第12話
王太子宮の小会議室には、朝から重い空気が垂れ込めていた。
卓上には、来春の王宮祝宴に関する書類が並べられている。
王太子はそのうちの一枚を取り上げ、眉をひそめた。
「……なぜ、祝宴の装飾ごときでここまで揉める」
即座に答える者はいなかった。
壁際に控えていた王太子付きの文官が、慎重に口を開く。
「殿下。ベリオール子爵家が、祝宴装飾の一部調達に加わる前提で、すでに複数の商会へ声をかけております」
「それは聞いている。一部を手伝わせてもよいと言っただけだ」
王太子は書類を卓へ戻した。
「祝宴の規模を考えれば、手は多い方がよいだろう」
「ですが、ベリオール子爵家が扱おうとしている品目は、ローデン伯爵家とヴァルツ子爵家の共同提案に含まれております」
「共同提案?」
文官が別の書類を差し出した。
「ローデン伯爵家は、長く宮廷装飾の監修に携わってきた家でございます」
「知っている。ヴァルツ子爵家は、近年、海外染料やガラス器の流通で力を伸ばしている新興の家だったな」
「おっしゃる通りです。その両家が、監修をローデン伯爵家、調達と会計をヴァルツ子爵家が担う形で、来春の祝宴に向けた提案を整えている最中でございました」
王太子は、そこで初めて書面へまともに目を通した。
「……いつの間に、その二家が組んだ」
「詳しい経緯は確認中でございます。ただ、両家の間ですでに相当話が進んでいたことは確かかと」
王太子は不快そうに息を吐いた。
「それと、ベリオール子爵家が一部加わることに、何の問題がある」
「すでに組まれている調達計画がございます。そこへ別の商会が、王太子殿下のお言葉を後ろ盾として入り込めば、会計も責任の所在も変わります」
「私は命じていない。一部協力してもよいだろうと言っただけだ」
「ですが、下ではそのように受け取られておりません。現にベリオール子爵家は、王太子殿下のお許しを得たと申しております」
「許しだと? 正式な許可など出していない」
「正式であるかどうかにかかわらず、許可として使われております」
王太子は口を閉ざした。
その間を見計らい、別の側近が控えめに続ける。
「そもそもベリオール子爵家は、先に王妃陛下へお伺いを立てていたようでございます」
王太子が顔を上げた。
「母上に?」
「はい。ですが、王妃陛下は時期尚早として、判断を保留なさいました」
「……では、なぜ私のところへ来た」
室内に沈黙が落ちた。
答えは、わざわざ口にするまでもない。
王妃に通らなかったから、王太子へ持ち込んだのだ。
しかも、正式な嘆願としてではない。
――友人の家が、少し困っておりますの。
数日前、イレイナはそう話していた。
――祝宴に関わる品を扱っている家なのですけれど、少しでも王家のお役に立ちたいと願っているのです。
王太子は、その時、深く考えなかった。
――それなら、一部だけでも加えてやればよい。
ただ、それだけを口にした。
ところが今、その一言は書類の上で、「王太子殿下のお許し」という形に変わっている。
「……ばかばかしい」
王太子は低く吐き捨てた。
「祝宴の装飾だぞ。王国の行く末を左右する話でもあるまい」
「装飾そのものは、そうでございましょう。ですが、宮廷装飾に関わるということは、王宮へ出入りする道筋を得るということです」
王太子は顔をしかめた。
「一度の祝宴に名が出る程度のことが、そこまで重いのか」
「商会にとっては、ただの一度ではございません」
別の文官が言葉を継いだ。
「一度でも王宮の祝宴で品を用いられれば、次の催事でも候補に挙がります。王宮へ品を納めたという実績は、そのまま信用となります」
「ローデン伯爵家にとっては、長年守ってきた監修の領分へ、後から別の家を差し込まれる形になります」
「ヴァルツ子爵家にとっては、旧家と対等に組んだ共同提案の一部を、横から奪われるに等しいでしょう」
王太子は書面へ目を落とした。
「……ベリオール子爵家は、私の言葉を得た家として引く気がない」
「はい。つまり、どの家も譲れない状態でございます」
王太子は椅子の背へ身を預け、天井を仰いだ。
「……なぜ、この程度のことで、こうなる」
今度こそ、誰も答えなかった。
◆
宰相府へ報告が届いたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
王太子宮付きの侍従は、常より顔色が悪い。
侍従から差し出された書類を受け取り、宰相エルンスト・ヴァイゼンは黙って目を通した。
来春の王宮祝宴について、ベリオール子爵家が王太子の言葉を得たとして、装飾品の調達へ加わろうとしている。
しかし、ローデン伯爵家とヴァルツ子爵家は、すでに共同提案を整えつつあった。
最後まで読み終えたエルンストは、静かに書類を卓へ置いた。
「……またか」
侍従は何も言わない。
言えなかった、という方が正しい。
エルンストは、際立って切れる男ではない。
人を圧倒するほどの才気も、王宮中をねじ伏せるような剛腕も持っていない。
ただ、長くこの席に座ってきた。
誰の言葉がどこまでなら許され、どこから先が厄介事になるのか。
その境目だけは、見誤らない。
「王妃陛下の側は」
侍従は一瞬だけ言葉を詰まらせた。
「……王妃陛下は、ベリオール子爵家の参加をお認めになっておりません」
「そうだろうな」
王妃が、その程度の問題を見落とすはずがない。
旧家が守ってきた監修の領分へ、新興貴族をどの順で入れるべきか。
王宮祝宴に名を連ねることが、どれほどの重みを持つのか。
あの方に分からぬはずがない。
だからこそ、保留にしたのだ。
侍従が小さく息を呑んだ。
「ここから先は、王太子宮の内々で収める段階ではない」
「では……国王陛下へ、でございますか」
「ああ。王妃陛下が保留なさった案件が、王太子殿下のお言葉を盾に押し通されようとしている。祝宴の装飾より、そちらの方が問題だ」
「はい」
「それと」
エルンストはもう一枚の書面へ視線を移した。
「ローデン伯爵家とヴァルツ子爵家が組んだ経緯についても、確認が要る」
「そちらも、でございますか」
「旧家と新興が、互いの役割を補う形で結びついている。自然にまとまったとは考えにくい。誰かが間に入ったはずだ」
侍従は視線を伏せた。
「……第二王子殿下のお名前が、少し」
エルンストの指が止まる。
「どの程度だ」
「正式に仲介なさったわけではございません。ただ、以前、双方へ言葉を添えられたようだと」
「……なるほど」
エルンストは深く息を吐いた。
王太子が軽い一言で開けた穴から、一つの家が入り込もうとしている。
その一方で、第二王子は旧家と新興の間に、すでに別の道を築き始めている。
これはもう、祝宴装飾だけの話ではない。
エルンストは立ち上がった。
「王宮祝宴の件について、第二王子殿下にも確認を取る必要がある。その旨も含めて、陛下へご報告しよう」




