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第二百十三話


一五三六年十二月 越中氷見・狩野屋



「むぅ…、中々寒いな。」



最近はめっきり冷え込む日が増えて来た。

十二月となると気温が低い日になるとチラホラと雪が舞うような、そんな季節だ。

僕はかじかむ手を摩りながら馬を下り、足早に狩野屋の門をくぐった。



「これは御屋形様。ようこそいらっしゃいましたな。」

「おう、市兵衛か。能登から戻っていたか。」



僕を出迎えてくれたのは狩野屋現当主、狩野屋市兵衛徳広(のりひろ)だ。

前にも述べたがこの男は薬売り(ちょうほういん)出身であり、現在でもその頭を務めているが、現在では狩野屋の仕事に専従していた。

能登での事業、つまり水軍設立に伴う軍船の建造等がメインになっていたのだが、七尾から戻ってきていたようだな。



「はっ。畠山様麾下となる第一艦隊の訓練に関しては軌道に乗っております。」

「なれば、来年は第二艦隊になろうか。」

「仰る通りですな。船体は間もなく完成見込みとなります。」

「艦載型龍筒の方はどうか?」

「ようやく試作品の陸上射撃試験が終わりました。試験結果は良好にて、『七尾』に搭載する『轟龍(ごうりゅう)』および、『淡雪(あわゆき)』と『袖雪(そでゆき)』に搭載する『飛龍(ひりゅう)』を実際に船に載せ、洋上発射試験を行う見込みです。」

「これにはどうにも時間が掛かったな。」

「…申し訳ありませぬ。弾薬の威力が中々に強力でしたので、砲身の強度を保つ為の改良に苦戦致しまして。」



まぁ何しろこの時代に存在しない無反動砲・ロケット砲を作ろうと言うのだからな。



「いや、構わぬ。安全を優先するように進めてくれ。」

「ははっ、承知いたしました。」

「…ところで頼んでおいた、滋養のあるものは届いているかな?」

「はい、細川六郎様の御方様にお届けするものですな? ご要望いただいたものは揃いました故、荷車にて配送する準備を整えまして御座います。」

「それは有難い。六郎の屋敷に運んでやってくれ。代金は俺に回してくれればいい。」

「承知いたしました。では早速。」

「うむ、よろしく頼むぞ。」



僕は満足そうに頷いた。



「あ、そうそう。御屋形様。」

「む、何だ?」

「うっかり申し上げておりませんでしたが、現在当店に胡桃様がお見えになられております。」

「ほう、胡桃が、な。」



胡桃は姉小路飛騨国司直頼が姫であり、我が息子小三郎長教の婚約者だ。

双子の弟である姉小路四郎二郎嗣頼が越中へ留学するのと同時に来て、以降城ヶ崎城に住んでいるのだ。



「何でも、御方様のおつかいを頼まれたようなのですがたまたま店頭に在庫が無いものでしてな。手代が隣町に買い付けに行っておるのですよ。」

「なるほどな。それで胡桃はそれを待っておるのだな。」

「ええ。後程城でお届けに上がりましょうか? と申し上げたのですが、時間があまりに掛からないのなら、お待ち頂けると。」



まぁ普通は大身武家の跡取りの嫁が一人、商家に買い物に来るなんてありえない事なのであるが、この氷見の治安は日ノ本随一であるし、我が神保家には自分で出来る事は出来るだけ自分でやろうと言う空気が染みついていた。

胡桃と言う姫は勝気な姫であったが我が妻・芳のお陰もあってか、家族の一員とも言える程馴染んでくれていた。



「左様か。せっかくだし少し胡桃と話していくかな。」

「承知いたしました。胡桃様は奥座敷でお休みでございます。」

「うむ、では俺も上がらせてもらうか。」



僕は腰から打刀(うちがたな)を外すと、狩野屋の屋敷奥へと進んだ。

そして神保家の面々が狩野屋に訪問するときに使わせてもらう、いつもの奥座敷の襖を開けた。

もう、ここは第二の自宅の様に勝手知った場所なのだ。



「あ、あれ? パパ?」



少しだらけた格好で座っていた胡桃は僕の姿を見ると、慌てて姿勢を直そうとした。



「ふむ、そのまま楽にしていて良いぞ。小三郎の妻であるお前はもう俺の家族と同じだからな。」

「す、すみません。」



胡桃は少し顔を赤くしながら、自分の手で顔をパタパタと扇いだ。

この姫は越中に来た時はツンツンした感じの姫であったのだが、我が愛妻が自分の事をママと呼ばせるようになってから、先程も言ったように急速に我が神保家に適応していった。

