第二百四話
一五三六年九月中旬 京鳴滝城
三好康長と側室・亜貴の祝言が行われた日から少し遡る。
この日、僕は三好康長が郎党として取り立てた五百住甚介康久を京鳴滝城の執務室に召し出していた。
「大殿、五百住甚介、お召しにより参上しました。」
目の前にいる若侍はいくぶん緊張した様子に見える。
まぁ主の主に呼び出されれば、緊張もするか。
僕が帝に呼び出されるようなものだからな。
「うむ、ご苦労。お前に会うのは初めてだな。ま、楽にしてくれ。」
「は、では失礼して…」
五百住甚介は体勢を崩した。
「さてお前を呼び出したのは他でもない。…お前の主、三好弾正忠には側室となるべき亜貴殿と祝言を挙げる様に命を出しておる。」
「は、はぁ…」
五百住甚介は目を丸くしていた。
まぁ結婚式を挙げろなんて命令は珍しいからな。
「どうかしたか?」
「い、いえ。それ故に殿はあの慌てようでしたか。」
「ハハハ、慌てておったのか。冗談はさておき、孫七郎もしばらくはバタつくであろう。その間の執務については俺も関与していくが、お前にも補佐を頼みたい。」
「ははっ、心得ております。何なりとお申し付けください。」
五百住甚介が元気よく返事をしてきた。
うむ、殊勝な事よな。
「…時にお前は摂津の出身だと聞いたが。」
「はい。ここ数年来の畿内の混乱の中で、摂津での生活も中々に厳しいものでして…。職を求め、兄と共に京に来たのでございますが…」
「ほう、兄がおるのか。」
「はい。…その兄は二年ほど前に阿波に渡ったようにございます。曰く、阿波の三好に仕官するのだと。それ以来、兄とは会うておりませぬが。」
ん、阿波の三好に?
摂津の五百住…?
「よもや、お前の兄の諱は久秀と言うのではあるまいな?」
「さ、さぁ…。しかしながら確かに兄は名を改める際に、『久』の字を充てるつもりだ、と言っておりましたが…」
五百住甚介の兄…。
僕の頭の中では高確率であの人物では無いか?と言うのが浮かんでいた。
もっとも、その人物は出身地についていくつかの説があるようだがな。
それが正しいのであれば、この五百住甚介も、あの有名な武将だ。
「なるほどな。まぁお前の兄者が阿波の三好に仕官したのであれば、いずれ畿内に絡んでくることがあるかもしれぬな。それにしても兄も三好、お前も三好とは偶然にしても凄いものだな。」
「左様で。…ですが我が主の弾正忠様も阿波の三好に負けぬモノと自負しておりますよ。」
「ほう、それは上上。」
ふむ、中々に信頼関係が出来上がっている主従なのだな。
それは良いことだ。
「…して大殿が某に任せたい事とは?」
「うむ。お前にはいずれ、京鳴滝城の城代を任せたいと思っているのだが、それは帝の即位礼を終えたあとの話だ。」
「何と、某にそのような大役を…?」
「うむ。まぁお前もこの城の役目を分かっているだろうが、我が軍は近衛府の御役目として出動するまでは大人しくしているつもりだ。それでも事前の情報収集や必要な準備はしておかなくてはならない。」
どんなに大軍であっても、どんなに精鋭であっても、先が見えない様な闇や濃霧では結果を出すことはできない。
それに兵站線の確保や根回しなど、やることが多いのだ。
「まぁ情報収集については薬売りに指示を出していく。お前に頼みたいのは、その他の準備のほうだな。」
「…その準備とは?」
「うむ。まずはこの九月中には根回しを進めておきたくてな。まずは丹波におられる管領、細川道永様に繋ぎと付けたい。おそらくは管領様も即位礼の為に上洛されるであろうしな。」
「必要あれば、管領様をここにお招きになると?」
「分かってるじゃないか。表向きは管領様とは同盟関係には無いが、まぁ世間からは我等北山協定は管領派閥だと思われているからな。」
「大っぴらに、管領様も上洛軍でお守りする事も出来ますね。」
「そう言う事だ。お前には俺が認める書状を持ち、丹波へ向かってもらいたい。」
「丹波…管領様を庇護されている波多野様の八上城ですね。」
以前も述べたが、この歴史は史実のそれとはだいぶ違う。
細川高国(道永)が重臣の香西元盛を誅殺しなかったことで、丹波波多野氏との関係が崩れなかったのだ。
そして公方方の侵攻を八上城での籠城戦で耐え切り、公方へ与していた一向一揆衆の援軍が加賀に来なかったのもあり、我が北山協定の加賀平定へ一定の寄与を果たしたのは言うまでもない。
「そうだ。出立は孫七郎の祝言の次の日で良いから、お前は八上城に走ってもらいたい。」
「承知いたしました。早速準備致しましょう。管領様や波多野様が前向きであれば、某の判断でこちらへお招きしてもよろしいですな?」
「無論だ。理解が早くて助かる。」
ふむふむ。
三好康長の言う通り、五百住甚介は中々に優秀な人材だ。
直臣に欲しいところだが、それをやると三好康長に苦労を掛けてしまうから我慢だ。
「管領様らへの支援物資運搬も含め、手勢と荷駄隊の準備も頼めるか?」
「心得ております。手勢は五十程お借りできれば。」
ふむ、よく分かっているじゃないか。
この五十と言う数は何とも絶妙な数だ。
物資の運搬だからとここで数百の軍勢を派遣すれば、公方や甲賀に察知されてしまうかもしれない。
我が神保家の精鋭五十名であれば、表向きは二条関白の御料地を整備するただの荷駄隊として隠蔽しつつ、目的に向かうことが出来るだろう。
(現状、戦をしているわけでも無いのだから。)
何より、管領を庇護する波多野氏の側に、余計な兵站の負担や『城を乗っ取られるのでは』というような警戒心を持たれずに済む。
「許可しよう。必要なものがあれば、遠慮なく言ってくれ。」
「かしこまりました。」
「うむ、よろしく頼むぞ。」
僕の命を受け、五百住甚介は一礼して部屋を出て行った。
その翌日、さっそく準備を終えた五百住甚介が荷駄隊および五十名を率い、丹波八上城へ出立していった。
一週間以内には何かしらの動きとなることだろう。
その日の昼頃、午前中の仕事を終えた僕は奥の庵で休んでいた。
なるほど、ここに来てみて、この場所の役目を漸く把握できた。
メインとなる建屋や兵舎から少し離れた場所は、内密な話をするには最適な場所だ。
それは来客した者との会談もそうであるが、もちろん薬売りからの報告にも使えるわけだ。
ふむ、逆井徳次郎め、分かっているな?
