第10話 守りたいもの
翼を広げる。
魔族兵。
人間兵。
地面に落ちる影。
逃げ道。
すべてを視界へ入れた。
異形が一歩、前へ出る。
最初に壊れたのは、地面だった。
爆発ではない。
魔法の光もない。
足が地面へ触れた瞬間、土と岩が耐えられなくなった。
半径数歩の地面が沈み、岩が粉々に砕ける。
人間も魔族も区別なく、兵士たちの身体が宙へ投げ出された。
「伏せろ!」
誰かが叫ぶ。
間に合わない。
亀裂が波のように走る。
一直線に。
エリシアの背後にいる人間兵へ向かって。
(流れがある)
無差別に見えるが、破壊には向きがあった。
異形の身体から地面へ力が流れ、前方へ広がっている。
「カァ!」
俺は右側へ飛ぶ。
エリシアが視線を追った。
右足を軸に半歩だけ位置を変え、剣を地面へ突き立てる。
「――っ!」
走ってきた亀裂と刃がぶつかった。
衝撃で、エリシアの身体が揺れる。
彼女は剣を杭のように打ち込み、破壊の流れを斜めへ逸らした。
亀裂は人間兵の集団を外れ、横の岩壁へぶつかった。
岩が砕け、土煙が上がる。
(剣で流れを変えたのか)
何をしたのか、完全には分からない。
ただ、エリシアが受け止めなければ、背後の兵士たちは地面ごと砕かれていた。
彼女の両腕が震えている。
手の皮が裂け、剣の柄へ血が滲んでいた。
「下がって!」
エリシアが兵士たちへ叫ぶ。
「ここから離れて!」
だが、兵士たちは恐怖で動けない。
異形がもう一歩進んだ。
「……コワ……ス……」
地面が沈む。
(また来る)
先ほどより範囲が広い。
俺は影へ沈み、亀裂が進む先へ移動した。
地面の影から飛び出し、翼を広げる。
(流れを逸らせるなら)
自分の影を地面へ伸ばした。
冷たい力が、影の中へ流れ込んでいく。
亀裂へ触れた瞬間、全身の骨が軋んだ。
(重い……!)
巨大な何かに踏みつけられたような圧力。
完全には止められない。
だが、流れは曲がった。
兵士たちの足元を避け、空いた地面へ向かう。
土が爆ぜる。
衝撃で、俺の身体も吹き飛ばされた。
「アッシュ!」
(大丈夫だ)
鳴く余裕はなかった。
空中で翼を広げ、どうにか体勢を戻す。
異形へ向かって高度を上げた。
(どこかに核があるはずだ)
力が流れ出す中心。
胸。
頭。
腹部。
どこを見ても、生き物らしい急所はない。
皮膚の下を黒い筋が動いている。
全身が一つの器官のようだった。
(なら、流れを見る)
破壊が起きる直前。
異形のどこへ力が集まるのか。
周囲を旋回し、角度を変える。
右。
背後。
上空。
影から影へ渡りながら、全身を観察する。
異形は俺を追わない。
正面にいるエリシアだけを壊そうとしていた。
エリシアが踏み込む。
剣が横へ走り、異形の胸へ当たった。
金属とも石とも違う音が響く。
黒い表面へ浅い傷が走り、液体が滲んだ。
だが、傷口はすぐに塞がる。
「硬い……」
エリシアが距離を取った。
異形の腕が横へ動く。
ただ、それだけだった。
空気が砕けた。
「カァ!」
目に見えない圧力がエリシアへ迫る。
彼女は剣を立てて受けた。
金属音。
身体が地面を滑る。
踵が土を抉る。
背後の兵士へぶつかる寸前、エリシアは剣を地面へ突き立てて止まった。
口元から血が落ちる。
(今のは魔法ですらない)
腕を振っただけ。
それだけで、これほどの力が出る。
(まともに受けたら終わる)
エリシアは手の甲で血を拭い、剣を握り直した。
「まだ」
(何が、まだだ)
異形が再び腕を上げる。
俺は影へ潜り、背後へ出た。
首元へ爪を振るう。
手応えはない。
黒い表面へ、細い線が走っただけだった。
異形の頭部がこちらを向く。
目と呼べる器官はない。
それでも、見られたと分かった。
(まずい)
周囲へ広がっていた圧力が、一点へ集まる。
俺へ。
翼を振る。
影へ入ろうとする。
間に合わない。
空気が身体を打った。
(――っ!)
