第二百三話
一五三六年九月中旬 京鳴滝城
若狭を出発して数日。
特段何か問題が起きる事も無く、我が北山協定上洛軍が洛中の裏手、表向きは二条関白の御料地に神保家が普請した『京鳴滝城』に到着した。
この場所は洛中の北部近傍にありながらも深き山林に囲まれ、洛中の街から見えることなく、そのアクセス路も公家の御料地と言う事で厳重に制限されていたのだ。
裏手には若狭方面から繋がる秘密裏に造られた道路があり、我が軍もそこから京鳴滝城に入城したのであった。
「御屋形様、お待ちしておりました。」
僕達を出迎えたのは、神保家在京総代、三好弾正忠康長だ。
「うむ、出迎えご苦労。我等の到着までに城をここまで整備できるとは大したものだな。」
「ははは。それは逆井徳次郎殿らに言ってあげて下され。彼と配下の者共の活躍の賜物でしょうな。」
「そうだな。後で褒美をやらねばならんな。」
まぁでもその前にここまで同道してくれた同盟各家の軍を休ませなければいけないな。
「…っと孫七郎。その前にまずは我が軍ならびに上杉殿、朝倉殿の軍勢の宿舎の手配を。皆、強行軍で疲れておるからな。」
「心得ておりまする。皆様方がゆるりと休んでいただけるような準備を整えております故。」
ふむ、流石だな。
三好康長は期待以上の仕事をこなしてくれているな。
彼はテキパキと配下に指示を出しながら、同盟各家の人間を誘導していった。
僕は馬を下り満足そうに頷くと、近くの建物の縁側の様になっているところへ腰を下ろした。
「つ、冷たいお茶をどうぞ…」
…少年が僕に話しかけて来た。
お盆の上にはお茶が置かれていた。
「おお、すまんな。」
僕はお茶を受け取り、のどを潤した。
うむ、このお茶はよく冷えているな。
徳次郎が飲み物や果物等を冷やせるギミックを準備しているのだろうな。
「・・・」
少年がスススと近付いてきてお盆をぎゅっと握り締めていた。
これは何かを待っている様に見える。
あ、これはあれだな。
「お前はここの奉公人かな? 冷たいお茶をありがとう。美味しかったぞ。」
僕は少年の頭を撫でた。
少年をえへへと笑いながら満足そうだ。
「ちょ、ちょっと八郎!?」
そこに女中の恰好をした女性が慌てた様子で近付いてきた。
「何だよ、母ちゃん!?」
「何だよじゃ、ありません。…お、御殿様、お許しください!」
女性が少年の腕を引っ張り僕から引き離そうとした。
しかし少年は僕の腕にしがみつきながら抵抗した。
「ま、まぁ、女中殿、落ち着きなさい。この子は俺に冷たいお茶をくれただけだからな。」
僕は二人を落ち着かせようとした。
女性はなおも僕の眼前で膝を突きそうになるのでそれを制止し、この子供の隣に座らせた。
「…さて二人の名前を聞かせてもらおうかな?」
僕は優しい声で二人に話しかけた。
「は、はい。私は亜貴と申します。この子は、八郎で…。失礼ですが、御殿様は…?」
亜貴に、八郎?
どこかで聞いたような名前だな。
「ああ、俺は神保長職と言う。まぁ一応、帝から近衛少将の官位を頂いているよ。」
「ひ、ひい! 神保長職様と言えば、お、わ、旦那様の御屋形様!?」
亜貴と名乗った女性は目を回しそうになりながら、その言葉を絞り出した。
「もう、母ちゃん、落ち着きなよ。…このおじさんも落ち着いてって言ってるんだからさ。」
その反面、八郎と呼ばれた子供は落ち着いた様子だ。
「八郎と言ったか。俺はまだおじさんになったつもりは無いぞ?」
「そう? でも甚介の兄ちゃんよりは年上みたいだし…」
そんな他愛もない会話を続けていると、諸々の手配を終えた三好康長がこちらへ戻ってきた。
「これは御屋形様、お待たせしました。おや、亜貴や八郎がここにおりましたか。」
「父ちゃん!」
八郎がぴょんと立ち上がると、すごい勢いで三好康長にガバっと抱き着いた。
「もう、八郎ったら…」
亜貴は力なく首を振った。
しかし三好康長の方を見ると、少し顔が赤くなっている様子だ。
「…孫七郎よ。もしかしてその八郎は?」
「ああ、そうでしたな。八郎よ。ちょっと向こうにいる甚介らを手伝ってくれるか? あとで甘いー飴をやろう?」
「ほんと!? じゃあおれ、甚介兄ちゃんの方に行ってくるよ!」
八郎が元気よくそう言うと、僕にペコっと一礼し、走りながらこの場を離れて行った。
「旦那様、私は?」
「亜貴はそうだな、同席してくれるか。」
「はい、かしこまりました。」
三好康長はそう言うと僕の方に向き直った。
「御屋形様、この奥に庵がありまする。そこでお話させていただきましょう。」
僕は三好康長に案内され、人目につきにくい庵の方へ向かった。
◇ ◇ ◇
京鳴滝城の奥にある庵。
そこはおそらく人工的に作られたであろう小さな池があり、そこには絶え間なく綺麗な水が流れ込んでいた。
下流側の水門は閉ざされているが、その先には空堀があるようだ。
この庵は軍事施設の中にあって、逆井徳次郎による遊び心が結晶した風流な場所、と言うべき所であろう。
「さてあの八郎ですが…」
あの子供、八郎は先月読んだ、三好康長の書状にあった人物であろう。
あの時は八郎についてある推測を立てたのだが、三好康長の説明を経て、推測は確信に変わった。
