第二百十話
一五三六年十月 洛中(内裏・紫宸殿)
この日、ついに帝の即位の礼の当日を迎えた。
朝霧が洛中を白く包み込む早朝、日の出とともに、僕が率いる神保軍・黒備えの精鋭一千名が内裏の東西南北の全門へ一斉に着陣を完了した。
しかし、これは単なる泥臭い戦のための防衛陣ではない。
近衛少将たる僕の率いる黒備え一千名は、帝の即位の礼を最高に格調高く演出するための、近衛府儀仗兵の御役目を兼ねているのだ。
早朝、御所を目指して整然と進む我が軍勢を見た洛中の民は、その姿に目を奪われたことだろう。
なお同盟各家も要所を固め、共同警備と言う事になった六角の兵も我等を邪魔することなく、与えられた役目を遂行しているようだ。
「うむ、少将殿。御役目ご苦労である。」
「ははっ。警備の指揮は我が家臣たる遊佐右衛門佐に委任し、某はこれより昇殿させて頂きまする。」
近衛少将としての公式な儀仗警備の進捗を広橋兼秀殿へ報告し、僕は武官束帯の黒い打掛の裾を正して、内裏の最深部へと昇殿した。
そしてその後、最初の神事である『賢所の儀』が始まる。
純白の神聖なる装束を纏われた後奈良天皇が、三種の神器の鏡が祀られている賢所へと静かに進み出され、ご先祖の神々へ向けて、これより正式に即位する旨を祝詞を以て上奏された。
近衛府の武官として、その一糸乱れぬ静寂の神事を僕は廊下の席からじっと見守った。
正午、神々への報告を終えられた帝は、いよいよ本番のお披露目のため、天皇にのみ着用が許される最高峰の衣裳――太陽の光の色を象徴した神聖なる草木染めである『黄櫨染御衣』へと、凛とした気品の元で着替えを済まされた。
うん、これはテレビで見たことある気がするな。
そのような荘厳な儀式が眼前で行われている、これは感じ入るものがあった。
そして儀式は『紫宸殿の儀』へと進んだ。
内裏の中心にそびえる大広間――紫宸殿の中央には、帳で覆われた巨大な鳳凰の玉座『高御座』が陣座しており、その最深部へ帝が厳かに登られた。
ドン、と太鼓の音が清涼殿の静寂を切り裂いて響き渡ると同時に、高御座の御簾が左右へ「バサァッ!」と綺麗に開け放たれた。
その瞬間、黄金の太陽の衣を纏った後奈良天皇の気高き玉顔が、ズラリと玉砂利にひれ伏す百官の前にその圧倒的なオーラを伴って降臨されたのだ。
その後も儀式は滞りなく執り行われた。
このような荘厳な儀式は、なかなか見られるものでは無い。
◇ ◇ ◇
夕刻、一連の儀式が終わり、帝は清涼殿へと戻られたようだ。
(若干)抱いていた懸念、つまり公方派勢力や暴徒による混乱も無く、(もっとも厳重な警備ゆえに起こり様も無いのであるが)、参列していた公家や大名名代等が各々解散していった。
「近衛少将殿よ。」
話しかけて来たのは管領・細川道永だ。
「これは道永様。」
「帝の即位礼、滞りなく完了したのは喜ばしい事であるな。」
「左様で。」
「…ところであれを見ろ。」
「おや?」
細川道永が指し示した先には、苦々しい表情を浮かべた公方・足利義晴がいた。
近くにいた近衛稙家は…見なかったことにしよう。
前にも述べたがかつて越中に下向し我が領内の産業を視察に来た足利義晴は、利発そうな少年であった。
あのような公方・足利義晴は見たくなかったな。
「…まぁ公方様にも思うところがあるのでしょう。」
「儂も、かつて庇護をした方がああなってしまうのはどうかと思うが、儂と敵対している御方とは言え、今日の所は嫌味も言わず立ち去ろうとするかの。」
「それがよろしいでしょう。」
「…時に少将殿はこの後どうするのじゃ?」
「はい。我が兵を遊佐右衛門佐に任せ、某は畠山義総が邸宅に行くつもりでござる。」
「ほう、修理大夫殿のな。儂も久々に会うてみたいものよ。…儂も同道しても良いかね?」
「道永様はご自身の邸宅に戻られないので?」
「悲しき事だが、洛中を離れていた間に、賊に荒らされてしまった様じゃ。」
「…それは大変なことにございますな。承知致しました。畠山義総の軍は内裏近傍に居ります故、この後合流致しましょう。」
僕は細川道永とそのような事を話しながら、内裏の出口へと向かった。
その際公方・足利義晴の前を通らなければならなかったわけだが、その際には言葉をかわすでもなく、一礼したのみでその場所を通過した。
その時の公方の表情を読み取ることは出来なかった。
