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女神の従魔  作者: 梅椿 六花
第二章 守れない鳥
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第14話 閉ざされた森

 以前の俺は、定期的に森の外へ出ていた。

 食料の様子を確かめるため。

 戦況を知るため。

 森へ近づく者がいないか、調べるため。

 黒い姿では目立つため、影を身体へまとわせ、羽根を白く変えた。

 町で人々の会話を聞き、掲示物を見た。

 だが、耳へ入るのは同じような言葉だった。

 黒い鎧。

 黒い鳥。

 不吉。

 死を呼ぶ。

 災いの前触れ。


「俺は見たんだ。黒い鳥が飛んだ次の日、砦が落ちた」

(順番が逆だ)

 砦が襲われると知ったから、俺たちは向かった。

「黒鎧の女に助けられた兵士は、その後も戦場へ呼び戻されるらしい」

(エリシアが呼んでいるわけじゃない)

「助けられない方が幸せだったかもな」

(そんなはずがあるか)


 生きているからこそ、未来を選べる。

 死んだ方が幸せだったなどと、他人が決めてよいはずがない。

 子供が黒い鳥の絵を描けば、母親が紙を取り上げた。


「不吉なものを描くんじゃありません」

 理由も分からず、子供が泣く。

(羽根が黒いから、何だ)


 姿だけを見て、人々は勝手に意味を作る。

 戦場へ現れるから死を呼ぶ。

 黒い鳥がいるから災いが起きる。

 誰かを救っている事実は、噂の中では消えていた。

 町へ出るたびに腹が立った。

 同時に、恐ろしくなった。

 この言葉を、エリシアが聞いたら。

 彼女は怒らない。

 自分は悪くないと言い返すこともしない。

「怖がらせたなら仕方ない」と受け入れ、さらに人前から遠ざかる。


(そんな顔を見たくない)


 だから、聞いたことを伝えなかった。

 話す方法がなかったわけではない。

 文字を影で示すことも。

 人のいる場所へ導くことも。

 黒い鎧や黒い鳥の絵へ反応し、噂の存在を知らせることもできた。

 それをしなかった。


(知らなくていい)


 悪意ある言葉など、知る必要はない。

 そう判断した。

 やがて、町へ出る回数そのものを減らした。

 エリシアを一人にするのが心配だった。

 それ以上に、また悪い噂を聞くのが嫌だった。


(何も変わらない)


 人々はエリシアのしたことを知らない。

 知ろうともしない。

 黒い鎧と黒い鳥だけを見て、勝手に恐れている。


(なら、関わらなくていい)


 エリシアは森で穏やかに暮らしている。

 外の声など必要ない。

 そう考え、俺は情報を探すことをやめた。

 森へ誰かが近づけば追い返した。

 霧を作る。

 影で枝を動かし、道を曲げる。

 獣の唸り声を響かせる。

 以前の悪評が今も続いていると決めつけた。

 世界が変わっている可能性を、考えようとしなかった。

     ◇

 ある日。

 森の入口へ、数人の兵士が現れた。


「この先に、小屋があるはずだ」

「黒い鎧の冒険者が使っていたという話だ」

 俺は木の上から聞いていた。

(来るな)

 兵士たちは地図を広げ、周囲を確かめている。

「生きているなら、早く知らせないと」

「上もずっと探している」

(何のために)


 戦場へ戻すつもりか。

 片腕を失ったエリシアを、まだ利用する気か。

 目的を確かめようとはしなかった。

 会わせれば、以前と同じ視線を向けられるかもしれない。

 失った腕を見て、何を言うか分からない。

 濃い霧を作った。

 木々の間を白く覆う。

 兵士たちが進もうとするたび、影で道を曲げた。


「同じ場所へ戻ってるぞ」

「魔物の領域か?」

「これ以上は危険だ。一度戻ろう」

「だが、もしこの奥に――」

「部隊を整えてからだ」

 兵士たちは引き返した。

(これでいい)


 エリシアは何も知らない。

 人の姿を見ることも。

 外から呼ばれることもなかった。

 その夜。

 エリシアは窓辺に座り、森を眺めていた。


「今日、森が騒がしかったね」

(気のせいだ)

