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第百九十五話


一五三六年八月 越中城ヶ崎城・執務室



京の柳原御所がひっくり返るような大パニックに陥り、名門・畠山屋敷の奥で新たな主従の絆が結ばれていたその翌月。

蝉の鳴き声が木霊する、そんな夏の暑い陽気の中、この城の主神保長職は京からもたらされた報告書に目を通していた。


報告書の差出人は、在京総代である三好康長。

内容は秋に執り行われる予定の帝の即位礼への準備(具体的には建設中の『京鳴滝城』および洛中での準備)の状況、公方方が画策している諜報への防諜活動等が整然とした文字で記されていた。



「ふむ、孫七郎は好くやっているようだな。」



この書状の内容を見る限り、今のところ問題は無さそうだ。

『京鳴滝城』はやはり逆井徳次郎城正(くにまさ)が良くやってくれているようだ。

あの場所は薬売り(ちょうほういん)の活動の中で偶然に見つけた場所だったのだが、その後の仮設道路(パイロットどうろ)の突貫工事を経て、既に兵士の駐屯が可能な状況まで来ているようだ。

この後来月には北山協定の上洛軍を向かわせることになるが、それには十分間に合うところだろう。

三好康長が言うには現地指揮官とする郎党を雇用したと書いてあるから、先遣隊の派遣も急いだほうが良いだろう。


…しかしまあ、公方・足利義晴はまだ諦めてはいないようだ。

いや、諦めるわけないか。

公方自身の意志か、はたまた幕臣や側近、義兄弟である近衛左大臣か、あるいは一向一揆衆(ぼうずども)らのそれかどうかまでは分からない。

だが公方方が諜報活動を試みていると言う事は、北山協定(われわれ)と敵対する事を選んだと言う事だ。

嘗て公方が越中に下向した頃を知っているだけに、物悲しいものだ。

北山協定(われわれ)は表立って敵対行動はしていなかったんだけどな。

まぁそんなのは彼等にとっては屁理屈でしか無いと言う事か。


…いずれにせよ、北山協定(われわれ)は秋の即位礼に向けて、粛々と準備をしていくだけだ。

他の同盟各家もそれに向けて準備を進めているだろうか、それはそれぞれに任せるしかない。

必要な兵員数や方針は伝えてあるからな。

我が神保家は侍大将の遊佐右衛門佐総光が順調に訓練を行っていた。

あの(じい)と来たら、僕が持っていた官位を譲ってから、一層イキイキと仕事に当たっているな。

まだまだ元気なものだ。



「御屋形様。飛騨より姉小路四郎二郎嗣頼様がおいでです。お会いになりますか?」



部屋の廊下より近習が僕に声を掛けて来た。



「四郎が帰ってきたか。…うむ、会おう。」

「謁見の間でお会いになりますか?」

「いや、ここで良いだろう。四郎をここに連れて参れ。…それと麦湯をな。」

「承知いたしました。」



近習が一礼して下がっていった。

ほどなくして、執務室の襖が軽快に開いた。



義叔父上(おじうえ)! ただいま戻りました。…ふぅ、越中の夏も飛騨の山奥に負けず劣らず暑いですね!」



旅の埃を払って姿を現したのは、同盟国姉小路家嫡男、姉小路四郎二郎嗣頼だ。

年齢はまだ十五、六歳。小三郎長教の元へ嫁ぐことになっている胡桃姫の双子の弟というだけあって、その顔立ちは女の子と見紛うばかりに可愛らしく、中性的な気品に満ちている。

声も(声変わりはしたのだろうが)、少し高めのままだ。

夏の暑さのせいか、白い頬がほんのりと朱に染まっていた。



「暑い中ご苦労だったな、四郎。まずは座って冷たい麦湯でも飲んでくれ。」



僕は四郎二郎嗣頼を座布団の上に座らせると、近習に持って来させていた麦湯を手渡した。



「はい、いただきます! ん、ん、ぷはぁー!」



四郎二郎嗣頼は可愛らしい声を上げながら麦湯を飲み干した。



「ん~、美味しい! 義叔父上、ありがとうございます。」



そうそう、我が嫡男の小三郎長教と胡桃姫が正式に婚約する事となった。

それ以降、四郎二郎嗣頼は僕の事を義叔父上と呼び始めたのだ。

まったく律儀なものよ。



「…ところで飛騨での即位礼に向けた兵員の動員と訓練の進捗はどうだ?」



僕は目の前の可愛らしい義理の甥に問いかけた。

すると四郎は、中性的な唇の端を不敵に吊り上げてニヤリと笑ってみせた。



「はい。義叔父上の書状を受けまして、我が姉小路も訓練を進めております。…先般国内の国人領主がほぼ全て我が姉小路の下に集まりました故、準備は順調に進んでおりますよ。」



四郎二郎嗣頼の言う通り、割拠していた国人領主は飛騨国司となった姉小路直頼の手によって統一された。

その統一は驚くべき事に武力では無く、話し合いによるものだった。

これは正直僕にとっては想定外の出来事であった。

この統一の一助になったのは三木氏による姉小路名跡の継承及び飛騨国司任官なのは間違いなく、それは僕が画策したものであるが、戦火も無く統一が成し遂げられるとは思わなかった。

実情は姉小路氏を筆頭にした緩やかな連合の様であるが、こうなったからにはこれを支援しなければなるまい。

まさかあの内ケ島氏もそれに加わるとは思わなかったな。

まぁそれでも鉱山絡みに関する影響は無いから良いとするしか無いな。



「ふむ、つまり順調と言う事だな。」

「はい。六左殿にも大きく助力頂いております故、予定通り準備が整う事でしょう。」



四郎二郎嗣頼は空になった麦湯の器を置くと、長い睫毛に縁取られた綺麗な目で、僕の手元にある分厚い報告書をひょいと覗き込んできた。

えーっと四郎君、ちょっと距離感が近いよ?

