第百九十話
一五三六年四月 京郊外・北部
ここで時は少し遡る。
ここは京の都から北に行ったところ、かの有名な金閣寺や仁和寺の裏手にある、小高い山の山中だ。
その中に少し開けた土地がある。
そこ場所に蠢く男衆。
その幾人かは黒備えの兵が辺りを警戒し、更にはその場所に至る街道の物陰は薬売りに扮した者が監視を行っていた。
京の洛中(街の中)の喧騒から完全に隔離されたこの場所では、急ピッチで陣地、いや、建物の建設が行われていた。
「荷駄隊の到着はまだか?」
「はっ。若狭武田から借り受けた人足が、順次こちらに向かっております。」
ここにいるのは北山協定が神保家の面々であった。
何故こんなところに神保家の者がいて、それも建物の建築を始めているのか?
…そう、ここに密かな拠点を設営するためだ。
この場所は見事に京の市街地から隠蔽された場所であり、公方方から見つかる事は無いだろう。
万が一ここに近付く者があれば、その者は不幸にも行方不明になってもらうだけだ。
「奉行殿、宿舎に使う資材が足りませぬ。」
「ふむ、些かうまくいかぬものだな。」
この現場を仕切っているのは、越中にて神保家本城である、越中城ヶ崎城の建築を指揮した徳次郎だ。
いや、形式上黒備えの神保兵も指揮下に収める必要がある為、またここまでの功績により士分に取り立てられたため、逆井徳次郎城正と名を変えていた。
(もっとも兵の現場指揮は現地指揮官が担当する訳であるが。)
この場所へ単純に資材を運び込みたいのであれば、麓にある京から調達した方が早いだろう。
しかし先にも述べた通り、当面、ある時期までは秘匿された場所である必要があるのだ。
その為に全ての荷や資材は若狭方面からの道を、それも途中から分岐した、この為に作った仮設道路を介して運び込まれていた。
時間が掛かるのは致し方のないことだ。
では何故そんなことをしているのか?
それは秋に行われる予定の後奈良天皇の即位礼で上洛する神保家ら北山協定当主らの警護兵の、それもそれなりに大規模に駐屯できる場所を作るためだ。
城まで行かぬとも、ある程度軍事行動が出来るような砦くらいになるのが望ましいだろう。
京の町で三好弾正忠康長が派手に立ち回っている間に、普請を進めてしまいたいという訳だ。
「そういえば丹波に応援要請をしてみたらどうなのか? あそこには北山協定に近い細川高国様がおられるのだろ?」
逆井徳次郎に話しかけて来たのは黒備えの警護兵の指揮官の男だ。
「いや、御屋形様が仰るには、間際までは管領様にも秘密にしておくようだ。あの御仁は御味方であろうが、それでも情報の綻びが出んとも限らん。若狭武田はその点はまだマシだな。」
若狭武田は正式な北山協定加盟国では無いが、それでも敦賀朝倉家と同盟しており、協力関係にあると言えた。
一方で細川高国や波多野は公方と対立しているから北山協定に好意的であるが、同盟までは結んでいない。
「なるほど、それは難儀な事だな。儂は兵を率いるのはそれなりに長けているが、そのあたりは全く分からんよ。」
「それは俺もだぞ。…建築については分かるのだけどな。」
逆井徳次郎が大げさに肩を竦めてみせた。
「…その、用兵的にまずどれくらいの兵が入れればいいんだ?」
「欲を言えば千、悪くとも五百だな。」
「…承知した。するとまず必要なのは宿舎、食糧庫だな。近付く者はここに来るまでに薬売りと貴殿等が何とかしてくれるとして、防衛設備よりも先にそちらを何とかしよう。…少し工程を組み替えてくる。…おい。」
逆井徳次郎が配下を呼んだ。
「俺はこれから少し籠って工程組み換えを考えてくる。一先ず作業は予定通りだ。…集中したいから話しかけてくれるなよ?」
「…承知いたしました。」
逆井徳次郎は部下の返事を受けて少し頷くと、テントの中に入っていった。
この男の神髄は通説に囚われない柔軟性を持つところだ。
それ故に、神保長職が考えた越中城ヶ崎城の設計思想にも対応できたのだろう。
これは飛騨での鉄や鉛の製錬施設や越中の北山式火槍・龍筒製造工場の設計施工に活かされたと言う訳だ。
そしてその工程の見直しが行われてから僅か一カ月半程経過した一五三六年六月上旬、後に『京鳴滝城』と命名された施設の屋台骨部分が出来上がってきた。
現状で最低限の稼働が出来る状態になったわけだ。
この場所は面積としては三十町歩~程度の面積を誇り、東京ドームで言えば七個程度の広さがあるだろう。
通常の城にあるような堀は一切排除してはいるが周囲を高い柵で囲い、その所々に裏に鉄板を貼った木盾を設置した。
豪華さを排除しつつも防衛設備としての機能性を持たせた門は、前述の盾を設置し、北山式火槍を射撃できるような鉄砲狭間を設けた。
攻撃路としては京方面からはこの道しかない為、少ない兵数でも十分な防衛行動を行うことが出来るだろう。
搦手にあたる裏門は若狭方面に繋がる道がありこの道自体が隠蔽されているものではあるのだが、それでも最低限の防衛設備を設置した。
”城内”の施設としては兵員宿舎、物資を集積できる倉庫を設置していた。
現状では五百から千人程の兵力の駐屯に対応しているが、設計通りに建設が進めば、数千人規模の駐屯が可能になるだろう。
