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女神の従魔  作者: 梅椿 六花
第三章 白い鳥と少女
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第20話 ぴよちゃん

 ミリアは街道を歩いていた。

 一歩進むたびに、身体が揺れている。

 怪我。

 疲労。

 前日から、まともな食事も取っていない。

 それでも進んでいた。

 分かれ道へ差しかかったとき。

 前方から馬の足音が聞こえた。

 ミリアが足を止める。

 五人の男たち。

 汚れた革鎧。

 腰には剣。

 荷物には、村から奪ったと思われる布や食器が見える。

 先頭の男が、ミリアへ気づいた。


「おい」

 男たちが馬を止める。


「生き残りがいたぞ」

 ミリアの顔から血の気が引いた。

 右手が、腰の剣へ伸びる。


「昨日、見逃したか?」

「家の下にでも隠れてたんだろ」


 男たちが笑う。

 ミリアは一歩、後ろへ下がった。

 背後は村。

 左右は森。

 走っても、馬からは逃げられない。


「こいつ、どうする?」

「町へ行かれたら面倒だ」

「なら、ここで始末するか」


 一人が馬から下りた。

 剣を抜く。

 ミリアの呼吸が浅くなる。

 手が震えていた。


(逃げろ)


 俺は上空から見ていた。

 影へ潜れば、ミリアを連れて離脱できる。

 五人を殺すことも簡単だった。

 男たちは俺に気づいていない。

 一瞬で首を裂ける。

 影へ沈めることもできる。


(全部、俺がやれば)


 ミリアは傷つかない。

 怖い思いもしない。

 何も選ぶ必要はない。


(違う)


 それでは同じだ。

 まず、ミリアがどうするのかを見る。

 危なくなったら助ける。

 最初から、すべてを奪わない。

 ミリアは剣を抜いた。

 両腕が震えている。

 構えは整っていない。

 刃先も下がっていた。

 男が笑う。


「それで戦う気か?」

「……来ないで」


「命令できる立場かよ」

「来たら……」

 ミリアは剣を両手で握り直した。


「……斬る」

 声は震えていた。

 それでも、剣を捨てなかった。


(選んだのか)


 戦うことを。

 殺される危険があっても。

 自分の意思で。

 男が踏み込んだ。

 剣を横へ振る。

 ミリアは正面から受けようとした。


(駄目だ)


 力が違いすぎる。

 まともに受ければ、剣ごと弾かれる。

 男の足元へ影を伸ばした。

 踏み込んだ足が、わずかに土へ沈む。


「なっ」


 体勢が崩れた。

 剣の軌道が下がり、ミリアの頭上を通り過ぎる。


「……っ!」


 ミリアは反射的に剣を振った。

 刃が、男の腕を浅く裂く。


「ぐあっ!」


 男が後ろへ下がる。

 自分が斬ったことに、ミリア自身が驚いていた。


「このガキ!」


 別の男が馬から飛び降りる。

 二人同時。


(ここまでだ)


 急降下する。

 白い小鳥の姿のまま、一人の顔へ翼を叩きつけた。


「うわっ!」

「鳥?」


 男が腕で顔を覆う。

 視界が塞がれた瞬間、ミリアが動いた。

 逃げなかった。

 男の脚へ剣を振るう。

 深くは入らない。

 だが、膝の近くを裂いた。

 男が倒れる。


(動ける)


 恐怖で固まっていない。

 震えながら。

 泣きそうな顔で。

 それでも、自分で考えて動いている。


「この鳥、邪魔しやがる!」


 三人目が俺へ剣を振った。

 翼を使い、刃の上へ乗る。

 男の目が見開かれた。


「は?」

(遅い)


 嘴で手の甲をつつく。

 剣が落ちる。

 影を伸ばして足首を払い、背中から地面へ倒した。


「何だ、こいつ!」

「ただの鳥じゃねえ!」

(今さら気づいたか)


