第百八十一話
一五三六年三月 京・畠山屋敷
三好康長と紬がハッと息を呑む中、亜貴は涙を拭った後、少し視線を落として数年前の備前での出来事を静かに話し始めた。
「お恥ずかしい話ですが、私は備前で、貧困ゆえに我が子を亡くしました。乳も出ず食べるものもなく、大切な我が子の骸を野山に埋め、私はあてもなく山道を歩き続けておりました。…きっと私は、死に場所を探していたのでしょう。…そんな中私は、深き山中で手傷を負い行き倒れていた一人の美しい女性と、今にも消え入りそうな赤子を見つけました。私は思わずその二人に駆け寄ったのです。」
亜貴が掛け布団をぎゅっと握り締めた。
「その女性は私に気付くとこう言いました。『この子は…、八郎は、宇喜多の血を引く子に、ございます。どうか、どうか、この命だけは…』、と。」
「何と…、宇喜多とは。」
宇喜多氏。
その出自には確実なことは不詳であり、多くの戦国大名同様に諸説ある。
ただその頃の当主であった宇喜多能家は知略に優れた武将であり、赤松氏重臣の浦上氏の被官として重きを成していたようだ。
当時の備前の情勢については正直越中等北山協定内の情勢に直接影響するものでは無い故、今ここで多くを語ることはしないが、つまるところ国内および国外からの圧力にてかなりの混乱状態であったのは想像に難くない。
その煽りを受けるのは、いつも庶民と言う事だ。
「その女性はそのまま息を引き取りました。私は宇喜多などという高貴なお家とは何の関係もない、ただの貧しい野の女にございます。その女性が八郎の実母様であるかすら分からないし、残された言葉が、本当か偽物かも私には分かりませぬ。ただあの子を、あの子を私の腕で抱きしめた時、とうに枯れ果てていたはずの私の胸が……あの子の泣き声を聞いた瞬間に、カァッと熱くなり、じわりと、温かい乳が湿ってきたのです。私は…この子の為に生きねば、と思いました。」
その言葉を聞いた紬が着物の袖で自らの口の辺りを押さえた。
嗚咽を隠そうとしているのだろう。
「なるほどな。…亜貴殿は八郎に、その宇喜多の血筋や、血の繋がりがないという真実を、いずれ話すつもりはあるのかな?」
「いえ…」
亜貴は力なく首を振った。
「私には、どうにも考えも付きませぬ。あの子に宇喜多などと言う大層な名を教えて、また戦乱に巻き込まれるのが恐ろしいのです。ですが、遺言を預かった身として、このまま墓場まで隠し通して良いものか。…そもそも血の繋がりのない私などが、あの子の母親であり続けて良いものなのか…」
亜貴は大粒の涙を流しながらそう言った。
「そうか…」
三好康長は病床の母親の目線に合わせて、よりいっそう優しく微笑みかけた。
「部外者である俺がこう言って良いのかは分からぬが…。お前達は、血の繋がりなどとうに越えた、本物の親子の絆だ。亜貴殿が望むなら、俺が代わりに八郎へ宇喜多の真実を話してやっても良い。…だが、話すかどうか、いつ話すかは八郎の母親である亜貴殿、お前が決めてほしい。話す、話さないに関わらず、俺は妻である紬と共に必ず力になろう。」
三好康長は頷きながらそう言った。
そう、”妻である”紬が康長の着物をぎゅっと掴んでいるのを感じながら。
「まぁ、亜貴殿はまずは体を治さねばならぬな。良くなったら亜貴殿さえ良ければ我が侍女として雇入れようか。八郎はそうだな、本人が望めば我が近習として仕えさせても良い。アレにはまず教育が必要であろう。」
「あ、 ありがとうございます、三好様、紬様……っ!」
自分の母親としての情を何よりも尊重してくれた康長の優しさに、亜貴が布団を涙で濡らした、まさにその時であった。
バシャァン!
