第二百十四話
一五三七年一月 佐渡・羽茂城
羽茂城。
この城は佐渡国羽茂郡に存在した小高い山の上に位置した城であり、南佐渡最大の河港と一帯を支配した羽茂本間家の居城である。
この城が見下ろす羽茂平野は佐渡島にあっては豊穣な穀倉地帯であり、羽茂本間氏は歴史上においても本家筋である雑太本間家と抗争を繰り広げて来たが、一時期はその本家をも上回る勢力を得ていた。
そして後世に上杉景勝の佐渡遠征によって滅亡させられたわけだがそれは史実での話。
この歴史においては、その様相は異なっていた。
無論、他の本間家と勢力争いを繰り広げていた、と言うのは変わらない。
異なっているのは越後国の先代守護・上杉定実を保護していたのだ。
越後国では国内随一の勢力を持っていた長尾為景が越中に侵攻するも敗北、自害して果てた。
後継となった長尾(上杉)定長が越後守護上杉家の当主となったのだが先代の上杉定実と折り合いが悪くなり、上杉定実が春日山城を出奔。
その後佐渡に渡ってきたという訳だ。
ある日、羽茂城城主、この一帯の支配者である本間高信がため息をついていた。
その視線の先にはそう、前述の上杉定実が優雅に茶を嗜んでいたのである。
齢・六十に近いであろうこの御仁に対し、一国の守護であったという観点から一定の敬意を払っていたものの、その存在は羽茂本間家にとって重荷になり始めていた。
この御仁を保護したのは、もちろん打算的な理由もあったのだ。
佐渡国は本州から離れた地であるが、その情勢は同族との争いが中心であった。
今では本家よりも勢力が上回ってきたとはいえ、大幅に勝っている、という訳でも無いし、国内は河原田本間家もいる。
それ故少しでも権威・ハクを付けようと、越後を出奔したこの御仁を保護したわけだ。
とは言えどれほどの効果があるのか、そう期待してきたわけだが、やってきたのはプライドばかり高く、飯を喰い、お茶を服するだけの元守護の老人であった。
彼が越後にて号令を掛けたとて、どれほどの国人領主が付き従うのだろう?
現当主の上杉定長は地道な努力にてあの独立色の強かった揚北衆にも声を掛け続け、反抗的な国人に対しては武力行使を行うなど、硬軟使い分けた国内統一事業を推し進めていると聞く。
その後、最終的な懸念として唯一残る障害があるとすれば…。
「殿、よろしいでしょうか?」
「帯刀か、如何した?」
声を掛けて来たのは、家臣の羽生帯刀だ。
羽茂本間家の重臣としている彼は、本間高信が信頼している臣の一人か。
「はっ、ここではちょっと…」
「ふむ。」
本間高信が軽く頷いた。
「…兵庫頭(上杉定実の官途名)様。某は少し家臣と話をして参りますゆえ、引き続きごゆるりとくつろがれよ。」
「ほうほう、承知致した。三河(本間高信官途名)殿。夕餉も楽しみにしておるぞ。」
上杉定実の間の抜けた答えに、本間高信は表情を変えずに振り返った。
…いちいち反応していてはもたぬ、という訳だ。
さて本間高信と羽生帯刀はその場を辞し、居城の奥座敷へと場を移した。
「…それで如何したのだ?」
「はっ…。実は雑太より書状が届きましてな。」
羽生帯刀が一通の書状を取り出した。
本間高信はそれを受け取ると目を走らせた。
「ぬぅ、これは…」
書かれていたのはこうだ。
佐渡本間本家である我が雑太は、越後守護上杉家との同盟を進めている。
その上杉家からの要請があり、羽茂家に所在している前守護を引き渡せとの事だ。
既に我が雑太には上杉の兵、約千が駐留しており我がが雑太と共に羽茂城を攻めるのは容易いが、上杉はそうは望んでいないようだ。
また上杉はこうも言っておった。
上杉が加盟している北山協定が水軍の整備を進めており、陸の兵を失わずとも、羽茂を攻撃できるだろう。
能登からの荒浪を乗り越えた大型船が、雷の如き龍の炎が、羽茂を襲う事だろう。
「な、なんだこれは…?!」
本間高信は色を成して震える声を絞り出した。
「我が城は海から離れた山の上にあるのだぞ!? 陸の兵を使わずに、いかにして海からこの城を攻めるというのだ!雷の如き龍の炎とはいったい何なのだ!?」
本間高信の動揺に対し、羽生帯刀は苦々しい顔で首を横に振った。
「…想像もできませぬ。できませぬが聞こえてくる噂に寄りますと、かの北山協定なる組織は『七尾』なる名の船を建造しているとの事にございます。その船には火薬を用いた爆発的な矢を発射する悪魔の様な兵器を搭載しておるとか…」
無論これは北山協定の薬売りによる工作活動である。
北山協定水軍『氷見』の件は真実であるのだが、これは羽茂本間家を脅すためのものだ。
ライバルである雑太本間家からの情報にプラスして領内から流れてくる噂を総合すれば、真実味が増し、羽茂本間家は疑心暗鬼に陥る事だろう。
「北山協定…、神保近衛少将、いや、近衛中将が組織している同盟か。」
「いかにも。」
「ううむ…」
本間高信は唸り声を上げた。
自らの家のかじ取りをどのようにすべきか、それは自身に掛かっているのだ。
…その時である。
ドガァァァァァ!!!