いや、そもそも顔を合せなかったからな。
さてその後僕と細川道永は畠山義総の軍へと合流した。
なお堅田方面から来た残りの浅井・姉小路の軍は畠山屋敷を中心とした郊外の守備を行っていた。
今日の所、我々は畠山義総の所で休息を取ることになるだろう。
「これは道永様、お久しゅうございますな。」
「うむ、修理大夫殿。近衛少将殿にも話したのだが、我が京屋敷は賊に荒らされてしもうての。最終的にはそこな波多野孫四郎と丹波に戻るつもりじゃが、今日のところは泊めてもらいたいと思うてな。」
「それはもう、是非我が屋敷にお越し下され。義弟の手の者が京で活動を開始するにあたって増築しておりますれば、ごゆるりとお過ごしいただけると思いますぞ。」
「左様か。それはありがたい。」
我が畠山義総の言葉を受け、細川道永は顔を綻ばせた。
そしてその夜、畠山屋敷に到着した僕達は、当然の様に宴席へ臨む事となった。
管領・細川道永は酒を飲んでいなかったようだが、波多野備前かなり酒が進んでいる様子で、浅井亮政らとかなり盛り上がっている様子だ。
僕はその様子を横目で見つつ宴会場を退出し、縁側で茶を啜りながら一息ついていた。
「あら、あなた様は…」
鈴虫の様な透明感のある声が聞こえて来た。
そこにはまだ若い、凛とした女性が立っていた。
「ふむ、そこもとは何方かな?」
「これは失礼致しました。ウチ、いえ、わたくしは三好弾正忠が妻、紬でございます。」
「おお、孫七郎のな。会うのは初めてであったかな。」
「はい。お会いできて光栄にございます。」
三好康長の妻・紬は膝をついて挨拶をした。
「うむ。孫七郎は事あるごとに紬殿の自慢をしておるぞ。あやつは俺にも劣らぬ愛妻家であるな。」
「まぁ、そんな!」
紬は頬を押さえながら顔を赤らめた。
「しかしながら我が姉の梓は、御屋形様こそ妬けてしまうくらいの愛妻家だと申しておりました。」
「ああ、松波長利が妻の梓殿か。二人は広橋伝奏の養女で、実の姉妹と聞いているな。」
「はい。姉とは今でも文のやり取りをしておりますゆえ。」
松波長利の正室・梓と言えばあのマムシをツチノコのように手のひらで扱う才女だ。
「…ふふふ、そなたの姉上は長利と好く助け、我が神保家の助けとなっているよ。」
まあ、我が神保の助けになっているのは事実だ。
「紬殿についても孫七郎から良く聞いている。…そう言えば八郎やその母の亜貴殿を三好に迎えたのはそなたの発案であったな?。」
「ええ、そうですね。御屋形様は京鳴滝城で二人にはお会いになりましたか?」
「ああ、先日な。気を悪くしたら申し訳ないのだが…」
「何にございまいましょう?」
「かの二人を迎えることに、紬殿は抵抗なかったのかな?」
「それは…、ああ、そう言う事ですか。」
紬は柔らかな笑顔を迎えた。
「亜貴さんは働き者で良い方でわたくしを立ててくれます。八郎くんは、亜貴さんだけでは無くわたくしのことも紬母ちゃんと呼んでくれて、とても懐いてくれて、それはもう可愛いんですよ。」
「なるほどな。」
「…確かに孫七郎様とわたくしにはまだ子がおりませぬが、孫七郎様は変わらずわたくしを愛してくれています。いずれ子ができるかもしれませんし、もし出来なくてもわたくしには八郎と言う自慢の”子”がおりますゆえ、幸せに暮らしてございます。」
ううむ、実に出来た女子よ。
夫である三好康長が分け隔てなく家族の情を送っているのもあるのだろうが、立派な事だ。
「八郎の事は俺も孫七郎から聞いている。まだ幼きゆえ、しっかりとした教育が必要だろう。紬殿、八郎のもう一人の母として、これからしっかり育ててくれると主君としても嬉しい。」
「はい、心得ております。」
八郎が史実の『宇喜多直家』にようになるのか、愛情の内に養育され『三好康家(仮称)』になるのか。
子の未来は無限大だ。
これは三好康長らに期待するしか無いだろう。
「何か必要なものがあれば孫七郎を通して何なりと言うが良いぞ。期待しているからな。」
「ありがとうございます。是非お願い…あ、ではさっそく。」
「ほう、何かあるかね?」
「ふふ、我が夫の三好孫七郎の更なるお引き立てをお願い致しますね!」
ははは、ここで夫を売り込んでくるか。
さすがはマムシ(ツチノコ)の妻の妹、なかなかの女子よ!!!
実は神保長職と(三好康長の妻)紬は初対面なのでした!