長屋の荒い引き戸が勢いよく開き、息を荒く切らせた少年――八郎が、転がるように部屋へと飛び込んできた。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ! 与兵衛の、おっちゃんから、聞いた……っ! 母ちゃん! 母ちゃん、目覚めたのか!?」
八郎は康長や紬の存在すら目に入らぬかのようになりふり構わず亜貴の布団の元へと縋り付き、その細い手で自分の母親を抱きしめた。
その瞳からは、堰を切ったように大粒の涙がボロボロと溢れ出していた。
「も、もう、八郎ったら。…命の恩人の三好様の前ではしたないわよ。」
「母ちゃん、母ちゃん…!」
三好康長の目の前にいる二人の情景は、まさに本当の親子のそれだ。
血の繋がりはなくともこの歳月の間で、この二人はこの二人は本当の親子になったのだろう。
三好康長は紬に目配せした。
紬は静かに頷いた。
「さて、俺達はここで失礼するよ。二人はゆっくりされるが良い。何かあれば遠慮なく言うが良いぞ。」
「も、申し訳ございません。…ありがとうございます!」
亜貴・八郎親子は何度も礼を口にした。
三好康長と紬は優しく微笑み、部屋を後にした。
「なあ、紬殿。俺は甘い人間か?」
少しして、三好康長は紬にこう語りかけた。
この戦乱の世の中において亜貴のような者はたくさんいただろうし、仮に八郎が宇喜多の者だとしても、負けて落ち延びるようなことは珍しく無かったはずだ。
目の前にいたこの親子二人を助けることにどんな意味があるのだろうか?
ある意味自分たちのような武士同士が身勝手な争いを続ける世の中においてこの行動はただの偽善かもしれないし、武士と言う存在自体を自己否定することかもしれない。
「いえ、ウチは貴方の姿を見て惚れ直してしまいましたよ。」
紬は悪戯っぽく笑いながら答えた。
「つ、紬殿。揶揄うのはおやめ下され。」
「ふふふ、孫七郎様。可愛い。」
紬が肘で夫である三好康長の脇腹をつついた。
思わぬ妻の反応に、三好康長はかぁっと頬が熱くなるのを感じた。
「孫七郎様。ウチは姉からこう聞いておりました。神保家の皆様方はどうにも戦国武将らしくないと。いえ、これは武士として無能だとか言いたいのではありませんよ?」
「ふ、ふうむ。それは何とも難しい表現だな。」
「ウチはまだお会いしたことはありませんが、おそらくは御屋形様である神保越中守様がそのような方なのでありましょう。家中の皆様方は、御屋形様を信じておられるのでしょうね。」
「それはその通りだな。我が御屋形様は古い戦国の殺し合いを誰よりも嫌っておいでだ。民が飢えず、怯えず、誰もが安心して暮らせる世を切望しておられる。」
厳密に言えば、神保長職の行動原理は自らとその近しい者で何とか生き残っていきたいと言うのものだ。
それ故に敵対者に対しては苛烈でもあった。
それでも恭順する者は民として受け入れる寛容さを兼ね備えていたのだ。
「そんな御屋形様が信頼して京での仕事を任された孫七郎様ですもの。貴方ならできますわね?」
「…そうだな。いや、やらねばならぬか。」
三好康長が深く頷いた。
せめて手が届く範囲から、何かを成し遂げていかねばならない。
「広橋家も最大限活用なされませ。我が義父の動きが悪かったらウチを前に出して頂いても構いませんのよ。…それでもダメなら姉を出しても、ね。」
「そ、そうだな。それは…」
それはごめん被るな、と言いたかったが、三好康長はその言葉を飲み込んだ。
色々とやり手の紬の姉、松波長利の妻である梓が出てくると”なかなかに大変そうだ”。
「…いや、よろしく頼む。何かあれば力を貸してくれ。」
「もちろんです。ふふふ、流石、ウチの旦那様や。」
紬が三好康長にピトっとくっついた。
これでおしとやかで控えめな娘、か。
いやよく気が利くし三好康長への気遣いをしてくれる良き娘なのは間違いないのだが。
…まったく広橋家は皆、末恐ろしい家族達よ。
三好康長は少し上を向きながらそう思った。
読者の皆様はこの八郎がいったい誰なのかお分かりになったかもしれません。現状では八郎本人にそれは告げませんが、いずれ伏線回収出来たらと思っておりますよ!




