第11話
投稿遅れてすみませんでした。
仕立て屋の奥の部屋には、柔らかな布の匂いが満ちていた。
壁際にはドレスの見本が並び、中央ではカレンが台の上に立っている。
仕立て職人が裾の長さを測り、助手が針をくわえたまま布を整えていた。
「腕を少し上げてくださいませ」
「はーい」
カレンは気楽な声で答える。
その横で、クラリスは椅子に腰掛けていた。
扇を閉じたり開いたりしながら、苛立ったように息を吐く。
「……信じられませんわ」
カレンが鏡越しにちらりと見る。
「なにが?」
「わたくしが、わざわざ王宮まで足を運んだのよ?」
「うん」
「それなのに、殿下ときたら書類ばかり見ていらっしゃるの」
カレンは「へえ」とだけ返した。
クラリスはなおも不満げに続ける。
「しかも、こちらが聞いてもはっきり仰らないのよ。寂しいのかと尋ねても、余裕がない、ですって……」
扇をぱたんと閉じる。
「余裕がないって、どういう意味ですの?」
カレンは腕を上げたまま、あっさり言った。
「普通じゃない?」
クラリスがぎろりと見る。
「……普通?」
「仕事中だったんでしょ?」
カレンは鏡を見たまま肩をすくめる。
「むしろクラリスが邪魔したんじゃないの」
「邪魔?」
思わず声が上ずる。
「婚約者が訪ねたのよ?」
「でも仕事中じゃん」
カレンはけろりとしている。
「男って、仕事してるときはそんなもんじゃない?」
仕立て職人が小さく咳払いをした。
「カレン様、少し肩を動かさないでくださいませ」
「はーい」
クラリスは扇の骨をきり、と握りしめる。
(王太子殿下は、すぐに仕事を切り上げてくださったのに……)
そこまで思って、はたと止まった。
(……そもそも、あの方は大して仕事をしていませんでしたわ)
自分で自分に突きつけた事実に、クラリスは一瞬だけ黙り込む。
カレンはそんなことには構わず、また鏡越しにクラリスを見た。
「それで、怒って帰ったの?」
「……当然ですわ」
「ふうん」
カレンは少し考えてから、ぽつりと言う。
「クラリスって、第二王子のこと、すごく好きなんだ」
部屋の空気が止まった。
クラリスの手の中で、扇がぴたりと静止する。
「……は?」
「だってさ、寂しいかどうかなんて、わざわざ聞いたんでしょ?」
カレンは不思議そうに首を傾げた。
「それって、気にしてるってことでしょ」
「当たり前ですわ!」
クラリスはすぐに言い返した。
「わたくしは殿下の婚約者ですもの」
「そういう言い方するところが、余計にそう見えるけど」
「カレン」
「はいはい」
仕立て職人が控えめに声を挟む。
「カレン様、少し回ってくださいませ」
「ん」
カレンがゆっくりとその場で回る。
裾がふわりと揺れ、淡い色の布がやわらかく光を返した。
「でもさ」
回り終えたカレンが、また鏡越しにクラリスを見る。
「殿下、ちょっとかわいそうかも」
「……なぜ?」
「だって急に『寂しい?』って聞かれても、仕事中なら困るでしょ」
クラリスは答えない。
カレンは悪気なく続けた。
「で、殿下はなんて言ったの?」
クラリスは視線を逸らし、少し間を置いてから答える。
「……寂しくないわけではない、と」
「え、いいじゃん」
カレンは楽しそうに笑った。
「それ、普通に好きってことじゃん」
クラリスは何も言えなかった。
胸の奥が、妙に落ち着かない。
腹が立つような、少しだけ熱くなるような、どうにも整理のつかない感覚だった。
そのとき、カレンがふと思い出したように言った。
「ところでさ、あの色いいと思わない?」
机の上に広げられた見本布を顎で示す。
淡い桃色の布地が、光を受けて艶めいていた。
クラリスは立ち上がると、机へ歩み寄った。
指先で見本布を一枚ずつめくり、迷いなく別の布を取り上げる。
「えっ、なにするの?」
カレンが目を丸くする。
クラリスは選んだ布をカレンの肩元へそっと当てた。
深みのある青みがかった灰色が、彼女の明るい髪色を引き締める。
「あなたはこちらですわ」
「へ?」
「夜会用なのでしょう。でしたら、こちらのほうが甘すぎませんもの。あなたの顔立ちにも合うわ」
カレンは鏡の中の自分を見て、ぱちぱちと瞬いた。
「……ほんとだ。なんか、こっちのほうがちゃんとして見える」
「当たり前ですわ」
「わかった。ありがと、クラリス」
クラリスは小さく息を吐くと、また椅子へ戻って腰を下ろした。
部屋にはしばらく、布の擦れる音だけが静かに響いていた。
◆
ルシアンは執務机に向かっていた。
書類を手にしてはいるが、視線はそこに落ちていない。
(……怒ったのか)
脳裏に浮かぶのは、クラリスの最後の表情だった。
――もう結構です。
硬く閉じた声音が、まだ耳に残っている。
ルシアンは椅子の背に体を預け、浅く息をついた。
(何を言えばよかったんだ)
机上には、陪席の報告書、宮内省から回された書類、そして孤児院支援計画の草案が積まれている。
今日中に目を通さねばならないものばかりだった。
だが、いま頭に残っているのは、
クラリスの不満気な顔だった。
机の端を指先で軽く叩く。
(……難しい)
仕事を優先したことが間違いだったとは思わない。
だが、あの場での答え方が正しかったかと問われれば、自信はなかった。
小さく息を吐いた、そのときだった。
扉が控えめに叩かれる。
「殿下」
侍従の声だった。
「アルヴィーン嬢がお見えです」
ルシアンは顔を上げる。
「……クラーラ嬢?」
「はい。孤児院の件で書類をお持ちだと」
ルシアンは一瞬だけ考え、それから頷いた。
「通してくれ」
扉が開き、クラーラが静かに入ってくる。
胸元には数枚の書類が抱えられていた。
「突然申し訳ありません、殿下。孤児院の現状を、簡単にですがまとめてまいりました」
ルシアンはわずかに目を見開く。
「もう作ったのか?」
「簡単なものです。ただ、現場の整理だけでも先にお伝えしたほうがよいかと思って」
クラーラは机の上へ書類を置いた。
「児童の年齢と人数、読み書きの習得状況。それから、職業訓練に繋げられそうな子どもたちを分けています」
ルシアンは一枚ずつ目を通す。
数字と要点が、無駄なく簡潔に整理されていた。
「……助かる」
クラーラはほっとしたように微笑んだ。
「現場のことでしたら、多少はお役に立てるかと」
ルシアンは資料に目を落としたまま問う。
「読み書きを覚えた子どもは、その後どうしている?」
クラーラは少し考えてから答えた。
「教会の手伝いに残る子もいますが……多くは雑役や、工房の見習いです」
「安定はしていないな」
「はい。ですが、職に繋がる技術があれば、状況は変わると思います」
「例えば?」
「仕立て、織物、会計補助……商会の下働きなども」
ルシアンは書類を閉じた。
「なるほど」
話が早い、と思った。
宮内省から上がってくる書類より、よほど先が見える。
ルシアンはもう一度、手元の資料へ視線を落とす。
(こういうものは、なかなか出てこない)
そこでふと、別の顔が脳裏をよぎった。
(……クラリスは)
あのとき、何を求めていたのだろう。
一瞬だけ思考が止まる。
「殿下?」
クラーラの声に、ルシアンは顔を上げた。
「……いや、続けてくれ」
執務室には、静かな昼の光が落ちていた。




