第二百十五話
一五三七年一月 佐渡・羽茂城
この日、佐渡島はしんしんと雪が降り続いていた。
羽茂本間家当主、本間高信は十人程の武装した兵を連れ、羽茂城の離れがある曲輪を目指していた。
客分として滞在している武将を捕縛するためだ。
「…良いか、向こうの近習が抵抗するならば斬り捨てて構わぬ。だが、兵庫頭だけは生け捕りにするのだぞ。」
「ははっ、承知いたしました。」
そう、客分の前越後守護、上杉定実を捕らえるのが目的だ。
そんなことが無ければ、自分の城の中で戦闘をするなど、考えたくも無い一大事である。
佐渡のライバルとも言える雑太本間家には話を通してある。
雑太め、ご丁寧にも現越後守護、上杉定長の花押が押された書状まで寄越して来やがった。
どうにも、一月中には結果を出さねばならぬようだ。
一団は雪を踏みしめ、その建物に近付いた。
ここは前述の上杉定実が滞在している事から、羽茂御所等と呼ばれていた。
それについて本間高信は権威ある名と思ってきたが、実情はどうだったのだろうか。
ドカドカドカ!!!
一団は土足のまま、離れの建屋へ踏み込んだ。
「御免。」
本間高信は勢いよく、上杉定実が居室として使っている部屋の襖を開けた。
「な、なな、何事じゃ!?」
武装した一団による突然の来訪に、上杉定実が驚きの声を上げた。
持っていた盃がその手が零れ落ち、佐渡自慢の米で作られた美酒が、空しく畳の上へと零れた。
「つ、三河殿! これは如何なる事にござろうか!?」
上杉定実の近習の一人が立ち上がり、主を庇うかの様に前に出た。
「主への御忠義、感心致す。だが時が変わったのだ。」
本間高信はその近習を押し退け、一通の書状を上杉定実の前に放り投げた。
「こ、これは…」
上杉定実が書状を拾い上げた。
そして読み進むにつれ、その手がわなわなと震え始めた。
「さ、定長…!!! あの若造がぁ!!!」
上杉定実が書状をクシャクシャにすると、スクっと立ち上がった。
「三河殿!! 貴殿はこの守護を、儂を定長めに売ろうと言うのか!?」
「兵庫頭様、申したように時が変わったのです。現・越後守護・上杉定長様、ならびに雑太本間家よりの要請にござる。貴殿の身柄、これより雑太へと移送する!」
「ば、馬鹿な! …一度迎え入れた客分を売るなど、世間から誹りを受けようぞ!?」
「では貴殿は我が羽茂に対して、何の役に立っていたと言うのか? 雅な茶の湯や、佐渡の酒を飲むだけが、客将のする事と言われるのではあるまいな?!」
「ぐ、ぐぬぬ…」
上杉定実が本間高信の前で狼狽していた。
佐渡国は長らく実質的な守護と言うものを持たなかった。
それ故、本間一族が力を持ってきたわけだ。
その中で海の向こうの大国である越後から上杉定実を迎えた時は、その権威が使えると思ったのだ。
重ねての発言にはなるが、眼前の老人には、それがあるようには見えなかった。
「兵庫頭様、命が惜しければ観念なされよ。近習も、抵抗するならば斬り捨てなければならぬ。」
「ぐっ…!」
上杉定実がガックリと肩を落とした。
先程目一杯の忠義を見せた近習も、放心状態だ。
「…既に籠は準備しており申す。お連れせよ!」
本間高信の命令を受け、兵が上杉定実の腕をがっちりと掴んだ。
縄を掛けないのが、せめてもの情けだ。
上杉定実が本間高信の前を通り過ぎようとした時、パッと足を止めた。
「…儂はこのまま殺されるのかね?」
上杉定実の目は、生気のない老人のそれだった。
「それは拙者のあずかり知らぬ事。越後からの要請は、貴殿を雑太へお連れする事にござる。」
「そうか。」
「…しかしながら上杉定長殿は、貴殿の娘御の夫にござろう。かの御仁は血も涙もない男なのかね?」
「フン、どうだかな。…いずれせよ、儂の時代は終わったか。」
