表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女神の従魔  作者: 梅椿 六花
第三章 白い鳥と少女
PR
18/21

第18話 生きるから

 雨が降り始めた。

 最初は弱く。

 やがて村全体を覆うように強くなる。

 残っていた火が消え、地面の血が土へ流れていく。

 少女は父親のそばへ座り続けていた。

 どれほど時間が経ったのか。

 身体が冷え切る前に、少女は立ち上がった。

 涙を袖で拭う。

 それから、村の中を歩き始めた。

 一軒ずつ。

 壊れた家の中へ入り、名前を呼ぶ。

 倒れている者へ触れ、返事がないことを確かめる。

 最後の家から出てきたとき。

 少女の顔には、何も残っていなかった。

 泣くことも。

 怒ることも。

 すべて使い切ったような顔だった。


「……私だけ」

 村の中央で立ち尽くす。


「どうして……」

 誰にも答えられない問いだった。


 俺にも分からない。

 運がよかったから。

 父親が守ったから。

 梁が偶然、身体を潰さなかったから。

 そして、俺が通りかかったから。

 理由ならいくつも並べられる。

 だが、少女が求める答えは、そのどれでもない。

 なぜ自分だけが残ったのか。

 なぜ、ほかの誰かではなかったのか。

 その問いに、正しい答えなどない。

 少女は両手を強く握った。

 爪が、手のひらへ食い込むほど。


「……埋めないと」


 掠れた声だった。

 最初に、父親の身体を動かそうとする。

 両腕を脇へ入れ、引く。

 動かない。

 もう一度、力を込めた。


「……っ」


 怪我をした身体では、人一人を運ぶことさえ難しい。

 それでも、少女は諦めなかった。

 少しずつ。

 地面を引きずるようにして、村外れの小さな丘へ向かう。


(また無理をする)

 俺は木の枝から見ていた。


(誰かを呼べばいい)

 だが、少女は一人だ。


 助けを呼びに行けば、戻るまで村人たちは雨に晒される。

 盗賊が戻る可能性もある。

 少女は、自分で埋めると決めた。


(手を出すな)


 これは少女が選んだことだ。

 本人ができるところまで任せるべきだ。

 そう考える。

 だが、父親の身体を数歩運んだところで、少女は膝をついた。

 荒い息。

 額の傷から、また血が流れている。

 それでも立とうとする。

 記憶の中で、エリシアの声が響いた。

 危なくなったら助けて。

 でも、最初から全部やらないで。

 影を伸ばす。

 少女には見えないよう、父親の身体を少しだけ持ち上げた。

 重さのすべては消さない。

 少女が自分で引いている感覚を残す。


「……?」


 少女が不思議そうに振り返った。

 だが、雨で滑りやすくなったのだと思ったらしい。

 再び、身体を引き始める。

 先ほどより進んだ。

 少女は村人たちを、一人ずつ丘へ運んだ。

 俺は、そのたびに影で重さを支えた。

 少女が手を離せば、影も止めた。

 穴を掘るときも同じだった。

 村に残っていた鍬を少女が振るう。

 俺は影で土を柔らかくし、刃が深く入るようにした。

 代わりに掘ることはしない。

 作業は日が暮れるまで続いた。

 雨は止まない。

 少女の手のひらは破れ、血が滲んでいる。

 最後の土を戻したとき。

 空はすでに暗かった。

 並んだ墓の前へ、少女は両膝をついた。


「……ごめんなさい」


 誰へ向けた謝罪なのか。

 一人だけ生き残ったことか。

 助けられなかったことか。

 もっと立派な墓を作れなかったことか。


「私……」


 言葉が続かない。

 少女は俯いた。


「……生きるから」


 小さな声だった。

 雨音へ消えそうなほど。


「ちゃんと……生きるから」

(生きる)


 本人が選んだ。

 死者の後を追うのではなく。

 この場へ座り込んだまま終わるのでもなく。

 生きると。

 胸の奥で、長い間動かなかった何かが、わずかに揺れた。

     ◇

 夜。

 少女は、比較的損傷の少ない家へ入った。

 自分の家ではない。

 少女の家は焼け落ちていた。

 残っていた毛布。

 乾いた服。

 少量の食料。

 村の中から、使えるものだけを集める。

 傷を水で洗い、布を巻く。

 手つきは慣れていない。

 結び目が緩く、額へ巻いた布は片目までずれていた。


(下手だな)


 見ていると、嘴や影を出したくなる。

 だが、俺は窓の外にいた。

 すでに十分関わった。

 梁を持ち上げ。

 遺体を運ぶ手助けをし。

 土を掘りやすくした。


(ここまでだ)


 少女は生きると決めた。

 ならば、これ以上は必要ない。

 近くの町まで行けば、人がいる。

 村のことを伝えれば、誰かが助けてくれる。


(俺がいなくても大丈夫だ)


 飛び立とうとする。

 そのとき、少女が窓の方を見た。

 目が合う。


「……鳥?」

(気づかれた)