いや、僕にはそっちの趣味は無いからな。



「それよりも義叔父上、そちらの方こそ、京の三好弾正忠様から随分と分厚い定期便が届いているではないですか。何か面白いことでも書いてあったのですか?」

「ああ、今ちょうど読んでいたところだ。公方様方の混乱ぶりや『京鳴滝城』の普請はすこぶる順調なのだがね。…最後のページに、康長が新しく現地で迎え入れたという、二人の新手の追記があってなあるようでな。」



僕は苦笑しながら、報告書の末尾へと視線を戻した。



『追って報告いたしますが、京鳴滝城への駐屯軍の指揮官候補として、摂津浪人・五百住甚介康久なるものを雇用いたしまして御座います。既に事業の幾つかの打ち合わせをしておりまして、優秀な者にございますれば、これからの活躍を期待しております。』



うーん、摂津の…『五百住』?

『康久』と言う事は偏諱を与えたのだろうが、『五百住』か。

どこかで聞いたことある様な無い様な。

甚介…甚介…。

少し思い出せないな。



『それともう一つ報告せねばならぬ事がございます。…少し前になりますが、私はある母子を保護いたしました。この母子は血は繋がらぬようですが、この母子が言うには、子の方は八郎と言い、行き倒れの実母は「この子は宇喜多の血を引いている」と言い遺したそうですが、確証は取れておりませぬ。』



な、何…!?

う、宇喜多の、八郎だと?

もしそれが…僕の思った人物だとしたら?。



「義叔父上? どうかなされましたか?」



四郎二郎嗣頼がグイっと顔を近づけて来た。

きょとんした表情の可愛らしい顔に少しドキっとさせられるものだが、目の前にいるのは男だ。

騙されてはいけない。



「あ、いや。何でもない、何でもないぞ四郎。」



僕はあわてて数寸ほど後ろにのけぞり、ドキリと跳ね上がった心臓を落ち着かせるように冷や汗をぬぐった。

目の保養にはなるが、精神衛生上たいへんよろしくない。

僕は気を取り直して、報告書のさらに続きへと視線を落とした。



『…この八郎、読み書き等はまだ勉強中ですが、どうにも機転が利くようです。京鳴滝城についても教えておらぬ事に気付きましたし、覚えも早い。私としては将来的に神保家の役に立つものと期待しています。…しかし困った事がありましてな。』



困った事? 何だろう??



『我が妻・紬がこの八郎の亜貴殿共々、速やかに縁組せよと言うのです。その、側室に迎えろ事でして、ホトホト困りきっております。…私は紬と身を固めたなばかりだと言うに…。いや、別に亜貴殿を嫌いという訳では無いし、亜貴殿は時折遠くから私を見つめぼーっとしておるのですが…』



三好康長の妻・紬の意図は分からないが、この八郎と言う童、他に流出させることは避けなければなるまい。

この八郎が僕の思っている人物、そう、宇喜多八郎直家であれば、相当な優秀な人物になる可能性がある。

宇喜多直家と言えば史実では渾名『謀聖』と呼ばれ、権謀術数の限りを尽くして備前・美作周辺の大名にのし上がった人物だ。

この八郎がそうなのか、それは分からないが、これは外へ出してはいけないだろう。

…さらに言えば、今がまだ子供であるのが幸いだな。

適切な教育を行って優しき人物に育成しないといかん。

そうだ、この八郎を三好康長の養子に迎えさせ、元服時に『康』の字を偏諱させ、三好八郎康家とでもしておけば我等を、いや少なくとも三好康長には従順になるだろう。

(要するに、裏切らぬ人物にしないといけないと言う事だ。)


そのためにも、康長の妻である紬の「速やかに縁組せよ」というのは最大限賛成せねばなるまい。

まぁ当人がその亜貴と言う八郎の育ての親を嫌いで無ければの話だがな。

もし三好康長がその亜貴殿とやらを好いているのなら、これ以上ない最高の人事だ。


僕はニヤリと、これ以上ないほど不敵で、かつ最高に愉快そうな笑みを浮かべた。



「ふふふ、孫七郎め。困りきっていると言いながら、実は満更でもないんじゃないか?」

「……義叔父上? 本当に大丈夫ですか? 急にニヤニヤされて、少し不気味なのですが……」



四郎が愛らしい目を丸くして、少し高めの声で僕を本気で心配そうに見つめてきた。



「ハハハ! すまない四郎、本当に何でもないんだ。ただな、京の孫七郎から、最高に愉快な『吉報』が届いたのだよ」



僕はすぐに硯を引き寄せると、ニヤニヤと歪む口元を必死に抑えながら、爆速の猛スピードで康長への極秘の返信を書き殴り始めた。

その内容は…三好康長の名誉の為に、ここでは省略させてもらおう。



「う~ん。義叔父上は凄い人なんだけど、たまに変わったことを言ったりするんだよなぁ。」



四郎二郎嗣頼は自らの頬をきゅっと触りながら小声でそう呟いた。




姉小路四郎二郎嗣頼くんはかわいい系男子なのです。

五百住甚介加入と(将来的な)八郎の加入は、神保家にとって大きなメリットがあることでしょう。

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