 残った二人が距離を取る。

 一人は弓を持っていた。

 矢をつがえる。

 狙いは俺。


(それでいい)


 ミリアから意識が外れた。

 矢が放たれる。

 身体を傾けてかわす。

 白い羽根を掠め、矢が通り過ぎた。

 二本目。

 影へ沈む。

 矢が空を切った。


「消えた?」


 弓を持つ男の背後へ出る。

 首を狙えば殺せる。

 だが、急所から外した。

 肩へ体当たりする。


「ぐっ!」


 男が前へよろめく。

 ミリアは、その隙を逃さなかった。

 剣の腹で手首を打つ。

 弓が落ちる。


「……こっちを見て!」

 ミリアが叫んだ。

(お前が言うのか)


 男が怒りに顔を歪め、腰から短剣を抜く。

 ミリアへ向かう。

 俺は影を伸ばしかけた。

 だが、止める。


(見ろ)


 男の肩。

 足。

 短剣の向き。

 ミリアが、どう動くか。

 ミリアは逃げなかった。

 剣を正面へ構える。

 男が短剣を突き出した。

 ミリアは身体を横へずらす。

 完全には避けられない。

 刃が服を裂き、脇腹へ浅い赤い線が走った。


「……っ!」


 痛みに顔を歪める。

 それでも、剣を離さなかった。

 男の腕が伸び切った瞬間。

 ミリアは一歩、前へ出た。

 剣の柄を、男の顔へ叩き込む。

 鼻から血が噴き出した。

 男が仰け反る。

 ミリアは足をかけ、二人で地面へ倒れた。

 短剣が手から離れる。

 ミリアはすぐに立ち上がり、剣先を男へ向けた。


「動かないで」


 息が乱れている。

 剣先も震えている。

 それでも、男の喉元から逸らさない。

 最初に斬られた男が起き上がった。


「ふざけやがって!」


 背後からミリアへ向かう。

 今度は、俺が動いた。

 男の足へ影を絡ませる。

 身体を逆さに持ち上げた。


「なっ――」


 近くの木へ叩きつける。

 死なない程度に。

 男は白目を剥き、動かなくなった。

 残った盗賊たちの顔が青ざめる。


「化け物だ……」

「鳥の魔物……!」

(誰が化け物だ)


 影を広げた。

 小さな白い身体の背後から、巨大な黒い翼が立ち上がる。

 森全体を覆うような影。

 実体はない。

 だが、盗賊たちを怯えさせるには十分だった。


「逃げろ!」


 動ける者が、仲間を置いて走り出す。

 馬へ乗る余裕もなく、森の奥へ消えていった。

 俺は追わなかった。

 姿は覚えた。

 町へ着いた後、必要なら兵士へ場所を知らせればいい。


(殺す必要はない)


 以前なら、守るために迷わず命を奪った。

 今は違う。

 ミリアが助かれば、それでいい。

 静寂が戻った。

 ミリアは剣を構えたまま、動かなかった。


「……終わった?」

(終わった)


 影を消す。

 ただの白い小鳥の姿へ戻る。

 ミリアの手から剣が落ちた。

 金属音が響く。

 その場へ座り込んだ。


「怖かった……」

 両腕で、自分の身体を抱く。


「すごく……怖かった」

(それでいい)


 恐怖を感じなかったのではない。

 怖いまま、ミリアは剣を持った。

 俺は彼女の前へ下りた。

 脇腹の傷を見る。

 浅い。

 血は出ているが、命に関わるものではない。


「……ぴよちゃん」

(何だ)


「助けてくれたの?」

 顔を逸らす。

(たまたまだ)


「昨日も?」

 動きを止める。


「家の木が動いたのも」

(知らない)


「お父さんたちを運べたのも」

(雨で滑っただけだ)


「穴が掘りやすかったのも」

(偶然だ)


 ミリアが、じっとこちらを見る。

「やっぱり、普通の鳥じゃないんだね」

(普通の鳥だ)


