第百八十八話
一五三六年五月 飛騨国桜洞城
京の町で現地警察組織『京都見廻組』の設立に向けて活動が行われていた五月。
先月、京の禁裏にて神保長職が仕掛けた朝廷工作が実を結び、ここ飛騨の山々に囲まれた三木家の本拠・桜洞城にも、歴史を大きく変える「一通の宣旨」がもたらされていた。
「おお、六左殿か。よう参られたな。」
「はっ。三木様もご機嫌麗しく。」
三木直頼の言葉を受け、小嶋邦鎮が平伏した。
「…それと四郎二郎もな。どうだ?越中は。」
「はい。神保様を始め、家中の皆様にはとても良くして頂いておりますよ!」
「そうか、それは上上。」
三木直頼は満面の笑顔で応じた。
これは愛息子の帰宅を素直に喜んでいる父親の顔なのだろう。
「…四郎二郎様の里帰りという目出度き日に、越中よりさらなる『極上の手土産』を持ち帰ってございますよ。」
平伏していた小嶋邦鎮がそう言いながら顔を上げ、滑らかな所作で懐から格調高き錦の巻物を取り出した。
「ほう、手土産、とな?」
「はっ。こちらをご覧ください。」
小嶋邦鎮は巻物を広げた。
少々老眼に差し掛かったのだろう三木直頼は目を細めながらその内容を見遣った。
そこにしるされていたのは、室町幕府すらも手出しできぬ、帝より下された『三木家による姉小路名跡の襲名』と『飛騨国司』への公式な宣旨であった。
「な、何と!これは、朝廷からの宣旨か!?」
「左様にございます。我が主、神保近衛少将がが京の朝廷へ仕掛けた工作が、見事に実を結びました。これで貴方様は従五位上・姉小路飛騨国司直頼でございますな!!」
小嶋邦鎮が幾分大げさな調子でそう言った。
「じ、従五位上、国司、だと!? 儂がか?」
三木直頼は、がたがたと手が震えるのを抑えられなかった。
飛騨の山奥で領地争いをしていた自分が、今日この瞬間から、名門・姉小路の名跡を継ぎ、「従五位上・国司」という雲の上の身分になったのだ。
隣に存在する大国である神保家が目を掛けてくれるだけでも凄い事だと思っていた。
神保長職から見たら飛騨国内の領地争いなどみみっちいものに見えていた筈だ。
それなのに神保長職は大変なものをもたらしてくれたのだ。
京の都で近衛少将という破格の武官職に就いた神保長職殿の威光と、我が三木家に下されたこの国司の権威。この二つが並び立てば、室町幕府とておいそれと手出しはできまい。
江馬ら古参の連中など、一瞬で平伏させることすらできる。
「ま、真か四郎二郎……!のう、 儂は、夢でも見ているのではないか?」
震える手で宣旨を見つめる父の姿に、四郎二郎嗣頼は可愛らしい笑顔を向けた。
「夢ではございませぬよ、父上! 神保近衛少将様も、神保家に嫁いだ姉上も、飛騨の民がこれ以上戦乱に怯えぬようにと、我がことのように喜んで京へ働きかけてくださったのです。」
「そ、そうか! 明日目が覚めたら、よもや夢であったとかそんなことにはならんか!?」
「なりません。なりませんよ、父上!」
「神保殿は近衛少将になられたのだな。近衛少将殿には、本当に足を向けて寝られんな。……よし、これほどのハクを頂いたのだ。我らもこの桜洞城の奥でのんびりとしておれんぞ!」
実に微笑ましい光景であった。
若干ひねくれものと自認している小嶋邦鎮は営業スマイルのままその様子を見つめていた。
「…さて国司様、四郎二郎様。」
親子の団欒に水を差さぬよう、小嶋邦鎮はおほんと咳ばらいをしてから口を開いた。
「我が主は三木、いえ、姉小路様の飛騨国司任官を踏まえ、我等が同盟たる『北山協定』への加盟をしていただいたらどうかと申しておりまする。」
