第七話 ――影、門の下に――
台所から、包丁の音が聞こえていた。
湯が沸き、菜が刻まれる音。
それは、どこか懐かしい日常の音だった。
雪ノ丈は縁側に出て、外を眺めていた。
春とはいえ、風はまだ冷たい。
竹林がざわめく。
――そのとき。
背に、冷たいものが走った。
視線の先。
畑の向こうの道に、誰かが立っている気がした。
だが、瞬きをした瞬間には、ただ風が草を揺らしているだけだった。
「……気のせいか」
小さく呟く。
だが、胸の奥のざわめきは消えなかった。
数日後。
雪ノ丈は市原道場を訪れた。
木の看板は古び、空気にはどこか寂しさが漂っている。
迎えに出たのは、若い男だった。
「野橋殿……兄がお世話になりました。私は草助と申します」
草太郎の弟だった。
面差しに兄の面影がある。
「久しぶりだな」
「兄の仇を討たれたと聞きました……ありがとうございました」
雪ノ丈は首を振る。
「礼はいらん。あれは俺の務めだった」
道場では門弟たちが稽古をしていた。
雪ノ丈も竹刀を取り、何人かと手合わせをする。
打ち合う音が響くたび、胸の奥の重みがわずかに軽くなる。
そのとき――
戸が開いた。
「旅の者ですが、手合わせを願いたい」
振り向く。
そこに立っていたのは、三十前後の男だった。
静かな目。
無駄のない立ち姿。
「本間佐一郎と申す」
草助が頷く。
「では、拙者が相手を」
二人は向かい合う。
構えた、その瞬間。
乾いた音が響いた。
一合。
それだけだった。
草助の竹刀が宙を舞う。
本間は動いていなかった。
ただ、そこに立っているだけのように見えた。
「……お見事」
草助が頭を下げる。
本間は軽く会釈し、何も言わずに背を向けた。
その背中を見送りながら――
雪ノ丈は目を細めた。
(……違う)
あの踏み込み。
竹を握る指の力。
――人を斬った者の動きだ。
だが、そのときはまだ確信には至らない。
本間は何事もなかったかのように去っていった。
門弟たちは口々に称賛している。
だが、雪ノ丈の胸には、冷たいものが残っていた。
――あの男。
ただの旅人ではない。
そして。
すでに、この村に入り込んでいる。
雪ノ丈は静かに息を吐いた。
その気配は、まだ遠い。
だが確実に、近づいていた。