「御屋形様」
僕を呼ぶ声がした。
「与兵衛か。」
「はっ。」
薬売りの背格好をした男が姿を現した。
狩野屋の在京の手代、そして京方面での諜報活動を行っている男だ。
普段は三好康長と関わる事が多いが、この方面で最も手練れである与兵衛については、僕が在京している間はこちらについて貰う事とした。
「ここに俺を訪ねてきたと言う事は何か報告があるのか?」
「はっ。まずは畠山様ら堅田方面からの軍が、無事に洛中は畠山屋敷に到着した由にございます。」
「ふむ、それは上上だな。」
前の話でも述べたが、我が義兄上の畠山軍が五百、浅井軍が五百、姉小路軍が五百、この連合軍が堅田方面から洛中に向かっていた。
姉小路家のみ当主の姉小路直頼では無く、名代として嫡男の四郎二郎嗣頼が将となっていると聞いている。
まぁ飛騨は緩やかな統合を果たしたばかりであるから無理はさせられないと言う事だ。
「それで懸念があるとすれば公方様らの動きですが、我等薬売りの調べでは大きな動きはありません。坊主共が増援を送っているようですが、概ね千二百程の兵を駐屯させているようですな。」
「ふむ。まぁ馬鹿には出来ぬ数であるが、まあ義兄上らには存在を誇示しておいていただこう。」
「はっ。畠山様らは屋敷や分屯している家屋にそれぞれの旗印を掲げておりまする。…また周辺の寺社の協力を得、我等神保家の旗印を置いて頂いておりますれば。」
「公方様や甲賀への目くらましになろうな。」
「左様で。三好弾正忠様の御方様の御実家、広橋卿が口を利いていただいた模様でして。」
「ふむ、いずれは俺も広橋卿へご挨拶に上がらねばならぬな。ああ、二条関白様にも、だな。」
そう、京鳴滝城周辺は二条関白の持ち物と言う事になっているからな。
これも三好康長の手配りあってこそだな。
「しかし与兵衛よ。」
「はっ。」
「六角殿は何故に、甲賀を動かしたのだろう? かの御仁が、現在の公方様にそこまで忠義があるとも思えぬが。」
「…公方様は、六角様に管領代の職を授けようとしておりまする。」
うむ、それは聞いた。
だがそれを受けるのは留保したはずでは無かったのか?
「…いや、家中には公方様派や、あるいは管領代という言葉に踊らされた家臣がおり、そのバランス、いや、釣り合いを取ったと見るべきか。」
もしそうであれば、六角定頼も大変だな。
史実であったような六角家中の混乱(もっともそれは先の話であるはずだが)の一端が見えているのかもしれない。
「御屋形様の推察は正しいものと存じます。甲賀は洛中、およびその周辺へ諜報の食指を伸ばしておりますが、方々で我等が妨害活動を行えばそれ以上深追いはして来ぬようでして。ああ、それと。」
「まだ何かあるのか?」
「その六角様が手勢を率いて上洛の途にある模様です。数は凡そ五百。」
「それは公方様が要請したと言う事か…?」
「公方様周辺だけでは無く一向一揆側にも探りを入れましたが、六角様には管領代への話を留保いたしましたし、独自の判断であろうと思われまする。」
「なるほどな。六角殿の官位は弾正少弼であったな。」
つまり、大義名分としては我等と同じと言う事だ。
朝廷において設置されている弾正台は監察・治安維持などを主要な業務とする官庁の事だ。
無論この戦国の世ではそれほど意味を為さないのは事実であるが、それでも権威・権限としては大義名分になりうる。
「…やはり六角殿は完全に公方様の意の中にある訳では無い、と判断すべきだな。」
「おそらくは…。では、繋ぎを付けてみましょうか?」
「できるのか?」
「実は先般甲賀の忍びを一名捕えておりまする。その捕虜解放と言う事で話を付けることができましょう。」
「分かった。与兵衛に一任しよう。帝の即位礼の前でも後でも構わぬ故、六角殿への会談を持ちかけてみるか。文を認めるから、少し待っていてくれ。」
「承知いたしました。」
僕は筆を取り、さらさらと文を書き始めた。
六角に関しては完全に敵対しなければそれで良い。
まずは与力してくれた公家に面会し、そして帝の即位礼だな。
帝が僕に声を掛けてくれるとは思わないが、まだまだやることが多いものよ。
帝の即位礼に向けて準備を進めています!




