最終話
卒業を祝う夜会は、学園の大広間で開かれていた。
卒業を迎えた令息令嬢たちが、友人と言葉を交わしている。
家族を交えた祝宴は、この夜会のあとに予定されていた。
広間を彩る令嬢たちの中には、ラ・ロゼルージュで仕立てられたと思われるドレスも、以前より多く見られた。
鮮やかな色の布地に、シェリアの家が扱う古典的な文様を合わせたものもある。
クラリスは壁際に立ち、広間を見渡した。
この場所へ初めて足を踏み入れた頃には、卒業の日をこのような形で迎えるとは思っていなかった。
王太子の婚約者として学園へ入り、その座を追われた。
第二王子と婚約し、領地へ赴き、南の離宮へ踏み込んだ。
そして今、王妃は公務から退き、王太子宮から出される裁可には、宰相府の確認が必要となっている。
ずいぶんと遠くまで来たものだ。
「ごきげんよう、クラリス様」
隣から声をかけられ、クラリスは顔を向けた。
淡い桃色のドレスをまとったカレンが、グラスを手に立っている。
以前よりも立ち居振る舞いは落ち着いていた。
背筋を伸ばし、グラスも胸元より少し低い位置で、傾けずに持っている。
少なくとも、少し離れて見れば、立派な男爵令嬢だった。
「ごきげんよう、カレン。ずいぶん上達なさいましたのね」
「わたくしだって、やればできるんですのよ」
「その言い方は、まだ少し怪しいですわね」
「細かいなあ」
カレンは肩を落としかけ、慌てて姿勢を戻した。
クラリスは扇の陰で笑った。
「卒業後は、お父上のお仕事を手伝うのですって?」
「ええ。クラリスの課題のおかげで、人や家のつながりも少し分かるようになりましたから。せっかくなら、仕事に生かそうと思いまして」
言い直すように語尾を整え、カレンは少し得意そうに胸を張った。
「せっかく、あれだけ家名と顔を覚えましたし。忘れてしまったら、もったいないでしょう?」
「少し意外でしたわ」
「どうして?」
「あなたは、ご結婚については考えませんでしたの?」
「父も母も、結婚は自由に決めてよいと言ってくれています。政略結婚なんて、いろいろ面倒そうですし」
「……」
「クラリスのことじゃないってば」
カレンは慌てて片手を振った。
「クラリスは、ルシアン殿下と南へ行くんでしょう?」
「ええ。すぐにではございませんけれど」
「そっか……遠くなるね」
「王都へ戻らないわけではございませんわ」
「でも、今までみたいには会えないでしょう?」
「手紙をくださればよろしいでしょう」
「返事、くれる?」
「わたくしを、返事も書かないような礼儀知らずだとお思い?」
「それは失礼いたしました」
その時、広間の入口付近がざわめいた。
クラリスが顔を向ける。
第二王子ルシアンが、護衛を一人だけ伴って広間へ入ってきた。
広間へ足を踏み入れたルシアンへ、いくつもの視線が集まった。
以前のように、ただ王太子の弟を見る目ではない。
祝宴をめぐる混乱を収め、旧家と新興貴族の共同提案を進めた第二王子。
いずれ南部へ移り、新たな役目を担うのではないか。
そんな囁きは、クラリスの耳にも届いていた。
ルシアンは周囲の視線には構わず、まっすぐクラリスのもとへ歩いてきた。
「来てくださいましたのね」
「ああ。婚約者の卒業を祝う席だ」
ルシアンはクラリスの前で足を止めた。
「来るのは当然だろう」
「まあ。殿下もようやく、婚約者らしくなってくださいましたのね」
「これまでも、そのつもりだった」
「殿下は相変わらず、自己評価がお高いのですわね」
「君からの評価が厳しすぎるだけではないのか」
「まあ、ご自分に都合のよい解釈ですこと」
ルシアンは何か言い返そうとしたが、隣にいるカレンへ視線を向けた。
「カレン嬢。久しいな」
「ご無沙汰しております、殿下」
カレンはドレスの裾をつまみ、危なげなく礼を取った。
「以前とは、ずいぶん違うな」
「わたくしも成長いたしましたので」
「話し方まで変わったようだ」
「殿下の前では、ちゃんとできるんです」
クラリスが扇を閉じた。
「最後まで続けられませんの?」
「クラリスの前では、もういいかなって」
「よくありませんわ」
カレンは不満そうに唇を尖らせた。
ルシアンは二人のやり取りを眺め、わずかに口元を緩めた。
