声を出した。

 一人で解決できなくても、最初に動いた。


(少しずつだ)


 戦えることだけが強さではない。

 剣を抜かずに止めること。

 誰かと協力すること。

 助けを求めること。

 ミリアは、それを覚え始めていた。

     ◇

 食事の後。

 ミリアは宿の裏にある井戸へ出た。

 夜の風は冷たい。

 壁越しに、人々の声が小さく聞こえる。


「怖かった」

(そうか)


「剣、抜きそうになった」

(気づいていた)


「ぴよちゃんが止めてくれたね」

「ぴ」

「抜かなくてよかった」

(ああ)


 相手が本当に襲ってきたなら、剣が必要だったかもしれない。

 だが、あの段階では早かった。


「私だけでは止められなかった」

(止め切る必要はない)


「でも、何かしたかった」

 ミリアは井戸の縁へ手を置く。


「あの子、怖そうだったから」

「俺も、ミリアが立ったから動きやすかった」

 背後からカイルの声がした。


「私、何もしてません」

「最初に声を出しただろ」


「止めたのは、カイルさんとマルタさんです」

「皆、あの男を見ていた」

 カイルが井戸のそばへ来る。


「嫌だと思っていた奴も多かったはずだ」

「なら、どうして誰も止めなかったんですか?」

「最初の一人になるのは怖いからだ」


 自分が間違っているかもしれない。

 誰も味方してくれないかもしれない。

 相手が自分へ向かってくるかもしれない。


「ミリアが立ったから、次が動けた」

「そういうものですか?」


「ああ」

「なら、少しは役に立った?」

「十分だ」


 ミリアは少し嬉しそうに笑った。

 だが、すぐ真剣な顔へ戻る。


「剣へ手を伸ばしました」

「抜いていないならいい」


「ぴよちゃんが止めてくれたんです」

「やっぱり、戦いを知っている鳥なんだな」

 カイルが俺を見る。

(その程度にしておけ)


「普通の鳥じゃないですか?」

「普通の鳥は、剣を抜く時機まで分からない」


「ぴよちゃんは普通です」

(無理がある)

「まあ、正体は何でもいい」

 カイルは簡単に言った。


「魔物でも、珍しい鳥でもな」

「気にならないんですか?」


「少しはなる」

 カイルが笑う。


「だが、聞かれたくないことを無理に聞けば、護衛の仕事が増える」

「どうして?」


「怒らせるからだ」

(正しい)


「ぴよちゃんも、嫌なら二回鳴けばいい」

「ぴ、ぴ」


「やっぱり嫌なのか」

「最初から聞かない方がいいと思います」


「そうする」

 カイルはあっさりと引いた。


「ただ、並んでいると、昔聞いた伝説みたいで面白いな」

「英雄と黒い鳥?」


「ああ」

「ぴよちゃんは白いです」


「見れば分かる」

「私は英雄ではありません」


「それも分かる」

「何か失礼じゃないですか?」


「今は、という意味だ」

 カイルは肩をすくめる。


「これから何になるかは分からないだろ」

「英雄になりたいわけではないです」


「それでいい」

「でも、誰かを助けられるくらいには強くなりたい」


「剣だけが強さじゃない」

「さっきみたいに?」


「ああ」

 カイルは宿の灯を見る。


「物を運ぶことも、道を直すことも、争いを止めることも強さだ」

「カイルさんは、どうして護衛を?」


「食うため」

「それだけ?」


「最初はな」

 少し考える。


「今は、道がつながっていくのを見るのが面白い」

「道?」


「昨日まで敵だった奴らが、同じ荷物を運ぶようになる」


 人間の村で作られた麦。

 魔族の土地で作られた薬。

 それぞれが、互いの町へ届く。


「俺が守っているのは、馬車だけじゃないのかもしれないな」

 カイルは少し照れくさそうに言った。


「商会の偉い人が聞いたら喜びそうです」

「本人には言わない」


「どうして?」

「仕事を増やされる」

(現実的だな)

 ミリアが笑った。

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