第13話
離宮のサロンには、茶の香りが漂っていた。
外から見れば、婚約者同士が茶を飲んでいるだけに見えるだろう。
だが、卓の上に並ぶものは、穏やかな内容ではなかった。
「今は、どこまで調べている」
ルシアンが尋ねる。
クラリスは、卓上に置かれた離宮の帳面の控えへ視線を落とした。
「帳面に記されていた商会を当たらせていますわ。離宮へ何を納めたのか、商会側の記録と照合しています」
「記録が一致しなければ、金だけが動いたことになるな」
「ええ。それに、誰の紹介で離宮へ出入りするようになった商会なのかも調べなくては」
「……商会の背後を見るのか」
「支払い先の名前だけを眺めていても、何も分かりませんもの」
クラリスは控えを重ね、卓の端へ寄せた。
ルシアンはしばらく黙っていたが、やがて扉の方へ視線を向けた。
「離宮の者たちは、当面そのまま置くしかないな」
「ええ。王妃陛下の筋で入った者たちですもの。こちらの判断だけで動かせば、かえって口実を与えますわ」
「とはいえ、外への使いまでこちらの者が確認している。これでは罪人扱いと変わらないな」
「まあ。あくまでも管理の見直しですわ」
「言い方が上手いな」
「お褒めの言葉として受け取りますわ」
クラリスが扇を開き、口元を隠した時、扉が叩かれた。
「入りなさい」
扉が開き、控えていた侍女が一礼した。
「殿下。宰相府より、急ぎの書状が届いております」
ルシアンの表情が、わずかに変わった。
侍女から書状を受け取ると、ルシアンは封を切った。
クラリスは、その横顔を眺める。
「何か心当たりがございますの?」
「ないわけではない」
読み進めるにつれ、ルシアンの眉間に薄く皺が寄った。
やがて、書状を卓へ置く。
「王都へ戻れ、ということらしい」
「ずいぶん急ですのね」
「王宮祝宴の共同提案について、確認したいことがあるそうだ」
クラリスの扇が止まった。
「ローデン伯爵家とヴァルツ子爵家の件で、何か問題が?」
「いや。提案そのものに問題があるわけではないようだが……」
「あら。どうしたのでしょうね」
クラリスは扇をゆるく揺らした。
「殿下、どうなさいますの?」
「戻るしかないだろう。無視する理由がない」
「仕方がありませんわね」
クラリスは扇を閉じた。
「では、こちらも急いで準備させましょう」
「君も戻るつもりか」
「当然でしょう。わたくしを置いていらっしゃるおつもりですの?」
「……療養の名目で来ているんだろう」
「殿下だけが王都へ戻られれば、また都合のよい噂を立てられますわ」
ルシアンが黙る。
「殿下とクラーラ様のお名前が、あちらこちらで都合よく並べられていると、お伝えしましたでしょう?」
数日前、クラリスはカレンから届いた報告を、ルシアンにも見せていた。
ルシアンは一度最後まで目を通したあと、再び最初の頁へ戻った。
それから、最後に添えられていた一文を、しばらく黙って見つめていた。
『クラリス。ルシアン殿下で本当にいいの?』
「……カレン嬢は、ずいぶん俺を信用していないらしいな」
「信用されるような振る舞いをなさいましたの?」
クラリスが尋ねると、ルシアンは答えず、もう一度報告の最初へ視線を戻した。
今もその一文を思い出したのか、ルシアンは低く息を吐いた。
「……そうだな」
クラリスは扇の陰から、じっとルシアンを見る。
その目は、少しも笑っていなかった。
「前にも、それを軽く見た」
ルシアンは一度、目を伏せた。
「君が不快だと伝えた時点で、もっとはっきり線を引くべきだった。仕事上のことだと、俺が納得しているだけでは足りなかった」
クラリスは答えない。
「……悪かった」
その顔を見て、クラリスは小さく息を吐いた。
悔しいことに、やはり整った顔立ちだと思った。
そして、その顔で素直に謝罪されると、怒りを保ち続けるのも少しばかり難しい。
「理解していただけたのなら、よろしくてよ」
そう言ってから、クラリスは扇の陰でようやく目元を和らげた。
「わたくしの、春の湖のように広く穏やかな心に感謝なさって」
「……春先の湖は、まだかなり冷たいぞ」
「なんですって」
「いや。褒めているつもりだった」
「どこが褒め言葉ですの」
「見た目は美しい。だが、油断して入れば芯まで冷える」
クラリスは扇を閉じ、ゆるく首を傾げた。
そして、にこりと微笑む。
「その通りですわ」