「我が羽茂が生き残る為にござる。その後の事は、拙者のあずかり知らぬと言うもの。」
上杉定実の口元に、自嘲めいた笑みが浮かんだ。
「そうか…。まあ、羽茂の美味い酒でも飲みながら、雑太までの雪道を揺られるとしよう。酒くらいは出してくれるのだろう?」
「酒の肴もお付けいたしましょうぞ。」
「ハハハ…。三河殿は儂の好みは分かっていろうな。それ以外は受け付けぬぞ。」
上杉定実は乾いた笑いを浮かべながら、羽茂の兵に促され、庭に用意された籠へを歩を進めた。
「殿。」
羽茂の重臣である羽生帯刀がこちらへ向かってきた。
「帯刀か、どうした?」
「某が兵を率いて雑太へ向かいましょうか?」
「いや…。」
本間高信は首を振った。
「儂も行こう。兵庫頭の身柄は我が羽茂の命運そのものだ。雑太の者どもへ渡すその瞬間まで、目を離すわけにはいかぬ。帯刀はそうだな、先行し、我が部隊の露払いをしてくれるか。」
「承知いたしました。」
「うむ、そのように手配せよ。出陣だ。」
高信は冷えた甲冑を纏うと、十数名の精鋭を率いて自ら馬に跨がった。
◇ ◇ ◇
しんしんと雪が降り続くなか、上杉定実を乗せた籠を中心とした一行は、羽茂と雑太の領地の境目へと向かった。
白く霞む街道の向こう、雪の中から一団の兵が姿を現した。
待ち受けていたのは、佐渡本間宗家である雑太本間家の当主、本間佐渡守有泰であった。
本間高信は手綱を引き、馬から降りると積もる雪を踏みしめて進み出た。
対する本間有泰もまた、静かに馬を下りて歩み寄ってきた。
長年、この佐渡島内で覇権を競い合ってきたライバル同士の対峙であった。
「…久しいな羽茂の。」
「そうじゃな雑太の。戦場で争うた事はあれでも、このような場面で会う事になろうとはの。」
本間高信が率いる羽茂本間家は、一族同士の抗争を優位に進めていた筈であった。
「…いや、三河殿、見事な判断であった。」
本間有泰の言葉に対し、本間高信は大きくため息をついた。
「ふん、佐渡殿の思い通りであろう。約定通り、前守護・上杉兵庫頭殿の身柄、確かにお渡しいたす。改めなされ。」
本間有泰は視線を籠へ送り、ゆっくり頷いた。
「かたじけない。これで無駄な血を流さず、越後とも北山協定とも道がつながる。我ら本間一族が、この新しき時代を生きていくための道だ。」
「雑太は越後に恭順するのか?」
「…羽茂の。逆に聞くが、本間が一致団結したとしても、かの同盟、北山協定に抗えるかね?」
「いや、それは…」
本間高信は少し上を向いた。
「それは無理だな。あの『雷の如き龍の炎』を見てしまっては、な。」
あの轟音を、決して忘れることは出来ない。
「そうだ。本土のおる名族・豪族であれば分からぬ。だが我等の様な、小規模な者など、踏みつぶされるだけよ。」
「雑太の。河原田などにも声を掛けるのか?」
「当然だな。それで抗うのであれば、上杉に誅されるであろうな。」
「上杉の目的は何か?」
「…それは金山などの資源であろうな。」
「なるほどな。」
有名な佐渡の金山は雑太本間家(雑太城主・佐渡本間宗家)の領内、あるいはその支配影響下に位置していた。
羽茂本間家の領地は佐渡においては穀倉地帯であるが、直接影響する事は無い。
「さすれば上杉は我が羽茂に何をお望みか。」
「まぁそれはこれを読むが良いぞ。」
本間有泰が懐から書状を取り出した。
本間高信はそれを受け取ると、静かに読み進めた。
「なんと、上杉は抗わないのであれば所領は安堵してくれるとは。…我等羽茂への要求は、羽茂港の使用権と物資補給拠点、北山協定水軍の施設建築か。…それと砕石場を作りたい?」
この程度のは飲める範囲の話だ。
実質的に北山協定…の軍が駐留することになろうが、羽茂における権益が保証されるのであれば。
