第23話 一歩ずつ
旅立つ前に、ミリアは剣を習い始めた。
町の兵士が使う訓練場では、一般の者にも基礎を教えていた。
事情を知った兵士が、最初の数日分の費用を免除してくれた。
「まずは立ち方からだ」
教官役の男は、大柄な兵士だった。
顔に古い傷がある。
声は大きいが、説明は丁寧だった。
「剣を振る前に、転ばない立ち方を覚えろ」
「はい」
ミリアは木剣を両手で持つ。
足を開く。
「開きすぎだ」
直す。
「今度は狭い」
また直す。
「腰が高い」
下げる。
「下げすぎだ」
「……難しい」
「最初からできる奴はいない」
兵士は言った。
「できたように見える奴は、見えないところで先に転んでいる」
ミリアは午前中の大半を使って、姿勢だけを直した。
剣を一度も振らないまま。
(エリシアなら)
そこまで考え、思考を止める。
(比べるな)
エリシアは、出会ったときから強かった。
すでに数え切れないほどの戦場を経験していた。
ミリアが同じであるはずがない。
それでも、身体の動きを見れば未熟さは分かる。
足運びが遅い。
重心が揺れる。
剣を握る手へ力を入れすぎている。
踏み込む前に視線が動き、次に何をするのか分かってしまう。
(敵からすれば、攻撃を予告しているようなものだ)
だが、ミリアは真剣だった。
失敗するたび、教えられたことを繰り返す。
足の位置。
腰の高さ。
木剣の角度。
十回やって、一回だけ形になる。
次の一回では、また崩れる。
「腕だけで振るな」
「はい!」
「足を止めるな」
「はい!」
「目を閉じるな!」
「はい!」
返事だけは途切れなかった。
訓練が終わる頃には、両手へ豆ができていた。
宿へ戻る途中。
ミリアは木剣を持つ手を、何度も開いたり閉じたりしている。
「痛い」
(休め)
「でも、明日も行く」
(傷が開くぞ)
「布を巻けば大丈夫」
(その言葉は信用できない)
「ぴよちゃんまで教官みたい」
(お前が無茶をするからだ)
翌日も。
その次の日も。
ミリアは訓練場へ通った。
足をもつれさせる。
木剣を落とす。
軽く肩を押されただけで、地面へ尻をつく。
「もう一度」
立つ。
「もう一度」
転ぶ。
「もう一度」
また立つ。
(本当に諦めないな)
才能があるようには見えない。
一度見ただけで、技を覚えることもない。
だが、前の日にできなかったことが、翌日にはほんの少しできるようになった。
十回に一度だった正しい踏み込みが、八回に一度になる。
次の日には、六回に一度。
木剣を落とす回数も減っていく。
(遅い)
だが、進んでいる。
俺は訓練場の塀へ止まり、毎日それを見ていた。
「ぴよちゃん!」
休憩中、ミリアが手を振る。
「見てた?」
(見ていない)
「今、一回だけ教官の棒を避けられた」
(偶然に見えたが)
「一回は一回だよ」
(まあな)
教官が近づいてくる。
「その鳥、お前の従魔か?」
「従魔?」
「契約している魔物のことだ」
ミリアが俺を見る。
「たぶん、違います」
(たぶんとは何だ)
「友達です」
即答した。
俺の動きが止まる。
「友達か」
教官は特に気にせず頷いた。
「よく見ているぞ。お前が転ぶたび、飛び出しそうになってる」
(そんなことはない)
「本当?」
(信じるな)
ミリアが笑う。
「じゃあ、もう少し頑張る」
(なぜそうなる)
◇
二週間後。
ミリアは町を出た。
剣の達人になったわけではない。
構えはまだ固い。
踏み込みも遅い。
経験のある人間と戦えば、簡単に負けるだろう。
それでも、以前よりはましになっている。
剣を抜くとき、鞘へ引っかけなくなった。
転ばずに数回振れるようにもなった。
町を出る前。
教官はミリアへ言った。
「勝てないと思ったら逃げろ」
「はい」
「戦わないことを選べる奴の方が、長く生きる」
「はい」
「ただし」
ミリアの目を見る。
「逃げた後で、自分が何を失うのかは考えろ」
ミリアは少し迷ってから頷いた。
「覚えておきます」
最初の目的地は、街道沿いにある次の町。
歩いて二日ほど。
途中には、旅人用の休憩所もあるらしい。
ミリアは小さな荷物を背負い、剣を腰へ差した。
肩には白い鳥。
「行こう、ぴよちゃん」
(ああ)
町の門を出る。
ミリアは、自分の足で歩き始めた。
◇
最初の一日は、何事も起こらなかった。
街道は整備され、旅人や商人とも何度かすれ違った。
ミリアは、そのたびに少し身体を強張らせた。
だが、誰もが挨拶をして通り過ぎるだけだった。
「普通の人だった」
(旅人の大半は普通だ)
「盗賊じゃなかった」
(誰も彼も盗賊に見えるのか)
「少しだけ」
仕方がない。
村を出て最初に会った集団が、村を滅ぼした盗賊だった。
夜は街道から少し離れた場所で野営した。
ミリアが硬いパンを火で炙る。
少し目を離した隙に、片側が黒く焦げた。
「あ」
(焦がしたな)
「少しくらいなら食べられるよ」
(同じことを言う奴を知っている)
「ぴよちゃんも食べる?」
(遠慮する)
「おいしいかもしれないよ」
(自分で食べろ)
ミリアは焦げた部分を齧った。
しばらく黙って咀嚼した後、焦げていない側を俺へ差し出す。
(まずかったんだな)
「何も言ってないよ」
(顔に出ている)
翌朝。
ミリアは鞘へ入れた剣で、訓練場で習った型を繰り返した。
一。
二。
三。
四度目で体勢を崩す。
足を直し、もう一度。
「どう?」
(まだまだだ)
首を傾ける。
「駄目?」
反対側へ傾ける。
「どっち?」
(言葉が通じないのは不便だな)
ミリアは少し考えた。
「いいときは、一回鳴いて」
(勝手に決めるな)
「駄目なときは二回」
(おい)
「すごく危ないときは三回」
(待て)
「決まりね」
(人の意見を聞け)
不満を表すため、二回鳴く。
「ぴ、ぴ」
「今のは駄目って意味?」
(違う)
「何が駄目なの?」
(全部だ)
意思疎通の方法が増えたのか。
混乱が増えただけなのか。
判断できなかった。
◇
二日目の昼。
街道の先へ、小さな休憩所が見えた。
石造りの壁と、簡素な屋根。
その手前で、血の匂いを感じた。
(止まれ)
ミリアの肩を嘴でつつく。
「どうしたの?」
「ぴ、ぴ」
二回。
「駄目?」
(進むな)
俺が休憩所の方を見ると、ミリアの表情が変わった。
腰の剣へ手を添える。
「何かいる?」
一回鳴く。
「いるんだね」
(この方法、意外と使えるな)
ミリアは足音を抑え、慎重に進んだ。
俺は先へ飛び、上空から周囲を確かめる。
休憩所の陰。
子供が一人、倒れていた。
十歳にも満たない少年。
服が泥と血で汚れている。
右脚には深い傷。
脇腹にも、刃物で切られた跡があった。
呼吸はある。
意識も、わずかに残っている。
(誰がやった)
周囲には複数の足跡が残っていた。




