表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
公爵令嬢クラリスの矜持  作者: 福嶋莉佳
三章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

60/61

第21話

「王妃陛下が、公務から退かれることになったそうだ」


婚約者の言葉に、クラーラは伏せていた目を上げた。


「ええ。わたくしも、父から聞きました」


「王妃宮から孤児院へ出された支援や、人選についても見直されるらしい」


「……そうらしいですわね」


婚約者は向かいの椅子に腰を下ろしていた。


卓の上には、まだ手をつけられていない茶が置かれている。


しばらくの沈黙の後、婚約者が口を開いた。


「以前、君に第二王子殿下とのことを尋ねたね」


クラーラの指先が、わずかに動いた。


「君は、孤児院のためだと言った。王妃陛下の御意向でもある、と」


「……そのように思っておりました」


「今も、そう思っている?」


その問いに、クラーラはすぐには答えられなかった。


孤児院のためだったことに、嘘はない。


気づく機会がなかったわけでもなかった。


第二王子と並ぶ自分へ向けられた、周囲の視線。

政務室へ現れたクラリスの、張りつめた表情。

そして、カレンが口にした言葉。


王妃がなぜ自分を選び、なぜ第二王子とともに動かしたのか。


考えれば、見えてしまうものがあったからだ。


「孤児院のためであったことは、今も変わりません」


クラーラはゆっくりと答えた。


「ですが……わたくしは、何も分かっていなかったのだと思います」


「分かろうとしなかったのではなく?」


「……そうかもしれません」


クラーラは再び目を伏せた。


「王妃陛下にお声をかけていただき、孤児院のために力を尽くせることが嬉しかったのです。第二王子殿下も、真摯に話を聞いてくださいました」


婚約者の表情が、わずかに固くなる。


クラーラはそれに気づきながらも、言葉を続けた。


「自分が役に立っているのだと思いたかった。だから、その場がどのように見えるかまで、考えようとしなかったのかもしれません」


「私がどう思うかも?」


「……はい」


小さく答えると、婚約者は目を閉じた。


怒っているのだろうか。

それとも、呆れているのだろうか。


クラーラが身を固くしていると、彼は静かに息を吐いた。


「家からは、婚約について改めて考えるべきではないかという話も出た」


クラーラの顔から血の気が引いた。


膝の上で重ねていた指に、力が入る。


「そう……ですのね」


「私も、今までどおり婚約を進めてよいのか、分からなくなっている」


クラーラは息を止めた。


「君が第二王子殿下との婚姻を望んでいたとは思っていない。だが、問題はそこだけではない」


婚約者は真っ直ぐにクラーラを見た。


「君は、自分が噂の渦中にいることにも、誰かの思惑に利用されていることにも気づかなかった。私がどう思うかも、クラリス嬢がどのような立場に置かれるかも考えなかった」


「……はい」


「いずれ私の妻となる人として、君を信じてよいのか。今の私には、まだ答えが出せない」


婚約者は立ち上がった。


卓の上の茶は、結局一度も手をつけられていない。


「今日は、これで失礼する」


「フェリクス様……」


呼び止める声に、フェリクスは足を止めた。


けれど、振り返らなかった。


「君も、これからどうしたいのか考えてほしい」


静かに扉が閉じられた。


クラーラは閉ざされた扉を見つめたまま、しばらく動けなかった。


フェリクスの名は、これまでにも何度も呼んできた。


けれど、彼が何を思い、何を望んでいるのかを考えたことはあっただろうか。


自分にとって彼は、いつもそこにいる婚約者だった。


話を聞いてくれなくても、孤児院に関心を示さなくても、婚約者であることまで変わるとは思っていなかった。


だから、自分が彼を傷つけるかもしれないとは考えなかった。


クラーラは膝の上で、強く手を握った。


次にフェリクスと向き合うときも、謝れば済む話ではない。


今度は、分かったつもりにならず、彼の言葉を聞かなければならない。