まるで雷が近くに落ちたような轟音が響き渡った。
「な、なんだ!?」
ドガァァァァァ!!!
そしてもう一発。
本間高信と配下の羽生帯刀は建屋から曲輪に飛び出した。
そして近くにいた警備兵に話しかけた。
「お、おい。何があった!?」
「こ、これは殿…! じ、実は今の轟音にて、我等の見張り台が倒壊したようにございます。」
兵が指し示した方向を見ると、確かに海を見張る為の施設がある方向から煙が上がっていた。
この施設は普段から兵が常駐している訳ででは無い場所だが、有事の際に海からの侵攻を見張る目的の、小規模な監視台が設置されていた。
「ま、まさか、あれが『雷の如き龍の炎』か!?」
「と、殿、それはいったい…?」
「あ、いや…!」
武家の主として、配下の兵を怯えさせるわけにはいかない。
「まずは状況の確認を行わねばならぬ。お前はあの場所へ偵察部隊を派遣するように指示を出せ。」
「は、ははっ。」
本間高信はこの兵に指示を出した。
役目を与えておけば、ひとまず怯える暇も無いだろうという判断だ。
しかし、後にこの偵察部隊からもたらされた情報は、背筋が凍り付かんばかりのものであった。
「それは本当か…!?」
「ははっ。見張り台は文字通り粉砕されておりました。矢を避けるための盾など意味も無く、土台まで破壊を受けておりました。轟音は二発。兵が居りませんでしたので詳細は不明ですが、一発目で見張り台の建屋が破壊され、二発目で土台まで粉砕したものと思いわれます。」
「兵がおらんかったのが、不幸中の幸いか…」
「また遠くに船体が白く塗装された大型船が、三隻の中型船と共に、沖合に居るのが確認されました。その位置はこちらからの矢も到底届く範囲ではありませんでした。」
「つまり、彼奴らはこちらから攻撃できぬ場所から、そこまでの攻撃をして来たという訳か。」
「分かった。報告ご苦労。下がって良いぞ。」
「ははっ、では失礼致しまする。」
兵が下がっていった。
幸いにも人的損失は無かった。
いや、もしかしたら彼奴らはそれを狙ったのかもしれぬ。
つまりこれは脅しだ。
彼奴らは言っておるのだ
海から、我が城を、いつでも攻撃できるのだと。
「帯刀よ。雑太が言っておったのは流言飛語等では無かったのだな…」
「左様で…。某、これほど背筋が凍った経験は、未だかつてございませぬ。」
羽生帯刀は長年羽茂本間家に仕える重臣である。
その彼がそう言うのだから、此度の衝撃は相当なモノだ。
「帯刀よ。兵庫頭様を抱えているのは儂の判断間違いだろうか。」
「殿に対して左様な事は申し上げにくいですが、かの御仁が当家の益になるとは思いませぬ。」
「で、あるか。」
そうだ。
我等は所詮、井の中の蛙大海を知らず、であったのだ。
その大海からは、龍の雷が飛んできたのだ。
みみっちく同族との争いを続けていて、その中でも少しでもハクを付けるために判断した事であったはずなのに。
「…これから下す判断は、他国からの誹りを受けようか?」
「なれど、羽茂が生き残るために致し方無きものと存ずる。」
「そうよな。」
本間高信はしばし瞑目すると、カッと目を見開いた。
「帯刀。儂は雑太への書状を認める。出来上がったら申し付ける故、疾く雑太へ駆けてくれるか。」
「御意。兵庫頭様はどうされるおつもりで?」
「儂自ら手勢にて、兵庫頭様と供を幽閉する。それについても書状に書くつもりじゃ。」
「雑太に判断を委ねると?」
「いや、背後に居るのは上杉、そして北山協定、即ち神保左近衛中将なのであろう。」
「なるほど。我等はあずかり知らぬ、と言う事ですな。」
一度庇護を与えたものを放逐すると言うのは非常に外聞が悪いと言うものだ。
それでも自らが生き残るための選択肢はそれ程多くなかった。
「…フ。ここが我等の正念場、よな。」
本間高信は天を仰いだ。
数刻の後、羽生帯刀は主の文を懐に忍ばせ、密かに羽茂城を出立した。
史実において佐渡の趨勢が決まるのはかなり後であったはずだが、それよりもだいぶ早く、佐渡の時計が進み始めたのであった。
史実において佐渡が平定されるのは50年以上先の話です。私はあまり佐渡の歴史に詳しくないので重臣の羽生帯刀はちょっと架空の人物と言う事で設定をしております。
よろしくお願いいたします。




