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公爵令嬢クラリスの矜持  作者: 福嶋莉佳
三章

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第14話

離宮を出る朝、空は薄く晴れていた。


玄関前には、王都へ戻る馬車が用意されていた。


荷はすでに積まれ、護衛たちも出発を待っている。


クラリスは玄関広間で足を止め、並んだ離宮の者たちを見渡した。


「帳面部屋の鍵は、エルナに預けます。薬棚、厨房、倉庫への出入りは、すべて記録を残しなさい」


名を呼ばれた年嵩の侍女が、一歩前へ出て深く頭を下げた。


「かしこまりました」


「外への使いは、必ずテオドールを通すこと。商会からの納品も、受領印を押す前に品と数を確かめるように」


壁際に控えていた副家令が一礼する。


「承知いたしました」


古株の侍女たちは、青ざめた顔で黙っていた。


「マリア。あなたは、わたくしと王都へ帰りますわよ」


「はい、クラリス様♡ 必要な控えと手帳は、すべて馬車へ積ませております」


マリアは、にこりと笑った。


「よろしい」


クラリスは最後に、古株の侍女たちへ視線を向けた。


「少し窮屈かしら。けれど、あなた方はこれまで十分に羽を伸ばしたでしょう。しばらくは、これくらいでちょうどよいのではなくて?」


誰も答えなかった。


クラリスは身を翻し、玄関を出る。


先に馬車の前へ立っていたルシアンが、手を差し出した。


クラリスはその手を取り、ゆっくりと馬車へ乗り込む。


扉が閉まり、馬車が動き出した。


ルシアンは窓の外を眺めたまま、口を開かなかった。

クラリスは膝の上の扇へ目を落とした。


「……殿下のお母様は、どのような方でしたの?」


ルシアンの視線が、窓からゆっくりと戻る。


「急だな」


「離宮でお尋ねしそびれましたから」


ルシアンはすぐには答えず、もう一度窓の外へ目を向けた。


「……謝ってばかりいる人だった」


クラリスは黙って続きを待った。


「俺の顔を見るたびに、すまないと言った。自分のせいで俺に苦労をさせていると。側妃の子に生まれたせいで、余計な目を向けられると」


ルシアンは息を吐いた。


「俺はそのたびに、違うと言った。俺がきちんとしていればいい。第二王子としてうまく振る舞えば、母上も困らない。そう思っていた」


「……殿下は、お母様想いでしたのね」


ルシアンは苦く笑った。


「どうだろうな」


「違いますの?」


「母を思っていたのは確かだ。だが、母のためと言いながら、自分にも何かができると思いたかっただけかもしれない」


「あら。それで十分ではありませんか」


クラリスは淡々と言った。


「殿下は、実際になさったのでしょう?」


「……何を」


「礼儀作法、勉学、剣術、王族としての立ち居振る舞い。少なくとも周囲は、殿下をよくできた第二王子と評価していたのでしょう?」


「……なぜ知っている」


「わたくしが知らないとでも?」


クラリスは当然のように返した。


「婚約者ですもの。殿下がどのように育たれたのか、調べない方がおかしいでしょう」


「……君は本当に遠慮がないな」


「それに、わたくしは婚約には苦い思い出がありますの。慎重になるのは当然ですわ」


「返す言葉もないな」


ルシアンは窓の外へ視線を戻した。


「……俺は昔から、何かの役に立てば、それで立場を保てると思っていた」


クラリスはルシアンへ視線を向けた。


「母上のためだと思っていた頃も、王宮へ戻ってからも、あまり変わっていない。誰かにとって都合のいい存在でいれば、そこに置いてもらえる。そう考える癖がついていた」


「……殿下」


「だから、君との婚約も、最初はそういう目で見ていた」


ルシアンは一度、言葉を切った。


「公爵家の後ろ盾。王太子が一度手放した婚約者。王家にとっても、俺にとっても都合がいい。そう考えた」


クラリスの扇を握る手に、力がこもった。


「……どうして、今その話を?」


「君に対して、不誠実だったからだ」


クラリスは答えなかった。


ルシアンは、クラリスの指先から目を逸らさない。


「君自身を見ていなかった。公爵家の娘で、王太子の元婚約者で、俺の立場を安定させる相手だと考えた。君が何を嫌い、何に傷つくのか、きちんと知ろうとしなかった」


「ずいぶん率直ですのね」


「今さら飾っても仕方がない」


ルシアンは、まっすぐにクラリスを見る。


「それに君は、飾った言葉を喜ぶ人ではないだろう」


「……少しは、わたくしのことを理解してくださったのですね」


ルシアンは小さく頷いた。


「遅すぎたがな」


「ええ。そうですわね」


クラリスは即答した。


ルシアンが目を見開く。


「そこは否定してくれないのか」


「わたくしがそれほど甘くないことも、ご存じでしょう?」


「……まあ、そうだな」


クラリスは扇を少し上げ、口元を隠した。


「……わたくしも、殿下との婚約に打算がなかったとは申しませんわ」


「君にも打算があったのか」


「王太子殿下に見せつけて差し上げたいという気持ちも、少しはございましたし……」


語尾は、扇の陰で小さく消えた。


「……あの時の君は、ずいぶん悔しそうだったな」


「忘れてくださいまし! あれは本当に屈辱でしたのよ!?」


「王宮の中庭の隅で泣いていた」


「思い出さないでくださいませ!」


クラリスは扇で口元を隠したが、赤くなった頬までは隠しきれていない。


ルシアンは、わずかに目を細めた。


「……だが、あの時、君を見つけなければ、俺は君を知ることもなかった」


クラリスの動きが止まった。


馬車の中が、一瞬だけ静まり返る。


しかし次の瞬間、クラリスは何事もなかったように扇を開いた。


「……もう少しで、エルベルト領ですわ」


「エルベルト領?」


「春の市が開かれるのですって」


クラリスは御者台へ向けて声をかけた。


「エルベルト領の市へ寄ってくださる?」


外から、御者の戸惑った声が返る。


「お嬢様、王都へお急ぎでは……」


「急いでいるのは殿下ですわ」


「……君も戻ると言っただろう」


「戻りますわ。けれど、急ぐとは申し上げておりません」


「……」


「それに、わたくしは急かされるのが嫌いですの」


ルシアンは言葉を失った。


「王都へ戻った途端、慌てて戻ってきたと思われるのも癪ですわ。道中で春の市へ寄った話のひとつも持ち帰った方が、こちらの調子を崩されずに済みますもの」


「それは建前か?」


「いいえ。わたくしが市へ寄りたいから寄るのですわ」


クラリスは当然のように言った。


「理由なら、あとからいくらでも並べられますもの」


ルシアンはしばらく黙っていた。


それから、諦めたように息を吐く。


「……御者」


「はい、殿下」


「エルベルト領へ寄れ」


御者台の向こうで、短い沈黙があった。


「……かしこまりました」


馬車は、エルベルト領へ向かって進路を変えた。


クラリスは満足そうに扇を閉じた。

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― 新着の感想 ―
 エルナさん達などの一部の者に信頼や指示の言葉が送られる中、青ざめた顔で好き放題しすぎないようにと釘をさされる離宮の古株の人達……腐敗に対する浄化や再教育が結構進んでいるようですね。  そして、帰還…
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