そして、自分がこれからどうしたいのかも、自分の言葉で答えなければならなかった。



王太子宮の執務室は、ひどく静かだった。


以前なら朝から、報告や裁可を求める文官や、次の予定を告げる侍従が絶えず出入りしていた。


今、卓の上に置かれている書類は、わずか数枚だけだった。


この部屋で王太子の判断を待つ者は、もう一人もいない。


王太子は、卓上の書類を手に取った。


端には、宰相府確認済みの印が押されている。


自分のもとへ届いた時には、すでに内容は決められていた。


王太子がすることは、最後に名を書き入れるだけだった。


「……なぜだ」


低い声が、広い部屋に落ちた。


自分は、王太子として務めを果たしてきたはずだった。


面倒に思うことはあった。


判断を先延ばしにしたことも、細かな話を文官へ任せたこともある。


それでも、差し出された書類には目を通した。


求められれば人前にも立った。


王太子として決めるべきことは、自分なりに決めてきたつもりだった。


それなのに今は、何一つ任されない。


王太子は書類を卓へ落とした。


乾いた音が、静かな部屋に響いた。


以前なら、判断に迷えば母に尋ねることができた。


母はいつも、答えを知っていた。


王太子が何かを決めれば、その意図を周囲へ伝え、反発を抑え、話が進むよう取り計らってくれた。


今、その母は王妃宮の奥へ留め置かれ、公務も人事も取り上げられている。


面会すら、宰相府の許しなくしてはかなわない。


母の手が離れた途端、誰も自分の言葉を聞こうとしなくなった。


「母上まで……」


王太子は額へ手を当てた。


「母上が、何をしたというのだ」


南の離宮のことも、孤児院のことも、王宮祝宴のことも。


説明は聞いた。


だが、どれも母が直接命じた証拠はない。


母の名を勝手に使った者がいた。


母の意向を誤って受け取った者がいた。


それだけではないのか。


それなのに、諸侯は母を王宮の表から追いやった。


「何が悪かったんだ……」


その時、卓の上に置かれた王太子の手へ、そっと別の手が重ねられた。


王太子が顔を上げる。


イレイナが、卓を挟んだ向こう側に立っていた。


「イレイナ……」


イレイナは、王太子の手を両手で包んだ。


「殿下……わたくしがいます」


その声は、ひどく優しかった。


「皆様が殿下を理解なさらなくても、わたくしは存じております」


王太子の目が揺れた。


「何を……」


「殿下が、これまでどれほど頑張ってこられたかですわ」


イレイナは迷わず答えた。


「お疲れの日にも書類をご覧になり、皆様のお話を聞き、王太子として務めを果たしてこられました」


「私は……間違っていなかったのか」


「もちろんですわ」


イレイナは、王太子の手を強く握った。


「殿下は、いつも皆様のためを思っていらしただけですもの」


王太子は、しばらくイレイナを見つめていた。


それから、縋るようにその手を握り返した。


「イレイナ……もう、私には君だけだ」


王太子は、かすかに笑った。


「君だけが、私を分かってくれる」


「わたくしは、いつでも殿下のおそばにおります」


イレイナも微笑んだ。


卓の上には、王太子が目を通しても、もはや何一つ変えられない書類が並んでいた。


扉の外を、何人かの足音が通り過ぎた。

その足音は、扉の前で止まることなく遠ざかっていった。


王太子は、イレイナの手を握ったままだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
 孤児達への情に囚われるあまり、パートナーのフェリクスさんとの関係に笑えない溝が生じ、王妃さんの操り人形候補になる隙を作った事の深刻さに、遅まきながら気づいたクラーラさん。  ただ、フェリクスさんはフ…
婚約者が居るにも関わらず政敵(仮)の王子に宛がう女として王妃に選ばれちゃうのもそれに気付けずアッサリ嵌められちゃうのも薄ら気付いてなお強制的に中止されるまで自分の心情優先で回避しようとしないのも全部恐…
はい、お飾りでいる発言来ました~。 いや~、ざまあが立て続けでスカッとしています!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