骨が軋む。
視界が白く染まる。
身体が空中で弾き飛ばされた。
上も下も分からなくなる。
(落ちる)
地面が迫る。
直前で、黒い影が視界へ入った。
エリシアだった。
片手で俺を受け止め、そのまま身体を回転させて衝撃を逃がす。
「大丈夫?」
(あんたは、どうして毎回――)
自分も傷ついているのに、先に俺の心配をする。
「カァ!」
怒鳴るように鳴く。
「怒れるなら平気そうだね」
(そういう意味じゃない)
エリシアが腕を開く。
俺は再び翼を広げた。
右の翼が痛む。
だが、折れてはいない。
(次に同じ攻撃を受けたら終わる)
異形は待ってくれない。
両手を地面へ向けた。
(来る)
黒い筋が全身から胸へ集まっていく。
初めて、力の流れが見えた。
(胸だ)
中心より、わずかに左。
すべての力が、そこへ一度集まっている。
(核)
俺は異形の左胸へ向かって飛んだ。
嘴で攻撃するふりをして、すぐ上へ逃れる。
エリシアの視線が、俺の示した場所へ向く。
「そこなんだね」
異形の力が膨れ上がった。
今までの攻撃とは比べものにならない。
空気そのものが悲鳴を上げている。
地面は、触れられる前から沈み始めた。
魔族兵は逃げない。
人間兵は動けない。
(全員巻き込む気か)
あれには味方という概念がない。
自分以外のすべてが、壊す対象だった。
「全員、下がって!」
エリシアが叫ぶ。
ようやく兵士たちが動き始めた。
負傷者を担ぎ、武器を捨てて走る。
だが、間に合わない。
膨張していた力が止まった。
一瞬の静寂。
誰もが理解した。
次に来るものを受ければ、ここにいる全員が消える。
(どうする)
俺一人なら、影へ潜って逃げられる。
だが、エリシアは残る。
(そんな選択ができるか)
エリシアは剣を両手で構えていた。
正面から受けるつもりだ。
(無理だ)
これまでの攻撃だけでも、身体を削られている。
次は桁が違う。
「カァ!」
やめろと叫ぶ。
エリシアはこちらを見なかった。
「アッシュ」
剣を握る手へ力を込める。
「後ろをお願い」
(何をする気だ)
異形の口が開いた。
「……コワ……ス……」
白い光が弾ける。
音が消えた。
世界から色が失われる。
破壊の波が、正面から押し寄せた。
エリシアが踏み込む。
逃げるのではない。
攻撃へ向かって。
「――止まれ!」
剣を振り下ろす。
刃と破壊がぶつかった。
次の瞬間、音が戻った。
耳を潰すような轟音。
地面がめくれ上がる。
エリシアの足元から、放射状に亀裂が走った。
彼女は剣を押し込む。
破壊を消そうとしているのではない。
一点へ集まった力を、左右へ分けようとしている。
(全部を受けるな!)
俺は影へ沈み、エリシアの足元へ移動した。
力の流れが見える。
剣を中心に分かれようとしているが、左側だけが大きい。
(偏っている)
このままでは、エリシアの左半身へ力が集中する。
俺は影を伸ばし、流れへ身体ごと差し込んだ。
(曲がれ!)
翼が裂けそうになる。
全身の骨が軋む。
意識が飛びかける。
それでも、力の一部が横へ逸れた。
背後の兵士たちは、衝撃で吹き飛ばされた。
地面へ叩きつけられる。
それでも、身体は残っている。
(まだだ)
エリシアの剣へ亀裂が入る。
左腕の鎧が砕けた。
金属片が宙へ飛ぶ。
次の瞬間。
鈍い音がした。
赤い血が、空中へ散った。
エリシアの身体が大きく後方へ弾かれる。
剣が手から離れた。
左腕が――肘より上から消えていた。
切り落とされたのではない。
破壊の力に巻き込まれ、鎧ごと形を失っていた。
(……エリシア)
守らなければならない存在。
失ってはいけない存在。
(エリシア!)




