05 地下鉄コロニーA
薬物や放射線でも無い限り、多少環境が変わっても人間の遺伝子が数世代で変容する事は無い。
だが、成長の過程で体質が環境の影響を受ける事はある。
彼等が屋外に出る時にフェイスガードを付けるのは、寒さ対策は勿論だが、他に視力の減退も有るのだ。
産まれた時から彼等は、地下照明の作り出す弱い光の中で暮らしてきた。
それと、地下鉄と言う狭い空間で。
その為に、外界の曇り空の様な明るささえ眩しく、視力も弱い。
フェイスガードのカメラは、それらを屋外で補う役目も担っていた。
現代で言うなら、度付き調光サングラスだ。
「ふう、やっと帰れた。お母さん達はマダみたいだけど、先に体を拭いちゃおう」
除雪作業から帰ったミサキは寝床で服を脱ぎ、湿らせたタオルで身体を拭いた。
年頃の娘なので、親とは仕切りで区切られた区画をもらっていて、脱衣に問題は無い。
雪や氷が豊富とは言え真水は貴重なので、シャワーや風呂の文化は無くなってしまった。
もとより彼女達の住居は、地下鉄線路上に並べられた車両の残骸なので内部の防水性は無く、トイレを含む排水はタンクに詰めて農業用水に回されるので、大量排水はできない。
地下鉄の多くは複線式なので、片方を居住車両と農業プラントとし、もう片方が手押しトロッコと歩行用に使われているのだ。
農業プラントはレタスやモヤシをはじめとする室内水耕栽培工場生産が、西暦二千年代の日本でも行われている。
「あれっ?水の残りがすくないじゃない!お父さんたら、また忘れたね」
真水も食糧も、第二次世界大戦後期の日本同様に配給切符性となっており、棚の給水タンクには期間的に使用されている筈の配給切符が残っていた。
「もう~しょうがないんだから。御飯のついでに入れてくか」
ミサキは、棚から給水用の空ポリタンクを抜き取ると、それを片手に家を出てドアに鎖と鍵を掛けた。
セキュリティはアマアマだが、コロニー内での略奪窃盗は排斥追放の罪となるので、田舎の農家並みに安全と言えた。
複数の集落は支え合う協力関係にある為に、盗賊団の様な非生産的存在は合同殲滅隊を組んだり、我先に討伐して資材を独占するなど、徹底している。
特に都内においては、日本の共同体文化に馴染めない大陸からの移住者が、真っ先に雪上追放された。
食糧や備品類の隠匿など、この環境下では厳罰だ。
その為、食事は各部屋でするのではなく、一ヶ所で調理と食事をし、食器を洗った水は農業用水に。残飯は砕いて家畜の餌となる。
物資の不足しているコロニーでは、利用できなくなった物は分解してリユースし、それさえできない金属類は電気炉で溶かして工場送り。
服などの可燃物は燃料として利用される。
使用済み核燃料以外は【ゴミ】を出す余裕が無いのが、彼女達の生活だ。
「食堂にお父さんが来たら、水を持って帰ってもらわなくちゃ」
彼女の家族では、重たい給水と排水は男性の仕事と相場が決まっていたのだ。
食堂の車両では、いつもの女性が料理を作っていた。
既に幾人かの住民が食事をしている。
ミサキは、空いている席に座った。
「今日のミサキちゃんは雪掻きだったね?じゃあ、こっちの【労働食】だ」
「ありがとう、オバチャン。薄味だと力が出ないからね」
メニューなど選べない。
たが、食事には【普通食】と、肉体労働者用の【労働食】がある。
作業内容により、肉体労働をする者には塩分の強い食事が与えられる。
肉体労働者の塩分不足は、事故に繋がるからだ。
病気や怪我をしても、何処にも薬や衛生的な手術道具が皆無なのだ。
医者が居てもできる事が限られる。
逆に肥満は窃盗過食などの不正行為の疑いをかけられ、身辺調査の対象となる。
特に非生産者である村長など管理職には厳しい。
この様に、人間の生活に不可欠な物に酸素と水と食糧、食塩が有る。
地上部分が雪で覆われた地下生活では地下鉄駅に繋がった高層ビルの非常階段を、上空との吸排気に使っている。
ただ、地下鉄線路上で植物栽培をしているので、雪の為に吸排気が止まっても、実質あまり問題はない。
真水は、積雪の下部が地熱で溶けて地下鉄にしみだしてくるので濾過して飲めるし、雪を溶かしても飲める。
そして、サバイバルグッズなどで以外と見落としがちなのが塩だが、海は凍り、岩塩と縁遠い地下鉄では入手が難しい。
