第百九十二話
一五三六年六月下旬 京都見廻組役宅
京都見廻組役宅に関する工事も進み、役宅や隊士の宿舎など主要な設備もかなり整ってきた。
それに合わせて隊士を増員すべく京全体に募集を掛けており、この日役宅ではその採用面接が行われていた。
「おい、次を連れて来てくれ。」
副長に就任したばかりの元足軽・竹蔵の声が、初夏の役宅の広間に響いた。
隣では長官の任にある竹内季治が書類の束を睨みつけていた。
京の治安を守る新しい組織と言う事でそれなりの応募が来ているのだが、誰でも採用という訳にはいかないからだ。
「失礼致す。」
襖が静かに開き、一人の若者が入ってきた。
年齢は二十歳前後であろうか。
無駄口を一切叩きそうにない、物静かで精悍な佇まいの青年である。
「…俺、いや、私は摂津から来た甚介と…」
甚介と名乗った青年がそこまで言い掛けた時、再び部屋の襖が開いた。
「よう、長官殿、竹蔵。面接の進み具合はどう…、っと。」
入ってきたのは三好弾正忠康長であった。
それも冷たい麦湯の入った器を手にした、実にラフな格好だ。
そしてまさに面接が行われそうな光景を見て、ばつが悪そうな表情になった。
「おいおい、旦那よ。これから面接が始まる所だぜ?」
竹蔵がやれやれという表情で三好康長の方を見た。
「あ、いや、すまぬな。長屋の工事の件で狩野屋と打ち合わせをしていて、喉が渇いたものでつい、な。」
三好康長はぐびっと麦湯を啜り、何気なく甚介の座る姿へと視線を向けた。
だが、その瞬間、康長の鋭い瞳がピキリと細くなった。
物静かで精悍な佇まい。
醸し出される雰囲気はタダモノでは無い気がした。
甚介も三好康長の方を見遣るが、その視線は鋭く、物怖じしない様子だ。
「…弾正忠殿、どうかなされましたか?」
竹内季治が手に書類を持ちながら三好康長の方を見た。
「長官殿。ちょっとこの若者を借りてよいかな。…ああ、それがこの若者の身上か。」
「え、弾正忠殿?」
三好康長は竹内季治の手から半ばひったくる様に書類と掠め取った。
「さて、甚介と申すか。ちょっと俺についてきてくれ。」
「えっと、それは…?」
「良いから良いから。」
三好康長が手招きすると、部屋を出て行った。
甚介は少し肩を竦めるような仕草を見せてからそれに続いた。
「…何だアレは?」
「さぁ…」
竹内季治と竹蔵は茫然とした様子で二人を見送った。
◇ ◇ ◇
場所を移し、京都見廻組役宅の奥にある、静かな一室。
三好康長はドカリと畳の上に座ると、ひったくってきた甚介の書類を机に置き、まっすぐに見据えておもむろに口を開いた。
「甚介とやら急にすまぬな。まずはそこ掛けてくれ。…麦湯で良いかな?」
「は、はぁ…。頂きます。」
甚介は対面の座布団に座ると、三好康長に渡された麦湯を口にした。
「さて、甚介。お前はもしかして、武家の出では無いかな?」
三好康長の鋭い眼力に、甚介は一瞬だけ気圧されたように身を硬くしたが、すぐに諦めたように肩の力を抜いた。
「は、はあ。我が兄は立身出世を夢見て阿波に渡ったようですが、その兄は私達が摂津の豪族の出だとは言っておりましたが…。ところで貴方様は?」
「ああ、すまぬ。名乗っていなかったな。俺は三好弾正忠康長と申す。」
「三好…? 兄は未来があるのは三好だと言って阿波に渡りましたが、その三好様ですか?」
甚介の問いに、三好康長は目を丸くした。
「いや、阿波の三好と言えば、俺の本家筋の事かもしれんな。」
三好康長は笑いながらそう言うと、首を横に振った。
「俺は今は越中守護でもある、神保近衛少将様にお仕えしている。」