「普通の鳥は、人を木にぶつけないよ」

(見間違いだ)


 ミリアは、ほんの少し笑った。

 すぐに顔を歪める。

 傷が痛むらしい。

 影を伸ばし、落ちていた布を持ち上げる。

 ミリアの前へ置いた。


「これで巻けってこと?」

「ぴ」

(また、この声か)


 ミリアは布を拾い、傷口へ巻こうとする。

 手が震え、うまく結べない。

 俺はすぐには手を出さなかった。

 一度。

 二度。

 ミリアが結び直す。

 それでも、ほどけた。


「……ごめん」

(なぜ謝る)

「ちょっとだけ、手伝って」


 頼まれた。

 その言葉を聞いてから、影を伸ばす。

 布の端を支える。

 ミリアが反対側を引き、結んだ。

 今度は、しっかりと固定された。


「ありがとう」

(これでいい)


 本人が試す。

 必要になれば、助けを求める。

 求められた範囲だけ、手を貸す。

 エリシアにできなかったこと。

 今度こそ。

     ◇

 盗賊たちが残した馬を使い、ミリアは町へ向かった。

 馬へ乗った経験は、ほとんどないらしい。

 鞍へ上がろうとして、何度も失敗する。

 影で持ち上げようとすると、ミリアが首を横へ振った。


「自分で乗ってみる」

(落ちるぞ)

「落ちそうになったら、助けて」


 その言葉に、動きを止める。

 危なくなったら助けてほしい。

 でも、最初から全部やらないで。

 エリシアの声と重なった。


(……分かった)


 影を引く。

 ミリアは鐙へ足をかけた。

 身体を持ち上げる。

 途中で滑った。


「わっ」


 落ちる寸前。

 影で背中を支える。

 ミリアは鞍へしがみついた。


「今のは、助かった」

(そうだろうな)


 二度目。

 今度は自分の力で鞍へ上がった。


「乗れた」

(乗っただけだ)

「できたよ、ぴよちゃん」

(俺に報告するな)


 馬が歩き出す。

 ミリアの身体が大きく揺れた。


「ちょ、ちょっと待って……!」

(馬に言え)


 俺は馬の頭上を飛んだ。

 町までの道を確認するためだ。

 ミリアを案内するためではない。


(同じ方向へ行くだけだ)


 まだ、そう言い訳していた。

 街道を進みながら、ミリアは何度も空を見上げた。


「ぴよちゃん」

(何だ)

「どこへ行くの?」

(決めていない)

「家は?」

(ない)


「仲間は?」

 答えない。

「……一人なの?」


 俺は前を向いた。

 ミリアもしばらく黙る。

 馬の蹄の音だけが続いた。


「私も、一人になった」

(……ああ)


「でも」

 手綱を握り直す。

「ずっと一人は、嫌だな」

 その言葉が胸へ落ちた。

「町へ着いたら、村のことを話して」

「それから、どうしよう」


 家はない。

 家族もいない。

 頼れる相手がいるのかも分からない。

 それでも、ミリアは生きると決めた。


「何か、できることを探す」

(そうか)

「私、弱いから」

「さっきも、ぴよちゃんがいなかったら……」

 言葉が止まる。

「でも」

「ずっと助けてもらうだけは、嫌」


 俺はミリアを見る。

 目元には、まだ泣いた跡が残っている。

 傷だらけ。

 剣も満足に扱えない。

 馬にも、まともに乗れない。

 それでも。


「強くなりたい」

 ミリアは言った。

「今度は」

「自分で選べるくらい」

(選べるくらい)


 守られるだけではなく。

 誰かに道を決められるのでもなく。

 自分で選ぶために。

 強くなりたい。

 俺は何も答えられなかった。

 やがて、町の壁が見えてきた。

 人の気配。

 門を守る兵士。

 ミリアは手綱を引き、馬を止めた。

 俺も近くの標識へ下りる。


「ぴよちゃん」

(その名前は考え直せ)

