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第五話 ――帰郷 ― 白き道 ――

 野橋雪ノ丈は、ただ歩いていた。


 雪が溶け、ぬかるんだ街道を、足音も立てずに進む。


 行き交う人々は、誰も彼を気に留めない。


 蓑をかぶった、ただの旅人のひとりだった。


 途中、茶屋に立ち寄った。


 湯をもらい、静かに口をつける。


 そのとき――


「桜田門外で、大老が斬られたんだと」


 箸が、止まった。


「えらい騒ぎさ。犯人は皆、討たれたらしい」


「お上はまだ探してるそうだ」


 湯気が、ゆらゆらと揺れる。


 雪ノ丈は湯を飲み干し、何も言わずに立ち上がった。


 その名は、どこにも出てこなかった。


 誰も――


 野橋雪ノ丈という浪士のことを知らなかった。


(……俺は、いなかったことになったのか)


 あの雪の日。


 確かに、自分は刀を振るった。


 だが――


 それを知る者は、もう誰もいない。


 “斬った者”は死に、

 “生きた者”は、存在を失った。


 雪ノ丈は歩き続けた。


 日は昇り、沈み、また昇る。


 野宿の夜。


 焚き火の煙の向こうで、草太郎の笑い声が幻のように揺れた。


 ――剣は、呼吸の間で斬るものだ。


 その声に、雪ノ丈はわずかに笑う。


「あのときの呼吸は、今も止まっていないぞ、草太郎」


 やがて――


 遠くに霞ヶ沢の山並みが見えた。


 幾度も夢に見た、故郷の稜線。


 夕日が山肌を染め、鳥の声がかすかに響く。


 雪ノ丈は立ち止まり、深く息を吸った。


 冷たい空気が肺を満たす。


 長い道のりだった。


 それでも、足は止まらなかった。


 やがて村の入口にたどり着く。


 道端の祠。


 幼い頃、妹と並んで手を合わせた場所。


「……帰ってきた」


 静かに呟く。


 帽子を脱ぎ、頭を下げる。


 顔を上げると――


 そこに広がる風景は、あの頃と同じようでいて、どこか違っていた。


 風が、わずかに冷たい。


 雪ノ丈は、その違和感を胸に抱えたまま歩き出す。


 ――もう、何もかもが元には戻らないと、知らぬままに。

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