小嶋邦鎮は営業スマイルからキリっとした真剣な表情に変わった。
「それは願っても無いことだ。我が三木、いや、姉小路としても是非そうさせていただきたい。」
「左様でございますか。朝倉様や上杉様等の承認は後で頂く様に致しますが、まずはこの協定状へ花押を頂きたく。」
「うむ、承知した。」
三木改め姉小路直頼はスラスラと花押を書き上げた。
「ありがとうございます。これで姉小路家の同盟加盟が成るでしょう。」
小嶋邦鎮の言葉に、姉小路直頼は満足そうに頷いた。
「それで、某が申し上げたいのはそれだけでは無く…」
「ハハハ、やはりそうか。」
「ふ、お分かりですか?」
「貴殿の事だからな。土産だけでは無く、当家が為さねばならぬことがあると言うのだろう?」
「仰る通りにございますな!」
小嶋邦鎮はそう言うと、待ってましたと言わんばかりに懐から分厚い内政帳面を取り出し、直頼の前に差し出した。
「これは我が主や狩野屋の知恵を借り、まずは飛騨の鉱山、そして各工場の効率化を図る策にございまする。」
「ほう、今でもそれなりな成果を上げていると聞いているが?」
「我が神保からすれば、飛騨にはまだまだ発展していただかなくてはなりませぬ。神保家から治境局の人員も派遣いたします故、その為の裁可を頂き、そして行動をして頂きたく考えております。」
「なるほどの。」
姉小路直頼は同盟の協定状をじっと見つめた。
この紙は姉小路家の発展を約束するでもあり、自らを縛る楔でもあるのだろう。
なるほど、神保の近衛少将殿という男、ただの男気溢れる若者ではないな。
巨大なハクを三木(姉小路)に与えて喜ばせ、同盟に組み込むと同時に、その実務と富の心臓部(鉱山や工場)には自らの配下(治境局)を送り込んでガッチリと手綱を握る。
近衛少将からしたら、京の公家共もある意味コマとして見ているのかもしれないな。
それでいて人間味があるものだから、えげつないと言うものよ。
事実、四郎二郎嗣頼も見事に取り込まれている。
「よかろう。姉小路家当主として承認しよう。…四郎二郎よ。」
「はっ。」
「お前もこの事業へ参画せよ。六左殿に好く学ばせてもらえ。」
「ははっ!承知致しましてございます。この四郎二郎、必ずやお役に立ちまする。」
「うむ。」
姉小路直頼が小さく頷いた。
「六左殿、それで良いな?」
「…四郎二郎様は越中と行ったり来たりになるかと存じますが、それでもよろしいでしょうか?」
「もちろんです!私にも是非手伝わせてください!」
三木、もとい姉小路四郎二郎がキラキラとした目で答えた。
「承知いたしました。」
(ははは、食えぬ御仁だな。さすがは一国の主と言うべきか。)
そう、立場としては少しばかり弱い筈である姉小路直頼は、駆け引きを挑んできたわけだ。
神保家の、飛騨国内での活動は容認するが、姉小路もちゃんと噛ませろと言ったきたのだ。
「それでは国司様、そして四郎二郎様。共に姉小路の、北山協定の発展の為に力を尽くしましょう!」
小嶋邦鎮はそう言って、今度は営業スマイルではなく、一人の有能な内政官としての深い敬意を込めて、新しき国司(直頼)の前に深く平伏した。
京の町で『京都見廻組』が誕生し、若き長官が現場で泥をすすっていたまさにその5月
。ここ飛騨の桜洞城でも、神保長職の近代化の波を強かに乗りこなそうとする「新生・姉小路家」が、天下に向けて産声をあげたのであった。
少しぶりの飛騨編です。まずは三木家への姉小路名跡と飛騨国司の件からですね!!!