「ここまで、ありがとう」


 ミリアが笑う。

 寂しさを隠そうとする笑い方だった。


「もう、行くんだよね」

(ああ)


 そのはずだった。

 町まで無事に届けた。

 これ以上、自分がいる必要はない。

 兵士へ事情を話せば、ミリアは保護される。

 盗賊についても対応してもらえる。


(ここで終わりだ)

 翼を広げる。

「あの!」


 ミリアが声を上げた。

 振り返る。

 手綱を握ったまま、何かを言おうとしている。

 迷っていた。

 断られることを恐れている顔だった。


「……一緒に来ない?」

 小さな声。

「私、何も持ってないし」

「鳥のご飯も、よく分からないし」

「守ってもらってばかりになるかもしれないけど」

(なら、なぜ誘う)

「でも」

 ミリアが、まっすぐこちらを見る。

「一人より、二人の方がいいと思う」


 胸の奥が痛んだ。

 エリシアと過ごした森。

 一人じゃなかった。

 最後まで。

 あの言葉を思い出す。


(断れ)


 自分がそばにいれば、また間違える。

 守ろうとして。

 相手が傷つくことを恐れて。

 選択を奪うかもしれない。


(俺は、誰かと一緒にいるべきではない)

 飛び立とうとした。

「嫌なことは、嫌って言っていいから」

 翼が止まる。

「私も、嫌って言うし」

「自分でできることは、自分でする」

 ミリアは言葉を選びながら続けた。

「だから」

「危ないときだけ、助けて」

(危ないときだけ)

「私も、ぴよちゃんが困ったら助けるから」

(お前が俺を?)


 影を操り。

 どれほど生きているのかも分からず。

 魔王と呼ばれた異形と戦った自分を。

 剣も満足に持てない少女が、助けると言う。

 普通なら笑うところだった。

 だが。

 ミリアの顔は真剣だった。


「……駄目?」


 選ぶのは、ミリアだ。

 俺と一緒にいたいと。

 危険かもしれない。

 普通ではない鳥かもしれない。

 それでも、誘うと決めた。


(なら)


 俺が決めるべきなのは、ミリアのために離れることではない。

 自分が、どうしたいのか。


(俺は)


 一人でいるべきだと思っていた。

 それが罰で。

 誰も傷つけない唯一の方法だと。

 だが、本当は。

 誰にも関わりたくなかったのではない。

 もう一度、失うことが怖かった。


(また同じことになるかもしれない)


 それでも。

 今度は、同じようにしなければいい。

 ミリアの選択を止めない。

 失敗する可能性まで奪わない。

 求められたときに手を貸す。

 守るのではなく。

 隣にいる。


(できるのか)


 分からない。

 また間違えるかもしれない。

 それでも。

 できるかどうかは、やってみなければ分からない。

 記憶の中で、エリシアが笑った。

 翼を畳む。

 標識から飛び立った。

 逃げるためではない。

 ミリアが差し出した腕へ向かって。

 白い小鳥は、少女の肩へ下りた。

 ミリアの目が大きく開く。


「……来てくれるの?」

(今のところはな)


「本当に?」

(何度も聞くな)


「ありがとう……!」


 ミリアが笑った。

 村で初めて見たときよりも、少しだけ力のある笑顔だった。

「これからよろしくね」

 肩へ乗った俺へ話しかける。


「ぴよちゃん」

(その名前だけは考え直さないか)


「ぴ?」

(返事をするな、俺)


 ミリアが小さく笑った。

 町の門へ向かい、馬を進める。

 俺は、その肩で羽を畳んだ。

 黒い鳥だった過去も。

 アッシュという名前も。

 まだ伝えるつもりはない。

 今はただ。

 白い小鳥の、ぴよちゃん。

 それでよかった。

 英雄の相棒だった鳥と、すべてを失った少女。

 二人は互いの過去をほとんど知らないまま、同じ道を歩き始めた。

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