 白い姿なら、正体までは分からない。

 ただの鳥として飛び去ればいい。

 翼を広げる。


「……待って」

(待たない)


「逃げないで」

 少女が立ち上がる。

 ふらつきながら窓へ近づいた。


「……白い鳥」


 俺は動かなかった。

 少女が窓を開ける。

 冷たい風と雨が部屋へ入り込んだ。


「さっきから……いたよね」

(気づいていたのか)


 倒れた家の上。

 墓を作っている間。

 少女は何度か、こちらを見ていたらしい。


「変なの」


 少しだけ笑った。

 初めて見せた、年齢相応の表情だった。


「こんな雨なのに」

(こっちの勝手だ)


「寒くない?」

(羽毛があるからな)


「……中に入る?」

(入らない)


 少女は窓から少し離れた。

 俺が通れるように場所を空ける。

 飛び去るべきだった。

 誰かの家へ入れば、そこから関係が始まる。

 水を与えられ。

 食べ物を分けられ。

 名前を呼ばれる。

 エリシアのときと同じように。


(繰り返すな)


 翼を動かす。

 だが。

 少女が小さく震えていることへ気づいた。

 寒さだけではない。

 窓を閉めれば、完全な静けさが訪れる。

 村にいた者たちは、もう全員土の下だ。


(……今夜だけだ)


 一晩。

 雨が止むまで。

 それだけなら、関わったことにはならない。

 窓を越え、部屋へ入る。

 机の上へ下りる。

 少女の顔が少し明るくなった。


「……来た」

(そんなに喜ぶな)

 乾いた布を探し、俺へ近づける。


「濡れてる」

(鳥だから問題ない)


「拭いていい?」

(必要ない)


 手が伸びてくる。

 俺は一歩下がった。

 少女の手が止まる。


「あ……ごめん」

 それ以上、無理に触れようとはしなかった。

(似ている)


 初めて会った日のエリシアも、同じように手を止めた。

 怖いよね。

 そう言って、俺が落ち着くまで待った。


(比べるな)


 この少女はエリシアではない。

 誰かの代わりでもない。

 俺は机の端へ移動した。

 少女は少し離れた場所へ座る。


「私、ミリア」

(ミリア)


「あなたは?」

(名前はない)


 正確には、捨てた。

 名乗るつもりもない。


「白いから……シロちゃん?」

(安直だな)


 首を横へ振る。

 ミリアの目が少し開いた。


「嫌なの?」

(嫌だ)

 もう一度、首を振る。


「言葉、分かるの?」

 動きを止めた。

(まずい)


「……まさかね」

 ミリアが弱く笑う。


「鳥だもんね」

(そうだ。普通の鳥だ)


 小さく鳴こうとした。

 本来の声では、黒い姿と同じ掠れた声が出る。

 白く小さな鳥には、似合わない。

 影で喉の響きを変える。


「……ぴ」


 ひどく間の抜けた音が出た。

(何だ、今の)

 ミリアが目を瞬かせる。


「……ぴ?」

(違う。忘れろ)


「ぴよちゃん?」

(待て)

 ミリアの顔に、わずかな笑みが浮かぶ。


「かわいい」

(かわいくない)


「じゃあ、ぴよちゃん」

(勝手に決めるな)


「よろしくね」

 机の上へ、小さな木の実が置かれた。


「食べる?」

(餌付けする気か)


 甘い匂いがする。

 空腹ではない。

 食べる必要もない。

 だが、ミリアは俺が食べるのを待っている。


(今夜だけだ)


 木の実を嘴で取る。

 ミリアが少し笑った。


「食べた」

(なぜ、お前が嬉しそうなんだ)


 記憶の中で、エリシアが同じように笑った。

 その夜。

 ミリアは毛布へ包まり、壁へ背を預けた。

 寝台は使わない。

 その家の持ち主に遠慮しているのだろう。

 目を閉じる。

 すぐに開く。

 外の音へ反応する。

 また目を閉じる。

 眠れないらしい。

 俺は机の上から、その様子を見ていた。


「……ぴよちゃん」

(何だ)


「明日になったら……いなくなる?」

 答えない。


「……そっか」

 何も言っていないのに、ミリアは勝手に納得した。


「鳥だもんね」

 自分へ言い聞かせる声だった。


「……ありがとう」

(何に対してだ)


「一緒にいてくれて」

 ミリアは目を閉じた。


 しばらくして、呼吸が規則的になる。

 眠った。

 窓の外を見る。

 雨は弱くなっていた。


(今なら出られる)


 音を立てず、遠くへ飛べる。

 翼を広げかけた。

 そのとき。

 ミリアが眠ったまま、毛布を強く掴んだ。


「……お父さん……」


 掠れた寝言。

 俺は翼を畳んだ。


(雨が止むまでだ)


 まだ完全には止んでいない。

 だから残る。

 それだけだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