成人男性は毎日2グラム程度の塩が必要と言われ、塩分/ナトリウムが欠乏すると、数週間から数ヶ月で重い症状が出て、生命の危機に至る。
そこで、ここでは【アイスプラント】という植物が栽培されている。
一部の愛好家に栽培されてるアイスプラントは、肥料成分からも塩の塊を作り出す。
人間の摂取した塩素原子やナトリウム原子は、全てが吸収されることもないし、体内で消える訳でも別の原子に変わる訳でもないので、やがて別の分子に取り込まれて排便され、肥料にされる。
人間などの排泄物から直接に食塩を作る事はできないが、この様な植物を使って彼等は、僅かながら塩分をリサイクルしているのだ。
とは言え、塩の絶対量は足りないので、東京湾に近い地下鉄集落が、凍った東京湾の海水氷を【採掘】して供給してはいる。
「久々の雪掻きはキツかったでしょ?」
食事中にのミサキ食堂のオバチャンが話しかけてきた。
「お父さん達に比べたら、たいした事無いよ。それより今日は料理を手伝えなくてごめんね」
「雪掻きは義務たからしかたがないさね」
ミサキは頻繁に食堂の料理を手伝っていたのだ。
能力や技術に秀でていない単純肉体労働者のうち、若年層はビル周辺の雪掻きや、農作業。
中年から年配男性は雪のトンネルを掘って物資の回収。
年配女性は農作業と簡単な製造業と分業と物資回収の手助けをしている。
トンネル掘りは崩落の可能性があるので、子供を産んでいない青年は避けている。
この分業は、目先の食糧とエネルギーの心配がなくなった人間の行動が、未来を作る子供達の維持だからだ。
子供達の為に身を削る親は少なくはない。
限られている物資とエネルギー。
だから全滅するよりは、少子化で減っても死になるよりはマシだと我慢できる。
「で、風景は見れたのかい?ミサキちゃん」
「うん、初めての晴天で青い空に白い雪が映えて綺麗だったけど、とても恐かった」
「恐い?外は初めてじゃあなかったよね?」
オバチャンは少し疑問を持って首を傾げた。
「風も無くって綺麗だけど、まるで死後の世界みたいだったんだもの」
「そうかい?まぁ、天国って所は、あんな感じだろうけどさ」
「流石にオバチャンも、天国は見た事ないんだね」
風の無い白銀の世界は、雪が音を吸収しやすいので、とても静かだ。
飛行機はおろか電車も車も走っていない上に、人も生物も居ない。
今の地下鉄は、空調の為に各駅のホームに巨大な送風機が有り、常に回ってモーター音を響かせている。
そんな所で産まれ育った者に、静寂は逆に恐怖を感じさせるのだ。
「だけど今回は、ハンサムな彼氏と一緒だったんだろ?」
「やめてよ!アキラは父さんが案内役をしてた人の息子だから、仲良くしてやってくれって言われているだけで、別に親戚や彼氏って訳じゃないわ」
「でも、ミサキちゃんには近所の幼馴染みではあるんだろ?アルアルじゃないか」
「・・・・」
アキラは、横須賀在日米軍シェルターから流れてきたナターシャ・スミスの息子だ。
閉鎖空間の米国シェルターは物資の枯渇で放棄されたらしい。
当然、アメリカ本国からの救助や支援は無い。
当時、外国人は嫌っていたが、発掘した機械の英語マニュアルの解読にバイリンガルの彼女は【渡りに船】だったらしく、村長が結婚したてだったミサキの父に案内役を命じたのだ。
金髪グラマーのナターシャは、家族と死に別れた為か、自由な御国柄か?同国人が皆無な孤独からか異性関係がだらしなく、間もなく私生児として産んだのがアキラだった。
結局は誰が父親かは分からなかったらしいが、ミサキの母は夫を疑い、娘にはアキラに近付き過ぎない様にと忠告していた。
家族の恥かも知れないので、ミサキが他者に話す事は無いが、そう言った訳でミサキはアキラと一線を引いている。
「原発で賄い料理人を募集してるみたいだから、成人したら行こうかなぁ。アイツ馬鹿で不器用だから技能試験落ちるし、そしたら二度と付きまとわれないから」
「あらあら、仲良いと思ってたけど、彼は随分と嫌われてるねぇ」
「だって、すぐ暴力振るうんだもん」
人間は、本能に基づく深層心理による行動を、自分自身でも理解できない。
自分の事が、一番分からなかったりする。