そしていつの日からか、僕の事をパパと呼ぶようになったのだ。

それもやはり、我が愛妻の命令らしい。



「市兵衛から聞いたが、芳のおつかいをしてくれているようだな。」

「はい。市兵衛おじさんに仕入れを頼んだので、届くのを待っているんですよ。」

「ふむ、お前は我が妻を好く助けてくれてるようだな。ありがとうな。」

「そ、そんな。あたしも、越中(ここ)では楽しく過ごさせてもらってるから…」

「小三郎も上手く尻に敷いているのだろう?」



僕はニヤリと笑いながら言った。



「そ、そんなことは…。あ、でもそうかも…」



胡桃が再び顔を赤らめた。

前にも述べたかもしれないが、我が嫡男の小三郎は胡桃より年下なのだ。

胡桃は小三郎に対し、お姉さん気取りなところがあるのは間違いない。



「でも最近の小三郎は武芸の鍛錬を頑張っているの。総光おじさんの指導を受けているけど、メキメキ上達してるって、総光おじさんも喜んでいらっしゃったわ。」

「むう…。小三郎(アレ)は俺より武芸については才があるようだな。」



俺も遊佐総光の指導は受けたのだが、人並み以上に上達する事は無かったな。

最近は大戦(おおいくさ)で最前線には立っていないが、どうしても実戦は家臣に任せる部分が大きいのは確かだ。



「でも武芸に優れていると言う事は、戦があれば前線に行くのですよね。」

「心配か?」

「それはもちろん…」

「俺達は武士だからな。戦になれば、そこに赴かねばならない。だが身に付けた技術は、そこで必ず役に立つだろう。」

「それはそうですよね…」

「まあ、それでも小三郎の事を心配してくれてありがとうな。」

「うん…」



胡桃が神保家に嫁いできたのはもちろん政略結婚の意味もあったのだが、それでも我が息子の心配をしてくれるのはありがたいことだ。



「胡桃よ。飛騨から越中に来て日がだいぶ経ったが、何か困っている事は無いか?」



述べて来たとおり、胡桃はもう僕の家族である。

大切な義娘(むすめ)でもあるからな。

小三郎長教と共に幸せになって欲しい。



「ううん、小三郎もそうだし、ママや家臣の皆さんがみんな優しくしてくれるから大丈夫よ。もちろんパパもね。」

「うむ、そうであれば良い。家臣達の手前、甘やかすことは出来ぬが、何かあればすぐに相談するんだぞ。」

「うん、ありがとう、パパ。」



胡桃の、四郎二郎嗣頼よりいくぶんつり目のその顔が、笑顔に変わった。



「いやぁ、相変わらず仲の睦まじいお親子で。見ていて心が和みますな」



襖を開けて入ってきたのは、狩野屋市兵衛だ。



「盗み聞きとは悪趣味だな、市兵衛」

「めっそうもございません。お声が届いただけにございますよ。胡桃様、芳様から頼まれていたお仕入れの品、上等な木綿と京の小物をしっかり包んでおきました。……ちょうど淹れ立てのお茶と茶菓子も持ってまいりましたゆえ、折角ですから少し上がって息を抜いていってくださいな。」



市兵衛は温かい茶を三つの湯呑みに注ぎ、盆に乗った菓子の器を差し出した。



「わぁ、美味しそう! ありがとう、市兵衛おじさん!」

「御方様にも同じものを包んでおりますからね。それと……これは店主からの特別なおまけでございます。」



市兵衛はニヤリと笑うと、小さな紙包みをもう一つ、胡桃の手元にそっと添えた。



「小三郎様が大好きな、氷見名物の甘味でございます。武芸の稽古でお疲れでしょうから、お二人で後で召し上がってください。」

「本当!? 嬉しい! 小三郎、絶対喜ぶわ!」



胡桃は一瞬でぱっと目を輝かせ、年相応な少女の素顔を見せると、嬉しそうにお茶に手を伸ばした。



「ふふ、市兵衛は相変わらず気を回すのが上手いな。甘やかされて小三郎が調子に乗らねば良いがな。」

「ははは、小三郎様は根が真面目であらっしゃいますから大丈夫でございますよ。それに、先代も『甘いものは人の心を丸くする』とよく言っておられましたからな。」



市兵衛がかつて先代が座っていた、空の座布団を見つめた。

その位置は僕と同じく現代人であった狩野屋先代の伝兵衛が座っていた場所だ。

僕と同じ現代人の感覚を持ち、この時代で共に笑い合い、夢を語り合った、時には悪だくみを行った伝兵衛の面影。

その意志がこうして市兵衛や狩野屋の暖簾、そして目の前の穏やかな時間に受け継がれていることを思うと、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。

…それでも使われなくなった肘置きが、一抹の寂しさを感じさせた。



「ねえパパ、これ本当に美味しい! 中に入ってるあんこがすごく上品な甘さなの!」



肘置きに残る一抹の寂しさに心を寄せていた僕の耳に、胡桃の弾んだ声が届いた。

ハッと我に返って視線を戻すと、胡桃が茶菓子を頬張りながら、目を丸くして笑顔を咲かせている。

伝兵衛が生きていれば、まるで親戚のおじさんの様な、温かい目を向けている事だろう。

座布団に、在りし日の伝兵衛がいる様にも錯覚してしまう。



「パパ? どうかしたの?」

「いや、何でも無いぞ。…市兵衛のところの菓子は、いつだって間違いがないからな。」

「はい! ママにも早く食べさせてあげたいわ。市兵衛おじさん、ごちそうさまでした!」

「満足していただけて何よりでございます。小三郎様へのお土産も、どうぞ忘れずにお持ちくださいね。」

「うん! 小三郎と一緒に食べるわ。それじゃあパパ、あたしはお使いの荷物を届けに一足先にお城へ帰るね!」



胡桃は大切そうに包みを抱えると、ぱっと華やかな笑顔を残して、軽やかな足取りで狩野屋の暖簾をくぐっていった。

越中は平和だ。

だがこの戦国乱世、かじ取りを間違うと何が起きるかは分からない。

現在越中は友好国の囲まれているが、越後では先代守護上杉定実の佐渡出奔や国人領主、飛騨の向こうには信濃や甲斐もある。

また斎藤道三が松波長利として神保家に居るから美濃もどうなるか分からない。

さらには尾張もな。

自分自身の身の安全もそうだが、家族や友人、家臣、そして領民を守るために、これからも努力していかなければならないだろうな。







日常編もやらなくては…ね!!

胡桃ちゃんは実はとても可愛いのです。

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