採石場…とは何の事だろう、とこの時代の人間は思うかもしれない。
だがこの書状の作成に神保長職が絡んでいるとすればどうか。
この小説の読者であればお分かりになる事だろう。
「…これであれば、我が羽茂も承服できる内容だ。しかし上杉の、いや、これは北山協定なのかな。その要求が金山の権益であれば、雑太のほうが影響が大きいのではないか?」
「ふ……お察しの通りだ。」
本間有泰は苦笑を浮かべ、自らの白い髭を撫でた。
「金山権益は我が雑太の自由に出来なくなるが、採掘実績に応じて北山協定から雑太に税が納められる。一見すれば大損に見えよう。……だがな、神保殿から提示された『採掘・精錬の技術』と『坑道の排水・安全技術』は目を見張るものがある。削られる権益以上に、掘り出せる金銀の総量が何倍にも増すのだ。結果として我が雑太に入る実利は、以前より増える計算になる。」
何でも北山協定には『治境局』なる役所があるようだ。
『治境局』は工場や鉱山の建造・採掘技術だけでは無く環境対策に力を入れているようで、雑太本間はそれに懸けたのであろう。
「なるほどな。それは神保のやり方か。敵わぬわけよな。」
本間高信は感心したように息を吐いた。
相手から奪うのではなく、全体の富を増やして互いに利益を得る。
それが北山協定のやり方なのだと納得した。
「納得していただけたなら、前守護・兵庫頭様をお引き渡し願おう。」
「うむ。約束通り、美味い酒と肴を出してやってくれ。これ以上誹りを受けてはかなわん。」
本間高信が合図を送ると、羽茂の兵たちが慎重に上杉定実の乗る籠を雑太側へ手渡した。
本間有泰は請取りの書状を羽茂へ差し出し、しっかりと受け渡された籠を見つめた。
「羽茂の、かたじけない。これで我が佐渡は、血を流さずに新しき時代へ入れる。」
「雑太の、手柄は貴殿に譲るわ。河原田など、他の連中が首を縦に振ればいいがな。」
「…それは儂に任せてもらおう。」
「ふん、何かあれば我が羽茂にも言うが良いぞ。」
「恩に着る。」
二人の本間は、無言で目礼を交わした。
これは歴史的な瞬間である。
風が吹き抜け、積もった雪が二人の甲冑を白く叩く。
長年争ってきた両家が、初めて戦以外で結びついた瞬間であった。
きっかけはどうあれ、史実よりだいぶ早く、それも違った形で佐渡の騒乱が終結する方向に進み始めたのだ。
佐渡本間家の惣領の雑太、大きく力の伸ばしていた羽茂。
この二家が妥結したとなれば、如何に河原田本間家等他の勢力が徹底抗戦を敷いたとしても、それは長く続かない事だろう。
雪が降りしきる中交わされた会談を終え、本間高信は羽茂への帰路についた。
彼はこれから起こるであろう、羽茂の未来に思いを馳せた。
「帯刀よ。儂らも将来、あの龍を見ることになろうか?」
「…この書状に書いてることが正しければ、そうなりましょうな。」
「その龍が、我が羽茂とその領民に富をもたらしてくれる事を祈るばかりだ。」
北山協定が見せてくる龍は破壊の象徴か、それとも富の象徴か。
本間高信は手綱を握る手に力を込めた。
「引き上げだ!」
雪を蹴立てて隊を進める本間高信らの背後で、雑太の兵に護衛された上杉定実の籠が、軋んだ音を立てながら吹雪の彼方へと消えていく。
一五三七年一月。
越後国の前守護・上杉定実の身柄が越後へと送還され、佐渡本間一族の二大勢力が手を結んだこの日。
長年血で血を洗った佐渡島は、北山協定という巨大な時代のうねりの中で、静かに、しかし確実に新たな歴史の扉を開いたのであった。
佐渡に出奔していた前守護・上杉定実が雑太に引き渡されました。一部の抵抗はあるかもしれませんが、佐渡が平定に向かっていくことになります!