そう、八郎は、史実において謀聖とも呼ばれた宇喜多直家であるはずだ。
「なるほど、あの子供がな。」
僕は小さく頷いた。
宇喜多直家は史実においては謀略や暗殺を駆使して主君を倒し、備前の大名になった人物だ。
…だが先程触れ合った少年はそのような所は無く、まだまだ純粋な感じの良い子のようだがな。
「…で亜貴殿が手紙にあった八郎の御母堂殿か。」
「は、はい。私と八郎は、血は繋がっておりませんが…」
「あ、いや。それ以上は言わんでよい。亜貴殿にとって八郎は大切な我が子なのだろう?」
「それはもう…」
亜貴が拳をギュッと握った。
今更血の繋がりとどうこう言うのは無粋と言うものだ。
「さて、孫七郎よ。」
僕は三好康長の方を見た。
「はっ。何にございましょうや?」
「…それでお前はそこの亜貴殿と結婚し、八郎を養子に迎えたのか?」
「え、えっと、それはその…」
不意を突かれた三好康長は、急にドギマギとした様子になった。
亜貴の方をチラ見すると、真っ赤になりながら顔を伏せた。
「どうなのだ?」
「は、はい。その方で考えておりますが、帝の即位礼等もあり、それはその…」
僕はやれやれと首を振った。
どうみても両想いの様子で何をやっているのか。
「まったく、お前と言う奴は、忠臣なのは主君として嬉しいものだが、正室の紬殿の許可も得ているのだろう?」
「それはそうですが…」
「未だ亜貴殿に女中をさせているには何事だ?」
「ええ…。それは亜貴が働いていないと落ち着かないと言うから…。御方様も同じではありませんか。」
「それはまぁ…そうだな。」
僕は愛妻・芳の姿を思い浮かべた。
命令するでもなく、自らの意志で家の仕事をしてくれるのは、神保家中の伝統なのだろうか?
「まぁ良い。お前には明日から一週間、休暇を命じる。」
「は、そ、それは、御屋形様?」
「一週間後にここで祝言上げるための準備をせよ。その間の仕事は、お前の郎党の五百住甚介と言ったか、この人物を俺が借り受け狩野屋と連携する故、心配するな。それと紬殿には俺からも話すから、明日ここに呼んでまいれ。祝言の仲人はそうだな、朝倉宗滴殿にでもお願いするか。」
かの軍神サマが仲人に立つとは、何度も豪華な祝言だ。
少しパワハラ上司になってしまうかもしれないが、この忠臣はそこまでしないと先に進まなそうだからな。
「は、はっ。しかし御屋形様…」
「これは命令だ。よろしく頼むぞ。」
僕は笑いながら三好康長の肩をバンバンと叩いた。
傍らの亜貴の顔はゆでだこのようだ。
「…はっ。承知いたしました。」
三好康長が観念したように頭を下げた。
そしてちょうど一週間後、三好康長が亜貴を側室に迎える祝言が執り行われた。
軍神・朝倉宗滴はビシっと決めた軍装でそこに立っていた。
そのまま彫像になってもおかしくないくらい、決まっている格好であった。
流石に側室となる亜貴殿が正室の特権たる白無垢をまとう訳にはいかないが、僕から話を聞いた正室の紬が、広橋家から、身分を弁えつつも最高に仕立ての色打掛を亜貴の為に準備してくれていた。
この紬だが、実に仕事が出来る女性だ。
あの松波(加賀介)長利の妻・梓の妹と言う事だから、それは納得だ。
正室の立場でありきっと複雑な思いもあるだろうが、それでもキッチリと物事を進められる女性であると言うのは、僕の評価だ。
さて三好康長・亜貴の二人を、八郎はにこにこしながら見つめていた。
それは、これまで『父ちゃん』と呼んでいただけの存在が、名実ともに『父ちゃん』になったからであろう。
現在のところ、八郎は本当に良い子のようだ。
八郎は三好康長の正妻・紬の膝の上にあり、紬の事も慕っているようだからな。
「ねえ、これからは紬様の事も『紬母ちゃん』って呼んでいいの?」
「えっ、八郎くん?」
「おれ、母ちゃんも大好きだけど、紬様の事も大好き。だっていつも怒ってる母ちゃんと違って優しいんだもん。紬様は父ちゃんのお嫁さんだから、おれが父ちゃんの子になるなら、紬様も母ちゃんだよね?」
「八郎くん…。ええ、もちろん良いわよ。ウチの事もこれから母ちゃんって呼んでね。」
そんな会話が聞こえて来た。
ああ、もう!
こんな展開、素晴らし過ぎるだろう!!
八郎はこれから三好家の子として、可愛がられていくだろう。
ゆくゆくは紬にも子が出来るかもしれないが、この様子なら揉める事も無さそうに思える。
それは三好康長と亜貴、紬と八郎の表情を見れば分かる。
特に亜貴と八郎親子は行き倒れしかける程、これまで大変な苦労としてきたのだ。
その二人がここまで晴れやか顔をしているのだからな。
そして打算的な話になってしまうが数年後に元服するであろう八郎が、我が神保家の為に働いてくれるとありがたい。
僕が烏帽子親になってあげれば忠誠度が上がるやもしれぬ。
名はそうだな、三好康長から一字を取って『康家』で良いだろう。
そんなことを考えながらも、祝言は滞りなく、進んでいったのであった。
ついに神保長職と八郎(宇喜多直家)が対面しました。この小説においては史実であるような宇喜多直家は誕生しませんね。




