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公爵令嬢クラリスの矜持  作者: 福嶋莉佳
三章

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第16話

クラリスは、扇をゆるやかに動かしながら微笑んだ。


「ルシアン殿下が幼い頃に過ごされた場所とうかがいましたの。婚約者としては、殿下の思い出の地を一度見ておきたくなりまして」


ルシアンが隣で目を伏せた。


王妃は微笑みを崩さず、一歩前へ出る。


「思い出の地を見るだけにしては、ずいぶん踏み込んだことをなさったようね」


「どういう意味でございますか?」


クラリスが、不思議そうに首を傾げる。


「使用人の出入りを制限したと聞いております。王家の離宮で、公爵令嬢がなさるには、少々行き過ぎではなくて?」


「あら」


クラリスは微笑んだままだった。


「王妃陛下は、もうそのような細かなことまでご存じなのですね」


王妃の扇が、わずかに止まる。


「南離宮の管理について、ずいぶんお耳が早いのですこと」


国王の視線が王妃へ向いた。


「王家の離宮ですもの。報告が上がるのは当然でしょう」


「ええ、そうですわね。ですから、わたくしも驚きましたの」


「……何にかしら」


「南離宮で、以前わたくしに仕えていた者が働いておりましたの」


王妃の指先が、かすかに動いた。


「けれど、その者がひどく困っている様子でしたわ。仕事を押しつけられ、陰で責められ、助けを求めることもできずにいたようで」


「使用人同士の些細な行き違いを、公爵令嬢が大事になさるの?」


「ええ。わたくし、心が痛みまして」


クラリスはルシアンへ視線を向けた。


「殿下にご相談いたしましたの。王族の方が滞在なさっている離宮で、使用人がそのような状態に置かれているのを、見過ごしてよいものかと」


ルシアンは頷いた。


「私が許可した」


クラリスは王妃へ向き直った。


「それに、少し気になることもございましたの」


クラリスは困ったように眉を下げた。


「南離宮の古株の侍女たちは、ずいぶん良い香油を使っていらっしゃいましたわ。袖口の刺繍も、髪飾りも、離宮勤めの侍女にしては少々立派で」


「……使用人の身なりまで見ていたの?」


「ええ。孤児院を視察する際にも、そういうところは大切ですもの」


クラリスは、閉じた扇をわずかに傾けた。


「本当に困っている者は、まず靴や袖口に表れますわ。反対に、豊かな暮らしをしている者も、そこに表れます」


国王が身を乗り出した。


「ほう。さすがエルヴァン公爵家の娘だ。よく見ているな」


「お褒めのお言葉、ありがたく存じます。ですから、ルシアン殿下にお伝えしましたの」


クラリスの視線を受け、ルシアンが頷いた。


「その通りだ。私が滞在していた離宮に不正の疑いがあると判断し、調査を命じた」


ルシアンは王妃へ向き直った。


「調べた範囲だけでも、支払い先や受領者の中に、王妃陛下に近しい者の名が複数ありました」


王妃は息を止めた。


「何を……」


声が、わずかに硬くなる。


「そのようなこと、わたくしは存じません」


「まあ……王妃陛下ともあろうお方が、ご存じなかったのですか?」


「……クラリス嬢。何が言いたいのです?」


「だって、王家の離宮ですのに」


クラリスは扇で口元を隠し、笑みを深めた。


「報告が上がるのは当然なのでしょう?」


王妃は、扇の陰で奥歯を噛んだ。


この娘……!


胸の奥で、冷えた怒りがゆっくりと広がっていく。


国王の視線が、王妃からルシアンへ移った。


「ルシアン。その支払いの控えはあるのか」


「ございます」


王妃は、そこでゆっくりと口を開いた。


「陛下。そもそも南離宮は、わたくしの管轄ではございません」


認めるわけにはいかない。


ここで頷けば、すべてが王妃の指示だったことにされる。


風向きを変えなければならなかった。


「王妃に近しい者の名があったとしても、それだけでわたくしが関わったかのように言われては困ります」


王妃はクラリスへ視線を向けた。


「むしろ問題は、公爵令嬢が使用人の出入りまで制限したことではなくて?」


「南離宮は、そなたの管轄ではないのだな」


国王の低い声が響いた。


「……はい。南離宮の管理は、王宮管理の者たちが担っております」


「ならば、離宮の細かな報告が、なぜこれほど早くそなたのもとへ上がったのか」


王妃の扇が、ぴたりと止まった。


「陛下。まさか、クラリス嬢の言葉だけでお決めになるのですか」


王妃はゆるく首を傾げた。


「クラリス嬢は、少し前まで療養なさっていた身でございましょう。王都へ戻られたばかりで、何かお役に立とうと気負われたのかもしれません」


クラリスの扇が、口元でゆるやかに止まった。


「どうか、感情に流されませぬよう」


「クラリス嬢の言葉だけではありません」


ルシアンの低い声が響いた。


「支払い先と受領記録は、私も見た。療養明けの令嬢の思い込みとして片づけられる話ではありません」


国王は短く頷いた。


「だからこそ、調べる必要がある」


国王は侍従へ視線を向けた。


「南離宮の帳面と支払いの控えをすべて封じ、宰相府の預かりとせよ。王妃付き、離宮付きにかかわらず、関係した者を一人ずつ調べよ」


「かしこまりました」


「……っ」


王妃は、扇の陰で息を詰めた。


ふと、視線を感じた。


ゆっくりと顔を向けると、クラリスと目が合った。


クラリスは、扇の奥で目を細めていた。


勝ち誇ったようなその目に、王妃の怒りがさらに冷たく沈んだ。

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― 新着の感想 ―
墓穴を掘りながら藪をつついてしまった模様
 使用人たちによるマリアさん虐めのとばっちりが、サフィーナさんの首をしめ……ルシアンさんの補助と、陛下の促しで更に加速するクラリスさんの舌論に、サフィーナさんが持つ扇が指圧やら爪食い込ませやらで悲鳴あ…
王妃の「キィィ」って声が聞こえてきそう。 ルシアン殿下もいい仕事しました。 バディ感出てきたなあ。
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