「誰か来てた?」


 俺は鳴かなかった。

 エリシアがこちらを見る。


「……違う?」


 短く首を横へ振った。

 嘘だった。

 鳥になってから初めて、意識してエリシアへ嘘をついた。


「そっか」


 エリシアは簡単に信じた。

 俺を信頼していたから。

 胸の奥に、小さな痛みが生まれた。


(これでいい)


 傷つかないためだ。

 嘘も。

 隠すことも。

 すべて、エリシアを守るため。

 それからも、人間は何度か森へ来た。

 兵士。

 冒険者。

 旅人。

 護衛に囲まれた、身なりのよい男もいた。


「陛下からの言葉を、直接届けなければならない」

 男はそう話していた。

(国からの使者か)


 俺は以前より濃い霧を作った。

 誰も傷つけない。

 ただ、何度進んでも街道へ戻るようにした。

 使者は日が暮れるまで森へ入ろうとした。

 翌朝も試した。

 それでも最後には諦め、町へ戻っていった。

 俺は全員を追い返した。

 悪意があるのか。

 何を伝えたいのか。

 確かめる前に。


(傷つく可能性があるなら、会わせない)


 それが守ることだと信じていた。

     ◇

 季節が一つ変わった頃。

 エリシアが、ふと尋ねた。


「外は、どうなってるのかな」

 食事の途中で動きを止める。


「戦争、まだ続いてる?」

(分からない)


 以前なら、数日おきに情報を集めていた。

 今は何も知らない。

 知ろうともしていなかった。


「最近、森の外へ行かないよね」

(あんたを一人にしたくない)


「私なら大丈夫だよ」

(大丈夫じゃない)


 エリシアは以前より痩せていた。

 少し歩くだけで息を切らす。

 夜に咳き込むこともある。

 異形との戦いで受けた傷は、左腕だけではなかった。

 身体の内側に残った何かが、少しずつ体力を奪っている。

 眠っている最中、突然身体を震わせることもあった。

 胸を押さえ、呼吸ができなくなる。

 しばらくすれば治まる。

 だが、その間隔は短くなっていた。


「国へ戻れば、治療できる人がいるかもしれないね」

(戻るのか?)


 羽根が強張る。

 国。

 町。

 人間の視線。

 不吉だと囁く声。


「戦場で診てくれた人も腕はよかったし、もう一度見てもらった方がいいかも」

(駄目だ)

「カァ!」


 強く鳴く。

 エリシアが目を瞬かせた。


「……やっぱり、嫌?」

「カァ」


 国へ戻れば、人の目に触れる。

 以前と同じ言葉を聞くかもしれない。

 弱っている今、これ以上傷つけさせたくない。


「そっか」

 エリシアは少し寂しそうに笑った。


「アッシュは、ここが好きなんだね」

(違う)


 森が好きなのではない。

 ここならエリシアが安全だからだ。

 そう伝えたかった。

 だが、言葉にはならない。


「私も嫌いじゃないよ」

 窓の外へ目を向ける。


「静かだし」

 木の葉が風に揺れている。


「戦場より、ずっといい」

(そうだろ)


「アッシュがいるから」

(俺がいればいい)


 その言葉に安心した。

 エリシア自身も、ここを選んでいるのだと思った。

 俺の反応を見て、外へ出ることを諦めただけではないのか。

 その可能性を考えなかった。

 数日後。

 エリシアは小さな鞄を取り出した。

 片手で中身を確かめている。


(何をしてる)

「町まで行けるかなって」

 俺は鞄の上へ飛び乗った。


「まだ何も入れてないよ」

(入れさせない)

「少しだけ、様子を見に行くのも駄目?」


 動かなかった。

 エリシアは困ったように笑う。


「アッシュは心配性だね」

(あんたが無茶をするからだ)

「今の身体で戦場へ行ったりしないよ」

(助けを求められたら行くだろ)


 エリシアは人を見捨てられない。

 町へ行けば、誰かが彼女を知る。

 戦いを求めなくても、問題は向こうからやってくる。


「買いたいものもあるんだけどな」

(俺が取ってくる)


「アッシュに買い物はできないでしょ」

(盗めば――いや、それは駄目か)


「今、悪いこと考えた?」

(考えてない)

 エリシアは、俺の背中を右手で撫でた。


「分かった。今はやめておく」

(それがいい)


「もう少し元気になったら、一緒に行こうね」

(……ああ)


 曖昧に鳴いた。

 その約束が果たされる日は来なかった。

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