「神保近衛少将様…! 今や京の町でも話題になっておりますよ。」
神保近衛少将と言えば身分や血統を一切気にせず、やる気と実力のある者を良き待遇で迎えると噂されていた。
「…それで甚介よ。俺がお前をここに連れて来たのは他でもない。どうだ、俺に仕えてみる気は無いか?」
「え、ええ!? 俺、いや、私がですか?」
甚介が驚きの声を上げた。
「俺は御屋形様から神保家の在京総代を任されているのだが、郎党があまりおらぬのだ。これから秋にかけていろいろやる事が山積みなんだよ。」
「は、はぁ…。しかし何で俺なんかに…?」
甚介が驚きと戸惑いの混じった目で、三好康長を見つめた。
「それはズバリ…」
「ズバリ…?」
甚介がごくりと唾を飲み込んだ。
「…カンだ。」
「え、ええ!? カンですか?」
甚介の口から、今日一番の情けない、しかし当然の驚きの声が漏れた。
「いやいや、俺のカン働きも中々どうして、冴えるものでな。ハハハ!」
三好康長が豪快に笑いながら答えた。
「甚介よ。お前の兄は出世を夢見て阿波の三好を訪ねたと言っていたが、働きによってはお前も厚き恩賞を与えることを約束しよう。」
「…それはまこと、ありがたき話でございますが、そもそも三好様は俺に何をお望みなのでしょうか?」
甚介の鋭い瞳が、まっすぐに三好康長を射抜いた。
「ハハ、やはり良い目をしているな。ならば腹を割って話そう。」
三好康長がおもむろに口を開いた。
秋頃に帝・後奈良天皇の即位礼が執り行われるであろうと言う事。
神保家は帝に仕える近衛府の臣として、その警護に役目を果たすつもりであると言う事。
その為に神保家は北山協定・同盟各国と共に一定の兵を京へ入れる予定であると言う事。
もちろん目の前の男が神保家に来てくれるかはまだ不明なので、京鳴滝城に関しては伏せて、であるが。
その他にもやるべき事は山積している。
「まぁそんなこんなで俺はやる事が多過ぎてな。」
「なるほどですな。てっきり俺は募集されていた京都見廻組へ採用されると思っていましたが…」
「アレは神保家の組織ではない。帝麾下の洛中治安維持組織と言う事になっている。」
「ふぅむ…」
甚介は腕を組んで考え込むような仕草を見せた。
そして少しして口を開いた。
「三好様はおそらくご存知かと思いますが、庶民は食うのも精一杯の者が多いです。藁にもすがる思い京に来るものも多く、俺も食い詰めてここに来たクチでしてね…」
「分かっている。我が主、神保近衛少将様は領国の民を思い、そして俺もせめて手の届く範囲でそのようにしていきたいと思っているよ。…たとえそれが偽善と言われようがね。」
「…十分なメシを食わせてくれるんでしょうな?」
「それは約束しよう。ウチの飯は美味いことで評判だぞ。」
三好康長がニヤっと笑った。
「ハハハ、そりゃいい。美味い酒も付けてくれると嬉しいものですな。」
「義理の姉から届く加賀の酒は絶品だぞ。楽しみにしておけ。」
その言葉を受けて、甚介はサッと姿勢を正した。
「三好弾正忠様。この甚介、これより神保家と弾正忠様のために、この命、粉にしてお仕えいたしまする。」
「うむ、期待している。我が御屋形様が秋に上洛されるだろうから、その時に引き合わせるとしよう。」
三好康長は満足そうに頷いた。
この甚介と言う男、実は名の知れたものになるはずであったのだが、ここではそうでは無かった。
ひとまず三好康長はおそらく優秀であろう郎党を手に入れ、秋の即位礼に向けて進んでいくことになるだろう。
史実での甚介についてはしばらく触れないです。それでも彼はきっと三好康長の役に立ってくれるでしょう。