その時、カレンの視線がルシアンの礼装の胸元で止まった。
ルシアンは先ほどから、何度か同じ場所へ手を添えていた。
「殿下……先ほどから、何か気になさっています?」
ルシアンの手が止まった。
クラリスも、そちらへ目を向ける。
「何かお持ちですの?」
「いや……」
「今、隠しましたわね」
「隠してはいない」
「では、お見せくださいな」
ルシアンは短く息を吐いた。
「今から見せるつもりだった」
その横で、カレンが二人を交互に見た。
「……わたくし、そろそろ失礼した方がよさそうですわね」
カレンは笑いながら一歩下がった。
「では、クラリス様。ルシアン殿下。ごゆっくり」
きれいに膝を折り、そのまま近くにいた令嬢たちの輪へ向かって歩き出した。
クラリスはその背中を見送り、扇の陰で小さく笑った。
「空気を読むことも覚えたようですわね」
「君が言うと、ずいぶん偉そうだな」
「教えたのは、わたくしですもの」
「そういうところだ」
ルシアンは呆れたように息を吐き、それから改めてクラリスへ向き直った。
「クラリス。君はいつも強引で、面倒で、何度も私を振り回してくれたな」
「それを、今おっしゃいますの?」
「ああ。私も、今する話ではないと思う」
ルシアンの口元に、笑みが浮かんだ。
「だが、君といると、ようやく自分が生きているのだと思える」
クラリスは目を瞬いた。
「以前なら面倒だと思っていたことも、今では悪くない。君に振り回されることさえ、心地よいと思っている」
ルシアンは礼装の内側へ手を入れ、小さな箱を取り出した。
クラリスの目が、わずかに見開かれる。
「殿下、それは……」
「君に、改めて伝えたいと思っていた」
ルシアンは箱を手にしたまま、クラリスをまっすぐ見つめた。
「これが、誰かに決められたことではなく、私自身の意思なのだと」
そして、静かに口を開いた。
「クラリス。私と――」
その時だった。
「マリアンヌ! 私は今日、この場で君との婚約を破棄する!」
広間の反対側から、よく通る声が響いた。
音楽が止まった。
談笑していた者たちも、一斉に声のした方を振り返った。
ルシアンの手が止まる。
クラリスも、ゆっくりと顔を向けた。
少し離れたところにいたカレンが目を見開いたが、次の瞬間には、もう手帳を開いていた。
広間の中央には、若い令息が立っていた。
その腕には、華やかなドレスをまとった別の令嬢が寄り添っている。
婚約破棄を言い渡されたマリアンヌは、青ざめた顔で二人を見つめていた。
「君が彼女へ嫌がらせをしていたことは、すでに分かっている!」
令息は、周囲へ聞かせるように声を張った。
「そのような女性を、我が家へ迎えることはできない!」
クラリスの目が細くなる。
よりにもよって、この場で。
しかも、わたくしの目の前で。
「クラリス、少し待て。まだ私が――」
クラリスは扇を開き、歩き出した。
人垣が、自然と左右へ割れていく。
クラリスは広間の中央へ進み、声を上げた令息の前で足を止めた。
令息の顔が引きつる。
「エ、エルヴァン公爵令嬢……」
「ずいぶんと賑やかなお話ですこと」
クラリスは優雅に微笑んだ。
「これは、私と婚約者との問題です」
「でしたら、ご両家でお話しなさいませ」
クラリスは扇の陰から、冷ややかに令息を見つめた。
「皆様が卒業を祝っている席で騒ぎ立てられては、迷惑ですわ」
背後で、カレンが小さく吹き出した。
ルシアンは小箱を持ったまま、諦めたように息を吐いていた。
令息の顔が赤くなる。
「あなたには関係がないでしょう!」
「ええ。ございませんわ」
クラリスは、あっさりと認めた。
令息が言葉を失う。
「それにしても、よりにもよって、わたくしの前で婚約破棄をなさるなんて」
クラリスは扇を開き、口元を隠した。
「まったく。愚かな方ですこと」
ここまで最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございました!
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また、後日談があれば読んでみたいでしょうか?
ご希望が多ければ、少し考えてみようと思います。