またまだ着手までは出来ていないが最低限の自給自足が出来るような農地であったり、武具や装備の製造・メンテナンス施設の建築・設営が計画されていた。
そう、この『京鳴滝城』の出現で、公方らから見たら『敵対勢力の近代軍事要塞が、いつの間にか喉元に突き立てられていた』と言う事になるだろう。
もっとも、彼らがその真実に気づき、腰を抜かすのは、まだ少し先の話であるが。
◇ ◇ ◇
そしてある日の事、初夏の強い日差しが北山の新緑を照らす頃、その『京鳴滝城』の頑丈な木門の前に、数騎の馬が静かに姿を現した。
馬の腹を蹴り、手綱を引いたのは、洛中での『京都見廻組』の設立にひと区切りをつけた三好弾正忠康長であった。(京都見廻組は竹内季治と竹蔵らに任せておけば当面は十分と言う判断だ。)
三好康長は自分の馬の前に、ちょこんと座らせていた少年、八郎をひょいと抱きかかえて地面に降ろすと、自らも馬から降りて手綱を部下に預けた。
「ほう。お見事。これはまっこと、素晴らしい出来栄えにございますな、徳次郎殿。」
鳴滝の轟音が響く中、康長はわずか一ヶ月半で千人規模の駐屯を可能にした宿舎の並びを見渡し、深く感服の吐息を漏らした。
「これは、弾正様! よくぞお越しくだされた。」
陣幕から図面を抱えて出てきた逆井徳次郎城正が、日に焼けた顔で豪快に笑い、出迎えた。
大工上がりの徳次郎にしてみれば、名門三好の一族である康長は雲の上の大身のはずだが、その態度には気負いも卑屈さもその一切が存在しなかった。
「首尾は上々にございますよ。御屋形様から授かった『城正』の名に恥じぬよう、最低限の宿舎と食糧庫は完璧に仕上げてございます。」
「うむ。流石は徳次郎殿だ。貴殿を京の裏山へ遣わした御屋形様の眼力、やはり恐ろしいものよ。通説に囚われぬお前の柔軟な知恵があったからこそ、この難工事が成し遂げられたのだ。これならば本国からの軍勢も安心して迎え入れられるものですな。」
「…ううむ、弾正様程の御仁にそこまで持ち上げられると、かえって申し訳なくなってしまいますな!」
「フ。今更そんな事を思われるような間柄か? 違うだろう?」
「ハハハ、違ぇねえ。」
軽口を言い合えるのも、この三好弾正忠と言う人の魅力かもしれない。
二人の大人が不敵な信頼の笑みを交わした、まさにその時だった。
康長の足元で、楽しそうに完成したばかりの長屋の柱をペタペタと触っていた八郎が、無邪気な声をあげたのだ。
「なぁ、弾正様。この城?屋敷?、は外からはただの緑の山に見えるのに、中はすんごく広いんだな。それにおれ達は上ってきた道は町から全然見えないね。これは夜の間にこっそりたくさんの人が入ってこられるようになってるって事?」
その少年、八郎の言葉に、逆井徳次郎はハッとした表情を浮かべた。
八郎にはまだ何も教えていない。
三好康長ら周囲の人物は狩野屋の手伝いに困らない程度の読み書き・計算は教えていて、覚えが早いんだな程度には考えていた。
その子供が、この城の最大のキモである「隠密性」と「仮設道路を介した軍事的な夜間侵入ルート」の本質を、野生のバケモノじみた地頭の回転で、ひと目で見抜いたのだっだ。
「…弾正様、この坊主はどこの誰なので?」
逆井徳次郎が、額の汗を拭うのも忘れて、ゴクリと唾を呑み込んだ。
どこぞの御曹司にも見えなくは…無いが、少なくとも逆井徳次郎が知らない子供だ。
「ハハハ、八郎よ。お前、本当にただの迷子か?」
「な、なんだよ弾正様、おれ、おかしな事言ったか?」
八郎は不思議そうに首を傾げ、また柱をペタペタと触り始めた。
本人は自慢する風でもなく、この施設の本日を口にしただけなのだ。
それがまた恐ろしい。
「あ、いや、徳次郎よ。この坊主は少し前に俺が保護した子供でな。この坊主の母親共々、我が家の奉公人としようと思っているのだよ。」
「そ、そうでしたか。つまり弾正様が直々に教育なされていると?」
「…そう言う事だ。」
「…なるほどですな。」
逆井徳次郎は納得している様な、していない様な何とも言えない表情で答えた。
いや、説明した三好康長本人も、自らの説明に百パーセント納得できるものでは無いのだ。
(やはり八郎、この子供はただものでは無さそうだ。…やはりいずれは出自を調べる必要があろうな。)
康長は八郎の頭を優しく、しかしどこか感慨深げに撫でながら、水面下で静かに思惑を走らせた。
まぁでもそれは、少し先の話で良いだろう。
「…さて、徳次郎殿。施設を案内してもらおうか。足りぬものがあれば、御屋形様に陳情せねばならぬしな。」
「そうですな。さ、ついてきてくだされ。弾正様!」
逆井徳次郎はいつもの職人の顔に戻り、胸を張って康長を案内し始めた。
トコトコと楽しそうに付いていく八郎の後ろ姿を見送りながら、康長は『これから始まる激動の秋(即位礼)』に向けて、この京鳴滝城という隠し刃の頼もしさを、今一度深く噛み締めるのだった。
この京鳴滝城の場所ですが、概ね大北山原谷乾町のあたりを想定しています。あくまでもフィクションですので、文中ではそれを明記しません。よろしくお願いいたします。




