第17話
学園のサロンは、いつになくざわついていた。
カレンの向かいでは、クラリスが何事もなかったように紅茶を口にしている。
数日ぶりに姿を見せた公爵令嬢へ、周囲の視線が遠慮なく集まっていた。
けれどクラリスは、そんなものなど少しも気にしていないらしい。
カレンは菓子をひとつ摘まむと、茶器を軽く掲げた。
「クラリス、かんぱーい」
「おやめなさい。はしたない」
「いいじゃん。クラリスが戻ってきたんだしさ」
カレンはそのまま紅茶を一口飲んだ。
「しかも元気そうじゃん。仲直りできたんでしょ?」
「仲直りだなんて。そもそも喧嘩などしておりませんわ」
「嘘だぁ」
「殿下の悪ふざけが、少々度を越しただけです」
「ああ……そういうこと」
カレンは妙に納得しながら、もう一度茶器へ口をつけた。
クラリスは扇を開き、涼しい顔で言った。
「それより、あなたの手紙。なかなか興味深く読ませてもらいましたわ」
「でしょう? かなり苦労したんだよ。まず誰が誰だか分からないし、そこを覚えるところからだったんだから」
「よい勉強になりましたでしょう?」
「勉強? こき使っただけでしょ」
クラリスが目を細める。
「……何でもありません」
「まあ、あなたにしてはよくできたと思います」
「それ、褒めてるの?」
「そう受け取っていただいてもよろしくてよ」
「上から目線……」
カレンは頬杖をつき、声を少し落とした。
「でもさ、クラリス。 こんな噂が立ったままで、いいの?」
「ええ。放っておきなさいな」
「あれだけ調べさせておいて?」
「噂ごときで、わたくしが動くとでも?」
カレンは一瞬だけ黙り、それから小さく笑った。
「うわ。戻ってきたって感じ」
その時だった。
「まあ、クラリス様」
甘い声が、サロンのざわめきを縫って届いた。
振り向かなくても、カレンには誰の声か分かった。
リズベットが、取り巻きの令嬢たちを連れてこちらへ歩いてくる。
「お元気そうで何よりですわ。皆で心配しておりましたのよ」
周囲の令嬢たちが、ちらちらと視線を交わした。
クラリスはゆっくりと顔を上げる。
「突然お姿を見せなくなられたものですから。何か、よほどのことがあったのかと」
リズベットは笑っていたが、その目は明らかにクラリスの反応を探っていた。
「王家とのご関係に、何か変化があったのでは――」
「ご想像がお好きなのね」
リズベットの言葉を、クラリスは遮った。
「想像だなんて。ただ、皆様が案じているだけですわ」
「そう」
クラリスは頷いた。
「では、今わたくしが何を思っているか、お分かりになりまして?」
「それは、どういう――」
「目障りですわ」
リズベットの表情が固まった。
「それに、その声も耳障りですの。そろそろお席へお戻りになってくださる?」
リズベットの唇がわずかに開いたが、言葉は出てこなかった。
カレンは小さく呟いた。
「あ、本当に戻ってきた」
その時、サロンの扉が開いた。
令嬢たちの視線が、一斉にそちらへ向く。
入ってきたのは、第二王子ルシアンだった。
サロンのあちらこちらで、息を呑む気配がした。
ルシアンは周囲には目もくれず、まっすぐクラリスの席へ歩いてきた。
「ここにいると聞いた。迎えに来た」
カレンは目をぱちぱちと瞬かせた。
「……殿下が、わざわざ迎えに?」
クラリスは立ち上がり、当然のように微笑んだ。
「ええ。わたくしの婚約者ですもの」
ルシアンの視線が、カレンへ向く。
「君がカレン・ヴァルディス嬢か」
「は、はい」
「手紙の件では、世話になった」
「いえ、そんな……」
カレンは助けを求めるようにクラリスを見た。
けれどクラリスは、楽しそうに目を細めるだけだった。
「では、行ってまいりますわ」
「ちょっと、クラリス」
「あなたも、余計な噂に踊らされないようになさい」
「はいはい……」
クラリスはルシアンの隣へ並んだ。
リズベットは、何も言えずに立ち尽くしていた。
クラリスは去り際に、少しだけリズベットへ視線を向けた。
「では、ごきげんよう」
それだけ言うと、ルシアンとともにサロンを出ていった。
残されたサロンで、誰かが呟いた。
「……仲が悪いのでは、なかったの?」
カレンは紅茶を一口飲み、肩をすくめた。
「さあ?」
それから、にやりと笑った。
「少なくとも、喧嘩中には見えなかったけどね」
◆
サロンを出た二人は、中庭へ続く回廊を歩いていた。
サロンのざわめきは扉の向こうへ遠ざかったが、二人をうかがう視線まで消えたわけではない。
「……相変わらず人気者だな」
「ええ、おかげさまで。殿下との仲はいかがでしょうか、というご心配のお声が多いのですわ」
ルシアンは少しだけ黙った。
「……今になって、君の言っていたことが身に沁みる」
クラリスは横目でルシアンを見た。
「貴族の噂は、しつこく残りますでしょう?」
「……そうだな」
ルシアンは足を止めた。
クラリスも、それにつられて立ち止まった。
「殿下?」
「なら、別の噂で上書きすればいい」
「あら。どうやって?」
からかうように尋ねたつもりだった。
けれどルシアンはクラリスへ向き直ると、そのまま彼女の手を取った。
「……殿下?」
問いかけるより早く、ルシアンが身をかがめた。
クラリスの手の甲に、唇が触れた。
周囲で、いくつもの息を呑む気配がした。
クラリスは固まったまま、何事もなかったように顔を上げるルシアンを見つめた。
「これで、少しは静かになるだろう」
「……殿下」
「不満か?」
クラリスは扇を開き、口元を隠した。
「そういうことは、先におっしゃって」
「言えば、君は止めただろう」
「そうですけれど……」
「なら、言わなくて正解だったな」
ルシアンは、まだクラリスの手を離さなかった。
そのまま前を向き、再び歩き出した。
「悪ふざけが過ぎますわ」
ルシアンは前を向いたまま、口元を緩めた。
「君に言われるとは思わなかった」
クラリスは視線を伏せ、頬に上った熱を扇の陰へ隠した。
それでも足取りだけは乱さず、ルシアンの隣を歩き続けた。




